第31話 事前学習①
「エリーとハロルド、喧嘩でもした?」
それは、王都から学園都市へと舞い戻り、久しぶりに会ったクロエの目敏い言葉だった。
彼女が指摘したそんな二人は現在もクロエの前を話しながら歩いている。なので、本人たちには訊きにくかったのか、隣で歩くヌレハに訊ねたのであった。
「あら、なんでそう思う?」
普通に見ていれば、特に二人の間に変な空気は流れていない。なので、素直に気になったヌレハは、質問に質問で返すようなことをする。
その問いに対し、クロエはうーんと唸ったあと、
「……なんか、エリーの雰囲気? ハロルドは前からあんな感じにちょっとよそよそしかったけど、今はエリーもちょっと堅い気がする。あくまで『気がする』くらいだけど……」
と、本人も確信が持てない様子で答える。
その台詞から、ハロルドがよそよそしいということは確信しているんだな、と読み取ったヌレハ。彼女の観察眼に素直に感心する。
「まぁ、そうね。喧嘩……って感じじゃないけど」
一足遅れて、クロエの質問に答えるべく口を開き、
「もしかしたら、修復不可能な関係に成りかねない状況、って感じかしら」
そんな、核心をはぐらかしたような答えを口にした。
クロエはその答えに不可解という表情を浮かべて首を傾げる。よくわからなかったようだ。
「あいたっ」
そんな彼女を見て薄い笑みを浮かべたヌレハは、軽いデコピンをすると、
「まっ、大丈夫よ。あの二人なら、きっとうまいところに行き着けるわ」
そんな希望的観測――もしかしたら、期待――を口にした。
「エリザベス様にとっても、それから、ハルにとっても……ね」
ヌレハの言葉に、額を押さえたクロエは、やはり首を傾げていた。
四人で歩いていったいどこへ向かっていたのかと言うと、学園の正門であった。
とはいえ、まだ新学期が始まるには時間があり、未だ休みの真っ最中である。なので学園に用があったわけではなく、あくまで目印として、そこで人と待ち合わせしていたのである。
果たしてそこに居たのは二人の少年。エリックと、マシューであった。どうやらマシューとはあの一件以来関わりを持つようになり、友好関係を築けたようである。エリザベスは、彼について特に含みを持った態度は取っていないが、マシューはどうしても彼女に頭が上がらないらしく、現在も強く出れない様子で、力関係がよくわかる縮図がそこに成り立っていた。
そして、そんな彼らを連れて一度エリザベス邸へと帰ってくるや否や、
「な、な、何だぁ、これはぁぁっ!?」
エリック少年、怒りの咆哮。
彼の眼前にあるはハロルドの部屋。内部を隠すはずの扉が吹き飛び、何も隠せていない、むき出しの部屋。中を見れば、申し訳程度に壁に立て掛けられた扉の残骸もある。
そして転がるテーブルの残骸、欠けたチェスト、何故かこれだけ綺麗なベッド。散々たる光景が、部屋のなかには広がっていた。
「ふ、ふざけているのか! 貴様ぁっ!?」
「え、なに怒ってんの?」
「品性の欠片も無い! よりにもよってストレスの捌け口として家具に当たるとは! 野蛮人か貴様、馬鹿者め!」
「え、あ、そゆこと? 違う違う、これやったのあいつ。ついでにその原因になったのはあいつ」
そっぽを向いて知らん顔をするヌレハ。恥ずかしげに目を伏せるシルヴィア。の順で指差し、身の潔白を証明しようとするハロルド。ちなみに、部屋の片付けを未だにしていないのは、単純に面倒だったからである。寝れればいい。彼にとって部屋とはそんなものである。
「女性を盾にするな!!」
「もうお前めんどくせえよ!!」
◇ ◇ ◇
「んで、これはどこに向かってるワケ?」
自室にて動きやすそうな服装へと着替えたエリザベスが口論するエリックとハロルドのもとに合流するや否や、再び街の喧騒へと繰り出す一行。
学園生4人にヌレハとハロルドで合計6人。マシューやエリックの護衛は本日ついていないので、何故か大人数の子守をしている気持ちになるハロルドである。
「まあまあ……」
先ほどから何度も同じことを訊ねているのに、エリザベスはそんな下手なはぐらかし方にて本題を話したがらない。仮にも貴族クラスの面々。将来は王国を背負って立つかもしれない子供たちなのだから、要件程度は教えてほしいと思うハロルド。
そんな調子で歩いていると、やがてエリザベスは一つの建物の前でぴたりと歩みを止める。
「……なんで冒険者ギルド?」
その建物を訝しげに仰ぎ見たハロルド。疑問を口にする。しかしてその疑問に返ってきた答えは、
「ハロルド様、ヌレハ様。本日は護衛は結構ですので、私の帰りを寮で待っていてくださいませんか?」
という、全く答えになっていないものだった。
「……はぁ?」
呆れを通り越し、馬鹿かコイツ、という表情を隠そうともしないハロルド。そんな彼の表情に「うぐっ」としり込みした様子のエリザベスだが、その隣のクロエから、助け船が差し出される。
「あのね、ハロルド。来年度の授業の一環で、『野外演習』っていう活動があるの。これが全クラス強制参加の授業でさ、なんでも、冒険者クラスの生徒たちは外での活動方法とか連携、あとは護衛の仕方とかを学ぶために。で、貴族クラスはそんな冒険者たちからの『護られ方』を学ぶための授業らしくて……。護衛は、連れて行っちゃいけないらしいんだ」
「……ああ、なるほど。で、その練習というか、事前学習みたいなものをやりたいと? いきなり護衛なしで?」
「そ、そう。駄目かな……。一応受ける依頼は決めてて、そこら辺で採れる薬草の採集にするつもり。近場なら危険も少ないだろうし、討伐依頼じゃないから魔物が出たら逃げればいいし……」
ぼそぼそと自信なさげにお願いをするクロエ。そんな彼女の姿を見て、ため息をこぼしたハロルドは、
「んで、何でそのことを今の今まで俺に言わなかったんだ?」
と、自身の護衛対象であるエリザベスに訊ねる。
「だ、駄目だと言われると思ったので……」
叱られる子供のような表情と、蚊の鳴くような声でその問いに答えるエリザベス。ほんの少し前に、「勝手な行動を取るな」という内容の言い合いをしたばかりである。そう思って今回の件について言い出す勇気が出なかったのも、無理からぬ話であった。
「……まあ、別にいいよ。危険なことしなきゃ」
しかしなんと、実にあっさりとハロルドからのお許しは出た。
というのも、
「エリックもついてくんだろ? じゃあ危険なとこには踏み込まないだろうし、危険なことはさせないだろ?」
「無論だ」
今回の同行者にエリックが含まれていたことが理由としては大きい。ただのお貴族様というにはあまりあるほどの実力を持ち、先見の目もあり、王女への忠誠心も一際強いエリック。そんな彼がストッパーとして同行してくれれば、さしものエリザベスも身勝手な行動はとらないだろう、というハロルドからの信頼の証であった。
「ただし、条件はある。絶対に街から離れすぎないこと。あと王女様は、ヌレハから貰った指輪を絶対に手放さないこと。誓えるな?」
「は、はい。誓います。絶対に手放しません」
今も首からかけられているシルバーリングを指さし、厳重に注意喚起するハロルド。ヌレハが居れば、【千里眼】で彼ら、少なくとも王女の危機はすぐに察知できる。そのためにも、発信機であるシルバーリングの存在は必要不可欠なものだった。
ハロルドの言葉に、首から下げられたリングをぎゅっと握り、何度も頷くエリザベス。その様子に安心した様子のハロルドは、彼女から視線を外し、残りの三人に向き直ると、
「あー、あと、お前らもな」
と、面倒くさそうに声をかける。
「王女様に取り返しのつかない傷でも負わせてみろ。そんなことになったら、とりあえず生きてはいられないと思っとけよ」
それは、注意喚起としてはいささか物騒で。
せっかくできた彼女の友人に向ける言葉としては、いささか不適当で。
「なっ――! は、ハロルド様! 私の友人たちに、何てことを言うんですか!?」
当然、信じられないとばかりに声を荒げたエリザベスが、ハロルドに食ってかかる。見れば、マシューは顔面蒼白になっているし、クロエは驚いたとばかりに目と口を大きく開き、エリックはただただ眉根を寄せていた。
そんな三者三様の表情と、エリザベスからの抗議の声を一身に引き受けるハロルドは、しかし面倒だと言いたげな表情を浮かべると、
「悪ぃけどさ、王女様。俺のこれも仕事なんだわ」
と、どこまでも冷ややかな言葉を漏らした。
絶句する王女を一瞥して、「んじゃ、あんま遅くなるなよ」と何事もなかったかのように声をかけると、固まった彼女の横をすり抜け、寮への帰路につく。
そのすれ違いざま、エリックはハロルドへと目線は向けず、ただ口を開くと、
「……言い方は酷いにも程があるが、護衛としては正しいのかもな。少なくとも僕は、身が引き締まる思いだ」
「そりゃ、どうも」
ハロルドの行動に対して、そんな評価を下す。
しかし、
「だがまあ、人としては、最低だな」
「……」
吐き捨てるように、その一言も付け足す。
その言葉には返事をせずに、そして大して気にしたような素振りもなく、あくまで平然と彼らの元を後にして、少し離れて一部始終を見ていたヌレハの元にたどり着いたハロルド。
並んで寮へと歩き出す二人。その道すがら、
「一応、言っておくけど……」
不機嫌そうな声色で、ヌレハが口を開く。
「『距離感を保つ』ってことと、『突き放す』ってこと。似ているけど、大違いだからね」
「……お前の言うことは、たまに、馬鹿な俺にはよくわからん」
「……あっそ」
へらへらと答えるハロルドに、一層不機嫌さを増したヌレハは、手短に会話を打ち切る。
「……わからないじゃなくて、わかりたくないだけでしょ」
呟くようにそう付け足された言葉は、ハロルドの耳までは届かなかったのか。とにかく、彼からの反応を得ることはなかった。
◇ ◇ ◇
「本当に、ごめんなさい……」
ぷちぷちと薬草の茎を切断する作業の手をいったん止め、何度目かわからない謝罪を口にするエリザベス。
「もう。気にしなくていいよ。エリーは悪くないよ。うん、あの馬鹿が全部悪い。言い方ってものがあるじゃんね。馬鹿だからわからないんだろうけど」
そしてこれまた何度目かわからない、クロエの慰めの言葉。ぷりぷりとハロルドに対しての怒りの言葉も混ぜ、エリザベスの意識をそらすのも忘れない。
「で、でも、そうだよね。エリザベスさんは、王女様なんだもんね」
「マシュー」
「うっ……ご、ごめん……」
改めて理解した、とばかりにぽつりとマシューがそう漏らすと、とたんにシュンと影を背負うエリザベス。手短にマシューを諫めたエリックにつられ、慌てて謝罪する。
彼女が学園に居る間、『王女』という立場を気にせずに接してほしい、と思っていることは、もはやクラスでは周知の事実であった。だからこそ、皆は努めて呼び方を『様付け』から『さん付け』に変えたり、タメ口で話そうとしているのだ。
なのに、今回のハロルドの物言いは、そんな彼ら、もしくはエリザベス自身の今までの努力を全て不意にしかねない言葉だった。だからこそ、エリックは「人として最低」だと評価を下したのである。
「ハロルド、前からあんなヤツだったっけ」
「……わかんないんです。面倒くさがりな方だとは思っていましたけど……。こんな言い方をするような方だとは……」
そうは思っていなかった、とまで口にしなかったのは、そこまで言ってしまったら、身勝手が過ぎると思ったエリザベスの判断であった。
大して関わったことのないうちに、わがままで自分の護衛にハロルドたちを指名したのはエリザベスだ。そのうえで、「こんなはずじゃなかった」なんて、そんなのは虫が良すぎる話である。
だからこそ、ゆるゆるとかぶりを振って彼への不信を頭から追い払うと、
「いえ、でも、腕はすごく立ちますし、仕事に対してはすごく真摯ですから。きっと、ふらふらする私が危なっかしくて言っているのだと思います」
無理矢理作った笑顔でクロエに向き直り、不器用なフォローで体裁を保つ。
親友のそんな言葉に、クロエは「そう……かな。なら、いいけど……」と歯切れの悪い返事をしつつ、しかし心配そうな表情は消しきれない。
「ささっ。パパッと薬草集めて、早く帰りましょう。街の外の雰囲気も、まあ近場であまり緊張感はありませんでしたけど、なんとなくわかりましたから。遅くなったら、またなんか言われちゃいますからね!」
努めて明るく、拳を振り上げて気合いを入れ直す王女様。ハロルドの扱いがさながら口うるさい小姑のようだが、その扱いについてもの申す者はこの場に居ないらしく、クロエが「おー!」と答え、一同は地面へと視線を戻す。
そのとき――
「御嬢さん方、学園の生徒さんかな? 薬草採集、もっと捗る場所を知ってるんだ。向こうなんだけど、行ってみないかい?」
何やら怪しい笑顔で、そんな甘ったるい言葉をかけてくる男が歩み寄ってくる。
ふい、とそちらに視線を寄越す一同。男が一人こちらに歩いてきているのは気付いていたが、まさか話しかけられるとは思っていなかったのである。
「いえ、結構です。ここでも間に合ってますので」
「……ああ、そう?」
男に答えたのはエリック。訝しげな表情を隠そうともせずに、警戒したまま、にべもなく男の提案を蹴る。
そんなエリックの態度でも気を悪くした様子もなく、なおもヘラヘラとしたまま歩み寄ってくる男。
「足を止めてください。それ以上こちらに近付くようなら、不審者とみなして人を呼びます」
険しい表情を一層濃くしたエリックは、立ち上がって腰に下げた剣の柄を掴む。
「……ああ、くそ。勘が良い餓鬼だな。もう少し近付きゃやりようはいくらでもあったのによ」
「……何を考えてる? ここは街のすぐ近くだ。それに、犯罪行為の遮蔽物になるようなものも一切無い平原だ、こ」
「『こんなところで人拐いなんてしたら、衛兵がすぐに飛び出してくるぞ』、ってか? ははっ、それはそれは、お気楽なこって。親切心で教えてやるが、それは勘違いなんだよ」
エリックのセリフを途中から奪った男は、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「ここはなぁ、確かに街壁の近くだ。だが、近すぎるんだよ。たかーい街壁に隠れて、壁の上から街の外を見張ってる兵隊さんたちには、まさしく灯台もと暗し、うまい具合に見えねえのさ。んで、門を片時も離れず護ってるえらーい門番さんたちからは……」
そう言って男が門がある方向を指差す。
すると、弧を描く街壁のすぐ近くにいたためか、なんとこちらもうまい具合に門から隠れ、門番から見えない位置取りとなっていた。
「くそっ、なるほどな」
歯噛みしたエリックが、納得の声を漏らした。『街壁の側ならば安心』。そう思っていた、彼らの判断ミスであった。
「ははっ。んで、お前らみたいな世の中知らないアマちゃん学生を拉致して、身代金を要求するってのが、俺らみたいなのの手口な。わかったら気を付けろよ? ま、気を付ける『これから』が無いかもしれんがな」
そう言った男は、腰から2本の短剣を抜き、日に照らされた刃を煌めかせる。
「あそこの学園は貴族様のお子さんらも通ってるからな。それをうまく引けたら身代金も弾むだろうぜ。いい博打だろ?」
口の端をニィッと厭らしく吊り上げた男からドロリと滲み出す殺気に、誰かから「ひっ」と小さい悲鳴が漏れた。
「おっと」
「ひいっ!?」
瞬間、男が振り上げた短剣から青白い刃が伸び、それがマシューの右耳付近に突きつけられる。
見れば、悲鳴を上げたマシューの右手がその右耳に被せられようとしており、彼が【コール】にて助けを呼ぶのを制したのだと、一同は理解した。
「悪いなぁ、坊主。おっちゃん大人が怖いからよぉ。【コール】は駄目だ。大人を呼ばれちまったら、尻尾巻いて逃げるしかなくなっちまう」
そしてヘラヘラと笑いながらの、その言葉である。
男の手にした短剣から伸びる青白い刃はチロチロと揺らされ、その動きは、次に通報しようとする者が居たら殺してでも止めるという無言の圧力を放っていた。
「……くそっ」
刃を突きつけられて顔面蒼白のマシューを見て、小さく悪態をつくエリック。クロエとエリザベスはどうしたらいいのかわからない様子で、肩で息をしながらおろおろとしている。
男が一瞬で発現した青白い刃は、【
だが、その発現速度と正確さから、エリックは男が自分よりも格上であると理解できた。それを理解させるために、男が【空太刀】を使ったというのもわかっている上で。
そして、恐らく自分では敵わないだろうと理解した上で、エリックは剣を抜くと、
「エリザベス様。僕が時間を稼いでいるうちに、走り抜けてください。その程度の隙ならば作れると思いますので」
逃がすべき人物が確実に逃げられるよう、自分が囮になることを決意する。
「そ、そんな――っ!」
しかし、その作戦をすぐには認められないエリザベスの、悲痛な叫び。
そのやり取りは、男には聞こえないよう注意深く小さな声で行われていた。が、どうやら聞こえてしまったようで、
「エリザベス様……? その髪の色……って、まさか、王女様かよ? うわっ、くっそ! 貴族を狙ってはいたが、それは大物過ぎるだろ! 俺の手におえねぇよ!」
突然焦り始めた男が、ひとりでに悶絶し始める。
しかし、すぐに、
「はぁ。まぁいいや。取り敢えず拉致ってから考えよう、そうしよう」
すぅっと落ち着くと、歩みを再開する。感情の起伏が、完全に異常者のそれであった。
一歩一歩と詰められる距離。すでに【空太刀】は発現が切れているというのに、まるで変わらず刃が突きつけられているように、少年らは動き出せない。
だが、動き出さなければ、助からない。
「……いいですか。僕が飛び出したら、皆も飛び出して、横を駆け抜けてくれ。頼んだぞ」
「だ、駄目だよ! そんなことしたら、エリッくんが……」
「これが一番可能性が高いんだ。考えてる暇はない。皆が逃げられたと判断したら、僕もすぐに逃げる。だから、頼む」
決意に満ちた表情で、焦らすようにゆっくりと歩み寄ってくる男を睨むエリック。
そんな彼を見て、まただ、と思った。
また、この選択だ、と。
自分が生きるために、誰かを捨て駒にしなければいけない。その捨て駒を選ぶ、選択。
護れない。力がない。またこの無力感だ。自分には何も出来ない。護ってもらってばかりだ。
みんなで助かるには、どうしたらいい。どうする。どうすれば……。
エリザベスの頭の中をぐるぐると巡る、そんな思想。だが、何もない。何も思い浮かばない。
瞬間――
『足りない力を、周りの人からちょーっとだけ借りるの』
思い出す、姉の言葉。
気付いたら、首から下がったシルバーリングをぎゅっと握り締めていた。
エリックは今にも剣を掲げて飛び出そうとしている。もう時間がない。間に合うはずがない。
だけど、
「助けてください、ヌレハ様……っ!」
もう、頼みの綱は彼女しかいなかった。【千里眼】でエリザベスの危機に気付いているであろう、彼女に頼るしか。
間に合わないと思った。
だが、エリザベスがそう口にした瞬間、エリックと男のちょうど間に、黒いモヤが収束し始める。
「ああ? 何だぁ?」
男がそんな困惑の声を口にする間にも、モヤは寄り集まり、やがて地に埋まった楕円形のような、空間に開いた真っ黒い大穴を形成する。
やがてその大穴から出て来た片足が草原を踏み締め、続いて身体が出て来て、
「……はいはい、呼んだ?」
そこには、場に似つかわしくない言葉を発しながら草原に立つ着物姿の麗人、ヌレハが現れていた。
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