第35話 襲撃②

 キノコ雲が立ち上ぼり、我を失った都民たちの悲鳴が辺りに響き渡る、阿鼻叫喚の王都カラリス。

 誰もが我先にと爆心地から遠ざかるために、悲鳴を上げ、怒号を飛ばし、ときには手を取り合って、石畳の上をばたばたと走り抜けていく。

 そして、奇妙な男たちで構成された一団も、爆心地から遠ざかる一同のなかに紛れていた。


 いったい何事かと爆発現場に駆けつけようとする兵士や警邏隊の隊員たちも、男たちとすれ違う瞬間だけ、ぎょっとした目を彼らに向け、立ち止まるべきかとたたらを踏む。

 なぜなら、すれ違う男たちの格好が何故か全裸で、そしてこれまた何故か、その顔に興奮冷めやらぬ様子の笑みを浮かべながら、素足で駆け抜けていたからだ。

 普段であれば、まず間違いなく取り締まるべき対象。それまでに、純度百パーセントの不審者。

 しかし、現在はそれどころではなく、街のなかでもっと異常な事態が起きていた。


 ――大規模な爆破テロ。


 原因は不明だが、とにかく、有事のときに備えて街を巡回している兵士などは、まさしくこういうときにこそ動くべき存在である。

 避難民の誘導、安全の確保、怪我人の救助……やるべきことは山積みで、不審者の確保に回っているほどの余裕は、当然のことながら、無かった。

 そのため、一度足を止めかけた彼らも結局は「元気に走っているのだから、少なくとも身体に異常はない」という判断を駆け抜けていった男たちに下し、自分は事故現場へと向かって足を進めるのであった。




「すげぇ! すげぇよ! 本当に死なねぇんだ!!」


 非常時ゆえ、一時のあいだ門番の居なくなった街門をその身一つで潜り抜けた男が、鼻息荒く、肩を上下させながら、そんな興奮の声をはく。

 目撃者は一人残らず爆破に巻き込まれ死んでしまったので、誰も彼らの正体に気付くことはなかったが、彼らは妙な演説とその身にくくりつけた魔昌石で爆破テロを行った犯人一行そのものであった。


「あの気味悪い男に薪としてくべられたときはどうなることかと思ったが、これは良い……。良い気分だ。木っ端微塵になっても死なないなんて……まだ信じられない!」


 彼らの周囲には街の中から避難してきた王都民も多数いるが、彼ら彼女らもパニックになっていて、全く声を潜めず意味のわからない会話をしている男たちの様子を気に止める気配はない。




 身を呈した爆破テロにより死ぬはずだった男たち。彼らが思い出すのは、たった数日前に遡る、恐怖の記憶。

 商いに失敗をして街角で飲んだくれていた男たちが、一人の男により謎の組織にスカウトされたのは、それよりもかなり前になる。伸びきったボサボサの白髪混じりの黒髪と、ひきつったような気味の悪い笑い声が特徴の男。本名は知らない。男はただ、『ガルス=ガルス』と名乗っていた。

 意味のわからぬまま、しかし世に絶望を抱いていた彼らは、「世界を統治する」等という世迷い言をぬかすガルス=ガルスの言葉に乗り、行動を共にするようになった。思想に惹かれたわけではない。それどころか、「狂人め」とすら思っていた。だがそれ以上に、「もうどうにでもなれ」という自棄の心が強かったのだ。


 しかし、そんな彼らも、


「さ、ささ、さぁ。飛び込め……」


 そのときばかりは、どうにでもなれという気持ちを抱くことなどはできなかった。

 その日、突如連れてこられたのは、地下に築かれたシェルターのような一室。普段から組織の建物として使われている建物ではない、初めて連れてこられた建物だった。だが、秘密結社だ何だとガルス=ガルスは自分たちの組織のことを呼んでいるのだ。ならば、基地がいくつあってもおかしくはない。当然、そのことを末端の自分達に知らされていなくても、何もおかしなことはないのだ。

 とにかく、連れてこられた一室、その床にあった奇妙な金属製の床扉を開いたガルス=ガルスが口にしたのは、「飛び込め」などという突拍子の無い一言であった。


「……は?」


 当然、誰とも無しに、連れてこられた者たちのなかからそんな疑問の声が漏れた。

 飛び込め、などというが、勘違いでなければ、開かれた床扉のその下から、珍妙な青白い炎がチラチラと見え隠れしている。温度が高いが故の色の薄い炎ではない。見たこともないような、おかしな色と光を放つ、『変な』としか言い表せない炎であった。


「か、簡単だ。この穴は、し、下の部屋に、繋がってる。しし、下の部屋に飛び込んで、部屋にある扉から外に出て、か、階段を上がって、ここ、こ、ここまで帰ってくる。ど、ど、どんな馬鹿でも出来ることだ」


 そりゃそうだ。そんなことなら、どんな馬鹿でも出来る。

 だがそれに、「煌々と燃ゆる炎を潜って」という条件を加えたら、その逆だ。よっぽどの馬鹿か、自殺志願者にしか出来ない。

 ――と、なれば当然、


「ふざけんなっ!! 俺らに死ねって言ってんのか!?」

「……」


 そんな怒りを飛ばす者も現れよう。


「冗談じゃねぇよ! もともとテメェに心酔してる馬鹿なんてここにゃ居ねぇんだ。ただ、給料が貰えるから組織に居ただけだ!! こんなことなら、俺は抜けさせて貰うぜ! ……おら、退けっ」


 自分たちが言いたいことを全て代弁してのけた男は、出口の方へと乱暴に人を掻き分けて向かっていく。

 おそらく、あの男が出ていくのを黙って見逃していたら、あの場に残る者など一人も居なくなっていただろう。なぜなら、自分含め、あの場にいた誰もがその男の背中について行こうとしていたのだから。

 だが――


「おい。や、や、やれ」

「……はぁ。承知した」


 パンと一つ柏手を打ったガルス=ガルスの言葉に答えたのは、出口である扉の横にもたれ掛かっていた、真っ白な仮面をつけた奇妙な女。

 女……なのだと思った。目も鼻も口も、どこにも穴の空いていないツルンとした卵のような仮面に顔をすっぽりと隠し、素顔はどうなっているのか、見当もつかない。しかし170に届くかという程度の身長に華奢な体躯。それにやや低めだがそれでも中性的というよりは若干女性的な声を聞けば、おそらく女なのだろうという予想がついた。


 そんな彼女が、率先して出口へと――即ち自分の方へと向かってきた男の胸ぐらを掴むと、あろうことかそのまま片手で、特に力む様子も無しに、男を宙吊りにしてみせる。


「がっ……はっ! なん、だっ! てめっ!?」


 じたばたともがき、悪態をつきながら宙ぶらりんの脚を辛うじて動かして、男は自分の胸ぐらを掴む女に蹴りを繰り出す。

 補足しておくと、男は率先して文句を口に出来るほどには腕っぷしに自信があるのだろう。それほどには屈強な体躯をもち、顔も堅気には見えないほどには強面であった。そんな男から、地に足はついていないものの、全力の蹴り。普通の女であれば、思わず手を離してしまうほどには威力があるはずである。


 しかし、効かない。

 バシンと良い音は鳴るものの、女の身体は少しもぶれることなく、一歩一歩と踏み出して、開け放たれた床扉の真上に男を持っていく。


「や、めろっ!! テメッ、離せっ、はぁ、コラッ!!」


 必死に抵抗するも、効果は無し。

 ほら離したぞとばかりに、これっぽっちの感情もこもっていない動作で女はその手を離すと、暴れる男を床扉のその下、煌々と輝く青白い炎の中へと、まっ逆さまに落としてしまった。


 連れてこられた商人の男は、その光景を、何故かただただ見つめていた。

 階下から聞こえる、男の断末魔。やりやがった。恐ろしい。逃げなければ、次は自分の番かもしれない。出口の門番をしていたのだろう女は、現在は床扉の側に佇んでいる。今ならば逃げられる。

 なのに、脚が動かなかった。否。脚どころか、その光景から目を反らすことすら出来なかった。それは商人の男だけでなく、この部屋に連れてこられた数十人の男たち全員に言えることだった。


 やがて、階下からの断末魔が消えた。

 やがてと言っても、何秒だったのか、はたまた何分だったのか。男が落とされてからどれ程の時間が経ったのかは、正直よくわからなかった。それを気にするほどの余裕などなかったのだ。

 とにかく、異常はすぐに起きた。

 バタバタと慌ただしく駆け抜ける音がだんだんと近付いてくると、こめられた感情がよくわからない表情を浮かべ、炎の中へ落とされたはずの男が、部屋へと駆け込んできた。


「……?」


 みんながみんな、困惑の表情を浮かべていた。

 何だ? さっきの断末魔は何だったのだ? と。もしかして、手品でも見せられたのだろうか、と。

 駆け込んできた男はさっきまで迫力に満ちた断末魔を上げていたとは思えないほどに火傷ひとつない姿のままで、もちろん、服も先程と同じものを着ている。

 ――と、なれば、あの炎は見た目だけで熱なんかは持っておらず、この男はガルス=ガルスに依頼されたサクラなのだろうと考えてしまっても、無理からぬ話であった。


「はぁ、はぁ、おいっ! 何だ、おい! 何が起きたんだ!? なぁっ!!」


 だが、どうやらその困惑は、一部始終を見ていたオーディエンスだけのものではなかったらしく、実際に落とされた本人すら、困惑からなのか怒りからなのか、そんな怒鳴り声を上げる。

 それは少なくとも、端から聞いていても身がすくむほどの迫力がこもっていて、演技だとは思えなかった。


「熱かったんだ! 燃えた! 俺のからだは燃えたんだ……手の指がボロボロ崩れるのも見たっ! なのに、何だオイッ! 何で俺は五体満足で生きてるんだよ!? いったい何しやがったんだ!!」


 だらだらと脂汗をかいて、慌ただしく滅茶苦茶なジェスチャーを交えながら、自分に起きたことを説明して見せる男。しかしおそらく、本人以外にその言葉の意味を理解したものは居ないだろうほどには、支離滅裂な説明であった。


「くそっ! おい、何なんだ、あの炎は。説明しろよっ!!」


 周囲からの不理解の眼差しを受け、ひとまず謎の説明を切り上げた男は、とにかく自分が何をされたのかを知るべく、いまだに床扉の側に佇み、ニヤケた笑みを浮かべるガルス=ガルスへと詰め寄る。

 ――が、


「さ、ささ、最終確認だ……やれ」

「……」


 完全に寄りきる前に、さらに不理解で理不尽なことが起こる。

 短く小さい指示を口にしたガルス=ガルスに答えるは、先程と同じ仮面の女。しかし今度は束縛というあまっちょろい行動ではなかった。

 返事をするでもなく、その腰に下げられていた奇妙な曲剣を素早く抜くと、向かってきていた男の首に、瞬く間に一閃。


「……?」


 何が起きたのか、という顔でキョトンとしていた男の首が、ずるりとずれて、ゴトンと嫌な音をたてて床に落ちる。


「ひぃっ!?」

「うわああっ!!」


 ようやく余裕が出てきたのだろう、集められた男たちのなかから、直接の暴力的場面に悲鳴が上がる。

 仕方がないだろう。燃え盛る炎に落とすのではなく、今度は直接首を斬り落としてみせたのだ。見た目から受ける衝撃の差は推して知るべしである。


 ――だが、おかしなことは、直後に起きた。


 断ち切られた男の断面から飛び出したのは、真っ赤な血……ではなく、真っ赤な炎であったのだ。

 首から吹き出した炎はやがて二つに別れた身体も頭も包み込み、人型を形成すると、自然消滅するように霧散する。

 そして霧散した炎のなかから現れたのは、無傷の男。

 落ちたはずの首もくっついており、怪我ひとつない。相変わらず何が起きたのかわからない様子をありありと浮かべ、きょろきょろと辺りを見回している五体満足の強面の男だった。


「お、おい。い、い、いま、何をしようとしし、していた?」


 忙しなく戸惑っている様子の男に、どこか満足そうなガルス=ガルスが問いを投げ掛ける。


「……あ? 何って……炎に落とされて、それで生きてて、よくわかんなくて。……何だ? 何が起きたんだ?」

「ヒヒッ、ヒヒッ! ヒハハヒハッ!!」


 訊かれた通り素直に答えた男は、周囲から向けられている目から、どうやらそれ以外にも何かあったらしいことを察し、訝しげに眉をしかめて事情を訊ねる。

 だが、その問いに返ってきたのは答えではなく、耳障りな高らかな笑い声と、


「ヒハッ、ヒハッ! せせ、成功だ! ああ、ああ、お、おめでとう。君は、ふ、ふふ、不死者になったんだ」

「……ああ?」


 そんな、心底嬉しそうな言葉であった。

 不死者になった、という言葉に、にわかに場がざわつく。実際に不死を証明して見せた男は何を言われているのか理解できていない様子だが、端から見ていた者たちは、実際に男の死を以て見せつけられたのだから。

 首を切り落とされたはずの男が、すぐに五体満足で復活する様子を。


 素直に驚嘆の息を漏らす者。興奮を隠せない者。戸惑い訝しむ者。反応は様々だった。

 だが、商人の男は――いや、複数人、ガルス=ガルスの言動を注意深く聴いていた者は、それよりもなによりも、恐怖を覚えた。

 「成功だ」。ガルス=ガルスはそう言った。

 それは、即ち、失敗する可能性も多大にあるなかで、他人を実験動物に用いて、不死者の作成を試みたのだ。


 外道。

 ヤツを表す上で、それ以外の言葉が見当たらない。いや、ヒトであることを度外視すれば、悪魔、と呼ぶのも良いのかもしれない。


 とにかく、その悪魔は言った。


「ささ、さぁ。つ、次は、君たちだ。永遠の命を、てて、て、手に、入れろ。ヒハッ、ヒハッ」


 緩やかなジェスチャーで、床の穴へ、その下にある青白い炎へ飛び込むことを促すガルス=ガルス。

 その声につられて、一人、また一人と、不死者が誕生していく。その誰もが身を焼かれる苦痛に悲鳴をあげる、が、すぐに階段を駆け上がってこの部屋まで帰ってくる。ここまでの人数が無事に帰ってきているのだ。サクラである可能性は限りなく低い、と考えても良いだろう。


 だが、なかにはどうしても脚が動かない者もいた。

 商人の男も、その一人であった。


「き、き、君たちは、『薪』にはなりたくない、という、こ、ことかな?」


 渋滞待ちの列が解消されて、穴に飛び込む者が途切れたとき、まだ飛び込んでいない者たちが集まる一角を粘つく目で見たガルス=ガルスが、そう言った。


 恐ろしい。

 商人の男はその職業柄、もっと理不尽な客や、腕っぷしにものを言わす荒くれ者たちも、数多く相手にしてきた。それに比べれば、目の前の男はなんだ。見た目はひょろひょろ。喧嘩をすれば、まず間違いなく自分が勝てるだろう。


 なのに、恐ろしい。


 根本的に違う。ガルス=ガルスに対する恐怖とは、単なる力の強さや、鋭い眼光から醸し出されるものではない。もっと根元的な、まさしく、「関わってはいけなかった」という後悔とない交ぜになる類いの恐怖であった。

 得体の知れない存在。魑魅魍魎の一種を目前にしたような、今まで味わったことの無い恐怖に、まだ穴に飛び込んでいない男たちは頷くことすらできず、それどころか正常な呼吸すらままならない様子で、じっとガルス=ガルスの挙動を観察する。


「ああ、ああ、い、いいんだ。しし、仕方ないよ。嫌なものは嫌だ、そ、そそ、そうだろ。ぼ、僕だって嫌なことは、したくない」


 しかし当のガルス=ガルスは頭をゆるゆると振り、咎めることはせずに、飛び込まなかった判断を許容する。


「ま、まぁ……。ここ、これからの仕事でポックリ逝ってから後悔しなければ、い、い良いけどね。ヒハッ、ヒハッ」


 そんな言葉を付け足して、いやらしく焦らせはするが。


 結局、その後ガルス=ガルスが傍らの女に「お、おい。ささ、さ、『再誕の篝火』を、停止させて来い」という指示をした瞬間、えぇいままよ! という気持ちで「待ってくれ!」とストップをかけ、商人の男含む飛び込んでいなかった全員が意を決して炎に飛び込むことになる。

 身を焼かれる苦痛にまさしく『死ぬような』思いはしたものの、それを乗り越えたのち、男たちは不死性を手に入れることになる。

 そしてその判断が後に、自身に危険が及ばない自爆テロという矛盾を孕んだ行為に繋がるのだ。そうして初めて、男たちはガルス=ガルスが与えたもうた不死性に感謝を示すのだ。




「と、とりあえずよ……」


 死んだはずなのに死んでいない。自身の死を以て自身の不死を証明して、その興奮が隠しきれていない一同のなかで、ふと我に帰った一人が、おずおずと進言する。


「ひとまず、合流場所の丘に行こうぜ。替えの服もあそこに置いてあるし……さ、さすがに裸は恥ずいわ」


 街のなかで二手に別れた仲間たちとの合流と、爆発で消し飛んだ服の替えの回収。それを行うため、改めて自分の格好を見下ろした一同は、こそこそと今更ながら怪しさ満点の動きで、いまだ戦々恐々とする王都民の間を縫って、集合場所の丘を目指すのだった。


   ◇ ◇ ◇


「――な、何事だッ!?」


 連続で、文字通りの地を震わすような轟音。それは当然、王城にて使用中の会議室にも届き、その音に弾かれるように慌ただしく立ち上がった国王は答えが来るはずもない問いを叫ぶ。


「爆発音……のように聞こえましたな。ただの地震ではないと考えた方が、良いかもしれませぬ」


 その問いにすかさず答えたのは、傍らに座っていた宰相。いつもは細く開いているのかすらわからない糸目を心なしか見開き、己の推測を口にする。そして、


「陛下。報告が来るまでは、ひとまずこの場にて待機していましょう」


 と、逸る気持ちを抑えられない様子の国王に釘を刺しておく。このままでは、護衛やなんだと関係無しに身一つで飛び出しかねないと危惧したのだ。


「うぬぅ……」


 そしてその危惧は正しかったようで、ぐぬぬと唇を噛んだ国王は、不承不承といった様子で再び豪奢な椅子に腰を下ろした。




「報告します!! 城下町にて、巨大な爆発が二ヶ所!! 手口は不明ですが、その規模から、死傷者の数は十や百では収まらないかと!!」


 やがて、報告のために慌ただしく駆け込んできた兵士が、敬礼もそこそこに早口で報告を終える。彼の生涯において一際異常な事態に、落ち着き払う余裕など無いのだろう。それがわかっているからこそ、普段は口を酸っぱくして「陛下の御前だぞ」と注意する宰相も、その態度を咎めることなどしなかった。


「……ふむ。王都の状況は?」

「はっ! 付近の巡回兵や警邏隊らが避難誘導に当たっていますが、王都民らも混乱しており、なかなか捗ってはいないようです!」

「なるほど。報告ご苦労」


 まるでいつも通り飄々と答えている様子の国王だが、机の下に隠された手は固く拳を握っており、どうしたものかという焦りで頭のなかはパンク寸前であった。

 だが、すぐに、


「ひとまず、混乱をおさめることが重要だな。この際、犯人や原因のわからぬ爆発に怯えることとなる街の中よりも、街壁の外の方が安全やもしれぬ。そこまで落ち着いて避難するよう、誘導させてくれ」

「はっ!!」

「城の兵士たちも、民間人の保護のために街の外へ。魔物が現れたときは、身を呈してでも民を護れ」

「はっ!! 陛下はいかがなされますか!」

「余は……」


 言い淀んで、整えられた銀の顎髭を軽くなでる。


「余も、王城から避難誘導にあたろう。街中の拡声魔道具に繋げて、王城から声を飛ばす。少しでも知っている者からの指示の方が、落ち着きもするだろうからな」

「……承知致しました」


 ここで逃げるという選択肢をとらないあたりは、さすがは人徳の厚い国王である。その人柄を知っているからこそ、本当はいち早く逃げるべきだと言いたい宰相も、なんとか頷き了承する。


「ですが、護衛や守護結界の魔導師は連れていってくだされ」

「当然だ」


 そう釘を刺すことで、最低限の、せめてもの安全確保をお願いする。

 それに力強く頷き立ち上がった国王は、傍らにいた屈強な兵士や騎士を数人携え、アナウンスのための部屋へと足を進め――ようとした瞬間。


「うーん。判断が的確すぎて困るなぁ。いや、現在進行形で困ってるのはもちろんそっちなんだけどねえ。でも、そんなに迅速に混乱をおさめられたら、私は困るかも」


 会議室のなかに、そんな場違いな台詞が木霊する。


「……は?」


 飄々とした声に、気が付けば会議室中の人が動きを止め、その声の出所へと目を向けていた。


 しかしそれも無理からぬ話であった。何故なら、それまでそこには、誰もいなかったはずなのだ。

 果たして、いつからそこに居たのだろうか。もともと居なかったのだとしたら、どのようにして現れたのだろうか。

 国王へと報告をしていた、扉の前に立つ兵士――その横にいつの間にか、何故か燕尾服を着込み、手品に使うようなステッキを手に持つ女性が微笑んで立っていた。先の台詞はどうやら、その女性が発したものだったらしい。


 ――気が……付かなかった。


 たらりと一筋、兵士の横顔を冷や汗が流れる。

 気付かないはずがない。

 場違いな衣装に場違いな声色。この会議室に馴染む要素など、その女性には皆無であった。

 それなのに誰一人、真横にいる兵士ですら、その女性の出現にもその予兆にも気が付かなかったのだ。


「いや、困るっていうか……うーん」


 周囲の戸惑いなどよそに、その女性は一人でに言葉を紡ぐ。顎を押さえてうーんと唸ると、


「うん、困りはしないや。でもまぁ、つまらないからさ。王様には悪いんだけど、王都の人たちのことは見て見ぬふりをしてほしいんだよね」

「な、何を……言っている?」

「まぁ、それ以前にこの部屋から出さないけど」


 そう言って女性がパチンと軽く指を鳴らすと、突如出現した禍々しい色合いの鎖が滅茶苦茶に扉に絡み付き、その開閉を禁ずる。


「なっ! くっ、開かない!」


 扉の目の前にいた兵士が真っ先に扉にすがり付き、開けようと試みる。が、ドアノブが見えないほどに絡み付いた鎖に阻まれ、それは叶わなかった。


「……何が、目的だ?」

「んー? ……この街の希望の拉致監禁、かな」


 恐る恐るといった様子の国王からの問いに、なにやらよくわからない答えを返す女性は、楽しげに目を細めて笑う。


「さっきも言ったけど、今王様たちに騒ぎを鎮めてもらったら、私としてはすっごくつまらないわけ。だからちょっと、ここで大人しくしててほしいなあ、って」

「……先の騒ぎの元凶も、お前か?」

「いんや。残念ながら、それに関して私は完全に無関係。ただ、ちょこーっと騒ぎを利用して、それに乗っかってみようかなって思っただけ」


 ついでにトイレットペーパー買おうかな、とでもいうような気軽な様子で、とんでもないことを言い出す。

 それを、いったい何者なんだこの女は、という気持ちをありありと含んだ目で見つめる国王に、飄々とした笑みにて見返す女性は、


「あ、そうだ」


 と何かに気付いたように声を発すると、再びパチンと指を鳴らす。


「王様も不安だろうし、私としてもここに居てくれた方がありがたいから……王妃様と第一王女様も、ここに置いておくね」

「いたっ!」

「きゃぁっ! ……え、なに? 何が起きたのぉ?」


 すると突然空中に現れたのは、ついでとばかりに鎖で身動きを封じられた王妃と第一王女オリヴィア。身動きが取れない状態でそのまま自然落下に任せて尻から着地した二人は、そこまで高くなかったとはいえ、その痛みに少々悶えながらキョロキョロとせわしなく辺りを見回す。


「イリスッ! オリヴィアッ! ……貴様ぁ、二人に何をした!?」

「えっ、何もしてないよ!? ほらほら、元気じゃん!」


 その瞬間、さっきまで冷静だった国王の目が豹変。突如怒りに任せて女性に怒号を飛ばす。

 それに目を剥いて驚いた女性は、証明だとばかりに持っていたステッキの先でちょんちょんとオリヴィアのことを小突く。少々際どい部位にヒットしたその突きによって、「な、なにっ!? あはっ、くすぐったい!」と場の空気にそぐわない声が辺りに響く。


「ほら、ね?」

「……『ね?』じゃねえ! その御二方から離れろぉ!!」

「うわっ。びっくりした!」

「なっ――!」


 どうだ、という目線をウインク込みで国王に送る女性に答えたのは、オリヴィアの何でもない様子にひとまずほっとした国王本人ではなかった。

 その国王の影から目にも留まらぬ速度で飛び出した、ハロルド命名ニンジャマン。王国近衛第三師団長、タダノブであった。

 両手に既に抜刀済みの忍者刀を握り、そのへらへらした顔を斬り捨てんと速やかに接近するタダノブ。

 だが、「びっくりした」と言いながらも全く慌てている様子が無い女性がステッキの先で床を軽く叩くと、タダノブの影から伸びた数本の黒い触手が彼のことを羽交い絞めにして、床に転がす。


「出てこないなーって思ってたら、突然大声出しながら飛び出してくるんだもん。びっくりしちゃった。駄目だよ? この場にはお年寄りもいるんだから」

「く、くそっ。外れねぇ。貴様、俺の影に何を……」

「……んんー。『俺の』影、ねぇ……」


 光属性魔術による幻惑と、空間魔術による空間歪曲の複合魔術が、タダノブが新規に開拓した魔術系統、【影魔術】である。その名の通り、己もしくは他人の影を操り利用する魔術で、潜伏や奇襲、何より『忍者』という役割ロールプレイに並々ならぬ情熱を注いだ彼ならではの発想により生まれた、まだ開拓から10年と経っていないかなり新しい魔術系統である。

 その系統を生み出した本人という自負。そして、だからこそ誰よりも【影魔術】に関しては卓越しているという確信。

 それらがあるが故、現在彼を縛り転がしているのが『影』という事実に、彼自身は並々ならぬ屈辱を感じていた。


 しかし、そんな憎悪ともとれるほどの眼差しを一身に引き受けた女性は、含み笑いを浮かべると、


「残念だけど、私が介入したその時点で、この世界にキミのモノなんて存在しないよ」


 そう言い、タダノブが転がった拍子にその手から離れ床に落ちていた忍者刀の一本を拾い上げると、


「私は神だ、なんて言う気は、もちろんないけど……ねっ!」


 まるで当たり前かのように、これっぽっちの躊躇いも無く、その忍者刀を深々と己の首に突き立てた。


「ひっ!?」

「きゃぁ!」


 刀が引き抜かれ、その傷から真っ赤な血が止めどなく噴き出す。

 その光景を間近で見ていた王妃とオリヴィアから、短い悲鳴が上がる。

 しかし当然、その困惑は彼女らにとどまらず、声こそ発しなかったものの、場に居る全ての者が同様に理解不能という気持ちを表したような表情を浮かべ、自ら自傷に及んだ彼女の姿を見ていた。

 だが――


「げほっ。……はい、驚いた?」


 一度だけ咳をした次の瞬間には平然と口を開き話し始めた女性に、それまでの戸惑いとはまた違うざわめきが場を満たす。胸中を満たす感情は『戸惑い』から『恐怖』へと変化する。

 女性の首傷から噴き出した血は、床に落ちる前にモヤのようなものに姿を変え、虚空を漂いやがて消える。そして喋り始めた頃には、もう彼女の首の傷は跡形も残っていなかった。


「にゃははっ。ドッキリ大成功ってね! ……まぁ、今見せた通り、私が死ぬことはないんだ。身の内から湧き出す無限の魔力が、まさかまさかの無限の命を作り出してるの。そしてその無限の魔力をちょちょいと使えば、この世界のなかで私に出来ないことは無い。……何でも出来て、でも、死ねはしない。だから、私はすごく退屈なんだ」


 そもそもこんな私は、本当に生物って言えるんかね? と、はにかんだ女性は自嘲気味の問いも漏らす。

 そして、もう用が済んだ忍者刀を無造作に放り投げ、転がっているタダノブの傍に同じように転がしておく。


「……き、貴様は、何だ……?」


 恐れを隠しきれない国王からの、微かな問い。

 『何者』ではなく、『何』。その問いは暗に、国王がその女性に対して人外の可能性すら感じたことを意味していた。

 その問いは小さな声ながらも、しんと静まり返った会議室の中にいやに響き、女性の鼓膜を震わす。


「……そんなの、私が知りたいよ」


 しかし、その問いに返ってきた答えは、寂しげな笑みと、それが本心だと確信できるほど、雑多な気持ちを孕んでいるだろうそんな言葉だった。まるで寂しそうな、悲しそうな、そんなネガティブな感情が見て取れる、儚げな笑み。しかし、次の瞬間にはそんな表情を素早く引っ込めて、浮かべた表情を悪戯な笑みに変えると、


「だからね、無限の命の、一時の暇つぶしに付き合ってよ。もちろん、怖い思いはするかもだけど、殺すなんてしないよ。本当に、ただここで、ことがおさまるまでじっとしていて欲しいだけだからね」

「……それで、混乱するみなを見てほくそ笑むのか、外道め」

「ノンノン。そんな悪趣味なことしないよぉ、ニンジャマン」

「その名で呼ぶな」


 ニンジャマンと呼ばれると嫌でも思い出す、自分と同郷らしき茶髪の男。自分の渾身の不意打ちを指輪一つで防いでみせた、腹の立つ男。

 へらへらと締まり無く笑っていた適当そうなハロルドの顔を反射的に思い浮かべ、ひとりでむかっ腹を立てたタダノブは、怒りの目線を女性に送る。


「にゃははっ。ただ私は、一番目立つ希望の光を隠しておきたいだけさね。そうすれば、今までは隠れて見えなかった小さな光や、逃げ続けて燻っていた火種が、新しい希望として台頭するでしょ?」


 その目線を特徴的な笑い声にて一蹴した女性は、身勝手極まりない襲撃の目的を話す。

 当然、一同は首を傾げて理解不能を表す。女性はそんな光景を見て、「ま、そりゃわからないよね」と漏らすと、


「とにかく、しばらくの間、私のわがままのためにみなさんを拉致監禁しまーす。もちろん、救助なんかは期待できないからね。ちょっと狭苦しい思いをするだろうけど、我慢して」


 少なくとも王族含めた国のお偉いさんにすることではないお願いを口にして、ステッキでこつんと床を叩く。


「うわぁ!」

「な、なんだっ!?」


 その瞬間、そこから広がった闇が辺りを覆い隠し、呑み込んでいく。

 ぎゃあぎゃあと慌てふためく部屋内の一同だが、闇の浸食を止める手立てはなく、結局は何の抵抗も出来ずに呑み込まれるだけであった。

 もちろん、縛られて転がされていたタダノブなど、もじもじと芋虫のように動くだけであった。


「……さて、舞台は整った、のかな?」


 悲鳴や戸惑いが空間を支配する、闇の中心。そこで燕尾服を着込んだ女性、情報屋〈夜猫ヨルネコ〉は、笑みを浮かべ、小さく独り言つ。


「後は、エリザベス王女……エリーちゃんと、ヌレハにお任せかな」


 その笑みはやはり、少し寂しげで。


「……ねぇ、ハル。あんたがいつまでもいじけてると、やっぱり私は退屈だよ。だからそろそろ、立ち直ってほしいなあ」


 ぽつりと溢したその言葉はすぐに闇に呑まれ、誰の耳にも届くことはなかった。




 この日、同時多発的に発生した大規模な自爆テロにより、合計の死者数は千人にも上った。

 そして、それと同時に王城の一角が突如消失。城を守護する兵士や騎士、国の運営を司る上層部、そしてなによりエリザベス以外の王族全員が、『死体が見つからないため、一応は行方不明』という扱いを受けることになる。

 この国家の上層部の消失により、夜猫の思惑通り、王国は深刻な混乱状態に陥ることとなるのだった。

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