第27話 表裏

 積み上げられた書類の束を前に、男の唸り声が小さく部屋に響く。

 厳かな椅子に深く腰かけた姿勢で腕を組み、眉を顰めて眼前の書類を睨む。


 王都カラリス。街の中心に王城が建てられ、そこを円の中心にして同心円状の城壁と二つの街壁にて三層の区画を有する、巨大な都市。

 そんな王都の中心、王族が暮らす王城の執務室にてその男、国王は、実に険しい表情で胸の奥から漏れ出すような唸り声を上げ続けていた。


 だが、次の瞬間――


「エリザベスぅ……」


 はふうという哀愁漂う呼気と共に吐き出される、この場に居ない第二王女の名。そしてその呟きと同時に、腕をクッションに机に突っ伏する国王。

 その仕草に机から押し出された書類の束が、いくつかばさばさと床に舞い落ちる。


「また出た……」

「今日だけで、もう20エリザベスは口にしてるわねぇ」


 慣れた様子で、眉一つ動かさずに床の書類を拾い、机の空いている場所に平積みする侍女。

 そんな彼らの様子を、こちらは眉を顰めて見詰めていた、第一王女オリヴィアと王妃は、諸々の言葉を口にした。


「寂しいのも心配なのもわかるけど、あなたはちょっと気にしすぎよぉ。このままだと、公務に差し支えるわよぉ」


 突っ伏した国王の頭をぺしんと叩きながら、間延びした声で軽い叱咤を飛ばす王妃。

 その言葉にゆるゆると頭を上げた国王だが、


「……学園都市に行ってから、もうすぐ一年が経つ。その間、エリザベスは一度も帰ってきてないぞぉ!? どういうことだぁ! ぐぅうおおお。心配だ!」

「私は父様が心配だわ……」


 わしわしと頭を抱えながら、鼻息荒く捲し立てる己の父の姿に、オリヴィアはドン引きしながら苦言を呈する。


「距離があるから【コール】は通じんし、いつの間にか手紙も送られてこなくなった!」

「私には来てるわよぉ?」

「私にも」

「何故だぁっ!?」

「そりゃぁ、毎日毎日どうでもいい手紙を送られ続ければ、ねぇ……」


 エリザベスが学園都市へと旅立った、まさかのその日から手紙を毎日送り続けていた国王。最初の方は律儀に手紙を返していたエリザベスだが、流石に段々と面倒になり、今では国王からの手紙だけ完全に無視している。

 しかしそこは末娘を溺愛しすぎるあまり盲目になっている親バカ国王。自分に非はないとばかりに「反抗期だぁ……」と呟くと、再び机に突っ伏する。その際せっかく積んだ者類がまたもや床に落ちるが、またもや侍女が嫌な顔一つせずに拾って机の上に積んだ。


「ごめんなさいねぇ」

「いえ。日常茶飯事ですので」


 ということらしい。


「ほらほらぁ。そろそろ公務に戻ってくださいな。エリーなら、もう少ししたら一年次の修了を期に一時帰宅するらしいからぁ」

「な、なに!? それは本当かっ!? ど、どのくらい家にいるんだ? 一月か? 二月か?」

「何で単位がまず『月』なの……」


 結局、「三日くらいじゃないかしらぁ」という王妃の言葉に、「短ぁいっ!」という怒号と共に拳が机に打ち付けられ、その衝撃で三度みたび書類が床に舞い落ちていた。


   ◇ ◇ ◇


「ヒヒッ。ヒハッ、ヒハッ……」


 ぺたぺたと、底が薄っぺらい靴を履いた男が、昼間だというのに日の光が全く届かない薄暗い路地裏を歩く。

 酩酊状態なのか、はたまたクスリでも決め込んでいるのか。男は小さくひきつけのような笑い声を上げながら、ふらりふらふら、千鳥足で歩く。

 鼻面まで伸びた白髪混じりのボサボサの黒髪。その下に時折かいま見える両の眼は落ち窪んでいて、浮いた頬骨や手入れされていない汚ならしい無精髭と相まって、誰が見ても一目で男を『異常者』であると判断するだろう。

 しかし、そんな彼がこの場で浮いてるなどということはない。

 男がふらふらと歩いているのは、もとより正道から遠く外れた薄暗い路地裏。その細長い道には、アウトローな人物か、彼のような異常者しか居ないのだから。


「ああー、クッソ。ついてねえなぁ」

「はははっ! あの女、とりつく島もなかったもんな」

「笑ってんじゃねえ! ブッ飛ばすぞ!」

「おお、怖い怖い。ははは」

「クソが。クソッ。この俺が声を掛けたってのによぉ……」


 するとそこに、男が歩く路地の向かいから、二人の若者が歩いてくる。

 世界の中心は自分だとばかりに遠慮の無い下品で大きな声。一人は勢いのままに怒りを口にし、かたやもう一人はそんな相方の姿を笑う。

 一見して、ちぐはぐな二人。だが、だからこそ、彼らは二人で居られるのかもしれない。彼らのように我が強そうな人間に限って、自分と同じように我が強い人間を嫌うものだから。


 そんなうちに、ふらふらと足取り不確かに歩いていた男と、大きな声で身勝手な悪態をつく若者二人が、狭い道ですれ違うときがくる。

 だが、そんな彼らが互いに美しい道の譲り合いなどするわけもなく、


「うおっ」


 ドシンと肩と肩がぶつかり、お互いよろめきながら、交差する。当然だ。お互いに避けようなどという気は一ミリもなく、片や千鳥足の異常者、片や並列して歩く自分勝手なチンピラたちなのだから。


「ああっ。ご、ごご、ごめんね。ヒハッ、ヒハッ。ちょちょ、ちょっと、ぼーっとしてたよ……」


 にやついた不気味な笑みをぶつかった若者に向け、吃音混じりに素直に謝罪する男。

 そしてそのまま背を向けて去ろうとするも、


「おい、オッサン。ごめんじゃねえよ、ごめんじゃ。なめてんのか、テメエ、なあっ!?」


 一瞬で怒りを爆発させた若者が、男の肩を掴んでその歩みを止めると、どうしていきなりそんな結論に至ったのか、とにかく、怒りのままに恫喝する。


「ここ、こ、こりゃ、失敬。な、何か気に障るようなことを、してしまったかな? 謝るよ。ごご、ごめんね」


 力任せに肩を引かれて振り向かせられた男は、しかしその顔に怯えの色は浮かべず、相変わらず笑みのかたちに口角を吊り上げたまま、薄っぺらな謝罪を口にする。


「お、おい。やめとこうぜ。気味が悪ぃよ、このオッサン」


 二人いた若者のうち、先の会話でへらへらと笑っていた方が、青筋を額に浮かべる仲間に制止を呼び掛ける。

 言葉の通り、気味が悪かったのだ。恫喝されても、怯え一つ浮かべない男が。肩を掴まれ逃げられないというのに、今なお自分達のことを映していないように見える、男の両の瞳が。


「あぁっ!?」


 しかし、冷静な若者が制止を呼び掛けても、すでに頭に血が上りきってしまったらしい、もう一人のキレる若者は止まれない。


「なにビビってんだ、お前。そもそも、このおっさんが俺らに肩をぶつけてきたのが悪ぃんだろうが。こっちにゃ謝罪を要求する権利があんだよ」


 あまつさえ、そんなトンデモ理論すら展開する。謝罪ならば、もうすでに男は口にしているというのに。まあ、この場合の若者が要求している『謝罪』というものは、おそらく言葉による謝罪ではないのだろうが。


「ヒ、ヒハッ。そそ、そうか、そうかも。ぼ、ぼぼ、僕が悪かったのかも。ヒヒッ」

「チッ、なに笑ってんだよ、テメェ。……まあ、いい。わかったならよ、それ相応の対応ってのがあるよな、おっさん? わかってんだろ、大人なんだからよ」


 相変わらず怯えた様子の無い男に、若者は苛ついた表情を浮かべる。が、自分から「悪かった」と男が口にしたので、これは得たりと得意気な笑みを顔に張り付け、最終的な脅しに入る。

 ブロンドの髪に、一つ一つパーツとして見れば、整っていると言えるだろう顔。しかし醜悪な精神面が表に浮き彫りになっているのだろう泥沼のようなねばついた瞳が、若者の整った顔を根本から台無しにしていた。

 そんな顔をぐいと近付けられて、大人の対応を求められる男。しかし――


「わ、わ、悪いんだけど、お金は、なな、無いんだ。ヒハッ、ヒハッ。ほほ、本当に悪いと思ってるんだ。だだ、だ、だから、ゆ、許してくれないかな?」

「……はぁ? おいおい、マジかおっさんオイ! それじゃあこっちは納得できねぇよ! なぁっ!?」

「うっ!」


 長袖と革手袋に覆い隠された左手を肩の高さまで挙げて、ぷらぷらと振りながら「お金はない」と口にする男。

 当然そんなことを言えば、一度は怒りを収めたように見えた若者は、再びピキリと青筋を浮かべ、もう一度怒りの炎を燃え上がらせる。

 そして男の肩を掴んでいた手を胸ぐらへとシフトさせ、そのまま力任せにブンと振り回し、男を壁に押し付ける。その際、ここにきて初めて男から苦悶の声が漏れる。

 思い切り背中を壁に叩き付けられ、なおかつ胸ぐらを圧迫され満足に呼吸ができない男は、肺から空気が絞り出されたような声を上げ、たまらず「げほっ」と苦しそうに一度咳をする。

 そのとき、それまでぶらぶらと力なく垂れていた右腕が衝撃で揺れ、壁に打ち当たり、ガツンという無機質な音を立てた。


「あ? んん?」


 その音を耳聡く聞きつけた若者は眉を顰めて、ぺたぺたと男の右腕を触る。得体の知れない男の、得体の知れない右腕を、何の注意もせずに素手で触れる。なんとも不用心な行為だが、残念なことに、この場にそれを指摘する者は居なかった。

 まあ、居たとして、若者が聞き入れることなど無いであろうが。

 一頻り男の右腕をまさぐった若者は、その顔ににんまりと厭らしい笑みを浮かべ、ずっと傍観に徹していた相方の方に顔を向けると、


「おい、このおっさんの右腕、義手だぜ」


 と報告した。

 その報告を聞いた瞬間、それまではどちらかというと男を恐喝することに否定的に見える表情をしていた若者の相方も、目を輝かせて、


「マジかよっ! はははっ! 義手は高く売れるぞ!」


 と、喜色に溢れた笑みを浮かべ、途端に恐喝に対して肯定的になる。

 事実、それほどまでに義手というものは高価なものなのだ。自前の腕のように満足に動かすことなどできないブリキの玩具のような義手でも、小金貨数枚程度じゃ買えないような値段を示す。

 そして何より、仮令、その人用にオーダーメイドで作成されているとしても、解体バラして部品として売るだけで、一財産築けるほど高価で取引されるもの、それが義手や義足なのだ。


「いいじゃん、いいじゃん。その義手もらおうぜ。謝罪としてさ! はははっ!」


 そうとわかれば、不気味さなど気にならなくなるほど、その男は良い金蔓であった。

 さっきまで「止めようぜ」などと言っていたとはとてもじゃないが思えない調子の良さで、そんなことを笑いながら口にする。


「……ということだ、おっさん。はずすの手伝ってやるからよ、その義手くれねぇ?」


 仲間から太鼓判を押された若者は、我が意を得たりと何様なことを口にする。

 しかし、


「そそ、そ、それは困るなぁ。う、うん、困る」


 眉をハの字に歪めた男は、その取引に応じない。当然と言えば当然だが、


「……あ?」


 この状況では、それは悪手であっただろう。


「……おい、テメェ。今、何つった?」

「あ、ああ、ヒハッ。ここ、困るんだ、この腕が、な、な、無くなると。ま、また一から作り直しても、い、良いんだけど、片腕じゃあ、じ、じ、時間がかかるから……」

「ああ!? なーにブツブツ言ってんだよ、はっきり喋れやっ! 何のためにご立派な口が付いてるんだよ、おっさん!!」

「うっぐぅっ!?」


 ついに堪忍袋の緒が切れた若者の渾身のボディブローが、男の鳩尾を捉える。何の抵抗も受けなかった拳は見事に腹のど真ん中にめり込み、男はそのまま身体をくの字に折り曲げ、苦しげに呻く。

 若者がパッと掴んでいた胸ぐらを手放すと、男はそのまま壁を背に腹を押さえてずるずるとくずおれると、うずくまって激しく咳き込む。そして、


「ううっ、おえぇっ、げほ、うぇ……」


 堪えきれず、食道を逆流してきた胃の中身を、その場にぶちまけてしまう。

 汚ならしい水音を立てながら地に落ちた吐瀉物。至近距離でぶちまけられたその飛沫が、若者の立派な革靴に飛び散り、汚す。


「きっっ……たねぇなぁっ!! 何してくれてんだよ、クソジジイ!! ああっ、クソクソクソクソッ。きったねぇ!」

「がぁっ!」


 ブチッ、という血管がはち切れた音が空耳出来る表情を浮かべた若者。怒りをぶちまけながら、蹲る男のこめかみ目掛け、横凪ぎのトゥキックを繰り出す。

 何の抵抗も出来ずにその爪先を打ち込まれ、痛みに顔を歪めながら横倒しにされる男。


「クソッ。クソッ。ああ、最悪だよ……。殺す。コイツ、殺してやる」


 靴についた吐瀉物を男の服で拭うように、また胸の奥から止めどなく湧き出す怒りを発散させるように、青筋を浮かべた若者は何度も何度も横たわる男に蹴りを繰り出す。


「はは、ははは。いいじゃん、やっちゃえやっちゃえ。誰も見てねぇし、殺してから義手は回収しようぜ」


 相方はへらへらと笑いながら、穏やかでない野次を飛ばし、決して止めようなどとはしない。


 何度も何度も蹴られ、口の中を切ったのだろう、血混じりのよだれを咳とともに吐き出す男。このままでは、本当に殺されてしまうだろう。たかが、肩がぶつかった、などという理由で。

 しかしそのとき――


「おい。そこの悪党ども、やめないか」


 死にかけの彼に、救いの手が差し伸べられる。


「……ああ? んだよ。誰だ? テメェ」


 声のした方を振り返り、不機嫌な様子を隠そうともしないで、初めから喧嘩腰で返事をするキレる若者。

 そんな彼の視線の先に居たのは、煌めく白銀の鎧に身を包み、キリリと整った眉を義憤に吊り上げ、若者の顔をまっすぐ見返す青年が一人。

 すると、そのままその青年は若者からの問いかけを無視して、コツコツと鉄靴の音を鳴らして、蹴りが止んでから壁に手をついてよろよろと立ち上がったボロボロの男に歩み寄る。

 そして男と若者の間に立ち塞がると、


「『誰だ』、だと? ふん、たかがチンピラ風情に名乗る名など持ち合わせていないが……。あえて名乗るのならば、そう……『正義の味方』、というところだ」


 という長々しい名乗りを、鋭い眼光とともに若者に飛ばす。


「ああ? 正義の味方だぁ?」


 そんな名乗りをすれば、当然、若者たちの顔には嘲笑が浮かぶ。お互いの顔を見合って、プークスクスとバカにしきった笑い声を漏らす若者二人。

 しかしそんな彼らよりも、その名乗りに対して更に大きな反応を示す存在が、その場には居た。


「あ、ああ。せ、せせ、せ、『正義の味方』ぁ……?」


 それまで若者にぼこぼこになぶられていた、男である。

 伸びきった前髪の隙間から覗く瞳に希望の光を宿し、歓喜に震える唇でかろうじて言葉を紡ぐ。


「ああ、そうだ。僕は正義の味方だ。安心して良い。すぐにあのチンピラどもを追っ払ってみせよう」

「ああ……。ああ……。す、すす凄いぃ。や、や、やっぱり、正義は僕を見捨てないぃっ! い、いい、いつでもどこでも、ど、どんなときでも、やっぱり、せせ、正義は僕を護ってくれるんだぁ! ヒハッ! ヒハッ!」


 青年が安心させるために吐いたのだろう台詞に、男は目を輝かせ、大きな声で歌うように、はたまた狂った信仰者のように、希望を高らかに叫ぶ。

 突然の男の豹変。そんな彼の姿に呆気にとられたのは、それまで彼に絡んでいた若者たちだけではなく、助けに入った青年も同様であった。

 だが、どんな者でも、弱いものいじめの現場を見つければ助けるというもの。青年は頭に浮かんだ男に対する得体の知れない恐怖を追い出すと、腰に下げた剣の柄をわざとチャキリと音立てて掴み、若者たちを威嚇する。


「お、おい、まさか剣を抜くのか? 丸腰の俺ら相手に?」


 その脅しは効果覿面。それまでの勢いはどこへやら、若者たちは怖じ気づいて一歩後ずさる。


「さあ。こちらとしては、抜かせないでほしい、といった気持ちかな」


 ニヤリと笑い、最悪、剣を抜くことも辞さない、ということを、青年は暗に告げる。


「ああ、ああ、か、かっこいいなぁ。せ、せ、正義の味方っていうのは……。ヒ、ヒ、ヒーローだ。か、かか、かっこいいなぁ。憧れるなぁ……」


 そんな青年に護られながら、彼の後ろ姿を恍惚とした表情で見つめ、ぶつぶつと何事か呟き続ける男。

 しかし、ふと何かに気づいたように呟きを止めると、


「ああ、で、でも。ぼぼ、僕は今、お礼に差し上げられるものを、も、も、持っていないんです……」


 心底申し訳なさそうに、落ち着いたテンションでそう謝罪する。

 そんな言葉を受け取った青年は、しかしフンと鼻を鳴らし、振り返りもせずに、


「何を言う。僕は正義の名のもとに、あなたを助けるんだ。だから、、それで良い」


 当然だと、むしろ馬鹿にするなとばかりに、そう言ってのける。


「……あ、ああ。そそ、そ、そうか……」


 その言葉を聞いた男が、小さくそう呟いた瞬間。


「――っ!?」


 がしりと、青年の後頭部を、男の硬い右手が鷲掴みにする。


「……な、何のつもりだ?」

「じゃ、じゃあ、きき、君は――不合格だ」

「はっ?」


 不合格――そう男が告げた瞬間、男の右腕の義手からギュイイィという謎の機械音が鳴り響き、ギリギリと、青年の頭を掴む手に力が籠っていく。


「い……っ!? 痛い痛い痛い痛い痛いッッ!? ななな何をするんだッ!? やめろぉ! 手を離せッ!!」


 あまりの痛みに暴れまわり、手を離せと吠える青年。しかし手が離れるどころか、なおも籠められる力は増し続け、まるで万力のように青年の頭を締めあげる。


「ぎぃあああああっ!? やめろやめろやめろぉっ!! 潰れる! 頭が潰れるってぇ!! 手を離してくれッ! 頼むッ! ああああ離して下さいィッッ!!」


 そこまで言われても、男はにやついた表情を崩すことすらせずに、相変わらずの機械音と、袖口から漏れる白煙を義手から噴き上げながら、青年の頭をギリギリと締め付ける。


「な、何やってんだ、コイツ……!? ひ、ひぃっ!? お、おかしい……! おかしいってぇっ!!」

「は……? えっ?」


 そんな光景を間近で見ていた若者たちは、まさしく戦々恐々といった様子で、取り乱す。始終へらへらと笑っていた方の若者は、異常な光景に即座に尻尾を巻いて逃げ出した。途中何度か転びそうになるほどの慌てっぷりである。

 そしてもう一人の、異常者の男を何度も蹴り、傷を負わせた若者は、へなへなと腰を抜かしてその場に座り込んでしまう。


 おかしい。

 おかしいのだ。

 何故、この男は、助けに入ってくれた青年の頭を握りつぶさんとしている?

 何故、明確な敵である自分達には目もくれず、自分の味方をまず殺そうとする?


「あ……。なぁ……」


 意味を持たない音を吐息に混ぜて辛うじて発しながら、じんわりと、生暖かい液体で股間を濡らす若者。

 逃げ出せない。どころか、目が離せない。意味のわからない光景から。まるで、目を離す方が危険だと、頭が判断したかのように。


「ヒハッ、ヒハッ、ヒハッ! ひ、ひ、ヒーローは、みみ、見返りを求めないものだ。ぼ、『僕の無事ぃ』? ぎぎ、ぎ、偽善を吐くな。ヒハッ! ヒハッ!」

「いあぁああああッッ!! 何ッ、をッ!?」

「だ、だから君は、ひひ、ヒーローじゃない――き、きき、君は、不合格だ」

「あっ」


 そして訪れた終わりは、なんとも呆気の無いものだった。

 それまで騒いでいたのが嘘のように、小さな音が青年の口が漏れたのと同時に、遂に彼の頭蓋が圧力に耐えかね、潰れる。

 バチュンッ、という固い水風船が割れるかのような音で崩壊した青年の頭は、生暖かい赤や白や桃色を辺り一面にぶち撒ける。そして脳という司令官を失った胴体はガシャンと地に鎧を打ち付けて、力なく横たわる。その後、まるで来なくなった指令に慌てるかのように何度かビクビクと痙攣したが、やがてそれも収まり、物言わぬ肉の塊となる。


「……ああ、ああ、かか、悲しい。悲しいなぁ。ヒハッ、ヒハッ」


 足元に転がる自称正義の味方の死体を眺め、あろうことか「悲しい」と嘆く男。右手の革手袋から滴る血液や肉片を拭いもせずに、言葉と真逆に楽しげに口を歪める。


「あ……あ……」


 足腰への力の込め方を忘れたかのように、へたりこんだまま動けない若者は、涙と鼻水まみれのまま笑う男を眺め、震える。


 ――いったい、この男は何者なんだ。


 ――俺らは、いったい誰に喧嘩を売っていたんだ。


 ――俺らは、いったいから、金を巻き上げようとしていたんだ。


「だ、だ、駄目だなぁ。やっぱり、き、きき、君のような理想的なヒーローは、ど、どこにも居ないなぁ……?」


 だが、震えたまま一心に男を見続ける若者とは対照的に、男は若者には一瞥もくれず、虚空を眺めてぶつぶつとなにがしか呟き続ける。

 まるでそこに、彼の追い求める理想の人物が見えるかのように。


 やがて男は小さく頭を振ると、ぺたぺたと薄い靴底の音をならし、ふらりふらふら、歩き出す。まるで何も無かったかのように。足元に転がる生臭いゴミに見向きもしないまま。


「ああ、ああ、でもね、だ、大丈夫だよ。そそ、そろそろだ。そろそろ、準備が整うよ。む、む、迎えに行くよ。

 ぼ、僕は君の『相棒サイドキック』だ。きき、き、君の帰る場所を整えるくらい、わ、わ、ワケ無いさ」


 ふらりふらりと、踊るように。くるりくるりと、ステップを踏んで。


「――さ、さ、さぁ、返って来い。僕の『英雄ヒーロー』……! ヒハッ! ヒハッ!」


 笑って嗤って、その身を歓喜に震わせながら。

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