第23話 一発①

 入学から半年が過ぎ、寒い冬も乗り越え、草木が若葉をつけ始める季節となった。

 この半年間、ハロルドも彼なりに真面目に護衛職を全うし、ヌレハは特に変わらず、そしてニコルの検証に怪しまれることもなく、極々平穏無事に日々を過ごしていた。

 ちなみにその間、エリザベス一行が王都に帰省することは一度もなく、王城では時折しぼんだような王様の姿が見受けられたらしい。


 そのなかでも、一番変わったことと言えば――


「ねえ、エリー。ヘイゼル先生から一本とれそう?」

「うーん、駄目ですね。まだ通用するような作戦は思い浮かびません」

「だよねえー。あの人、隙無さすぎ」


 エリザベスが、クラスのなかに溶け込めたことだろうか。


 初めてまともに会話した、護衛をつけない下級貴族のクロエから始まり、あとは芋づる式に増えた友達のおかげで、いつの間にか彼女はクラスの人気者へとなっていた。

 このあたりは、流石は王族の血だな、と思ったのは、ハロルドの胸のなかのみの秘密である。

 しかしやはり初めての友達というのは特別なものなのか、たくさんの友達ができたエリザベスも、一番共に過ごす時間が長いのは、ダントツでクロエである。

 初めは「エリザベス様」と仰々しい呼び名で態度にも固いものがあったクロエだが、接するにつれてエリザベスの人柄を知り、いつの間にか「エリー」と呼び捨てタメ語で話すほどの仲へと進展した。

 現在も、ヘイゼルの授業のために演習場へと向かいながら、未だに一発も当てられず、合格することができていない彼の試験のために、二人でむむむと唸っているところである。


「ねえ、ヌレハさん。何か作戦ある?」

「私? ……色仕掛けでもしてみたら? エリザベス様じゃなければ、私は止めないわよ」

「それは無しだよー。もう、ヌレハさん、訊いたら色仕掛け一辺倒なんだもん」


 エリザベスと仲が良ければ、彼女の護衛と関わる頻度も自然と増えるというもの。クロエはもはや敬語を使わずにヌレハに話しかけられるほど、彼女らに近しい存在になっていた。


「でもねえ」


 口を尖らせてぶーぶーと文句を垂れるクロエに微笑ましそうな顔を向けながらも、ヌレハは、


「あの教師には、一番効く作戦が間違いなく色仕掛けよ」


 と、確信を持って言う。

 事実、現在ヘイゼルの試験をパスした生徒の8割は女子生徒だと聞く。女の子にすり寄られて一瞬も油断しない男など、この世にそうそう居はしない。そこを突けさえすればイッパツなので、最初は恥からか真正面から一撃いれようとしていた女生徒たちも、最終的に色仕掛けという作戦へとシフトしている。

 男たちは、汚い、女子は汚い、と歯噛みするだけである。


「それは確かに、見てたらわかるけど……。でも、女の子は、好きでもない男の人にぺたぺた触るべきじゃないもん」

「そうですよ。授業の評価のためだとはいえ、そこは曲げてはいけないと思いますよ、ヌレハ様」

「ああ、はいはい。私が悪かったわよ」


 甘酸っぱく青臭いそんなプラトニック理論により、折れるヌレハ。

 それにより、話は一区切りを迎え、その後一瞬、沈黙が流れる。

 だが、すぐに――


「ハロルド様は、何か作戦がおありですか?」

「え?」


 三人の女性の横をアホ面晒して歩いていたハロルドに、話題が飛ぶ。

 試験の話なのかガールズトークなのかわからないような会話を始めた彼女らから、完全に意識をそらしていたハロルド。何を訊かれたのかわからず、


「ああ、まあ。とりあえず良い感じにやれば、良い感じの結果になるんじゃね?」


 適当な返事をして、あくびをひとつ。

 誤解してほしくはないことは、彼なりには、真面目に仕事をしているつもりなのである。


「……話を聞いてなかったみたいね」


 ヌレハの呆れきった冷たい目。常人であれば背筋にゾクゾクとした悪寒が走りかねないような目線だが、ハロルドが気に留める様子はない。この目で見られることに慣れすぎたのだ。


「うっ」


 しかしそんな彼も、突然脇腹を殴られれば、そんな声も出る。

 何だと訝しげに顰めた顔で見れば、頬を膨らますクロエの姿。


「……なんだよ?」

「話くらい聞いててよ!」

「うっせ。あんまり男にぺたぺた触るもんじゃねえんだろ? ほれ、あっち行け」

「そこは聞いてたのかよ! 馬鹿ハロルド!」

「うっ」


 2発目の脇腹ブローののち、てててーとエリザベスに隠れる位置まで走り行くと、べえと舌を出して挑発するクロエ。

 このクソ餓鬼ゃ、と思うものの、エリザベスに苦笑混じりに「まあまあ」と諌めるような顔を向けられれば、何も言えなくなってしまうのだった。


 慕われている、というよりも、なめられている、と言った方が正しいようなクロエからの態度だが、エリザベス曰く、「クロエはずっと『お兄ちゃん』という存在に憧れていたみたいなんです。だからか、あまり歳が離れていないけど、でも確かに年上のハロルド様に、ついつい甘えたくなっちゃうのかもしれないですね」とのこと。

 なるほどね、と納得したハロルド。その後日に、「勝手に兄代わりにするなよ」と正面切って言い、クロエを泣かした過去を持つ。エリックとヌレハと、なんとエリザベスからも殴られた。

 しかしそのことによってクロエが落ち着くことはなく、相変わらずハロルド相手には好き勝手に接してくる。最初こそ、子供だなあ、と思っていたハロルドだが、所詮相手は14、15の女の子。エリザベスやエリックなどが出来すぎているだけなのであって、その歳の子なんてこんなもんか、と納得したものである。


 しかし最初はクロエを鬱陶しく感じていたハロルドも、慣れてくれば、またずっと関わっていれば変わってくるというもので。いつの間にか、妹までとは言わずとも、妹分程度には可愛く感じている現状であった。


 クロエは素朴な女の子である。

 色素の薄いセミロングの茶髪を肩に垂らし、クリクリとした、これまた色素の薄い茶色の瞳が特徴の、10人居れば7人くらいは可愛いと言うような容姿をもつ。

 しかし、彼女が笑うとき、ニッとつり上がった唇から覗く歯の矯正器具がこれまた絶妙に彼女の素朴さに拍車をかけ、『可愛さ』ではなく『可愛らしさ』では百点満点な、そんな女の子である。

 ハロルドも髪の色はくすんだ茶色なので、小柄なクロエと並ぶと、まあ兄妹に見えなくもない。少々生意気でうるさいものの、それもまた可愛さの一つかなあと思い始めていた。


 そんな雑談をしているうちに、演習場へと辿り着く。結局作戦らしい作戦を思い付く前に雑談へと興じてしまったことに気づいたのだろう。ヘイゼルの顔を見たエリザベスとクロエは、二人して「あっ」と漏らしていた。




「最近お前ら、普通の【コード】はなんの問題もなく発現出来るようになったみたいだからな。今日は、【コード】の多重発現を教えようと思う」


 と、学校指定の杖を握ったヘイゼルが、先んじて授業の計画を話す。


「【イグニス・フレア】。これが単発な」


 手短な詠唱で発動した小さな火球が、上空へ向けた杖の先端に発現する。発現した火球はすぐに発射されずに、生徒たちに分かりやすいよう、その場に留まる。

 これは先の授業で習った、『時間差射出』、もしくは広義に『魔術干渉』という一つの技術である。魔術発動から発射までの過程全てが回路に組み込まれている【コード】だが、その発射の直前、回路に自分の意識を割り込ませることで、魔術の構成以降の支配権を乗っとる、という技術らしい。それにより、すぐに発射されるはずの魔術を手元に長時間キープしたり、


「もいっちょ、【イグニス・フレア】。ほれ、これで二つだ」


 その間にもう一つ【コード】を発動、そしてそれもキープ。これにより、手元に【コード】が二つ発現したことになる。

 物凄く簡単そうにやってみせたヘイゼル。実際、「な、簡単だろ?」という顔をしてみせるが、甘く見ることなかれ。『時間差射出』すら、タイミングやイメージがかなりシビアに問われる技術であり、現に、貴族クラスの面々で『時間差射出』が出来る者など、手の指で数えられるほどしかいない。

 そしてそれはつまり、それすら出来ていない生徒は、今回の『多重発現』などもっての他、ということに繋がる。


「俺、まだ留めるのすら出来てないですよ!」


 そんな抗議の声とともに飛んで来た土塊を、浮かべていた火球の一つで飄々と相殺しながら、


「まあ、だから、出来るやつは多重発現も挑戦してみてな、ってことで」


 そう言うと、毎度恒例、土人形をいくつか作り出し、各自訓練の時間とした。




「ヘイゼル先生。今、お時間よろしいですか?」

「ん? ああ、エリックか。どうした?」

「奇襲による一撃を当てるのは、自分的に性に合いません。なので、決闘を申し込もうかと」


 その各自の訓練時間の合間。もちろんこの間もヘイゼルにいくつか魔術が飛んで来たりもしているのだが、それをあくび混じりに退けるヘイゼルのもとに向かったエリックが、事も無げにそう言ってのける。


「決闘ぉー? あのなあ、そう言うのは奇襲でも一撃当てられるようになってから……って、お前が俺に魔術を向けたこと、まだ無かったか」


 呆れた表情を浮かべたヘイゼルが記憶を探るも、入学から半年経っても未だ一度もエリックが魔術を自分に向けて放ったことがないことに思い至り、むむと眉根を寄せる。


「いや、まあいいや。でも取り合えず、授業のときはそのときの課題に取り組んでほしいかな。ほら、今日なら多重発現とか」

「なるほど。【イグニス・フレア】、【イグニス・フレア】、【イグニス・フレア】。……これでいいですか?」

「……はいはい。何も文句ないよ。ったく」


 平然と【コード】の多重発現、それもヘイゼルが先に示したよりも一つ多い三重もの発現を平然とやってのけたエリックに、ヘイゼルもそれ以上やいやい言うのを諦める。

 出来ているのなら、今日の授業目的は達しているのだ。その間、一年通した課題のために教師を頼ってきたと考えれば、何の問題もない。


「んじゃ、決闘、ね」


 やれやれとばかりにそう呟いたヘイゼルの顔には、口にはしないものの、「アホくさ」という気持ちがありありと浮かんでいた。


「どれくらい離れれば良い?」

「この辺ではみんなの邪魔になるので、もう少し向こうで。距離はそうですね……十歩分ほどが妥当だと思います」

「ういうい。了解」


 あれよあれよと言う間に、教師と生徒が向かい合う決闘の場が出来上がる。魔術の練習をしつつ、ちらちらと横目で彼らを盗み見る他の生徒たちを見れば、どうやら距離をとったからと他の生徒の邪魔にならないということはなかったらしい。

 話の通り、十歩分ほど離れた距離で向かい合う二人。

 エリックは挨拶としてぺこりとお辞儀をすると、腰に下げていた長剣を抜き、構える。

 どうやら、普段は剣など持ち歩いていないエリックが、何故か今日に限って朝から帯剣していたのは、ヘイゼルに決闘を申し込むつもりが満々だったからのようである。

 密かに「なんであいつ剣もってんだ?」と思っていたハロルドは、エリックのその姿を見て納得の表情を浮かべていた。


 もしもこの場にニコルでも居れば、エリックがその手に握り構えている、煌めく細身の長剣を見て、「業物ですね」とでも解説してくれたかもしれない。

 しかし、残念ながら本日この場に彼女は居ず、


「え、剣使うの?」


 そのことに大して最も大きな反応を示したのは、その真正面にてエリックを見据えるヘイゼルであった。おまけに彼が口にした感想は剣そのものに対してではなく、剣を使うことに対してであった。

 何故、彼は剣を使うことに驚いたのか。それは――


「別に使うなとか言う気はねえけど、一応授業が『基礎魔術演習』だからな。課題を出したときも、『魔術による一撃』って明言したし。だから、剣技で一撃もらっても課題達成とは素直に言えないぞ?」


 ということである。

 エリックはそんなヘイゼルの言葉に、


「なるほど」


 と素直に頷く。しかし彼が剣を鞘にしまうことはなく、むしろ剣を見て不敵な笑みを微かに浮かべると、その刀身の根元に左手の指を置くと、


「ですが、」


 そのまま刃の腹に沿って、切っ先へと指を滑らせていく。

 すると、指が通るやいなや、その刃に炎がまとわりつき、


「こうすれば、魔術に分類してくださってもいいのではないですか?」


 そう言ったエリックが再び構えた剣は、煌々と輝く火炎を纏った、炎の剣となっていた。


「……【付加エンチャント】の魔術か。ったく。末恐ろしい坊っちゃんだよ、お前は」


 苦笑いを浮かべたヘイゼルは、少しだけ驚いたようで、軽い悪態をついた。


 ただの武器に対して魔術的攻撃力を付加する魔術、【付加エンチャント】。魔術を補助的に使用する戦士が好んで使う魔術系統ではあるが、その実、高い魔術制御と維持、そして激しい動きの最中で絶えず変わらぬ量の魔力を供給し続けるという高等技術を必要とし、おまけに手元で発現させるが故に、魔術制御を怠った際の暴発の危険性が極めて高い諸刃の剣でもある。

 おまけに、火と雷程度しか付加する価値のある属性は無く、自然と属性の適正という問題も浮上してくる。

 しかし、そのようなデメリットをかんがみても、どうしても癖がつきがちな剣技に魔術的な攻撃力も加えることで、多様性や受けにくさを加えられるメリットは余りある。そしてなにより、構えた刃から炎や雷を迸らせる姿は、敵の戦意を殺ぎ、自らの心を高ぶらせる。

 故に、この魔術を一つのロマンとして使いこなそうと躍起になる剣士も多く、そして魔力を暴発させて怪我をする者が後を絶たないのだった。


 未だ学園一年生、それも戦闘を主としない貴族クラスにありながら、平然とそんな魔術を使いこなすエリック。まさしく、ヘイゼルの言うとおり、末恐ろしい坊っちゃんであった。


「お褒めに預かり、光栄です」


 不敵な笑みのまま、挑発ともとれる礼を淡々と述べたエリックは、


「もし危ういと感じたら、反撃をしても構いませんので」


 と、おそらく防御と回避に徹するであろうヘイゼルに対し、自分に攻撃しても構わないことを伝える。

 しかし当のヘイゼルは、そんな彼の言葉に「はっ!」と馬鹿にしたような笑みを作ると、


「アホ言え。生徒相手に攻撃魔術なんか使うかよ。そもそも、俺様が危うくなることなんて、奇跡が起きなきゃあり得ねえな。……それこそ、俺がもし反射的に攻撃しちまったら、そっちの勝ちで良い。そんくらいのハンデは当然だ」


 自信満々に、そう言い切る。

 大胆不敵な彼の態度は、エリックを完全なる格下、つまり子供と見ての態度であるが、それは彼の実力が確かな裏付けをしている事実であり、生徒程度が真正面から向かってきたところで、危ういと感じさせることすら出来ないとわかっているからこそ、彼は課題提示の際に「どんな奇襲でも」と言ったのだ。


 完全に見下されたエリック。しかし彼の表情に怒りが浮かぶことはなく、それどころか、浮かべていた不敵な笑みをより一層濃くすると、


「言質は、とりましたからね」

「あ?」


 ボソリと、そう呟く。

 その言葉はヘイゼルのもとへと届くことはなかったらしく、しかしエリックが何か呟いたことには気付いたヘイゼルは、眉を顰めて問い質す。


「いえ、なんでもありません」


 エリックがその彼の問いに改めて言葉を言い直すことはなく、頭をゆるゆると振って手短にそう答えると、熱によって周囲の景色を歪ませる剣をより強く握りこみ、


「では、参ります!」


 気合い一発、強く踏み込んだ。

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