第19話 学園生活⑤

「つ、疲れた……」


 その日の全授業が終わり、ぞろぞろと各々の護衛を引き連れて教室を後にしていく、貴族クラスの子供たち。

 そんな彼らを尻目に、ハロルドは草臥れた表情で、ぐったりと机に頬までつけて突っ伏した状態で、そう呟いた。


「お疲れ様です」


 まるでスライムのように力なく机にへばりつくハロルドに苦笑交じりの顔を向けながら、その疲れを労うエリザベス。


「そのセリフ逆よね。普通」


 そんな雇い主と同僚の様子を見たヌレハは、ふと思った状況のおかしさに、呆れたように息を吐きながら、そうツッコミを入れた。


 ハロルドが何故ゆえぐったりとしているのかには、もちろんちゃんと理由がある。


 本日の授業は全部で5時限分。しかして二時限目にあった『基礎魔術演習』以外の科目はなんと全て座学だったのだ。

 そしてその座学も、何やらマナーなどを学ぶ『礼儀作法』などという実に貴族クラスらしい授業以外は、この世界に来て2年ほどしか経っていないハロルドからしても、「知ってるよ」と文句を垂れたくなるほどには、基礎中の基礎に関する授業しかない。

 唯一「知ってるよ」という気持ちにはならなかった『礼儀作法』の授業とはいえ、この授業に関しては「くそ興味ねえ」という文句を垂れていた。


 ではそんな興味も無く意味も無い授業につき合わされたハロルドはどうなったか――なんと、全て寝たのである。

 途中からはエリザベスも驚いた様子で「良く寝ますね」と隣のヌレハに話しかけていた、らしい。

 ハロルドに激甘なエリザベスはそんな感想を抱いたのみで済ませたが、そんな甘く済ませはしなかった人物がいた。もちろん、エリック少年である。

 育ちの良さか、強すぎる正義感か。とにかく彼はそんな腑抜けたハロルドの様子に顔を真っ赤に怒りをあらわにし、毎時限後に飽きずに絡んできた。そして何も言い返せないハロルドは年下の子供にぺこぺこと頭を下げ、次の授業でも寝た。理屈では寝てはいけないとわかっていたが、本能で寝た。

 このループを繰り返したせいで、ずっと寝ていたにも関わらず、ハロルドの身体には疲労の二文字が重くのしかかっているのだった。


 ちゃんと理由はある。ちゃんとした理由ではなくとも。


「あったま痛え。寝すぎた」


 あまつさえ、そんなことを宣う次第である。

 そんな彼らも帰路につき、もう学園の正門をくぐって、行きと同じく徒歩で寮に向かっている最中であった。


「ああ、そうだ。エリザベス様、私の負担が減るから、これを身に着けておいてくれる?」


 はたと何かを思い出した様子のヌレハが、そんなことを言いつつ懐から出したのは、一つのシルバーリングだった。


「これは?」


 当然、エリザベスは可愛らしく小首を傾げてそう訊ねる。


「えっと、これをつけてれば、その装備者の魔力、つまり精神体に生じた乱れを感知して、私の意識に無理矢理介入する信号を送ってくるのよ。……まあ、簡単に言うと、危機を感知して、私に知らせてくれるってこと」


 【千里眼】という能力を持っているヌレハだが、その能力は任意で発動するため、さすがに四六時中エリザベスのことを能力で眺め続けているわけではない。しかし、そんなときに限って悪党というものは近づいてくるというもので。

 ではそんなときにどうしようか、ということで、かつてのヌレハが直々に作り出したのが、このシルバーリングであった。


 普段は何の効力も持たないただの指輪だが、装備した者の精神体である魔力が、何らかの外的要因――つまり危機的状況――で乱れたときに、この指輪がそれを感知し、すぐさまヌレハの【千里眼】に干渉を行う。

 それにより、もし能力を用いてエリザベスの監視をしていないときでも、彼女の危機を感知した指輪の「こっちを見ろ」という信号によって、半自動的に【千里眼】が発動、そしてエリザベスの危機をいち早く知ることが出来るのだ。

 

 ということを説明したかったのだが、途中から理解できていない様子でエリザベスの表情がへにょっと緩んだので、ヌレハは苦笑交じりに掻い摘んで説明をした。


「なるほど。ヌレハ様の能力にぴったりの指輪ですね」


 その甲斐あって理解したらしいエリザベスは、そんな感想を口にする。


「ちなみに、ハルとおそろいよ」

「ふへ。……ありがとうございます。身に着けておきますね」


 ヌレハの「ハロルドとおそろい」という言葉に、一瞬だけだらしない笑みを作ったエリザベスだが、すぐに凛とした表情に引き締めると、もっともらしく指輪を受け取る。このあたりは、さすがは王女様であった。

 あとで紐を通してネックレスにして首にかけておこう、と思い、ひとまずポケットに指輪をしまうと、ハロルドの右手中指にはまる同じ指輪をちらと見てから、疑問を口にする。


「ハロルド様も同じものを着けている、ということは……」

「ん? ああ、そうそう。俺がふいに暴れまわらないよう、コイツが監視してんの」

「ハロルド様が暴れまわるなんて、そんな」


 その疑問に対するハロルドの答えに、口に手を当ててくすくすと笑うエリザベス。本気ではない、ちょっとした冗談だと思ったのだ。

 そんなエリザベスの様子をちらと一瞥したハロルドの顔には、何かを含んだような、薄ら寂しげな色が見受けられた。

 しかし、エリザベスはそんな彼の表情に気付くことはなく、そしてそのときにはもう、寮の入り口まで辿り着いているのだった。


   ◇ ◇ ◇


 翌日のエリザベスの護衛任務には、ハロルドと交代したのか、ニコルがヌレハと共についていた。


 王が護衛や身の回りの世話役としてこの学園都市まで派遣した城の兵士や侍女の数は、正直に言うと必要以上に多い。そのため、王女が学園に行っている間、やることの無い兵士は暇をもてあそんでいる現状である。

 だがだからといって、ぞろぞろと護衛を大人数引き連れてたかが学園に赴くわけにも、さすがにいかない。

 なので、学園に行く王女についていく兵士は、基本的に交代制にしよう、という話を、昨日ハロルドから進言したのだ。


 本音は、「これが毎日は本気でキツイ」だったのだが、なんとかそのあたりの気持ちはうまく隠し、もっともらしい理由をでっちあげたものである。


 だが昨日のうちにエリック少年にこっぴどく叱られるハロルドの様子を見ていて、なおかつそんな裏事情を知らないクラスメイトたちは、「ああ、あの人はクビになったんだな」と生暖かい視線を王女一行へ向けるのだった。




「ヘイゼル先生! ご覚悟をぉ!」


 中庭で見かけたヘイゼルに向けて、高らかに「これから攻撃しますよ」と言わんばかりのそんな台詞を叫んでから、エリザベスは彼に向けて風の弾丸を飛ばす。

 本人が得意と口にするだけあって、確かに温室育ちにしては威力速度精度全てがまあまあ申し分ない錬度である。


「はい残念」


 しかしさすがにそんな明け透けな決闘まがいの魔術は、薄ら笑いを浮かべたヘイゼルの目の前で軌道を変え、明後日の方向へ飛んでいく。

 もちろん狙いが外れたというわけではなく、ヘイゼルがただ魔力を固めて作った障壁を、弾丸を正面から受け止めるのではなく、逸らすように配置したのだ。

 もちろん、単純に正面から受け止めても、余裕の余裕で受けきれる。だが、「ほらこんなに余裕ですよ」という実力の違いを誇示するために、わざわざこんな手の込んだ対応をしたのだった。

 生徒と教師。子供と大人。実力に違いなんてあって当たり前。だから彼は課題提示の際に、「どんな不意打ちでも構わない」と言ったのだ。要は、頭を使えと。

 なのに馬鹿正直に真正面から向かってきた生徒からの魔術など、寝惚け眼でも防げるというもの。適当にあしらって何の文句がある、とでも言いたそうな態度であった。




「駄目でした……」

「そりゃそうよ。『これから魔術撃ちますよ』って事前に言ったようなものじゃない、あれじゃ」


 奇襲失敗にそれなりに凹むエリザベスに、可哀想な子を見る目で指摘するヌレハ。

 すでに彼女らは校舎内に戻り、窓越しに中庭が見える位置で反省会と洒落混んでいた。


 ちなみにだが、さすがに校舎内でヘイゼルに向かってバカスカ魔術を放たれては危険極まりないため、あんな課題を出した責任として、暇さえあればヘイゼルは中庭に居るようにしているらしい。

 中庭ならば周りには比較的何もなく、そこそこに広いため、危険は少なくなるだろうという学園への配慮である。


 ヘイゼルを見かけたので、試しに魔術を撃ち込んでみたら? と提案したのはヌレハだ。もちろん、奇襲をしろとも追加注文をした。

 それにしっかりと頷いたエリザベスが、しかし実際にやった行動は、先程の通り。どうやら彼女からしたら、あれが王女様なりの『奇襲』らしい。

 がっくりと項垂れるエリザベスと、呆れたような表情を彼女に向けるヌレハ。そんな二人を見たニコルは、苦笑を浮かべつつ、


「しょうがないですよ。もちろんエリザベス様に実戦経験など無いですし、幼い頃から『王族は威風堂々』という教育を受けてますから。奇襲と言われてもピンとこないのでしょう」


 と、己の主であるエリザベスのフォローに回る。


「でも、真正面から堂々と撃っても、たぶん受け止めてはくれないわよ、あの教師」

「まあ、それは……そうなんですよねえ……」


 しかし、それはそれ、これはこれ。なんとか裏をかいて魔術を放たねば、ヘイゼルに有効打を決めることなど出来ないだろう。

 そんなヌレハの言葉に、その通りだと、更に苦笑を深くするニコル。

 むむむと唸って、次の作戦を考えるエリザベス。そんな彼女からふいと中庭に視線を移したヌレハは、


「誰かをお手本にしてみたら? ほら、ちゃうどあの女の子が向かっていくところだし」


 とヘイゼルに向かって歩いている女生徒を指差して、提案するのだった。




 その女生徒は貴族クラスでは見かけたことがないため、おそらく同じヘイゼルの授業を履修している他クラスの生徒なのだろう。

 秋だというのに破廉恥なほど胸元のボタンを外し、発育の良い胸元を惜しげもなく晒して歩いている。

 男ならば自然と視線が吸い寄せられるその艶かしい体つきに、例に漏れずヘイゼルもでれっとした表情を向けていた。


「せーんせっ!」

「んおっ!? お、おお。何だ?」


 明るい笑顔で声をかける破廉恥女生徒。

 その声で我に返ったヘイゼルが要件を聞きつつ注意深くその生徒の手元を観察すると、教科書が一冊。杖は無し。

 だがあくまで杖は『魔術触媒』。魔術を補助する役目があるだけで、実のところ、無くても問題なく魔術使用は可能だ。

 だからこそ、油断なく彼女に注意するヘイゼルだが――


「さっき授業でやったんだけど、ここがわからなくて……。ね、教えて? ヘイゼルせんせっ!」

「うおおっ!?」


 むぎゅっ。と腕に豊かな双丘が押し付けられてしまえば、その限りではない。


「あう。あ、ああ、ここね? ここでいいのね?」

「はいっ!」


 しかし教師としての本能が、馬鹿野郎、相手は子供で生徒だぞ、意識をするな。と叱咤する。だからこそ頑張って開かれた教科書に視線を向けようとするのだが、お馬鹿な男の本能はそれに従わず、自然と目線は少し潰され、より深くなった谷間に吸い寄せられる。

 ああ、いかんいかん、とかぶりを振って煩悩を退散させようとするも、


「ああ、なんか今日あつーい」


 と、シャツの胸元をパタパタと扇がれてしまえば、もう煩悩に抗う理性などどこかに吹き飛んでしまうのだった。

 その時点で、もはやチラ見ではなく、紛う事なき『ガン見』になっているわけだが、胸をガン見されている当の女生徒はヘイゼルからその視線を受け、ニヤリと不敵に笑う。

 そしてぐいと腕で胸を持ち上げると、さらに深くなり魅力を増した谷間から、腕に押し上げられ、胸の谷間の奥深くに隠していた杖の先端がこんにちは。

 そして――


「えっちょっ。タン」

「【ウェントゥス・トリフレア】」

「マああああぁぁ!!」


 素早く唱えられた魔術名により、第三階級の風属性攻撃魔術が発現し、谷間をガン見して呆けていたヘイゼルの顔面に向かって吹いた突風が、彼を彼方へと吹き飛ばした。


「ぶえっ」


 どすん、と背中から地面に着地したヘイゼルは、みっともない声をあげる。

 そんなヘイゼルには目もくれず、女生徒は「やったーやったー」とピョンピョン跳ねて、課題達成の喜びを全身で表している。彼から一本とるために使用した胸部にある二つの武器も、彼女の喜びに応えるように大きく弾んでいる。


 ヘイゼルは寝転がったまま、空に向かってサムズアップを向けると、


「見事……だ……」


 と、決闘で負けた死にかけの騎士のような台詞を、いったい彼女の何に向けてなのか、吐くのだった。




「ひええ。すごいですねえ。あんな手が……」


 さすがにヘイゼルたちの会話までは聞こえずとも、色仕掛けで見事な一撃を見舞った一部始終はしっかりと見ていたエリザベスから、思わず漏れる驚嘆の声。

 思い切り吹き飛ばされたヘイゼルが、まともな受け身も取らずに地面に落ちた瞬間は、痛そうだなあ、と顔を顰めたが……。

 やはり誉めるべくは女生徒の、相手の完全な油断を誘う見事な手腕であろう。


「実戦で使えるかはともかく、標的が異性であることを利用した、うまい奇襲ね」

「そうですね。私は恥ずかしくて出来そうにはありませんが……」


 ヌレハとニコルの評価も上々。

 ニコルの言うとおり、おそらくはかなりの恥をかなぐり捨てなければ、堂々とはできない戦略である。だが、それに見合うだけの戦果は挙げているため、一概に恥知らずな戦略とは言えなかった。


「ふむふむ。使えるものは何でも使って、そして『ここぞ』というときに魔術を使えば良いのですね」


 女生徒の行動を脳内でリピートしてるのか、腕を組んでうんうんと頷きながら、勉強になったとばかりにそう言うエリザベス。

 実に微笑ましい光景で、事実ヌレハもニコルも微笑を浮かべてそんなエリザベスを見つめていたが、


「まあ、エリザベス様はああいう戦術は無理でしょうけどね」


 と、少し心苦しそうな表情を浮かべつつも、冷たい現実を突きつけるヌレハ。

 その言葉を受けて、何故『無理』なのかがわからず、一瞬呆けて首を傾げるエリザベス。ややあって、何かに思い至ったのか、『ポンッ』と音が鳴るほどに顔を真っ赤にして、腕を交差して自分の胸を隠すと、


「そそそそんな! 私だって出来ますよ! ええ、出来ますとも! まあたしかに、私の胸はあのような、見事にたわわに豊かに育った『お胸様』ではないかもしれませんが……ええ、やりようはいくらでもありますもの。だから、私は出来ます!!」


 と、大きな声で、早口に捲し立てる。


 しばしの静寂。

 時が止まったと錯覚するほどに、エリザベスの周りに居た人たちの動きが止まる。

 今現在エリザベスが居るのは、校舎内の中庭が見える『通路』、すなわち廊下である。当然、少なくない生徒がその廊下を使用していて、そして偶然にも、エリザベスのおかしな大声を耳にした。

 そんな彼ら彼女らは皆一様に足を止め、驚いたような、呆けたような、共通点としては目を見開いた表情で、エリザベスを見つめていた。


 そしてその大声を真正面の間近から受けたヌレハも、例に漏れず、口を半開いて驚いた顔をして硬直していた。

 この場にハロルドが居れば、「これは珍しい表情だ」とからかうなり戦慄するなりしただろうが、残念なことに、彼は今日オフであった。


「えっ? えっ?」


 何故かピタリと動きが止まった周囲を、慌てたようにキョロキョロと見回すエリザベス。

 彼女のその様子を見て、まさしく「はっ」と漸く我に返ったヌレハが、


「ああ、いや。私はその、ああいう色仕掛けみたいなのは、エリザベス様の王族っていう立場的に厳しいかなって言いたかっただけで……。ごめんなさい。言葉が足りなかったわね……」


 と、本気で申し訳なさそうに言うことで、エリザベスは自分が大声で何を口走ったのかがわかったのか、真っ赤だった顔を真っ白にさせ、そしてまた真っ赤にさせた。


「うう……」


 さらに、静かに唸ると、恥ずかしさから、目に微かな涙を浮かべて顔を伏せてしまう始末である。


「……と、とりあえず、移動しましょうか……」


 いたたまれないとばかりに苦笑を浮かべたニコルがしたその提案に救われたのは、少なくともエリザベスだけではなかったようで。

 いつの間にか「ヤベエものを見ちまった」という表情に変わっていた周囲の生徒たちの顔にも、ほっとしたような雰囲気が宿るのであった。

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