第28話 学年末

「エリーも、さすがに年度間の長期休みには、家に帰るんだ?」

「はい。『そろそろ帰ってきてあげて』っていう手紙が、お母様とお姉様から届きましたので……」


 王女一行でまるまる一つ貸し切った学生寮の食堂。15人程度ならば囲えそうな大きな角テーブルについて食事をしながら、エリザベスとクロエは会話する。


「ふぅん。王都、遠いもんね。私の実家は王都よりもサリバンに近いから、結構頻繁に帰ってるんだけど……。私の実家も王都だったら、確かに帰るのめんどくさいかも」

「面倒……というのもあるんですけど、帰る必要性を感じなくて。私はこちらでも楽しく暮らせていますし、お母様もお姉様も『やりたいことを自由にやりなさい』と仰ってくれてますし、何より何度も帰っていたら、王都までの路銀が勿体ないですからね」

「出た、エリーの庶民的発言……。王様も自由にしていいって?」

「あの人は……別に、良いんです」


 王の存在が会話に出た瞬間、ムスッとした顔をして手早く会話を終わらすエリザベス。


「……泣くわよ、陛下が」


 ここでヌレハがそのツッコミをするまでが、恒例の流れとなっていた。


 わいわいと応酬される二人の会話。そこにヌレハもときどき口を挟み、和やかな空気が流れる食堂。


「……てか、まあ、どうでもいいんだけど。いつの間にかクロエが普通にウチで飯食うようになってるな」


 そこにハロルドが空気を読まないそんな発言をすることで、会話が止み、一瞬で静寂が場を支配することとなった。

 ハロルド的には、「別に良いじゃない!」とでも噛みつかれると思っていたのだが、その後のクロエの反応は予想と違い、「あはは」と気まずげに笑ったあと、カチャリと銀食器をテーブルに置いて、


「や、やっぱり、頻繁にお世話になりすぎかな……?」


 という、実にしおらしいものだった。


「えっ、ああ、いやいやいや。違う違うそういう意味じゃなくて、マジでちょっと思っただけ。全然迷惑とかじゃなくて、うん、気にしなくて良いから。もう、毎日来ても良い! むしろ、ここで暮らしても良いくらいだぜ!」


 クロエがしおらしくしょぼくれた瞬間、じっとりと湿った視線を一身に引き受けたハロルドは、あせあせと慌ててフォローする。

 しかし、


「う、うん……」


 クロエの反応は芳しくなかった。もしかしたら、本人も気にしていたのかもしれない。「うちに遊びに来てください」と誘うのはエリザベスだが、それにしたって最近お邪魔になりすぎなのではないか、と。最近はもはや入り浸り状態である。

 とはいえ、本人が気にしているかどうかは別にして、王女一行のなかに、彼女の存在を疎ましく思っている者は居ない。ハロルドも例に漏れず、そうである。だから先の言葉は、本当に「ふと思った」という程度なのだろう。

 しょんぼりと項垂れるクロエ、じっとりとハロルドを睨むエリザベス、冷ややかに冷凍ビームのような視線をハロルドに送るヌレハ。自分が撒いた種なのに、何これ、気まずい、という思いがハロルドの胸中を満たしたとき、


「もうー。そんなこと、気にしなくていいのよー?」


 やたらと語尾が伸びる特徴的な話し方でそんな声をかけながら、項垂れるクロエを後ろから抱き締める一人の女性。洗濯の行き届いた侍女服に身を包んだ彼女は、王女一行に居る二人の侍女のうち、過去にハロルドの暗殺を目論んだシルヴィアではない方、アシュリーである。

 ちなみに、彼女こそが寮に居る誰よりもクロエを可愛がっている張本人である。


「わっ、わっ、アシュリーさん?」

「ねぇー。それより、どの一品が一番美味しかったー?」

「ど、どれが美味しかったか? え、えっと……」


 どの料理が一番口に合ったかを訊ねられたクロエ、目を白黒させながら目の前に並ぶ皿を順繰りに見て、


「この卵焼き、かなぁ……」


 そのうち一つの皿を指差し、答える。

 言われた通り一番美味しいと思った品を答えたクロエだが、その答えを聞いたアシュリーはしょんぼりと意気消沈。


「あー……それは、わたしが作ったやつじゃないなー……」


 とのことだ。

 そんな彼女の元気ない言葉を聞いたクロエは途端にあわあわと慌て出して、


「あああ、ほ、ほんと、どれも美味しかったよ!? 甲乙つけがたいと言うか、何と言うか! あ、アシュリーさんが作ったのは、このスープかな? それともこのパン……は買ってるものかな……。ん、焼いてる? どっち?」


 片っ端から皿を指差し、完全に支離滅裂なことを言い出す。「ひえぇ」と彼女の口癖である悲鳴をあげながら目を回すクロエ。

 ちなみに正解は、『どれもアシュリーは作っていない』、である。

 侍女二人のうち、シルヴィアは実は王国近衛第三師団所属の師団員で、繊細さが必要な作業やスピーディーな仕事はほぼ全て彼女が担っている。そしてこちらのアシュリーは、なんと王国近衛第一師団所属の師団員。リーダーがレオンであることからご察しの通り、第一師団員はどちらかと言えば肉体派、武闘派、とどのつまり、力任せな者が多い。かつて一度、アシュリーの尻を撫でた兵士の一人が、彼女に殴られて地をバウンドしながら彼方へ転がっていった光景は、なかなかに圧巻なものであった。故に、常におっとりした様子のアシュリーだが、そんな彼女は実は家事の力仕事担当。こと料理においては、配膳しかやっていない。


 しかしそんなこととは露ほども思わず、慌てながらアシュリーが作ったと思われる料理を誉めちぎるクロエ。

 当のアシュリーは一頻り慌てるクロエの様子を堪能したのち、ニンマリと満足そうな笑みを浮かべて、


「あぁーん、もう、可愛いーっ! ほんと、ハロルドさんの言う通り、ずっとうちに居て欲しいー!」

「ひえぇっ!?」


 かばぁっと、一度離れた体をまたもや抱きつき密着させ、そのままクロエの頭を撫で撫で撫で撫で。

 突然の熱い抱擁に、クロエは驚いて大きな悲鳴をあげていた。


「……いや、俺は別に『ずっとうちに居て欲しい』とは言ってない……」


 そんななか、ハロルドのその小さな抗議は、誰からの反応も得ることが出来ず完全に黙殺された。


   ◇ ◇ ◇


 一学年度、最終日。


「……むむっ!」

「何が『むむっ!』だよ。どの角度からどう見ても、書いてある成績は変わらねえよ」


 配られた成績表をまじまじと見たかと思うと、ぐぐっと眉根を寄せて成績表を顔に近付けたり遠ざけたり、右から見たり左から見たり、はたまた裏から透かして見てみるエリザベス。そんな彼女に苦笑混じりの苦言を呈するのは、横で見ていたハロルドだ。

 ちらりと見た感じ、五段階評価で数が大きいほど良い評価なようで、最高評価『5』がついているのは唯一公約を守ったヘイゼルの『基礎魔術演習』のみ。『礼儀作法』が辛うじて次点の『4』評価なようだが、残りの学術教科は軒並み低い評価。というか、全て『2』と『3』である。さすがに単位非取得を意味する最低評価はないものの、これはなかなかの問題児であるように、ハロルドは思う。


「おかしいですよっ!」

「端から見た感じ、おかしくはないわね。残念ながら」


 淡々と紡がれたヌレハの言葉に、ハロルドはうんうんと頷き同意を示す。


「……頑張ったんですけどねぇ」

「……まぁ、確かに頑張ってたことは、俺も認めるけど……」


 しょんぼりと目を伏せて小さな抗議を漏らすエリザベスに、ハロルドは煮え切らない慰めをかける。

 そう。確かにこの王女様は頑張っていた。

 わからないことがあれば教師や寮で大人たちに訊いたりしていたし、しっかりと日頃から勉強もしていた。

 ただ、如何せん地頭がなぁ……。という、ハロルドが口から出しそうになったがグッと堪えた『けど』に続く言葉。

 残念なことに、努力というものは、得てして結果が実って初めて評価されるものなのである。


 思い起こされるは、テスト前、算術について教えてもらおうとハロルドを訪ねたエリザベスとの会話。


『3×12は?』

『さ、さんかける、じゅうに……? え、ええと……』

『……じゃあ、このオレンジ。まあ、ここには一個しかないけど……。一箱に三個ずつ詰めて、その箱が十二箱あったら?』

『たくさん食べられます!』

『……そうだね。たくさん、食べれるね……』


 その時点で諦めずに頑張って不器用な絵を描いたりしながらも、どうにかこうにか教えた自分を密かに褒めたハロルドであった。


「エリー、どうだった? 私は結局ヘイゼル先生に勝てなかったから、3評価だったよー」


 そこに、とてとてと近寄ってきたクロエが、はにかみながら成績の報告をした。

 結局彼女はヘイゼルに一発たりとも有効打を撃ち込むことができず、彼の公約通り、『最高評価は無い』ところからのスタートであった。そして結果は『3』評価であったらしい。つまり、ヘイゼルから見てクロエの魔術の腕は至って平均的、というところだったらしい。


 そんな彼女が手に持った成績表をちらっと横から盗み見たハロルド、瞬間、ギョッと目を剥く。


「……お前、頭良かったんだな」

「むっ。失礼だろ、それは」


 目に入ってきたのは、軒並み『4』か『5』か、という好成績が並んだ成績表。

 先ほどまでエリザベスの残念な成績を見ていたからか、必要以上にすごいと感じてしまう。そしてついつい漏らしたそんな感想に、むっとした顔で抗議するクロエ。いつも通りの光景であった。


「……おかしいです」

「おかしくないのよ、残念ながら」


 そんな彼らを見ながらしょんぼりと項垂れるエリザベスに、ヌレハは困ったような表情を浮かべながらも、現実を突きつけていた。


   ◇ ◇ ◇


 そして、その3日後。

 ハロルドたちエリザベス王女一行は、3日間のうちに用意しておいた荷物を積んだ馬車に乗り込んで、帰省すべく、王都へ向かおうとしていた。


「おい、ハロルド。道中エリザベス様に何かしてみろ。殺すぞ。本気だぞ」


 玄関先で、そんな穏やかでない台詞を、わざわざ言わなくても本気だとわかる殺気を乗せてハロルドに向けて放つは、件の暗殺メイド、シルヴィアである。

 あの一件以来、取り立てるほどの騒ぎは起こさなかったものの、相も変わらずハロルドに対してのみ棘の抜けきらない態度を取り続けている。そんな彼女は今回の旅、ここ学園都市サリバンの寮にお留守番である。

 本来であれば寮母など、学生が寮に居ないときも建物を管理する者が居るものだが、王女一行が貸し切っているこの寮に限って言えば、その限りではない。なので、エリザベスが帰るからと全員でついていけば、自然と寮はもぬけの殻となってしまうのである。

 特に貴重品などはないが、さすがにそれでは不用心が過ぎると考え、どうせ護衛の数は補って余りあるほどいるのだという事実もあいまって、馬車一台分、すなわち六人ほどを管理のために置いていくことにしたのである。


「くっ……。出来れば私が誰よりも近くでエリザベス様を護りたかった……。主にハロルドの魔の手から」


 ぎりりと歯を食い縛って悔しげにそう漏らすシルヴィア。彼女は一同が『お留守番メンバー』を考えていたとき、もっとも早く名前が挙がった一人である。理由はなんてことはない、侍女の彼女は掃除・炊事・洗濯、すなわち建物の管理能力という面において、非常に優れていたからである。

 しかしそこは王女大好きメイド代表シルヴィア。当然のように、「嫌だ!」と周囲もドン引くほどの粘りを見せる。しかしまあ、「お願いです。シルヴィアが頼りなんです。……いいえ、シルヴィアしか、頼りにならないんです」と彼女が敬愛する王女様きってのお願いをされてしまえば、チョロいものであった。

 そのときの破顔しきったみっともない表情を、是非ご本人に見ていただきたかった。と、何故か『王女に魔の手を伸ばす悪漢』という評価でつるし上げられているハロルドは思う。


「そんな素振りすら見せたこと無いと思うんだけどなぁ」

「あ? 何か言ったか?」

「……いや、なーんにも」


 小さく悪態をつきながら。


「ハロルド様ー! そろそろ出発しますよー! シルヴィアも、10日ほど、寮の管理をお願いしますねー」

「ういうーい」

「はいっ! お任せください! 道中お気をつけて行ってらっしゃいませ!」


 そこに停まっている馬車から届いたエリザベスの声。ハロルドは届くかどうかもわからない声量で適当に返事をし、シルヴィアは溌溂とした声でしっかりと返事をする。

 そしてハロルドが王女の乗る馬車に向かおうと歩き出したとき、


「ハロルド。くれぐれも、エリザベス様を頼むぞ」


 その背中に、シルヴィアから声がかけられる。


「……はいよ。任せときな」


 ちぐはぐなヤツだな、と、ハロルドは思いながら、苦笑交じりに返事する。

 変なところで、彼女はハロルドのことを『護衛』だとは認めているのだろう。ただ、王女の傍に居るべき『男』だと認めていないだけで。

 一年も共に暮らせば、案外変わるものなんだなあ、とハロルドは謎の感慨に耽りながら、王女一行を乗せた二台の馬車は、学園都市サリバンから王都カラリスを目指し出立した。

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