第20話 楽しい一日①
ニコルとヌレハを引き連れて、エリザベスが学園へ向かって出発したあと。
寮の玄関を入ってすぐの位置にある、テーブルを囲うようにソファーが配置されただけの、極々簡易的な談話スペースにて。
ハロルドは3人掛けのソファーに広々と寝そべって、何をするでもなく、ぼうっと虚空を見つめていた。
暇だ。その一点に尽きる。
何かすることでもないかと寮内をさ迷い歩いてはみたものの、「邪魔です」という侍女からの冷たい一言によって一蹴され、こうして談話スペースへと流れ着いた。
邪魔です、と言われて、何だとう、このやろう、と思いはしたものの、テキパキと30ハロルド分はあるだろう速度で家事をこなす侍女を見れば、口から出てきたセリフは「すいません……」の一言だった。
どうやら王から王女に従事させられたメイドは、かなり優秀なスーパーメイドだったらしい。
「暇だ……」
ついに独り言として、その言葉が思わず漏れた。
学園についていっても、地獄。お留守番をしても、地獄。早くもハロルド、この護衛依頼を受けたことを後悔し始めていた。
本気で何か、やることがほしい。
まあ、だが――
「ハロルド殿! 暇ならば、私たちに稽古をつけて下さらぬか!?」
「やだ」
汗でテカテカと輝くおっさんからそんなお願いをされても、流石になびきはしなかった。
肩を落としてとぼとぼと去っていくおっさん兵士の後ろ姿を見送って、はあ、とため息ひとつ。
王国きっての実力者である第一師団長レオンを、彼の土台に上がったうえで完封した男、ハロルド。
そして兵士たるもの、強者との訓練はむしろ願ったり叶ったりな、王宮兵士たち。
そんな彼らが一つ屋根の下に居るとなれば、自然とそんなお願いをされるというものであり、実のところ、「訓練をつけてくれ」と言ってきたのは、今のおっさんを含めて3人目であった。それもなんと、今朝から数えて。
「何が悲しくておっちゃんズと気持ちいい汗を流さなきゃならねんだよ」
さすがに死ぬほど暇だとしても、それは勘弁してほしいハロルドの、ふとした呟きだった。
「じゃあ、お使いで良い汗を流してきてください」
「うおおっ!?」
そんな独り言に、ふいに返ってくる冷めた声。声の方向を跳ねたように振り返ったハロルドが見れば、いつの間にかここまで近づいていたのか、この街まで遣わされた二人の侍女のうちの一人が、ソファーのそばに佇んでいた。
「びっっっくりしたあ……。すげえな。ここまで近付かれて気付かなかったの久々だわ」
「メイドですので」
理由になってない理由を、さも当たり前のように口にする侍女。
当然ハロルドは首を傾げるわけだが、そこについて問い質す前に、
「先程も言いましたが、お使いに行ってきてくださいませ、ハロルド様」
と、本題を切り出され、チャンスを逃すのであった。
「お使い?」
仕方がないので、この侍女が何者なのか、ということを追及することは諦め、彼女が切り出した本題について問い質す。
「はい。この依頼書にある動物、野草、薬草、その他もろもろを狩ってきて欲しいのです」
「『買って』?」
「『狩る』、ですね。『買う』の方ではなく」
「ああ、聞き間違いじゃないのね……」
そう言いつつ、渡された依頼書を見れば、そこに並ぶ食材や薬草は特に珍しいものでもなく、その辺の市場で簡単に揃うものばかりである。
「この程度だったら、買いに行きゃいいじゃん」
「その意見もごもっともです。が、ハロルド様に頼んだ方が安上がりですので」
当然文句を垂れるハロルドだが、そんな文句を受けた彼女は、〈アンブラ〉のマスターのような理由を盾に、ハロルドの抗議を受け付けはしないのだった。
「なるほど」
そして、そう言われたら何も言い返せない雇われの身であるハロルドは、大人しく頷きながら、そう返す。
「……?」
そんな彼が、行き場の無くした視線を再び手元の依頼書に向けると、 何やら数ヵ所の気になる点を見つける。
「ああー。えっと……メイドさん?」
「シルヴィアです」
「はあ、シルヴィアさん。この依頼書、報酬額が書いてあるんだけど。おまけにこれ、冒険者ギルドの印だよな」
依頼書の表面を侍女、シルヴィアに向けながら、気になる点を指摘するハロルド。
彼の言うとおり、ただのメモ紙ではないその用紙は、冒険者ギルドを表す、剣が斜め十字に合わさったマークをプリントした立派な公式依頼書であり、そして依頼達成報酬のところには、それなりな報酬額が記されていた。おまけに、『指名:ハロルド』の文字。
ここまで揃えば、これは紛うこと無き、いわゆる『指名依頼』というものであった。
「はい。この街にも冒険者ギルドはありますので、先に寄ってから依頼を受けていただいて、依頼した品をすべて揃えて提出すれば、そこに書いてある報酬額を貰えますよ」
当たり前でしょ、とばかりに答えるシルヴィア。
確かに、冒険者として、そのあたりのシステムは知っていて当たり前なのだが、
「別に報酬とかいらねえよ? 頼まれりゃ文句の一つや二つは漏らすけど、ちゃんと行くからさ。同僚なんだし、こんな公的な依頼じゃなくて、普通にお願いでもいいんだぜ?」
それが、同じ釜の飯を食らう同僚からの依頼でなければ、の話である。
当然として、ハロルドはそう言って、報酬の金は要らない旨を伝える。
しかし――
「『同僚』……?」
ハロルドが口にした言葉に、眉を顰め、不服を露にしたシルヴィアは、
「すみませんが、王宮勤めでもない方を『同僚』と呼ぶ神経は持ち合わせていません。貴方は、エリザベス様の護衛依頼を受けてくださった、ただの冒険者。私にとって、それ以下でも、それ以上でもありませんので」
一息にそう言うと、ぺこりと一礼し、その後は一瞥もくれずに、ハロルドに背中を向けて歩み去っていく。
そんなシルヴィアの、あまりにもあんまりな態度を受けたハロルドは、
「……はあ」
大して不機嫌になった様子もなしに、ため息ひとつ溢して頭をポリポリと掻くと、依頼書片手に外へと出ていくのだった。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルドは、この街に来たときに使用した街壁の門の、すぐそばに存在した。
街の外への、もしくは街の外からの用事で寄る者が多い冒険者ギルドは、大抵の場合、利用に手頃なその辺りに設置されることが多い。
なので今回も、どうせその辺にあるだろうとあたりをつけて出掛けたハロルド。あとは青い屋根に白い壁じゃない建物を注意深く見れば、躍起になって探すでもなく、冒険者ギルドを発見することはできたのだった。
そしてポケットにあるギルドカードを改めて確認して、大して緊張するでもなく建物の門を潜ったハロルドの目に、真っ先に飛び込んできたのは――
「……なるほど。『後で』、ね……」
「にゃはは、そゆことー! ね、驚いた? 驚いた?」
何故か当たり前のようにそこに居座る、夜猫の姿だった。
そしてようやくわかる、王都にて別れ際に彼女が口にした、『後でね』という言葉の意味。要は、ついてきたのだ。エンターテインメント発生装置である、ハロルドに。
疲れたような表情で、しかし納得の声を漏らすハロルド。そしてその回りを奇妙なステップを踏みながら回って、煽るように「驚いた?」と繰り返す夜猫。
「ああ、驚いた。驚いたよ」
しっしっ、と寄ってたかる羽虫を追い払うように、夜猫をあしらうハロルド。そんなぞんざいな扱いを受けても、「そうかそうかー」の満足そうな夜猫を見れば、普段から彼らのやり取りはこんな感じなのだと見てとれた。
「今日はヌレハは護衛任務だから、ハルは一人ぼっちで寂しいねえ。あ、ちなみにだけど、ハルが欲しがってる物は、そこの街門を出てしばらく真っ直ぐ行ったところにある森で粗方揃うよー」
「特に寂しくはねえよ。森の情報はさんきゅ。助かった。とりあえず走り回って、この辺りをしらみ潰しに探す気だったわ」
「ハルだったら本気でそうするだろうから、怖いよねえ……」
久しぶりに会ったのだというのに、何故かハロルドとヌレハの挙動を事細かに把握している夜猫の指摘に、しかし特にそのことを疑問に思ってもいない様子のハロルドは、お礼を口にする。
ハロルドのあまりに無計画な計画に、苦笑を浮かべた夜猫は、「はい」と言って空の手を差し出した。
「何、この手」
「情報料」
「ああ、なるほど」
『情報屋』という職業なので、夜猫は情報という情報に金銭の見返りを要求する。
今回はハロルドに『どこで依頼の品が揃うか』について情報を提供したため、その見返りである金銭を要求したのだ。
「くれ」とも言ってない情報を押し売りされた形のハロルドだが、助かったのは事実なので、大人しく言い値を払ってやろうと懐をまさぐるが――
「あ、金……」
「……はあ? まさか、見た目通り手ぶらで来たの?」
「いや、まあ、お恥ずかしい限りで……」
よくよく考えたら、談話スペースからギルドまでどこにも寄らずに来たので、依頼書と、無いと困るため常に携帯してるギルドカード以外は手元にないことに気付く。
当然、少しの小銭もその限りではなく。
そんなハロルドを夜猫は本気で呆れたようにジト目で見つめ、はあ、と露骨なため息を溢す。
「ほんっっと、ヌレハが居ないとダメダメなヤツになっちゃったねえ。ハルにヌレハを紹介したのは私だけどさ。あのときは、まさかこんなことになるなんて」
「うぐっ。ご、ごもっともです……」
「ヒモ」
「ヒモではない」
流石にその言葉には否定をしておく。
「はあ。情報料は今度払うよ。どうせいつでもここに居るんだろ? とりあえず、この依頼受けて、その森とやらに行ってくるわ」
「はいよー。あ、受付はあっちね。あそこの受付は書いてある通り、『学生専用』だから」
夜猫がそう言って指差した受付をみると、確かに大々的に『学生用』と書いてある。
どうやら学園に通う学生も小遣い稼ぎに冒険者まがいの仕事をするようで、よく見れば依頼書が貼り付けられてある掲示板にも、『学生用依頼』などという今まで見たことのない項目があった。内容を見れば、街中や、外でも近場で済むような、危険度の少ない依頼ばかり。その分、報酬金額も微々たるものだが。
さすが学園都市。こんな配慮もされてるんだなあ、なんて感慨に耽りながらも、ハロルドは普通の冒険者用の受付へと向かう。何故か夜猫もぴったりとついてくるが、気にしないようにしておく。
そこで数人の順番待ちの後、受付をしている男性職員に依頼書とギルドカードを渡す。
「はい。指名依頼書に、受注者はハロルド様ですね。確認がすみましたので、気をつけて……」
と、そこで、ギルドカードを返そうとした職員がピシリと固まる。ハロルドは、返されたカードを受け取ろうと手を差し出した姿勢で、何だと眉を顰めて首を傾げる。
「手ぶら……ですか?」
「そりゃそーだ」
固まった職員から漏れた、信じられない、という響きを含んだ短い言葉に、含み笑いで同意する夜猫。
「どゆこと?」
「ハル、あんた、大量に採取した野草とか、どうやってここまで運ぶ気だったの?」
「……うわ、マジか……。アホだなあ、俺」
王女のために派遣された城の兵士や侍女の数は、のべ20人ほど。その人数を賄うための食材調達が、今回のハロルドに任された依頼の内容である。
となれば、必要な食材の量としても、両手で抱えて持ち帰ってこれるほどの量ではない。実際に、依頼書に書いてある達成のために必要な量がその事を示している。
それゆえに、職員からの「手ぶらですか」という言葉である。ちなみにこの言葉には、武器もないのですか、という意味も含まれているのだが、そのことにはハロルドも夜猫も気づかなかったらしい。
「あの、背負い籠で良ければ、お買い求め出来ますよ」
「ああ、うーん、どうしようか。……まあぶっちゃけ要らないんだけど、一応買っておくかな。ついでに縄も」
「? はい、ありがとうございます。1200リルですね」
「ぶっちゃけ要らない」というハロルドのセリフに一瞬怪訝そうな表情を浮かべた職員だが、考えるだけ無駄だと思ったのか、すぐに切り替えて背負い籠とロープの合計金額を告げる。
「あ、金……」
そして、数分前と全く同じセリフを呟くハロルド。どこまでも間抜けな男だった。
「依頼達成の報酬から差し引きできない?」
「いえ、さすがに達成前の依頼からは出来かねますね……」
「だよなあ……」
「はい、これ」
どうしたもんか、と首を捻るハロルドの目の前、カウンターに無造作に置かれる、数枚の硬貨。
硬貨を差し出した夜猫を見れば、しょうがないなあ、という心底呆れた表情をして、ハロルドを見ていた。
「マジか。ありがたいけど、お前に借りを作るのは怖いな」
「なんのなんの。返すときに30割増しで返してくれればいいさ」
「なるほど、大赤字だな」
苦笑を浮かべつつ、背に腹は代えられないか、と考え、「ありがとう」とお礼を言っておく。以前に国王から貰った報償金のおかげで、どうせ金には困っていないので、そこまで痛手ではないのも、理由としては大きい。
「はい、ちょうどですね。それでは、こちらが背負い籠と縄です。気を付けて行ってきてください」
ビジネススマイルにてハロルドを送り出す男性職員。
渡された背負い籠は一抱え以上の胴回りがあり、かなりの野草が入りそうな、十分な大きさがあった。
「ヌレハも居ないし、手伝ったげようか?」
受け取った籠とロープを持ってギルドを出ようとするハロルドに、夜猫はそんな提案をする。本業は『情報屋』だとしても、彼女も一人の冒険者。戦闘や採取など、一通りはこなすことができる。なので、何十人分もの食材を一人で集めるのは辛かろうと、その手伝いが必要かと訊いたのだが、
「お前は後で法外な報酬を要求するから、いい」
「人聞きの悪い」
冷めた目と冷めた声で一蹴。おそらく、何かしらそう判断するに足る出来事が、彼らの過去にあったのだろう。
しかし、心外だ、とばかりにむむむと眉間に皺を寄せた夜猫は、抗議の声を漏らす。
「おーい、夜猫ぉ。情報をくれー!」
「ほら、呼ばれてるぞ。行け行け」
そのとき、ギルド内にある食事処にて飯を食べていたのだろう冒険者から、夜猫を呼ぶ声が二人の耳まで届く。
これ幸いだとばかりに、またもやしっしっと手で追い払う仕草をしながら、呼ばれた方へと向かうよう夜猫を促すハロルド。
そんな扱いを受けた彼女は、口を尖らせて「もう。タイミング悪いなあ」と呟いてから、
「はいにゃー! 今行くから待ってなー!」
と大きな声で返事する。
それからくるりとハロルドを振り返ってから、
「ま。というわけで、私もしばらくこの街にいるからさっ。今後とも、情報屋〈夜猫〉をご贔屓に! ほんじゃねっ!」
深く一礼をしてから、手慰みに、手に持つステッキをくるくると回しながら、呼び声のした方へと背中を向けて歩いていくのだった。
「おう。こちらこそ、またしばらくよろしくな!」
その背中に向かって、少し大きめの声でハロルドがそう返事をすると、夜猫は振り返りはせずに、空いている手を肩の高さまで上げ、ヒラヒラと振る。
彼女のそんな仕草を見届けてから、ハロルドも彼女に背を向け、依頼を達成すべく、食材調達に赴くのだった。
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