第32話 事前学習②
「あ、あ? 何、だ。オメェ……?」
実に禍々しい登場の仕方をしたヌレハに、困惑を隠せない男。
彼女が完全に大穴から出たことで役目を終えたと判断したように、やがて大穴は再び黒いモヤとなり空間に霧散し、跡形もなく消え去る。
困惑を隠しきれないのは、何も男に限ったことではなかった。
学園の生徒たちも、また雇い主であるエリザベスですら、その奇々怪々な彼女の登場方法に、目を剥いて驚愕の表情を浮かべていた。
だが、そんな彼らの視線は意に介さず、
「……私? 王女様の護衛よ。当たり前でしょ? そんなお偉いさんを、何の監視も安全措置も無しに、野外に解き放つわけないじゃない」
ヌレハは男に向き直ると、簡潔な自己紹介をする。
「そんなことも思い至らなかったの? あなた、よっぽどおめでた~い頭をしているのねぇ。悩みがなさそうで、羨ましいわ」
にっこり笑って、毒を吐くのも忘れない。
「なっ! テ……ンメェ……っ!?」
瞬間的にプッツンいったらしい男は、青筋を浮かべてぷるぷる震え、ギラギラ輝く眼光とこちらも煌めく刃を携え、ヌレハに肉薄する。
「シネッ!!」
「ヌレハ様っ!」
そしてヒュンと空を斬り裂く音を響かせ振るわれた右手の刃。しかし、
「はい、残念」
その凶刃はヌレハに届くことはなく、シルヴィアのとき同様、刃が半ばから消失する。
シルヴィアのときは薄暗くてよくわからなかったその原理だが、今回は白昼堂々であったため、エリザベスにもヌレハが何をやったのか、よく見えた。
彼女は、自分に刃が迫った瞬間、その刃から身を護るように先ほどと同じ黒いモヤで小さな穴を形成し、その穴に吸い込まれた分の刃だけ、ごっそりと焼失させていたのだ。
「何だっ!?」
自分の攻撃に予期せぬ事態が起きたと理解した男は、とっさにバックステップにて距離をとる。
「ああ、良い判断だわ。距離を取るのは正解。ついでに言えば、このまま逃げるのが一番賢い判断よ」
ヌレハは、そんな男の行動に上から目線で評価を下す。
彼らの攻防の一部始終をじっと見ていたエリック。ふと口を開くと、
「これは……転移魔術、か?」
「あら、そうよ。正解。やっぱりあんた、良い目をしてるわね」
ヌレハの使用している魔術の正体について推測を口にし、その推測に対して、ヌレハは正解と太鼓判を押す。
広義には『空間魔術』という、空間を操る高度な魔術系統に分類される、『転移魔術』。
障壁と同様、設置型の『
――のだが、その効果に余りある制約の厳しさも有名で、『
ヌレハはこの制約を【千里眼】の能力と併用することで簡単にクリアするが、普通の魔術師にとってこの制約は簡単にクリアできるものではなく、自然と転移魔術が使える状況というのは、『現在状況がよくわかる見知った自室から、現在位置に通じる
故に、転移魔術師は、侮蔑の意味も込めて、
「はっ! 何だ。何かと思ったら、『
自室から荷物を現地に運ぶ者。現地から人を自室まで運ぶ者。すなわち、『
吐き捨てるような、男からのあけすけな
「……その呼び方は、あまり好きじゃないわね」
そして不機嫌そうな、そんな言葉を漏らす。
しかし男はヌレハの様子を歯牙にもかけず、ほっとしたとばかりに胸を撫で下ろすと、
「んだよ。ビビって損したぜ」
と、完全に舐め腐った態度をとる。
ただ、そんな男の態度も無理からぬものであった。
『転移魔術』とは、あくまで
そして、転移魔術にも、もちろんこれはあてはまる。
踏み込めば知らぬ場所に無理矢理飛ばされるという効果は確かに驚異だ。驚異だが、しかし恐ろしいものではない。人を飛ばすほど巨大な
ヌレハのように魔力が黒色のモヤの様相を呈する、などという奇っ怪な人物には出会ったことがない男だが、むしろ好都合。これほど見て分かりやすい魔力の色などないからだ。
「大口叩いたまでは良いが、残念だったな。あんたは驚異じゃないぜ」
結論。男は計画の続行を決めた。
「あら、逃げないの? 逃げたって別に追わないわよ? こちらに怪我人はいないワケだし、私的にはまだ無罪。これでも逃げずに向かってくるなら、然るべき対処をさせてもらうけど」
柄だけになった短剣は捨て、左手一本のみになった短剣を右手に持ち変え再び構えた男を見て、ヌレハは訊ねる。
事実、ここで男が尻尾巻いて逃げたとしても、ヌレハに追う気はなかった。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ! 『
「……はあ。あっそ。ほんと、馬鹿ばっっっかり」
しかしやはり逃げる気などない、それどころか挑発までしてみせる男に、ヌレハは明らかな苛立ちを表情に出す。
そして再び、はあ、と深いため息を溢すと、
「……悪いんだけど、私、いま相当イラついてるから、手加減とか出来ないわよ。完全に八つ当たりだけど、許してちょうだいね。逃げないあんたが悪いんだから」
そんな不遜な物言いと共に、魔術を発現する。
ヌレハの前方に再び収束を始める、彼女の魔力らしきモヤ。使われた魔術は、間違いなく先ほどと同じ転移魔術である。
ただ、違ったことが二つ。
一つは、寄り集まったモヤが真っ黒ではなく、静脈血のような赤黒い色をしていたこと。
そしてもう一つが――形成された
「あ……? 何、だそれ……」
見たこともない魔術。禍々しい赤黒い魔力を煙のように噴出する、浮遊する巨大な右腕。
それを目前に、男の思考は完全に停止する。何がヤバいものに喧嘩を売ってしまったのではと、このときになってようやく気付く。
だが、それは遅かった。否、遅すぎた。
「じゃね。バイバイ」
冷ややかなヌレハの言葉により動き出し、速やかに男のもとへと飛来した右腕型の
悲鳴を上げる暇もなく男の上半身は赤黒い右手に覆い隠され、残された下半身がびくんと一度大きく痙攣する。
その転移門も、彼女が登場した際のそれと同様、役目を果たすとすぐに空に霧散する。
果たしてそこには、もう何も残っていなかった。跡形もなく消え去った男の上半身と、まるで何が起きたか未だにわかっていないかのように佇む下半身。
やがて思い出したかのように断面からおびただしい量の血を噴き出しながら、男の下半身はどちゃりと倒れ、血溜まりを広げるのみで、それきりピクリとも動くことはなかった。
上半身のみの強制転移。ヌレハが行ったのは、それであった。
防御不能、質量無視、すなわち、『転移魔術の超攻撃的転用』。高められた肉体による防御を嘲笑うように、高い資金で集められた防具をまるで紙切れのように、全部まとめて彼方へと吹き飛ばす、まさしく『必殺技』。
彼女は、通常の転移門よりも性能を落とした、彼女特製の可動式の転移門により、それを可能としていた。
「……さ、終わったわよ。……なに、どうしたの」
一仕事終えたとばかりに後ろを振り向き少年少女を見たヌレハ。そこには、顔面蒼白にガタガタと震える一同の姿があった。
エリックですら感じた恐ろしさを隠しきれず、その瞳に恐怖の色を滲ませていた。
「そ、そそ、その男の人の上半身は、どこに……?」
辛うじて紡ぎ出した、エリザベスの疑問。
転がっている下半身同様、転移先にて男の上半身がそれのみで転がっているのだとしたら、そこはここ以上に阿鼻驚嘆の地獄絵図となっているだろうことは、想像に難くなかった。
「ああ。ええっと……私も誰も知らない、ここじゃないどっか、って感じかしら」
それに対するヌレハの答えは、なんとも歯切れの悪い、何と答えれば良いのか決めあぐねている様子がありありと見てとれる、そんなものだった。
当然、段々と平静を取り戻してきたエリザベスとクロエは、首を傾げる。マシューは未だにがくがくと震え、それどころではなさそう。彼は人一倍ビビりなのだろう。
「ま、まさか……亜空間魔術か!」
「そう。それよ。あんた、よく知ってるわね。素直に凄いわ」
やはりと言うか、彼女の言いたいことを真っ先に理解したのは、エリック少年であった。
亜空間魔術。この世の空間を操る空間魔術の一歩先に進んだ魔術で、この世ではないどこかに、独自の空間を創造し、その空間をも操る魔術のことである。
とはいえ――
「そ、それが本当なら凄いぞ! 伝説上の魔術系統だ。使い手が居るなんて、聞いたこともなかった!」
その使い手が全く知られていない、まさしく机上の空論。理論上は不可能ではない、かもしれない魔術、という程度の認識である。
その使い手がまさかまさか目の前に、と鼻息荒く年相応に目を輝かせるエリック。ヌレハはそんな彼の様子に、少々、いや、かなり、ドン引きであった。
「ああ、そう……? あ、あんまり広めないでね。面倒なことに巻き込まれたくないし」
その頼みを口にするのが関の山であるほどには。
◇ ◇ ◇
ほらほら、さっさと薬草採集しちゃって、早く帰りましょう。というヌレハの言葉にしたがって、手早く薬草の採集を終えた一同は歩いて帰路につく。
ちなみに、薬草を集めている間もマシュー少年はヌレハをチラチラ盗み見て、戦々恐々といった様子で微かに震えていた。
エリザベスやクロエは、確かに彼女が魔術を使用したときは恐ろしいとは感じたものの、戦闘――というか一方的な虐殺――が終わった後の彼女はいつも通りの様子だったので、自然とこちらもいつも通りに接することができるようになっていた。
エリックはというと、
「ど、どうやったら亜空間魔術が使えるようになれるんだ? 教えてくれ、この通り!」
ずっとこんな調子であった。そんなことを言いながらもしっかりと薬草を集めているものだから、周りも文句を言えない。
ちなみに、ヌレハはずっと「気合と根性と特訓」などと、実に彼女らしくない言葉にてはぐらかしていた。
街のなかへと戻り、冒険者ギルドへに寄って採集した薬草を納品すると、やがて散り散りに解散となる。
ギルド内でヌレハに夜猫が絡んでくるという一幕もあったものの、他愛ない会話をしてそれで終わりであった。その際、エリザベスの頭を撫で撫で、「頑張ってねー、エリザベス様」などと謎の絡みを夜猫がしてきたが、何を頑張れば良いのかは言われず、頭のなかにクエスチョンマークが満ちるだけであった。
ヌレハとクロエを引き連れて、貸し切っている寮へと戻るエリザベス。
「ただいま帰りました」
「……ん、おお。おかえり」
扉を開けてただいまという挨拶をすると、お気に入りの談話スペースのソファーから上半身を持ち上げたハロルドが、それを迎える。
「あんまり遅くなんなかったな。よかったよかった」
へへへと笑ってそう口にするハロルドは、含みはなさそうで。本当に安心したのだとわかるような表情だった。もしかしたら、寮の正面玄関に程近い談話スペースに居たのも、自分達が心配で待ってたのでは、とエリザベスは余計なことを勘繰る
「はい。ご心配をおかけして、すいませんでした」
「ははっ。いいっていいって」
右手をぷらぷら。こそばゆいとばかりに笑うハロルドは、しかしちらりとエリザベスの隣のヌレハを一瞥すると、
「んで、良い勉強にはなったか?」
再びエリザベスに視線を向け、そんな問いを投げ掛ける。
「……はい」
深い意味はない。そう信じたい。
単純に、街の外を護衛なしで出歩く緊張感を学べたか、と訊いただけだ。
そんな希望的な判断をしたエリザベスは、無理矢理笑みをつくって、彼の問いにイエスと答える。
「そうか。なら、なによりだ」
ピリリとした場の雰囲気に、その場に居合わせただけのクロエは、ただただ辟易としたため息を溢してた。
◇ ◇ ◇
「へ、陛下! 失礼します! 報告があります!」
王都カラリスの中心、王城。
そこの執務室にて公務に勤しんでいた国王のもとに、退っ引きならない様子の兵士が、尋常ではない汗をかきながら駆け込んでくる。
扉を開けながら「陛下」。完全に足を踏み入れてから「失礼します」と、挨拶があべこべになっている姿から、いかに慌てているのかがよくわかった。
「これこれ。王の御前であるぞ。少しは落ち着かれよ」
「は、はっ! すすすすいません!」
「良い。それほどの事態なのだろう。して、何用だ?」
国王の隣に控える宰相が軽く叱咤を飛ばし、兵士はしかしなおも慌てた様子で敬礼する。
そんな彼らの様子にため息が溢れそうになりながらも、国王は兵士に対して報告を促した。
普段の家族の前での父親としての彼ではなく、仕事中の彼は努めて厳かな雰囲気を放つことを忘れない。そうでなければ、国王としての威厳に関わるのだ。
「はっ! でで、では、報告しますっ!」
ババッ! と手に持っていた紙を千切れるのではと心配になる勢いで広げて目の前に掲げた兵士は、そこに書かれた文章をはっきりと読み上げた。
「しょ、商業国家モルネイアが、消滅しましたっ!」
「……は?」
例えはっきりと読み上げたところで、国王が意味をはっきりと把握できなくとも。
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