第30話 王女様の決意
「変わらんな、お前は」
「そりゃ、人間はそんな簡単には変わらんよ」
一年ぶりに舞い戻った王都カラリスにて、行きつけのバー〈アンブラ〉のテーブル席に座り、店主とそんなやり取りを交わす。
結局エリザベスのテンションが上向きに直るようなことはなく、旅はあれから終わりまでずっとお通夜会場のような雰囲気のまま続いた。
二日目に寝泊まりのために寄った村の村長が、実に気まずそうに目を泳がせながら旅館まで案内していたのが、なんとも同情を誘う光景であった。
最後の最後まで雰囲気が回復することはなく、王都へと帰還。馬車に乗り込んだまま王城まで運ばれ、そこで解散となった。
ずーんと重そうな空気を一身に背負ったエリザベスを見て、王族一同は首を傾げて心配していた。そんな彼らを見て、謝罪をしておこうと一歩を踏み出したハロルドを制して、ニコルが「私が説明しておきますので」と言ってくれたので、その場は任せてハロルドとヌレハは王城を後にした。
再集合は4日後の朝らしいので、そのときにまた荷物をまとめて来てくれ、だそうだ。
その後、「疲れた。寝る」と残してヌレハも自分の家へと帰り、ハロルドはその足でこのアンブラへと赴いた、という流れである。
「ということで、マスター。いつものあれを頼む」
「ふん。あれだな?」
ニヤリ、と不敵に笑ったハロルドの、意味深な注文。それに無愛想に答えた店主、カウンターの向こうから何かを取り出すと、ハロルドのテーブルの上にふわりと置く。
記憶がおかしくなければ、ジンジャーエールを頼んだはずだと、ハロルドは狼狽える。だが、目の前に置かれたのは一枚の紙ぺラ。
「……なにこれ?」
「依頼書という名のメモ紙だ。ジンジャーエールを作るための足りない素材が書いてある」
「あ、あ、あれ? マスター、『素材は用意しといてやる』とか言ってなかったっけ?」
「ああ、言ったな」
「いや、ちょっとは悪びれろ!」
ダン! とテーブルを叩くハロルド。
衝撃でふわりと紙が軽く舞う。それをやんわりとテーブルに押し付けながら、
「仕方ないだろう。お前が厳選したハチミツ。蜂型ワスプの巣から取れるハチミツなんていう労にそぐわないもんを取りに行ってくれる物好きが居なかったんだ」
あっけらかんとそう言ってのける。
羽虫型の魔物、ワスプと言っても、その形態は様々で、なかでも攻撃性の高い蜂型のそれはかなり忌避される存在である。動きは素早く針は鋭く動く姿はキモすぎる、と三拍子揃ったその姿に、自ら喜び勇んで討伐に向かう物好きは、確かにいない。
基本的にテリトリーを漁らなければ無害というのも、その理由に大きな貢献をしていた。
しかし、
「確かに、あれはキモいもんなあ……。よし、んじゃ、ひとっ走り、おつかいに行ってくるかな」
そこから素晴らしいハチミツが取れるとなれば、ハロルドはその限りではない。
ガタンと椅子から立ち上がると、依頼書という名のメモ紙をくしゃりと手に取り、街の外へと向かうのだった。
全ては、より良い一杯のために。
◇ ◇ ◇
「ごちそうさまでした」
銀食器を静かにテーブルに置き、小さく礼をしたエリザベスが、食堂を出ていく。
「……元気無かったわねぇ」
「元気無かったね」
そんな彼女の背中が見えなくなってから、ぼそりとそう漏らす王妃とオリヴィア第一王女。
会話を振ればそつなく返しはするものの、どうにもその表情から陰りが消えることはなく、見れば、食欲もあまりなかったのか、食事にもあまり手を付けなかったみたいだ。
王族のくせに「もったいない」が口癖なほど貧乏性のエリザベスだと考えれば、これはなかなか重症であった。
「ただいまのハグも無かったしのぅ」
「それは通常時でもないでしょ」
しょんぼりと項垂れて、本気なのか冗談なのかイマイチわからないことを言い出した国王に、鋭いツッコミを返すオリヴィア。
「……しかし、まあ、仕方あるまいよ」
食事を静かに口に運びながら、国王はそう判断を下す。
「ハロルド殿がエリザベスに言ったことは、言い方はどうあれ、必要なことだ。困っている者すべてを救いたい。それは当然だ。救えればいいと、今でも思う」
しかし、と、国王は言葉を紡ぐ。
「結局は、そんなことは幻想だと、無理難題だと気付かされる。どこかに目を光らせれば、そこではないどこかに腐敗は生まれる。イタチごっこだ。そうして折れてしまえば、いつの間にか、守るべきものを最優先で守る、現実的な人間の出来上がりだ。……だが、それはそれでいいと、今ならば、この立場ならば、思える」
国王は悲し気に目を細めながら、どこか丸く収まった自分を、しかし肯定していたいと言う。
今まで、きっと王としてたくさんの出来事を経験してきたのだろう。その細められた目に、いったい何が映っているのか。それは、この場に居る誰にも、窺い知ることは出来なかった。
「……思えば、エリザベスにはそういう、人間の汚い部分を全く教えずに育ててしまったなぁ。あの子はいい子だ。熱い正義の心を持ち、怖くとも間違ったことに真っ向から立ち向かう勇気も持つ、本当にいい子に育った。……だからこそ、わしらが恐れて教えられなかったことを教えてくれた、ハロルド殿には感謝しかない」
「……へぇ、意外ねぇ。あなたのことだから、『エリザベスを泣かしおって! 許さんッ!』ってなるかと思ったのにぃ」
「いや、そこはもちろん許さんが」
「あ、許さないんだ」
そんな彼は、結局、親バカ国王であった。
「ねえ、エリー? 少し話があるの。入っても良い?」
夕食の席も終わり、夜の帳が下りきって、街から慌ただしさが消えた頃。
閉ざされたエリザベスの部屋を訪ねる女性が一人。彼女の姉、オリヴィア第一王女殿下である。
トントントン、と小気味よくノックを三回。そしてとても柔らかい声色で、中に居るであろうエリザベスに声をかける。
しばしの静寂。
ああ、駄目かなあ、という想いが、苦笑したオリヴィアの胸中を満たしたとき、カチャリと、内鍵をはずした金具音が聞こえた。
「……お姉様? どうしたんですか、こんな夜更けに?」
そしてゆっくりと開いた扉の隙間から、エリザベスがひょっこりと顔を出し、あっけらかんとそう言った。
平静を装っている、と人目でわかる表情。目元は微かに赤らんで膨らみ、耳を澄ませばズズッと小さく鼻をすする音も聞こえる。
「少しね。エリーに会うのも一年ぶりだもの。お姉ちゃん、お話ししたくなっちゃった」
「……はあ。ですが、お話ならば、別に明日でも……」
「だーめ。お姉ちゃんは今お話ししたいんです。じゃ、お邪魔しまーす」
「あっ」
気丈に振る舞う妹に、負けじと心配している素振りを全く見せずに部屋への侵入を完遂するオリヴィア。
小動物よろしくシュルリと素早く扉の隙間に滑り込み、エリザベスの部屋へと入る。
その見事な身のこなしに、また怪我をさせるわけにもいかず、エリザベスは無理矢理扉を閉めるようなことは出来ずに、姉の侵入を許す他なかった。
「ひゃー。新鮮な妹臭! くんかくんか!」
「ちょちょちょっと! 止めてください! 恥ずかしいですからっ!」
そのままベッドへダイブしたオリヴィア。あまつさえ、鼻をひくひくとさせて恍惚とした表情を浮かべる。
それを慌てて真っ赤な顔で制すると、オリヴィアは「ちぇー」と口を尖らせて、普通にベッドの縁に腰かける。
「……ニコルに聞いたわよ。やっぱり、元気は出ない?」
そして、途端に真面目な顔になると、本題へと切り込む。
「あ……えと……」
そのあまりにも素早い変わり身に、エリザベスは一瞬呆気にとられるも、
「はい……。少し。考えたことも無いことでしたので……」
素直に、ありのままの気持ちを答えた。
「そっか。……ねえ、どうしてエリーは、もう終わってしまったことに、そんなに悩んでいるの?」
「……どうして、ですか?」
突然の姉からの問いに、エリザベスは目を伏せ、一生懸命になって答えを探す。
そして、
「……わかりません。わかることもあるんですけど、わからないこともたくさんあって。何より、わかりたくないことも、たくさんあって……。結局、何もわからないんです」
そんな、答えとも取れないような、一つの結論を口にした。
自分は王女。唯一無二の存在。それはわかる。
だから、他者を見捨ててでも、自分は生きなければならない。本当に? わからない。いや、正確には、わかりたくない。
「ハロルド様が言ったこと、わかったような、わからないような。何だかモヤモヤして、考えれば考えるだけ、嫌になってきちゃいました」
えへへ、と力無い笑みを浮かべて、姉を心配させじと気丈に振る舞うエリザベス。
そうしなければ、溢れてきてしまいそうだった。無理にでも笑顔を浮かべなければ、目の前に居る頼れる存在に、泣きついてしまいそうだった。
「……そっか」
その笑みを受けたオリヴィアは、静かな返事を口にし、寂しそうに笑う。今まで考えたこともないだろう悩みに、憔悴しきっている。なのに人を頼らない妹を、素直にすごいと感心する。そしてそれと同時に、頼ってもらえないことを、少しだけ悲しく思う。
「あのね、お姉ちゃんも、エリーが悩んでるだろうことについて、考えてみたの」
しかしすぐにぱっと笑顔を浮かべると、エリザベスに自分の考えたことを告げる。
「エリーが悩んでることはね、きっと、エリーがお姫様を辞めちゃえば、全部一気に解決できることだと思うんだ」
それは、とても突拍子もなくて、考えたこともなくて、
「……えっ?」
当然、そんな意見をもらったエリザベスは、目をキョトンと見開いて、理解不能という音を漏らした。
「だって、エリーは困ってる人をみーんな助けたいんでしょ? でも、立場上身勝手な行動は取れない。自分から飛び出すことなんて出来ない。じゃあ、立場を捨てちゃえば良いんだよ。そうすれば、エリーは自由。どう行動しても、誰を助けても良いの」
ね、簡単な話でしょ? と付け足して、オリヴィアはにっこりと微笑む。
「……そ、そんなこと、出来るんでしょうか?」
「出来るよ。王位継承権は私の方が強いもの。時期女王の座は私のもの。で、そうなったら、エリーは他の貴族さんに嫁いじゃったりするんでしょ? じゃあもう、今のうちに自由に振る舞っちゃってもいいじゃない。お母様もお父様も、きっと止めたりなんてしないわ」
「……でも、だって。そうしたら、お姉様に自由が無いじゃないですか」
「……ああ、もう、そんなこと? 私は元気一杯のエリーが好きなんだもの。エリーの元気のためなら、いくらでも面倒な仕事だってやっちゃうわよ。余裕よ、余裕。もともと、時期女王としての教育は受けているしね!」
えっへん、と胸を張るオリヴィア。
強がっている様子はない。それは本心からの言葉であると、ずっと共に過ごして来たエリザベスは、簡単に理解できた。
「……本当に、王女様を辞めちゃってもいいんでしょうか?」
「うん、いいよ。辞めちゃって、それでたくさんのことを経験して、いつか私にその話をしてよ。もちろん、王女を辞めるからって家族じゃなくなるワケじゃないもの! だから、あなたの家はずーっとここ。嫌なことがあったら、いつでもここに帰ってきて良いんだよ?」
「……そんな甘えたこと、できませんよ」
「いいの。私はお姉ちゃんだもん。ちょっとくらい甘えてくれた方が、私は安心できるんだよ」
オリヴィアが提案していることは、嫌味ではないだろう。本心から、エリザベスがそう望むのならば、王女の位を捨ててしまってもいいんだと、そう言っていた。
それがエリザベスにはわかる。どうしようもないほどの優しさを、愛を、感じられる。
その優しさを受け入れてしまえば、楽になれる。受け取った愛のままに、「お言葉に甘えさせていただきます」と言えば、今悩んでいる理不尽からも、不条理からも、解放される。
「本当に、いいんでしょうか……?」
それは、最後の確認。
オリヴィアが言っていることは、本心なのどうか。それを言葉として確証を得るための、最終確認だった。
「うん、いいんだよ」
そして、それに対するオリヴィアの答えは、変わらないものだった。
立場を捨てて、思うままに生きれば良いと。
邪魔くさいものをかなぐり捨てて、身軽になってしまえばいいと。
そう本心から思っているのだと、彼女は力強く頷いて、証明して見せた。
「……そ、」
でも、だからと言って――
「そんなの、出来るわけないじゃないですかぁ……!」
それを受け入れてしまえば、それは今まで自分を信じてくれたみんなへの、裏切りになってしまう。何よりそれが、エリザベスには許せなかった。
少しの怒りと、心が揺れた――揺れてしまった、自分への苛立ちと。そんなドロドロと澱んだ気持ちがないまぜになって、遂に耐えきれなくなった涙となって、外へと出てくる。
「こんな程度のことから逃げて、それで自由になって……っ。それで、そんな私で、幸せになんてなれるわけないじゃないですかぁ!」
振り上げた拳に行き場の無い気持ちを乗せて、オリヴィアの肩を力なく叩く。そのまま、決壊した涙腺から溢れる涙を止められないまま、半ば倒れるように、姉の胸に顔を埋め、泣きじゃくる。
「どうして……どうしてそんなことを言うのですかっ! 逃げたくない……っ! 逃げちゃ、駄目なんですよぉ……!」
「……そうだね。……そうだよね」
まるで小さな子供のように泣きじゃくる妹をぎゅっと強く抱き締め、落ち着かせるように優しく頭を撫でる。
「エリーなら、そう言うよね。わかってたんだ。ここで『逃げる』なんて選択肢を、エリーは絶対に選ばないって。そんな弱い子じゃないって、わかってた。……ごめんね。お姉ちゃん、意地悪な試し方しちゃったね。ごめん、ごめんね……」
ゆっくり、染み込ませるように、言葉を紡ぐ。胸で嗚咽を漏らす妹に、心がそのまま届きますようにと、想いを込めて。
「……あのね、エリー。私ね。本当は、エリーには何も捨ててほしくないんだ」
「……何、も?」
「そう、なーんにも。好きな人も、好きじゃない人も、もちろん、自分のことも。全部全部捨てないで――諦めないでほしいの。私は、そうしてこそエリーらしいと思うわ」
「……でもっ! だって、私には、それをするだけの力が無い! ワガママを言うだけ言って、実際の行動に移せないなんて……そんなのって、あり得ない! あっちゃいけないですよっ!」
そして、結局はそこに行き着くのだ。
誰も見捨てたくない。それはエリザベスの本心だ。王女だから、ではない。彼女の人としての心が、そうしたいと叫んでいる。
だがエリザベスには、その高尚な志を貫くために必要な力が、絶望的に足りなかった。それはもう、この上ないほど絶望的に。
高い志を貫き通すためには、良くも悪くも、力が要る。力無き者の高すぎる志など、周りから見ればただの世迷い言だ。分不相応な理想を追いかけ回す者など、ただの狂者だ。そんなものは、信ずるに値しない。
口にしてしまえば、何てことはない。エリザベスはずっとそのことについて悩んでいたのだ。絶対に答えの出ない袋小路に迷い混んで、自分に力さえあればと、自分を貫くに十分な実力さえあればと、歯噛みして悔しがっていたのだ。
だが、悩んだところで、力が湧いて出るわけではない。諦める他無い。自由に自分勝手に振る舞えるほど、彼女は周りの人たちをどうでも良いと思ってもいないのだから。
「諦めたくないですよ……! 諦めないでいられるなら……諦めなくていいだけの何かが、私にあれば……っ!」
でも、諦めたくない。
もう、どうしたらいいのかわからなかった。
自分の心と自分の立場と周りの人との間で揺れ動き、矛盾した全てを拾える答えを探して――でも、そんなもの見つからなくて。
どれかを諦めてしまえば。何かひとつを大切だと優先順位付け、他を妥協してしまえば。きっと、何かしらの答えは導き出せただろう。
でも、そうしたくなかった。全てが大切で、全てを拾いたくて。そう思うくせに、拾うだけの力がない自分が歯痒くて。
頭が痛くなるほど泣いて。こんなみっともない自分をみんなに見せたくなくて強がって。一人で悩んでいると心細くて。人にすぐに甘えたくなる自分が恥ずかしくて。
そして何より、力があるくせに、最初から全てを諦めきっていたハロルドに対して、どこか怒りを向けている。自分が欲しいものを持っているくせに、自分がやりたいことをやろうとすらしないハロルドに、筋違いの恨みを覚えている。そんな自分に、この上なく腹が立った。
「もう、どうしたらいいのかわからないんです! わからないよぉ……っ!」
それは心からの叫びだった。
再びオリヴィアの胸元に顔を埋め、抑えきれない嗚咽を漏らす。
「ねえ、エリー?」
オリヴィアは、そんな妹の背中をぽんぽんと優しく叩きながら、努めて柔らかい声で、語りかける。
「エリーはね、頑張りすぎなの。一人で悩んで、答えを出そうとして。そんなの、行き詰まっちゃうよ。私だってきっとそう。みんなだって、そうだと思うよ。……だからね、そういうときは、周りを頼るの。助けてくださいって、勇気を出して言うの」
「……頼る?」
「そう、頼る。エリーなんて特にね。悩むとすぐ、こう……真っ直ぐになっちゃうからね。人に頼るのは勇気が要ること。でも、きっとみんなエリーを助けてくれるよ。それともエリーは、そんなに周りの人が信用できない?」
「そんなことないですっ! ……ないですけど、そんな、甘えるようなこと……」
「だーかーら。『甘える』じゃなくて『頼る』の! 甘えられたら鬱陶しくても、頼られて不愉快に感じる人は居ないわよ。私が保証する」
もう、物分かりが悪いわねぇ、と茶化して、オリヴィアは笑う。
「そんなの、物は言いようですよ」
涙を浮かべた顔にむっとした表情を追加して、エリザベスはそんな姉に食って掛かる。
そんな妹に、言うようになったわね、と感慨深そうな言葉を漏らしながらも、言葉と裏腹に慈しむような笑みを浮かべ、オリヴィアは言う。
「でもきっと、それもひとつの答え。足りない力を、周りの人からちょーっとだけ借りるの。ほら、ハロルドさんとか。あの人、力だけなら有り余ってそうじゃない?」
一見して失礼ではあるが、この場にそれを指摘する者は居なかった。
「……あの人、力を貸してなんてくれませんよ。きっと。絶対」
ぷいっと頬を膨らませ、ぶーたれる。
オリヴィアはそんな彼女の膨らんだ頬をつんつんとつつきながら、
「うん、そうかもしれない。じゃあ、エリーがうまく誘導すればいいんだよ。力を貸さざるを得ない状況に、ね」
そんな提案をする。
「……そんなこと、できるでしょうか?」
「出来るよ。だって、女の子はみんな小悪魔なんだから。小悪魔エリーの言うことなら、みんな何だって聞いちゃうよ」
「……なんですか、それ」
頭の上に指を二本立てて角に見せかけ、シシシと悪戯な笑みをするオリヴィア。エリザベスはそんな彼女に毒気を抜かれたように、呆れた顔で姉の顔を仰ぎ見た。
オリヴィアはどことなく陰りの消えたエリザベスの表情に安心すると、そんなエリザベスのおでこをペシリと軽く叩く。「あうっ」も可愛らしい悲鳴をあげた妹に、ニッと笑いかける。
「さ。もう寝よう? 一晩ぐっすり寝て、明日にはいくらかすっきりして、元気な顔を父様と母様に見せてあげて。あの二人、すごく心配してたんだから」
「う……。はい、すいません」
叩かれた額をさすりながら、申し訳なさそうに顔を紅潮させるエリザベス。
オリヴィアはすぐさまベッドに横になると、掛け布団を開いて「さあさあ」とエリザベスを促していた。
「……えっ。一緒に寝るんですか?」
極自然な動作で添い寝のシチュエーションを作り出したオリヴィアだが、残念ながらエリザベスは違和感を感じずにはいられなかったようだ。
「え、駄目……かな? なんか流れでイケるかなと思ったんだけど……」
何が『流れでイケる』なのか。とにかく途端にしおらしく上目遣いでエリザベスを窺うオリヴィア。
そんな姉に、どうしたものかと一瞬悩むも、
「……いえ。一人で居たら、また悩んでしまいそうですから。だから、どうか一緒に居てください、お姉様」
ついさっき教えてもらったばかりだった、人に頼れという言葉。その通りに、優しい姉を頼ってみることにした。
「よっしゃ! 合点承知ッ!」
だが、そんな言葉をガッツポーズに乗せて口にする姉は、正直見たくなかった。
◇ ◇ ◇
4日後。早朝。
「気が重い……」
眉根を寄せてそんな言葉を漏らすのは、歩いて王城まで向かっている男、ハロルドであった。
「あんたもそんな感情を抱くことがあんのね」
「……や、そりゃね。あんな雰囲気での別れだったし。ま、俺が撒いた種だけどさ……」
「そうね。5つも歳が下の女の子に熱くなっちゃって。ダッサいし、みっともないわね」
「やめてやめて、えぐらないで」
隣を歩くヌレハから容赦の無い波状攻撃。これには堪らずギブアップの白旗を挙げた。
「はぁ」
そしてため息をひとつ。
憂鬱だった。どんな顔をしてエリザベスに会えばいいのか。
足取り重く、とぼとぼと歩く。しかし一歩一歩踏みしめる度にしっかりと前には進んでしまうもので。気付けば、王城は目の前にまで迫ってきていた。
「こんな朝早くから、お疲れさまです!」
そして門番に見つかり、もう逃げられなくなる。
「そっちこそ。お疲れ様。これ、入ってもいいのかしら?」
「はい、どうぞ。お二人が来たら通すよう仰せつかってます」
「そ。ありがと」
初めて王城の中に入ったときに比べて、随分と信頼されたもんだと思いながら、ヌレハは気まずげに顔を顰めるハロルドに見向きもせずに門から城壁内部に入っていく。
それを慌てて追いかけるハロルド。ここでウジウジとしていても、余計入りにくくなるだけである。
門を抜けてすぐの中庭に入ると、前と同様、すでに準備を終えた二台の馬車が連なって停めてある。
その横で、エリザベスとその家族たちが話をしている。
ハロルドたちに真っ先に気が付いたのは、オリヴィアだった。エリザベスはこちらに背を向けた形で話していたので、先に気が付いたオリヴィアに肩を叩かれ促されることで、ようやく振り返り二人の姿を確認する。
とたんに、気まずそうな顔。この二人は……、と、ヌレハは頭を抱えたい気持ちになった。
だが、オリヴィアがエリザベスの背中をトンと軽く押すと、意を決したようにキリッと凛々しい――というよりは、むむっと強張った顔になり、ハロルドたちの方へとつかつかと歩み寄ってくる。
そして、ズビシと指を突きつけると、
「ハロルド様っ!」
「は、はい?」
「私、諦めないことにしました。あれを拾って、これを捨てる、なんて選択はしないで、全部拾ってみせます! それだけっ!」
手短に宣戦布告のようなセリフを言い、フンスと鼻息荒く踵を返して、馬車に乗り込んでいってしまう。
呆気にとられるハロルド。視界には、苦笑混じりにこちらに手を振るオリヴィアが映っている。
「……え、なに、どゆこと?」
ようやく再起動したハロルドは、隣のヌレハにエリザベスの真意を訊ねる。話が急すぎてよく理解できなかったのだ。
「あんたが諦めちゃったこと、あの子は諦めないことにしたってさ。目についた人みんなを助けてみせるって、そういう意思表示よ、きっと」
「……ああ、なるほど」
「良いじゃない、健気で。私は応援するわ、エリザベス様のこと。彼女が望むなら、お手伝いだってやぶさかじゃないくらい」
その言葉に、ハロルドは少し驚く。ヌレハがそんなことを言うなんて、なかなかあることではない。エリザベスのことを気に入っているんだろうな、とは思っていたが、まさかここまでだとは思っていなかった。
「……あんたもさ。意固地にならないで、たまには素直な心のまま行動してみたら?」
「……どういう意味だよ」
「さーあ? 言葉のまんまのつもりだけど」
ニヤッと不敵に笑うと、それだけ言い残して挨拶のために王族の方へと歩き出すヌレハ。
その背中を見つめながら、
「……お前だってわかってんだろ。みんなを救うなんて、土台無理な話なんだよ」
苛立ちが混ざったような声で、そう言うと、
「俺は
密かに、そう独りごちた。
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