第17話 学園生活③
「――さま! ――ルド様! 起きてください、ハロルド様っ!」
「は、はいっ!? 寝てませんよ!」
ゆさゆさと揺さぶられて目が覚めたハロルドは瞬間的にそんな嘘をつく。
寝ていたのは明らかなので、わざわざそんな見え見えの嘘をつかずともいいと思うが、寝起きでとっさに口から飛び出た言葉なので、深い意味はなかった。
「……寝てましたよ」
「……はい。すんません」
なので、ジト目で追及されれば、すぐに謝罪が口から出る。
寝ていた。それは未だ半開きで焦点のあってない目が証明していた。
「ヌレハ様もがっつり寝てましたしね」
「……あの教師、この私に睡眠魔術をかけるなんて、相当な手練れよ。気を付けなさい、ハル」
「恐ろしいぜ……!」
珍しく冗談を口にして、思わず寝ていた事実をうやむやにしようとするヌレハ。これ幸いとハロルドも乗るが、ふうと呆れたように深く息を吐くエリザベスを見れば、誤魔化せていないのは火を見るより明らかであった。
「……次の授業は?」
気まずさに耐えきれなくなったのか、ハロルドは目を擦りながらエリザベスに問う。
出来れば、座学はもう勘弁してほしい。
今まで寝ていたが、まだまだ寝れると身体が訴えている。
「えと、基礎魔術実習ですね」
「実習、ってことは実技科目か」
「そうですね! 演習場に集合らしいです」
「お、じゃあ行かなきゃな」
どっこいせ、と親父臭い掛け声と共に重い腰を上げる。
そして、ふわあ、とついでのあくびをかましたときだった。
「ちょっと、いいか?」
やたらと耳触りの良い声で、そう話かけられる。
「はい?」
ハロルドがそう返事して目を向ける。
そこにはきらびやかな衣装に身を包んだ、男にしては長めであろう、そのまま垂らせば鼻面に届くほどの茶髪を左右に分けた、まさしくお坊っちゃまという容姿の少年が険しげな表情で立っていた。
少し視線を斜め上に向け、記憶の本棚を探る。
だが、普段から適当な整理をしているハロルドの本棚からは、残念ながらこの少年の記憶は見つからなかった。ので――
「どっかで会ったことありましたっけ?」
「ないな」
「あ、そっすか」
本人に直接訊くも、一蹴。
なにも悪いことはしていないのに、あまりに素っ気ない態度に少々凹む。
「……あの、何のご用でしょうか?」
進まない会話と退っ引きならない二人の雰囲気に、エリザベスが眉を八の字にして助け船を出す。
「これはこれは、エリザベス王女殿下。お初にお目にかかります。私、ワルデガルド家の第一子、エリック・ワルデガルドと申します」
「は、はあ」
すると、それまでとは打って変わって頭を垂れ、恭しい一礼と共に名乗るエリック少年。
わざわざ家名を名乗るということは、それなりにお偉いさんなのだろうが、残念ながらその辺りに疎いハロルドの頭にはピンと来なかった。
エリザベスの反応といえば、突然礼儀正しくなったエリックの態度にただ困惑している様子である。
「無礼を承知で、突然のお声かけを申し訳ございません」
「い、いえいえそんな。クラスメイトなのですから、普通に話しかけてくださって結構ですよ?」
「光栄です」
立場の上下関係がよく分かる二人の様子を黙って見守っていたハロルド。ぼうっと二人を眺めていると、ちらりと横目で一瞥をくれるエリック。
「……突然のお声かけの目的なのですが、少々、王女殿下の護衛の様子が目に余りまして。どうしても一言もの申したく存じます」
少々目に余る程度でどうしてももの申したくなるなよ、と突っ込みたい気持ちをグッと飲み込む。
目上の人に対するオブラートに包んだ言い方なだけであって、少々どころか、本当は居ても立ってもいられなくなる程度にムカついたのだろう。
「え、ええと……」
ちら、と困り顔を向けてくるエリザベスに、構わないことを頷くことで示す。
「どうぞ」
そう言って、ささ、と素早く一歩引いて、ハロルドとエリックが対話しやすくなる状況を作り出す。
ハロルドから見ると、気まずさに早く誰かの影に隠れたかったのではと思ってしまう素早さだったのは、秘密だ。
「ありがとうございます」
またもや、恭しい一礼。
そうして上げられた頭をハロルドの方へ向ける頃には、先程までの目上に対する表情と一転。射殺さんばかりの鋭い目付きをハロルドに対して向けていた。
「ええと、何でしょ?」
「貴様。王女殿下の護衛でありながら授業中に熟睡するとは、いったいどういう了見だ」
「あへっ?」
まさかの突然の貴様呼ばわりに、つい間抜けな返答をしてしまうハロルド。
それを馬鹿にされていると受け取ったのか、ただでさえ険しく顰められていたエリックの眉がぴくりと跳ねる。
「いいか、護衛とは主君を護る実力さえあれば簡単に成り立てるような役ではない。まず第一に、主君と行動を共にするのだから、当然端から見て主君の品を落とさない程度の身なりや挙動を、最低限しなければならない」
突然始まったお説教。
マシンガンもかくやという勢いで紡がれる厳しいお言葉に、ハロルドはただ面食らって聞きに徹することしか出来ない。
「そして護衛が居るときに、主君が襲われることがあれば、その時点でその者は護衛失格なのだ」
「襲われてないじゃないすか」
「話は最後まで聞け!」
「あはい。すんません……」
口を挟んだら怒られたので、黙って聞くのが正解だったらしい。
「主君が襲われてから護衛が護るのでは遅い。そもそも、『襲わせない』のが正しい護衛の働き方なのだ。どういう意味かわかるよな?」
「……」
「返事をしろよ!」
「えっ。あ、はい! ん? どういう意味? ですか?」
今度は黙っていたら怒られた。
難しいななんだこいつ、と思うも、話半分で聞き流していたハロルドが、問いかけられたことに気付かなかったのが悪いだろう。
「……護衛は主君にあだなす存在に対しての抑止力となるよう、周囲にもわかりやすい戦力や威圧感が必要ってことでしょうか?」
「そういうことだ! わかったか馬鹿者!」
「ばっ――! は、はい。わかりました……」
お次は馬鹿者呼ばわり。
さすがに少しカチンと来たが、ハロルドは堪え、不承不承といった様子だが頷く。
「その点、そっちの女性の方は佇まいや挙動は素晴らしいの一言に尽きる。隙もない。授業中に寝てさえいなければ言うこと無しだ」
異常なほど高評価のヌレハ。唯一指摘された居眠りだが、そっぽを向いて誤魔化している。
「だが貴様はなんだ馬鹿者! 品性も知性も威圧感も何もかもが足りん! 今のままでは、王女殿下の護衛としての覚悟が足りないと見られても何も言い返せないぞ!」
「うぐっ」
現在すでに何も言い返せないハロルドは、小さく呻くだけだ。
何歳も年下の少年にたじたじな事実に、ハロルドのほんの小さなプライドが傷付く。
「わかったら改善するよう意識するんだぞ! そして――」
「坊っちゃま。坊っちゃま」
「人前で『坊っちゃま』はやめろ! 何だ、爺?」
ついに限界までヒートアップしてきたのであろう彼の説教もクライマックス、というころで、ずっと側に佇んでいた執事服の紳士からストップがかかる。
何だと全員の注目が集まると、
「そろそろ演習場に向かわねば、遅刻となりそうですぞ」
そんなごもっともな意見を述べる。
その言葉につられてきょろきょろと周囲を見遣れば、最初は何だ何だとこちらの様子をうかがっていた他のクラスメイトも居なくなり、完全にエリックとエリザベスが取り残されたかたちになっている。
それを確認したエリックはむむっと口のなかで呟くと、
「確かに、遅刻は良くない。初日だから、ではない。私がこの学園に通っているのは勉学に励むためだからだ。……というわけで、エリザベス王女殿下。貴重なお時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした。王女殿下も、急ぎ演習場に向かってくださいませ」
「は、はい……」
やはりエリザベスに対してはやたらとへりくだるエリック。そしてすぐにハロルドにギラついた視線を送ると、
「改善するよう努力するんだぞ」
そう言い残して、爺をつれて早歩きで去っていった。
すれ違い様、ぺこりと一礼を残す爺。
なるほどその動きには少しの曇りも隙もなく、彼が執事兼護衛であることが窺えた。そして、そんな彼がエリックの説く『護衛像』を完璧にこなしていることも。
エリックが見えなくなってからもなお、その背中を見つめるように廊下の先を見つめていた三人だが、ふと、
「良い子だったわね」
ヌレハのそんな呟きで、はっと残りの二人も我に返る。
「いやいやいやいや、俺めちゃくちゃ罵られたぞ。挙げ句に『馬鹿者』って言われたぞ」
「事実じゃない」
「ぐう」
ごもっともな意見にぐうの音も出ない。
「何だか、ハロルド様を馬鹿にしている様子ではなかったので、不思議と私もおとなしく聞いていられました」
そういえばと、珍しくハロルドが悪し様に罵られていても大人しかったエリザベスが、そんな言葉を漏らす。
「そりゃあの子、ハルのこと『護衛として失格』と言っただけで、エリザベス様を護るだけの実力はあるって、最初からわかっている様子だったもの」
「……あっ。たしかに」
「ん? どゆこと?」
誰ともなしに演習場に向かって歩を進めながら、会話をする。
「あの子が指摘した点は、ハルの態度と覚悟と品性よ」
「……それ、人間のほぼ全てじゃねえ?」
「そうとも言うわね」
あっけらかんとハロルドの意見を認めるヌレハ。
「でも、実力だけは疑わなかったわよ、彼」
「ハロルド様が銀騎士様であると知っていたのでしょうか?」
こてん、と可愛らしく首を傾げるエリザベスが、そう疑問を口にした。
だが、ふるふると首を左右に振ったヌレハが、その考えを否定する。
「たぶん、違うわね。あの子は私の実力も疑ってなかったもの。私こそ無名なんだから、実力の裏付けなんて存在しないわ」
「ええ。じゃあ、なぜ?」
「王女様の護衛を国王から任されてるんだもの。実力はあって当然だわ」
ヌレハが口にした意見は、考えてみれば至極真っ当なものだった。
「だからあの子は、護衛を任されるほどの実力はあるのだから、もっと他のところを見直せと怒っていたのよ。まあ、おそらくだけど」
彼女はそう結論付けた。
「なるほど、ただの良いやつだ」
「そうですね。良い人です」
続く二人も、結局はそう言って納得するのだった。
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