第25話 一発③

「おお、すげ。真正面から一発入れちまったぜ」


 呆れたような、感心するような、複雑な笑みを顔に浮かべて、ハロルドは障壁越しに倒れ伏すエリックとヘイゼルを見て感想を漏らす。


「当然ですな」


 ハロルドのそんな驚嘆の声に反応を示すのは、傍らで佇むエリックの従者兼護衛の、ロバート。


「ワルデガルド家は武家ですので、坊ちゃまも幼き頃より戦闘の素養を磨いてきました。中でも火属性魔術と家伝の剣術を組み合わせた戦術に対しての才能はすさまじく、神童の名をほしいままにしてきたのです」

「へえー。それに加えて頭の回転も速いんだな。今回の決闘だけでも、いくつ策を用意してたんだって話だよ」

「当然です。その才能に溺れず、驕らず、己を磨くことを怠ってこなかったエリック坊ちゃまです。そんな坊ちゃまが、半年かけて準備してきたこの一番勝負。どうして負けることなどありましょうか」


 自分の整えられた顎ひげを撫でながら、心底誇らしげに「はっはっは」と笑うロバート。

 だが、横から「へえー」とこれまた気のない返事をしているハロルドは知っている。

 決闘中、エリックが起こした行動にいちいち「ぬおっ」「そこですぞっ!」「ぐおお、しぶとい!」「今です!」「ぬおおおおおおっ!」と熱い実況を、隣のロバートが漏らしていたことを。

 しかしそのことをつつくような無粋な真似は、さすがのハロルドもしないのであった。




「があああ。くそおっ。真正面から一発貰っちまった。普通にくっそ悔しい!」


 仰向けに寝転がりながら、前髪を掻き上げつつ悔しげにうめき声を漏らすヘイゼル。そして足をぐっと持ち上げて勢いをつけて起き上がると、


「よお。起き上がれるか?」

「……なんとか」


 倒れたまま未だ息を荒げるエリックに声をかける。声をかけられたエリックは掠れた声で短くそう返事すると、ぐぐぐと膝に手をついて、よろめきながらもなんとか立ち上がる。


「おっと」

「す、すいません」

「ははっ。なんの、なんの」


 しかしやはり限界なのか、ぐらりと大きくよろめき倒れそうになったところを、ヘイぜルに受け止められる。


「……してやられたよ。決闘中にも言ったが、大したもんだ。このまま腐らずに研鑽を積めば、お前は将来化けるだろうな。それに加え、お前だったら絶対に腐りはしないだろうっていう安心感もある」

「はは。随分高評価ですね」

「事実さ。俺様は元冒険者の礼儀がなっちゃいない大人だからな。思ったことしか口にしない。俺に真正面から挑んで、一発確かに当てたんだ。誇らないと許さんぞ」


 支えている少年の頭をぺしんと軽くたたいて、はははと笑うヘイゼル。


「……真正面から、ではないですよ」


 しかし、掛け値なしの賛辞の言葉を贈られたはずのエリックは、少しだけ浮かない顔をして、答えた。


「最初は、本気で攻防の応酬の果てに一撃を入れることを考えました。しかし、他の生徒たちが挑んでいる姿を見て、自分がまともな戦闘の末に先生に勝つ姿を想像できなかったんです。……だから僕は、『生徒と教師』という立場を、最大限利用することにしたんです」


 ぽつぽつと、己の胸の内を吐き出すエリック。


「わざわざ先生から『攻撃はしない』という言質をとることで、完全に防御を捨て、攻撃に専念できるようにしました。何度先生の『チェックメイト』の動作を見ても、見て見ぬふりで決闘を続けました」


 思い出すのは、戦闘中に、胸をこつんと指先で叩かれたこと。通常の戦闘であれば、あのときに――いや、それ以前に、何度もヘイゼルには反撃の機会があった。


「先生が生徒を傷つけられないことを利用して、無茶な立ち回りだって、いくらでもしました」


 エリックは決闘中、ただの拳でヘイゼルのガントレットを殴り、意図的に自傷した。そうすれば、生徒が傷付くという事実に焦ったヘイゼルが拘束をほどくと思って。


「汚いとはわかっていました。正々堂々とは、とてもじゃないけれど言えないような戦術でした。……なので、少しだけ。ほんの少しだけ、僕は自分が恥ずかしいです」


 己の気持ちを吐露し、目を伏せるエリック。

 ヘイゼルからすれば、彼のその自己嫌悪は、不遜が過ぎるというものだった。

 生徒と教師。子供と大人。実力差など、あって当たり前。なればこそ、利用できるモノは何でも利用し、どんなに醜くても勝ちを取りに行く。貴族のお坊ちゃまや冒険者志望の子供たちに、早い段階からそういう戦術を学んでほしいからの、この課題であったのだ。

 だからこそ、「立場を利用した」。大いに結構という話である。


 しかしヘイゼルは、そのことをエリックに言うことはなかった。

 きっとこの利発な少年は、そのような細かなことは百も承知で、そしてその上で、正々堂々と勝ちたかったのだ。

 そこにはヘイゼルを下に見るような気持ちはなく、自分の実力に盲目的な自信があるわけでもない。事実彼は、挑む前から「勝てない」と判断したのだから。

 ならばきっと、彼が抱くその感情は、理屈じゃないのだろう。勝ちの目が無いからと逃げることは恥ではない。勝つために格上相手の裏をかくことも、もちろん恥ではない。「生きていれば勝ちだ」と、第三者であれば誰でも口にするだろう。

 しかしだからといって、本人がそのことを恥と感じないワケではない。


 だからこそ、ヘイゼルは慰める言葉を口にしなかった。

 エリックが抱いている恥は、自らを律する誇りによるものだ。そしてその誇りは、人が人たらんために無くてはならないものだ。その誇りを捨て、恥も外聞もない手段に溺れたとき、人は憐れな畜生へと成り下がるのだから。


「なあ、ひとつ訊いて良いか?」

「……なんですか」

「どうしてお前は、そこまでして俺に勝とうと思ったんだ?」


 こいつは強くなる。きっとこの少年は、その恥を力の糧へと昇華することが出来るだろう。ならば、慰めの言葉など不要だ。

 そう判断したヘイゼルは、笑みを浮かべ、単純な疑問を口にした。


 今回の決闘。正直に言えば、『らしくない』策がいくつもあった。そして単純に、そこまでするならば背後からの奇襲を仕掛けても良いのではないか、という疑問もあった。


 しかしその問いを投げ掛けられたエリックは、さも当然かのように、


「先生から一本とる方法を、誰もが『どうやって貴族の誇りを捨てるか』と考えている現状で、誰かが『捨てなくても勝てる』と示す必要があったのです。……結果的にいくらか、なりふり構わない形になってしまいましたが」


 そんな、実に『らしい』理由を口にするのだった。


「……それに、単純に、僕らをなめきっている先生に、目にものを見せたかったんですよ」


 ニヤリと笑みを浮かべて、そんな言葉を付け足しながら。


「ははっ」


 なんだ、と。やっぱりこいつは対する自分の認識は間違っていなかったじゃないか、と思ったヘイゼルから、堪えきれなかった笑いが溢れた。


 その瞬間、思い出したかのように、わっと沸いた生徒たちが、ヘイゼルとエリックのもとへと駆け寄ってくる。駆け寄りはしない者も、目を輝かせて暖かい拍手を送っている。


「そら、エリック! お前は合格だ。最高評価のその先がないことが悔やまれるぜ、俺様はな」

「わっ、とと」


 どんと背中を押して、集まってきた生徒たちに向けてエリックを放り出しながら、ヘイゼルはこの上ない賛辞の言葉を送る。

 支えを失ってよろめきながらつんのめるエリックを、駆け寄ってきた生徒の一人が受け止めると、「すげえよ、エリック!」と口々に彼を褒め称える。

 仲間たちから送られる言葉に、はにかんだ笑みを浮かべる彼の顔には、年相応な無邪気さが見てとれるのだった。




「ひえぇ。すごいなあ、エリッくん。ずば抜けてるね、実力が」


 駆け寄りはしないものの、ぱちぱちと拍手を送るクロエは、驚嘆の息を吐きながら、そんな感想を漏らした。

 ちなみに、「エリッくん」とは、「エリックくん」が言いにくかった彼女がいつの間にか縮めていた、彼女のみが使うエリックの呼称である。


 そしてそんな彼女の感想にコクコクと頷くエリザベスは、「よーし」と呟いて、いくらか人気の無くなった土人形の的にむかい、「【アクア・フレア】」と水の球を発現する。

 最終的には『魔術干渉』にてその場に留めようとしていた水球は、しかしすぐにその手を離れて、パシャンと仁王立ちした学園長型の土人形の肩を濡らす。


「ああ、ダメです。ううーん。クロエ、コツとかあるんでしょうか?」


 そしてそんな可愛らしい唸り声を上げる。

 そう、彼女もまた、未だ『魔術干渉』を会得していない生徒のうちの一人なのだった。


「え、わたし? いやいや、わたしもまだ留められるようになってないもんなあ」


 へへへと恥ずかしげに後ろ頭を掻くクロエも、その一人である。


「やっぱりコツだったら、出来る人とか、先生から訊いた方が良いんじゃない?」


 そしてそんな、至極当然な提案をする。

 それもそうだと、エリザベスは質問をすべく、ヘイゼル先生の方を見る。しかし未だわらわらと沸きに沸いている生徒たちに囲まれている彼に無粋な質問をしにいく勇気を、彼女は持ち合わせてはいなかった。


 はあ、とため息を溢したエリザベス。そんな彼女の視界の端に映り込んだのは、障壁の向こうで暇そうにあくびするハロルドと、真面目な顔でどこかを見ているヌレハの姿。

 ちなみにいつか知ったのだが、こういうときのヌレハは、『何も見てないしぼーっとしてるだけだけど、顔だけは真面目な振りをする』という彼女の得意技を使っているらしい。「唯一と言って良いほど体得したい技」だとハロルドは羨ましがっていた。


 そうか、とエリザベスは思い付く。障壁越しでも、声ならば届く。先生が忙しいならば、自分の護衛に訊ねればいいのだと。

 実のところ本当の実力を未だに知らない二人だが、少なくとも、自分よりも魔術が扱えないことはないだろう。

 そう考えたエリザベスは、隣で杖とにらみ合うクロエに「ちょっと訊いてきますね」と伝えると、暇そうな護衛二人に向かって歩き出した。


「……なんか、エリザベス様がこっち来るわよ」

「ん。マジだ。どうしたんだ?」


 目敏くそれを即座に発見したのはヌレハ。ぼうっと呆けているとはいっても、主の動向にはすぐに気付くあたり、やはりヌレハはハロルドよりはよっぽど護衛できていると言えるだろう。

 ヌレハはこちらに歩み寄るエリザベスの手に握られた学園指定の杖と、未だ興奮冷めやらぬ生徒に囲まれたヘイゼルをちらと見て、


「魔術について何か訊きたいのかもね。ほら、あの教師は今いそがしそうだし。最近上手くいってないって話は聞いていたしね」


 たったそれだけの情報で、即座にドンピシャと言い当てる。


「なーるほど。んじゃ、俺ぁパスで。魔術はよくわからん。殴った方が早いしな」

「まあ、あんたは常日頃から『魔術は苦手だウッホホホ』って言ってるものね。大丈夫よ。最初から期待してないわ」

「俺そんなゴリラ丸出しの語尾つけたことあったっけ!?」


 接近するエリザベスを尻目に、そんな気の抜けるやりとりを始める護衛二人。

 そしてそんな二人に笑みを浮かべて歩み寄るエリザベス。

 そこにあるのは、いつも通りの光景。何度も何度も彼らの間で繰り返された、日常の風景。

 だからこそ――


「エリーッ! 危ないッ!!」


 彼らはその危機の接近に、気付くのが遅れたのだろう。

 響くクロエの悲痛な叫び。驚いたエリザベスが振り向くと、視界一杯に映る、迫る巨大な火の玉。


「えっ?」


 真っ赤な光に照らされた王女の口から漏れたのは、そんな場にそぐわない、呆けたような声だった。




 何故、彼女に危機が迫っているのか。

 その原因は、数十秒前に遡る。

 エリザベスが自らの護衛たちの方へと歩き出したこら、相も変わらずエリックと共に生徒たちから揉みくちゃにされていたヘイゼルが、やっとのことで解放される。

 額の汗を拭ってふうと息を吐くと、相変わらず労われ続けるエリックを見て、満足そうに微笑む。

 そしてそんな彼を見た生徒の一人が、思ったのだ。いまの先生、隙だらけじゃないか、と。


 考えたら即行動。適当そうに見えてかなり警戒心の強いヘイゼル先生がここまで油断していることなど、半年間見てきて一度もなかった。この機会を無駄にしてはいけない。絶対に、無駄にしていけない。

 そう思った彼だからこそ――


「【イグニス・テトラフレア】!!」


 よりによって、全力全開。彼の保有魔力で、そして使用している学園指定の杖で発現可能な最高位魔術、第四階級の火属性【コード】にて、彼を討ち取ろうとする。

 言霊によって起動した魔術回路が、巨大な火の玉を発現する。流石に軌道上に他の生徒が居ないことはしっかり確認して放ったものの、その火の玉が発する炎熱によって、直線軌道付近にいた生徒は小さな悲鳴をあげたり、酷いものは尻餅をついたりしている。

 密集地帯で、関係のないものにも牙を剥きかねない大魔術の使用。最低限の配慮はしたとはいえ、その判断はとても誉められるものではなかった。

 とはいえ、火の玉を放った生徒は、所詮は良いところの坊ちゃん。その戦場に適した判断を瞬時に下せ、というのも、酷な話であろう。


 そこまでして、なりふり構わず放たれた魔術も、


「うおおっ!? 誰だあ! 無粋にも程があるだろ!」


 油断していたヘイゼルを驚かせはしたものの、彼には届かない。

 いつも通り、反射的に魔力の障壁を生成すると、火の玉の弾道を逸らし、魔術を放った生徒を睨む。そのときも、流石は元ベテラン冒険者、先に把握していた、人がいない場所に向かって逸らすことも、もちろん忘れない。

 そう、彼の判断では、そこに人は居なかったはずなのだ。

 逸らされた火の玉はそのまま直進し、演習場を囲う障壁に当たり、消滅。それこそが彼の思い描いていた筋書き。事実、イレギュラーさえ居なければ、そうなっていたのだろう。


 だが――


「エリーッ! 危ないッ!!」


 つい今さっき、ふらふらとその場へと歩いてきていた王女の存在に、彼は気付いていなかったのだ。気付いてさえいれば、弾道を逸らすなどしち面倒なことはせず、おとなしく真っ向から防いで消滅させていた。


「しまっ――!」


 さらに最悪なことに、完全に安全だと思い込んでいたヘイゼルは、火の玉が向かう先にエリザベスが居るということに気付くのが遅れてしまった。気付けたのは、遠くから眺めていたクロエが叫んだから。

 その遅れはたったコンマ数秒だったが、この場合では致命的であった。障壁のような設置型の魔術は、設置する座標を詳細に把握・指定する必要があり、もう離れていってしまった火の玉とエリザベスの間に、それを防げるほど強固な障壁を築くのは難しい。つまり早い話が、今からでは間に合わないのだ。


 誰ともなしに悲鳴を上げ、目を塞ぐ。

 このような危機に何の力も持たない生徒たちに出来たことは、それくらいであった。


「くっ!」


 そんななかで、最も早く行動に移ったのは、障壁越しに事態に気付いたヌレハだった。

 火の玉に気が付いたエリザベスの動揺を読み取ったシルバーリングから、ヌレハの頭にガンガンと警報アラートが送られる。

 それに対して、見りゃわかるわよっ! と心のなかで悪態をついたヌレハの背後に、青黒いモヤが素早く収束していく。


 だが、ヌレハが魔術を発現するより一歩早く、隣にいたハロルドが一歩を踏み出す。そして、バサァと翻されたマントの端がひとりでに目にも留まらぬ速さで蠢くと、まるでゼリーでも切り裂くかのように、目の前の障壁に十字の切れ込みを入れる。

 マントが刃の形をとり、障壁を切り裂く、という不可思議なことが起こったわけだが、今この場に、その素早い変形・動作を目で追えた者がどれだけ居たのだろうか。


「ハル……!」

「おう、任せとけ」


 焦った様子のヌレハに短い言葉で答えたハロルドは、右手を拳に握り、ぐっと振りかぶると、十字に入った切れ込みのその中心に向けて、思いきり拳を叩き込む。

 バキャアン、という分厚いガラスをぶち破ったような音を轟かせ、バラバラと散らばったそばから魔力へと還元され、霧散する障壁の欠片。実は科学者たちのすいをかき集め造られた、かなりの強度を誇る障壁をその拳でぶち破ったハロルドは、しかし破れて当たり前という顔で少しの動揺も見せずに即座に地を蹴ると、エリザベスのもとに駆けつける。


 そして、そのまま抱えて安全圏まで運ぼうとしたところで、思いとどまる。

 盗賊が半日の間休みなく歩き続けた距離を、一時間足らずで踏破する脚力をもつハロルド。そんな彼の速力でぶつかれば、慣性に耐えきれないだろうエリザベスの身体は良くて脱臼、悪くてポックリ逝ってしまいかねない。

 そしてさらに最悪なことに、一度速度を落として彼女を抱えて再加速、などという気遣いをする時間は残されていないことが、もう間近に迫る火の玉を見てわかった。

 なので、


「南無三っ!」

「きゃっ!?」


 急ブレーキをかけながら、呆然とするエリザベスと迫る火の玉の間に体を滑り込ませると、そのまま王女を抱き締め、自分の身体で覆い隠す。


「は、ハロルドさ――!?」


 そして、着弾。

 地を揺らすような爆音と、身を焦がすような熱風を放ちながら、巨大な火の玉は二人の姿を真っ赤な光で包み込んだ。

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