第33話 異変
カラリス王国が存在する、巨大な大陸。危険な魔物も少なく、最もヒトが繁栄していると言われる大陸。
小さな国々は諸国在れど、この大陸のなかで最も名高き巨大国家は、たったの三つに絞られる。
一つが、カラリス王国。
一つが、ヴォワーレ帝国
そして最後の一つが、商業国家モルネイア。
カラリス王国から『リラ湖』という巨大な湖を挟んだ対岸に位置する、これまた大きな一つの国家である。
この商業国家はまるで国そのものが一つの巨大企業のような様相をとり、他国との貿易、技術の開発、魔術の研究など、まさしく『争いより商い』だとばかりに常に大きな金が動いている特徴的な国家である。
活気に溢れ、夢抱き、自分も一財産築いてやるぞと高い志を掲げてその国家の門を叩く若者は、常に耐えない。
『商家の子であれば、モルネイアへの旅に出よ』とは、よく言ったものである。
だが、そんな商業国家は――
「……あいや済まぬ。今一度、報告を頼む」
「はっ! 商業国家モルネイアが、消滅しました!」
「……しょーめつ?」
「はい!」
どうやら、消滅してしまったらしい。
「……あそこは、戦争なんぞをしていたか?」
「いえ。そのような報告はございません。なのであくまで推測ですが、おそらく内戦であるかと。クーデターか、はたまたテロか……」
「それは……なんと、まあ……」
どうしたらいいのだろうか。と、国王は重い重いため息を吐く。
この際、商業国家モルネイアがどのような経緯で崩壊したかは置いておくとして、問題はその影響である。
このカラリス王国も、少なからず彼の国の恩恵に預かり、貿易による協力関係を築いていた。
その相手が何の前触れも無く居なくなってしまったのだ。そうなれば、市場に甚大な混乱を与えることは間違いないだろう。
「して、彼の国が落とされたのはいつの話だ?」
「昨晩のことです。今朝、爆発と火の手が上がる首都を見た国民から、隣国であり、友好関係を築いているカラリスに救難要請が入りました。が、近場の街から国境付近まで駆けつけた兵士たちが見た上では、もう手遅れだと思わざるを得ないほどには、散々たる様相であった、と」
「……ふむ。つまり、一晩で落とされた、ということか?」
「はっ。そうなります」
「……なるほど」
可能かどうかはわからない。少なくとも、国王の常識的には、一晩で落ちるような弱小国家でも、一晩で落としきれるような規模の都市でもなかったはずだ。
不可解。その一言に尽きる。
「では、まだ我が国の民たちは、此度の件については何も知らぬのだな?」
「はっ。少なくとも、王都の民はまだ気付いてはおらぬと思われます。モルネイア国境の周辺都市から情報が広まってくることは間違いないので、隠せども時間の問題ではあると思われますが……」
「いや、良い。対策を考える時間は、少しならばありそうだ」
だが、今大切なのは、どのような手段でモルネイアの首都が落ちたか、それを知ることではない。
いずれ彼の国が得体の知れない者たちの手に落ちたということが広まったとき、間違いなく混乱する王国の民をどう静めるか。それを考えることが最優先である。
「済まぬが、至急会議室に来るよう、大臣たちに伝えてくれ」
「はっ!」
「宰相は余と共に、先に会議室に行っておこう。ついてきてくれ」
「承知致しました」
前途多難だ。せっかく久々のエリザベス成分を補充したというのに。これではまたすぐに効果が切れてしまう。
そんなことを真面目な顔で考えながら、国王は執務室の扉を潜るのだった。
◇ ◇ ◇
「――とでも、お、お、思ってるんだろうなぁ……ヒハッ、ヒハッ」
王都カラリスを一望できる小高い丘の上で、男は口角を吊り上げ嗤う。
「でで、で、でも、残念。時間は無い。じじ、時間は、無いんだ。す、すぐに来る。絶望は、なな、何よりも速く、駆け付ける」
嬉しそうに小躍りする男のそばには、2台の馬車が停まっている。
そのなかから、男のことを薄気味悪げに見つめるいくつもの瞳。合わせて10人は居るだろう。
「ささ、さぁ。行け、行け行け行けっ! ふ、ふふ、不死隊の面々よ! で、でかい面した王国に、め、め、目に物を、見せてやれっ!! ヒハッ! ヒハッ!」
男の声に、特に何か返事をすることもなく、けしかけられるままに2台の馬車は動き出す。目指すは眼下の巨大都市、王都カラリス。
小さく成りゆく馬車の後ろ姿を眺めながら、乱れた前髪に隠れた瞳をギラギラと光らせ、男は嬉しげにひきつったような笑い声を溢す。
「さ、さぁ。染めろ。ぜぜ、絶望の色に。まま、ま、真っ黒のなかでこそ、白が映えるように。ぜ、ぜ、絶望に染まったなかでこそ、ひ、一滴の希望は、映える」
誰も聞いていなくとも、男の口は回り続ける。
「さ、ささ、さぁ。君が輝く舞台が、と、整うよ。もも、もう一度、振るえ。その力を。かか、駆けろ。悪を目掛けて。イヒッ、イヒヒッ! ヒハハ、ヒハッ!」
不気味な笑い声を響かせて、男はくるくると嬉しげに踊る。
やがて満足したようにぴたりと動きを止めると、ゴソゴソとまさぐった懐から、掌サイズの蒼く澄んだ石を取り出す。
「じゃ、じゃあ。ぼぼ、僕も、もう一仕事だ。ああ、ああ、楽しみだなぁ。で、でで、でも、まだだ。ま、まだなんだ」
ぶつぶつと男はなにがしか呟きながら、その石を肩の高さまで掲げる。すると、一瞬だけ強く発光したあと、その石は粉々に割れて、ばらばらとその欠片を男の足元へ散りばめる。
その代わりとばかりに男の足元が輝きだすと、次の瞬間。もうそこに男の姿はなくなっていた。
◇ ◇ ◇
「――ま! ――ス様! ちょっと、大丈夫? エリザベス様!」
「――はっ!?」
ゆさゆさと強く肩を揺すられる感触に眠りの淵から無理矢理引き上げられたエリザベスの意識が、覚醒する。
目に映る景色は寮の彼女の部屋。彼女の肩を揺すっていたのは、心配そうに表情を崩すヌレハ。
「はぁっ……はぁっ……」
そんなに心配そうな表情を浮かべて、何かあったのだろうか。目の前にあるヌレハの顔を見てそんなことを思うエリザベス。
しかし、ヌレハに対してそんな思いを抱くエリザベスは、何故か真っ青な顔で呼吸を整えられないままでいた。
胸の辺りが締め付けられるような苦しさが消えず、今もなお肩を激しく上下させるエリザベス。汗もびっしょりとかいており、前髪はぺたりと額に張り付いていた。
「……大丈夫? 凄くうなされていたようだけど」
うなされていた?
そうだ。まだ学園は休みで、やることがなかったから、昼寝をしていたんだ。
それで……。
それで――っ!!
「……何か、見たの?」
「す、すぐにみんなを集めてくださいっ! はやく……はやくしないと――っ!」
「ちょちょ、ちょっと! 一旦落ち着いて!」
突然弾かれたように掛け布団をはね除けたエリザベスを、反射的にヌレハは押さえつける。
◇ ◇ ◇
心拍数の上昇。呼吸の急な乱れ。発汗量の急激な増加。そして生まれる、精神の異常。それに反応したシルバーリングがヌレハへと警告を飛ばし、何事かと見れば、激しくうなされる王女の姿。
悪い夢でも見てるのだろうか。そうも思ったが、同時にはたと、彼女の持つ能力について思い出す。
すなわち――【予知夢】。
彼女と出会ったあの日以来、めっきりと見なくなった彼女の能力ではあるが、もとはといえば、まるで呪いのように彼女を蝕むその能力が原因で、エリザベスとハロルドたちは出会ったのだ。
今もなお【千里眼】で覗く彼女のようすは、うんうんと苦しげに唸っている。
ただの悪い夢ならば、それで良い。だがもしもこれが【予知夢】の見せる未来図であるならば――一刻の猶予もない。
かつての彼女が自ら言っていたが、エリザベスの持つ【予知夢】の能力は非常に弱い力らしい。最悪現在のことをリアルタイムで上映するか、良くて数十分後の出来事の予知、が関の山だという。
どっちにしろ、ひとまず起こした方がよさそうだ、と判断したヌレハは、転移魔術でエリザベスの部屋の内部まで侵入し、肩を揺すって彼女を起こした。
そして目が覚めた王女は、しばらく何が起きたかわからない様子でぼうっとしていたが、すぐにはたと何かに思い至って、慌てた様子で立ち上がろうとした、という事の顛末であった。
◇ ◇ ◇
「落ち着いて。それから教えて。何を見たの?」
「はぁ、はぁ。王都が……王都のみんなが……」
未だ早鐘を打つ心臓に、乱れた呼吸。だがそれを落ち着かせている時間などないとばかりに焦った様子で顔を顰める王女は、
「――大きな爆発で、死んでしまう夢を見ました」
「……何ですって?」
迫り来る絶望に飲まれそうな震える声で、見た夢をヌレハに伝えた。
◇ ◇ ◇
そのころ、王都カラリス。
「おお。モルネイアの商人さんか。いつも貴重な商品をありがとう。一応決まりなんでね、馬車のなかの商品を見せてもらうよ」
門番により、商業国家モルネイアの国章をでかでかと掲げた馬車が検問にかかっていた。
商業国家モルネイアはもう存在しない。
その情報がしっかりと末端まで行き届いていたならば、門番たちは間違ってもその馬車をみすみすと街の中へ通すことはしなかったろう。
しかし、まだ不要な混乱は起こすべきでないと考えた国王は、せめて会議にて対策を打ち立てるまでは、この情報を不用意に周囲にばらまくことを控えた。
それは王城勤務の兵士しかり、検問を行う門番しかり、である。当然あと一日でも猶予があれば、何かしらの対策は打ち立て、せめて街を護る職の者たち程度には、その情報は行き届いていたことだろう。
だが、事実として敵は国王の予想を遥かに越えて、速く、そして賢くその魔の手を伸ばしてきた。
「……ご苦労様です。商品の検品ですよね? どうぞどうぞ。とは言っても、今回はただの人形、といいますか。室内装飾品がだいたいを占めるんですけどね」
門番からの言葉に、御者をしている男が人の良い笑顔を浮かべ、それどころか恥ずかしそうに「あまり役立つ品じゃなくて、すいません」とすら言ってのける。
「いやいや、そんな。こちらこそ、過度な期待を不用意に口にするようなことを言って、すまなかった」
こちらも頭を軽く下げ、馬車につまれた荷物を検品する。
その際、乗車している数人の男たちとも顔を合わせたが、みな含みの無さそうな笑顔を浮かべ、「ご苦労様です」と口々に門番の労を労う。
そして検品の結果、御者の男の言うとおり、積まれていた荷物は、集音と拡声の魔道具――早い話が、マイクとスピーカーだ――と、室内に飾れば小洒落たインテリアとなるだろう、洋梨のような形をしたおかしな木製の人形がたくさん。
「……これは、中に何か?」
ひとつ手に取り振れば、カラカラと音が鳴る。
「ははっ、これはですね……」
それを見た座席の男の一人が、人形をひとつ手に取り、上下に引っ張って、人形の胴体真ん中から割って見せる。
「……おお。これは、面白い」
果たしてその中から出てきたのは、全く同じ見た目の、サイズだけ小さくなった人形。それを割ればまた中から小さい人形が、またそれを割れば……と、どんどんと中から、同じ見た目の大きさだけ異なる人形が出てくる。
「これ、コイツの故郷の伝統工芸品なんですよ。面白いでしょう?」
「なるほど、これは確かに。そんな貴重な品を我が国に持ってきてくれて、感謝する」
わざわざ実演まで見せられて、すっかり疑いの目など無くなってしまった門番は、頭を下げ、後続の馬車も軽くチェックして同じ商品が積まれているのを見ると、あっさりと街への入場を許可した。
「ありがとうございます」
最後に恭しく一礼し、街門を潜る2台の馬車。
門番も街の民も、その馬車に全く不審な感情は抱かない。その馬車に積まれたものが、この街に絶望を撒き散らすためのものであると、気付けない。
「……フゥーッ」
ようやく張りつめていた気が緩んだのか、御者をしている男は門を潜ってからしばらくして、大きく息を吐く。
「……おい、大丈夫かよ?」
「ああ、大丈夫だ。さすがに少し緊張してな」
馬車の中からかかった心配の声に、問題ないと返答する。
男は、かつてはただの一商人に過ぎなかった。交渉の場なんてものはそれこそ星の数ほど経験してきたものの、こんな、一つの国を相手取るような無謀なことはやったためしがない。
緊張して当たり前、というものである。
しかし、今では男は、あの気味の悪い男の駒の一つだ。あの男の素性など何一つ知らないし、思想なんかも共感できる点など一つもなく、ただただ気味が悪いと感じるだけである。
だが、命を握られている今、そんなことは気にしていられない。やるしかない。腕っぷしではない、得体のしれないあの男の『強さ』に、どうしようもない『恐怖』に、身も心も縛り付けられてしまった以上は。
「……ふぅー」
さっきよりもいくらか穏やかな息を、早鐘を打つ心臓を抑えるように、ゆっくりと吐く。
「……さぁ。平和のために、一仕事しようじゃないか」
薄められた御者の男は瞳の奥に、怪しい光を灯らせて。
手綱をしっかりと握りながら、緊張する自分の心を、そんな言葉を小さく口にして落ち着けた。
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