第21話 楽しい一日②

 平たい岩に腰掛けながら、大口開けてあくびをするハロルド。すでに日は傾いており、森のなかは薄暗いを通り越してとっくに暗くなっている。

 小さく「どっこいしょ」とオヤジ臭い掛け声を口から漏らしながら立ち上がると、側に置いていた背負い籠を掴み、中身を溢さないように、背負う。

 中には無造作に放り込まれた緑色の草が大量に敷き詰められており、大抵のものが茎半ばから切断され、採取されている。「植物の採取のとき、葉があれば十分である場合は、絶対に根から抜くな。そうすれば、またその植物は葉をつける」という常識に基づいた行動であった。

 その常識を知らなかった冒険初心者のころのハロルドは、薬草一つとっても根元からぶちりと引っこ抜き、そのころ冒険者のいろはを教えてくれたドリフターの爺さんにこっぴどく叱られたという過去を持つ。それはそれは、数時間にわたり、こっぴどくである。


 緑色が敷き詰められた籠を背負ったハロルドは、次に、腰掛けていた岩からほど遠くない位置にある大木、その丈夫な枝にロープで吊るされていた鹿の死体に近づく。

 二本の後肢をまとめて縛る形で吊るされた鹿の死体の下には、動脈を切るために深々とつけられた首の切り傷から流れた血液により、夥しい血だまりが出来ていた。

 この血抜き作業も、これまた昔にドリフターの爺さんに教えてもらった冒険者のいろはの一つである。最初のころは溢れる血にいちいち「げげぇ」と酸っぱい顔をしていたハロルドだが、いつの間にか、特に何の感情も抱かなくなっていた。慣れって恐ろしい、と思ったものだ。


 その鹿を吊るしているロープの後肢付近をハロルドが掴むと、ヒュッと素早く薙いだ黒い影が、ロープを半ばから綺麗に切断する。素早く手に力を込めて鹿の落下を防ぐと、そのままどっこいしょとサンタクロースのように肩に担ぎ、余ったロープを手に巻き付けて、掴みやすく安定させる。背中のマントが鹿の首からなお垂れる血で汚れるが、本人が気にした様子はない。


 そこでもう一度あくびをしたハロルドは、周囲をちらと見遣る。彼の周囲には、鹿の血の匂いにつられて来たのだろう、野犬や、野犬が魔物化――通称、転魔――した『ハウンド』の死体がそこかしこに転がっていた。

 依頼書に書いてあった依頼品一覧には、「食べられる動物:適当量」という大雑把な品目が書いてあった。ハロルドからしたら、その気になれば大抵の動物が食えるだろう、と思う。なのでその辺の野犬も食えると言えば食えるので、持ち帰ろうかなあとしばし悩む。

 だが、結論としては、手が埋まるし、面倒くさい、という感情に帰結し、野犬やハウンドの死体は放っておいて、帰ることにした。

 必要以上の休憩はとっていたが、ハロルドが一日かけて採取した食料品も、20人もの人で消費すれば、一日もかけずに無くなるだろう。


「割に合わねえー」


 そのことを考えたハロルドの、帰り道のそんな愚痴に返ってきた返事は、「ホーウ」というフクロウの鳴き声だった。


   ◇ ◇ ◇


「はい、確かに。報酬の一万リルがこちらですね」


 依頼達成報告に訪れたギルドで、依頼品を納めてから報酬の金を受け取る。

 ここで思い至ったことは、どうせ自分たちが使っている学生寮で消費する食品だし、このままハロルドが持ち帰った方が、手間としては少なくて済むのでは、ということであった。

 だが、さすがにハロルドとはいえ冒険者の端くれ。「依頼人もうちにいるし、うちで使う食品だから、俺が持ち帰っていい?」と訊いたところで、そうは問屋が卸さないことなど重々承知である。依頼人以外の者が依頼品を受け取る場合は、『受け取り代理人証明』なるこれまた面倒な手続きが必要になり、どっちにしろ、今すぐに手続きを行うことなど不可能である。

 つまりは、あのシルヴィアなるメイドは、依頼品をわざわざ受け取りに行く、という二度手間をかけてまで、ハロルドのことを同僚扱いしたくなかったということになる。

 なんでここまで嫌われてんのかねえ、と受け取った一万リルもの貨幣を弄びながら、朝よりもはるかに賑わう食事処に向かうと、


「お疲れー。思ったより時間かかったねえ」


 やはり、そこには夜猫が居た。


「結構サボってたからな」

「日向ぼっことかしてたもんねえ」

「なんだ、知ってんのかよ」


 何故か、ずっとギルドに居たはずなのに、ハロルドの森での行動を把握している夜猫。どういう手段で仕入れているのかはハロルドには不明だが、夜猫は『情報屋』を開業できる程度には、あらゆる情報をすばやく仕入れている。本人も否定しているが、ヌレハが持っている【千里眼】では説明できないほどには、あらゆるジャンルの、確実な情報を、素早く手広く仕入れているのである。

 だがそんな疑問など些末だと思えてしまうほどには、情報の信用度は高く、本人の性格ゆえか金さえ払えば羽振りもいいため、彼女の存在はあらゆる場所で重宝がられている。


「お腹減ってるっしょ? なんか食べてく?」

「ああー。どうしようかな……」

『帰ってきなさい』

「帰るわ」

「お、嫁からの帰還命令かな?」

「あんな鬼嫁は勘弁してくれ」


 いつから監視していたのか、ギルドで食事を済まそうかどうか考えたハロルドに突然届く、【コール】によるヌレハの声。大人しくその声に従うハロルドを、夜猫はにやにやと笑みを浮かべながらからかうが、ハロルドは苦笑交じりに「勘弁」と伝えるのだった。

 そんなハロルドの答えに、「確かに」と呟いて同意を示す夜猫を尻目に、こちらも【コール】にて『了解』と返答するハロルド。そうしてから、


「とりあえず、金が手に入ったから、朝に借りた金返すわ」


 と、夜猫のもとを訪ねた本題のために、貰ったばかりの貨幣から、小さな銀貨を5枚、合計金額5千リルという、いささか多すぎる金額を彼女に差し出す。

 しかし、


「ああ、いいよいいよ。別に返さなくて」

「あ? ……どうした? 路地裏に生えてたキノコでも食ったか? 興味本位で知らないモノを口に入れるなとあれほど……」

「にゃはは! 酷いなあ!」


 別に返さなくてもいい、と差し出された金を突き返す、金にがめついはずの夜猫。そんな彼女に「本気で気味が悪い」とばかりに驚愕の表情を浮かべ、鳥肌を抑えるため腕をさすりながら、彼女の体調を心配するハロルド。あんまりな彼の評価だが、下された夜猫は快活に笑ったのち、


「いやさ、お金では、返さなくていいよ。その代わり、私じゃ仕入れられない情報をハルに仕入れてきてほしいんだ」


 と、彼女らしいと納得できる交換条件を提示する。


「お前に仕入れられない情報を、俺が手に入れられるとは思えねえけど……。ちなみに、何の情報が欲しいのよ?」

「いやいや、私は、ハルが可能性としては一番高いと思うワケよ。だって、仕入れてほしい情報はね……」


 そこまで言うと、すすす、とハロルドの傍まで寄って、耳に口を近づけ、


「エリザベス第二王女殿下のスリーサイズ」


 と、とんでもない要求を密話でする。


「――っ!? ばっかじゃねえの!? 俺は男の子だぞ! 訊けるワケないだろ!」

「もう『男の子』って歳じゃないでしょ……」

「そこじゃない! 気にするのそこじゃない!」


 声を大に抗議するハロルド。幸いにも、賑わう食事処ではそこまで彼の声は通らず、せめて周囲のテーブルに居た者が何事か目を向けてくる程度であった。それも、すぐに興味を失って各々の会話に戻っていく。


「ええー。ハルならいけるって! こう、王女様をうまく篭絡して、ベッドに連れ込んで、そのまま、こう……」

「お前は俺に何をさせようとしてるんだ!?」

「にゃはは! まあそれは冗談として、とりあえず訊くだけ訊いてみてよ。駄目だったらお金で返してくれればいいし!」


 手段は冗談としても、スリーサイズを訊くことは冗談ではないんですね、という意味を込めて、ハロルドは頭を垂れて深く深くため息を吐く。

 やっぱり、夜猫に借りを作ると碌なことにならない。

 今回の場合は、情報云々が問題なのではなくて、単純に王女のスリーサイズを知ろうと画策するハロルドを見て楽しみたいのだろう。それは、「最終的に駄目だったらお金で良い」という彼女のセリフが証明していた。

 そして、もう一つ厄介なことに、こういう場合の夜猫は絶対に折れない。本気でハロルドがやるまで、しつこくしつこく言い続ける。最終的にはどんな手を使ってでも遂行させようとしてくる。ただただ、たちが悪いのだ。


「………………わかった」

「お、さっすがあ! にゃはは! 楽しみにしてるよーん!」


 だから、「仕方がない。訊くのはタダだ。失うものは何もない」という諦めの境地に至ったハロルドは、不承不承と承諾する。失うものはない、とは言っても、もちろん色々と目に見えないナニカを失うことにはなるのだが、もう仕方ないため、そう思い込んで諦めるほかないのだ。

 悪いのは、こうなることがわかっていたくせに、夜猫に借りを作った自分だ。

 ハロルドはこうして、自分の中の夜猫に対する認識を改めたのだった。


   ◇ ◇ ◇


 スリーサイズを訊くため、どうせ恥をかくなら成功させ、夜猫の鼻を明かしたいハロルドは、帰りながら作戦を練る。


 作戦その1、エリザベスを篭絡してベッドに連れ込んで……。これは論外。

 作戦その2、普通に「王女様のスリーサイズってどうなん?」と訊く。冗談っぽく言えば何とか体裁を保てるかもしれない。保留。

 作戦その3、思わず唖然となるような異常な動きによってエリザベスに我を忘れさせて、その隙にスリーサイズを訊く。これは完璧な作戦かもしれない。


 なにやらぶつぶつと呟きながら歩く薄汚い冒険者の男に、下校途中だったり、お出かけ中の、すれ違う学園生らしき少年少女たちは怪訝な顔を向ける。しかしそんなことは気にしない、そもそも気付いていないハロルドは、作戦を練り続ける。

 そんな彼も、鼻腔を刺激する甘い香りを感じると、思わずといった様子でそちらへと目を向けた。

 その香りの元には、甘くて美味しそうな焼き菓子の店。


 作戦その4、菓子と情報を交換する。


「すんません。この黒いのと白いの、ひとつずつ」

「はいよ。ありがとうね」


 思い立ったらすぐ行動。エリザベスの好みはよくわからないので、オーソドックスっぽい味を二種類買っておく。まだ焼きたてなのか、紙の袋に包まれ差し出されたそれは、まるで人肌のような温かさが残っていた。




 ノックもせずに、カチャリと扉を開け、借りている学生寮に足を踏み入れる。どうせヌレハから「そろそろ帰ってくる」と言われてるだろう、という前提に基づいた行動で、もしその前提が間違っていたら、すわ王女の棲み処を狙った侵入者か!? となってもおかしくない不用心な行動だが、


「あ、ハロルド様。遅かったですね。でも、ちょうどそろそろごは――」


 どうやら話は行き届いていたようで、待っていたのか、玄関の扉を開けるとすぐに顔を出したエリザベスが、ハロルドの帰りを迎えてくれる。

 しかし、彼女の言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 なぜなら――


「えっ」


 思わず口からそんな声を漏らしたエリザベスに向かって、卓越した新体操選手の如き床技を披露しながら、ハロルドが接近する。

 新体操の経験など前世界での学校の授業でしかないハロルドだが、この世界に来て跳ね上がった彼の身体能力が、見よう見まねでも技をそれっぽく見せるのに貢献していた。

 そんな彼の連続技もいよいよフィナーレ。

 もう少しでエリザベスのもとに辿り着くぞという距離まで接近すると、ダンッ! と一際強く床を踏みしめ、高らかに跳躍。そのまま膝を抱えてクルクルと空中で前方向に何度も回転しながら、買っておいた焼き菓子の包みをさりげなく放る。そして、二つの膝、二つの掌、頭という五点を床につける形で、着地。言うまでもなく、土下座の姿勢である。

 ダゴンッ! という美しい着地では決して鳴らないであろう音と、木製の床板から穏やかではない軋み音を響かせて、土下座の姿勢へと帰結したハロルドは、目の前で目を白黒させるエリザベスに向かって、


「王女様! スリーサイズを教えてくれ!」


 と、大声で懇願した。

 その瞬間、ポスンという今度は軽い音とともに、放っていた焼き菓子の包みがハロルドとエリザベスのちょうど中間に落下してくる。

 そう、彼がとった作戦とは、その2とその3とその4の良いとこ取り複合作戦。すなわち、『意味わかんない行動をしながら勢いと菓子に任せて訊けば、冗談に見えるんじゃね?』作戦である。

 そしてその作戦を遂行した彼は、確かな手応えを感じていた。


「あ、え……えと、スリー……え?」


 現に、突然の問いを投げ掛けられたエリザベスは、目の前で繰り広げられた光景に気を取られて、質問の意味までは意識がいってない様子である。

 これは、あと一押しでいける! こんな任務は楽々と切り抜けて、ニヤついた夜猫に目にもの見せてやるぜ!

 そう確信したハロルドは、その一押しをすべく、口を開く。


 そう、彼は作戦の成功を確信していた。

 そしてそれは、もしかしたら、もしここにエリザベスしか居なかったら、何とか勢いで誤魔化せたかもしれない、という点では、事実であった。

 しかし――


「あんた、何してんの?」


 ハロルドが開いた口から声を発するよりも前に、絶対零度の眼差しを彼に向けるヌレハが先手をうった。

 そう。残念ながら、ここはエリザベス一行が全員で借りている学生寮。よくよく見れば、エリザベスの後方にはヌレハやニコルを始め、くだんのシルヴィア含めた王宮メンバーも少なくない人数が居た。

 その大多数はエリザベス同様、何が起きたのかわからない表情で唖然としていたわけだが、残念ながらヌレハだけは、ハロルドの奇行に目を奪われはしなかったらしい。


「はうっ」


 もうだめだ、そう確信したハロルドの口から、謎の声が漏れる。

 しかし――


「……ああ、大丈夫よ。いくらギリギリ多細胞生物並みの知能しかないハルでも、意味もなくそんな奇行をするわけないことくらい、私はわかってるわ」


 ともすればヌレハとは考えられないほど優しい表情でハロルドに微笑みを向けながら、暖かい言葉をかける。いや、「ギリギリ多細胞生物並みの知能」という、よくわからないがたぶん悪口であろう言葉も口にしているので、完全に暖かい言葉とは言えないのだが。

 しかしそのヌレハの言葉で、

 そうか、あのとき『帰ってこい』と【コール】による通話が送られて来たことを考えれば、ヌレハは【千里眼】でこちらの様子を観察していたと見るのが妥当。すなわち、俺の事情も把握しているということだなっ!

 と、希望を見いだすハロルド。


「じゃあ……」

「ええ」


 俺の擁護をしてくれるんだな、と信頼に満ちた顔を向けるハロルドに、優しく微笑み、頷きを返すヌレハ。

 もうスリーサイズとかどうでもいい。いや、最初からどうでもよかったのだが、とにかくもう夜猫との契約など本気でどうでもいいから、社会的に生き残れるよう、助けてほしい。

 そんなハロルドの無言の、しかし強い願いをしかと聞き届けてくれた様子のヌレハは、しかし――


「最近は今までになく真面目に仕事をしていたから、疲れが溜まって、嫌になっちゃったのよね? そしてその疲れが巡り巡って性欲に繋がって、抑えきれなくなったその卑猥な情熱を、まさかの雇い主であるエリザベス王女に向けてしまうなんて……。いえ、でも偉いわよ。直接手を出すのは堪えて、スリーサイズを訊いて妄想で我慢しようとしたのよね?」

「わかってない! わかってないねっ!?」


 よよよ……、と口元を押さえて目を伏せながら、的はずれな援護、むしろ追い撃ちを繰り出す。

 そんな彼女の言葉によってか、時間が経って我に返った故か、後ろで見ていた兵士たちがにわかにざわつく。耳を澄ませば、「そんなに働いてたか……?」という言葉すら聞こえる。ごもっともであると、ハロルドも思う。


 本当の事情を知らないのかとヌレハをよくよく見れば、口元を押さえた手の横からつり上がった口角がちらり見え、笑っていることがわかる。

 そのことから、事情を知った上でからかう側へと回ったことがわかる。知っていた。ヌレハはこういうヤツであると。


「は、ハロルド様……。てっきり、私のような幼児体型は好みではないのかと……」

「いや、ちが……」


 こっちはこっちで変なことを口走っているし。ハロルドは自分が撒いた種であるが、頭が痛くなってきた。


「――ッ!?」


 その瞬間、ぞわり、とハロルドの背筋をなぜる悪寒。二年間冒険者をしていて、それなりの死地を経験してきたハロルドならばわかる。

 それは、『敵意』などという生易しいものではない。明確な、純度100%の『殺意』であった。


 バッ! と殺意を飛ばす者に目を向ければ、そこには、目線のみでもハロルドを射殺さんとばかりに、瞳孔が開いた眼で彼を睨み付けるシルヴィアが居た。


「……と、まあ、冗談はさておき。ハルは夜猫に『エリザベス様のスリーサイズを訊いてこい』と脅されたから、こんなことをやったのよ。……だからと言って何でこんな行動に行き着いたのかは、よくわからないけれど……」

「……はあ、『ヨルネコ』様……。ああ、あの情報屋の方ですね?」

「そう。だから、邪な気持ちからの行動じゃないから、勘弁してあげて」


 そこで、十分にからかって満足したのか、引き際だと思ったのか、とにかく満を持して擁護してくれるヌレハ。

 最初は『夜猫』という名前にピンと来なかった様子のエリザベスも、ハロルドと知り合うきっかけになった情報屋の名前だと気付き、深く頷く。


「なんだかよくわかりませんけど、大丈夫です! 体型なんて、知られて減るものでもないですし!」

「えっ。あ、そう……かしら……?」


 そして、謎の発言と共にハロルドを許すエリザベス。その彼女の発言に、ヌレハもたじたじである。確かに減るものではないが、知られて困らないものでもないだろう。

 そんな彼女らの姿を間近で見ていたニコルが、


「……とりあえず、食事にしましょうか……」


 と提案し、エリザベスが「はいっ」と明るく頷くことで、この場は解散となった。

 「何だか最近、私の立場が苦労人になりつつある気がする……」というよくわからないニコルの呟きは、周囲から何の反応を得ることもなかった。


「あ、これあの、お菓子なんで。ほんと、お騒がせして、すんませんでした……」


 とりあえず、相変わらず床に蹲ったまま、焼き菓子をすすすとエリザベスに差し出すハロルド。任務は失敗したが、最悪な結果にはならなかったので、本気で申し訳なさそうな表情とは裏腹に、心のなかはひと安心である。


「もうっ、ハロルド様も気にしないでください。ほら、早くご飯食べましょう! あ、せっかくなので、お菓子も頂きますね!」


 ニコニコと笑うエリザベスがそう言いつつ、手を取ってハロルドを立たせると、そのまま握った手を引いて食堂に向かって歩き出す。

 戸惑いつつも、されるがままに手を引かれ、食堂へ向かうハロルド。

 そのとき、佇むシルヴィアの横を通り抜ける形で、すれ違う。

 いつの間にか殺意を霧散させ、いつも通りの凛とした雰囲気に戻っていたシルヴィア。さっきの殺意は勘違いだったのかな、と楽観視するハロルドの耳に、すれ違い様のシルヴィアから、


「夜道に気を付けろよ、下衆ゲスが」


 という言葉が届いたのは、流石に勘違いではなかった。

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