第14話 道中②

「あっ!」


 移動を開始して二日目。会話も途切れ途切れに、暇そうに窓から外を眺めていたエリザベスが、何かに気付いた様子でそんな声を上げた。


「とまっ、停まってくださーい!」


 そして、御者をしている兵士に慌てて停車を呼び掛ける。


 その声は前後を走っていた馬車にも聞こえていたようで、すわトラブルかっ! と慌てた様子の兵士は馬車を停止させる。

 その瞬間、弾かれるように扉を開け放ち、エリザベスが外に駆け出していく。


「あ!? え、エリザベス様! もうっ!」


 そのあとを剣を持って慌てて追いかけるニコル。

 主に向かって「もうっ!」等と言っていいのかはわからないが、本人が聞いていなさそうだったので、良しとしよう。


「ハル」

「あ?」

「護衛」

「あ。そっか」


 そんな彼女らの様子をぼうっと見ていたハロルドに、ヌレハが護衛活動の催促をする。

 足元に転がっていた長剣を拾って、ハロルドも馬車を降りる。


「おおっ」


 その瞬間、目の前に広がる花畑に、思わずそんな驚嘆の声が漏れる。

 見れば、エリザベスとそれを追いかけるニコルは花畑の上を駆けており、この花々を目にしたエリザベスが退屈に耐えかねたのも相俟って、つい飛び出したのだとわかった。


「そろそろ秋なのに、こんなに咲いてるもんなんだなあ」

「休憩! ここで休憩しましょー!」


 ハロルドがそう独りごちると、花畑の中心からこちらにむかってブンブンと両手を振るエリザベスが、皆に向かってそう提案する。

 確かに、時刻は昼時。

 休憩にはいい時間だし、景色としても申し分ないだろう。


 王女の意見に賛成なのか、馬車から降りてきた護衛の面々はあくびを噛み殺しながら延びをしている。

 とりわけ御者をしていた者は朝からぶっ続けで疲れたのか、馬に餌を与えつつも、その様子が顕著であった。


「エリザベス様っ! 外に駆け出す前に一声おかけ下さい! 馬車旅が退屈なのは我々もわかっておりますので、止めなどしませんから!」

「はうっ……。ご、ごめんなさい……」


 そのころ、エリザベスに追い付いたニコルが、王女を叱っていた。

 ニコルは鎧を着ているとはいえ、それをぶっちぎって、簡素とはいえドレスのまま駆けていたエリザベスは、なかなか足が速いと言えるだろう。王女としてはどうかと思うが。




 あたりを、どこか気の抜けたムードが充満する。

 だが、そんなときに限って、ブウゥンという不快な音が、ハロルドの鼓膜を微かに揺らした。

 薄い羽が高速振動する音。巨大な羽虫が飛来しているのだろう。その音が徐々に近づいてきていた。


「ハル! ワスプが……」


 羽虫型の魔物の総称、『ワスプ』。

 【千里眼】保持者のヌレハが観察し、注意をすることで、それがこちらに向かって高速で飛来していることをハロルドは確信する。


「くそっ、どこから来てるのかわからねえな……」


 不愉快そうに眉を顰め、舌打ち混じりにそう口にする。

 空間を震わす羽音は所構わず木霊して、どこが出所なのか、いまいち掴めない。


「ヌレハ、どっちから来てる?」

「エリザベス様たちを挟んだ向こう。あの森から来てるわ」

「うお、まじかっ」


 ヌレハからの情報により、羽音の出所を特定する。

 というか、その頃にはもう、目視できる距離にまで接敵していた。


 そしてそいつは、よりにもよってハロルドが居る位置から花畑を挟んだ対岸。そこにある森から飛来していた。

 それを確認した瞬間、手に持っていた剣を鞘から抜くと、邪魔な鞘はぽいとその辺に捨てておく。


 だが、ハロルドは馬車を降りたその場所で立ち止まっていたので、まだ花畑に足を踏み入れてはいない。

 なので当然、ワスプが彼のもとに辿り着くためには、花畑を通過する必要がある。そして、その花畑の中心には、ハロルドや兵士たちよりも明らかに弱そうな、かっこうの獲物がいる。


「エリザベス様ッ! 私の後ろへ!」


 そうなれば、位置関係により当然、ワスプは獲物をエリザベスとニコルに定め、一心に彼女らに向かって行く。

 ニコルは慌てて剣を抜いて、エリザベスをワスプから護る位置にて構える。


 ワスプは攻撃が当たりさえすれば、そこまで厄介な魔物ではない。人頭サイズはある虫だが、一般成人の膂力さえあれば、その外骨格は簡単に砕き割ることができる。

 しかし、厄介なのは空を飛ぶ能力と、その速度にある。そして、毒持ちが多いということも。

 構えから見ても、魔術よりも剣を主に使用するのだろうニコル一人では、エリザベスに傷一つ負わせず護りきれるか、正直わからない。


 ハロルドの側に居る兵士たちから、魔術を使おうとしているのだろう、魔力特有の淡い光が溢れ出す。

 だがこちらも、距離があるため当たるかどうか、そもそも間に合うのかどうかもわからない。


「どうしようかな」


 そんななか、ハロルドは悩んでいた。

 全力で駆ければ、一瞬でエリザベスのもとまで駆けつけることが出来るだろう。だが、そうすれば足元に咲く花々が衝撃でどうなるか、想像に難くない。


 なので、手に持っていた剣を逆手持ちに変え、槍投げのように、投擲の構えをとる。

 そして、3歩ほどの助走をつけると、


「きゃあーっ!! 虫ぃー!!」


 あ、そこなんだ。と突っ込みたくなる悲鳴をあげる王女に接近するワスプに向かって、


「――っらあ!!」


 気合いの掛け声一発。長剣を射出する。


 ハロルドの馬鹿力によって射出された長剣は、重力による影響を受けていないかのように、文字通り『真っ直ぐ』飛び、今にもニコルに喰いかかろうとしていたワスプに衝突。

 突き刺さるどころか、あまりの勢いにワスプは木っ端微塵に爆散し、そのままの勢いで飛んでいった長剣は対岸にある森の木々を四、五本突き破って彼方へと消えた。


 目前に接近し、迎撃すべく瞬き一つせずに睨んでいたはずのワスプが、一瞬で粉微塵になり、消え去った光景に唖然とするニコル。ハロルドの近くでは、魔力の残恍を仄めかす兵士たちが、思わずといった様子で「マジかよ……」と呟いていた。

 土煙をあげて倒れていく木々。まるで魔力砲弾マギキャノンでも撃ち込んだかのような惨状だが、撃ち込まれたのは砲弾ではなく、一本の普通の剣である。更には、その現象を起こしたのがハロルド一人のただの膂力という事実。

 一部始終を目にしていた兵士たちだが、そんな彼らも、脳みそがその事実を受け止めることを拒否している様子で呆けていた。


「おーい、王女様。無事か? あんまし兵士から離れないようにな」


 そんな彼らの反応は慣れっこなのか、当のハロルドは目もくれない。

 極力足元の花を踏み潰さないように、ゆっくりとエリザベスのもとに歩み寄っていきながら、軽めの注意をする。

 今回の騒動の原因と言えば、やはりエリザベスが護衛一人連れずに花畑中央まで駆けていってしまったことだろう。

 そのせいで兵士たちも連携がとれず、対処が完全に後手後手に回った。

 とは言え、ハロルドにとっては今回のワスプ程度じゃなんら驚異ではない。それこそ、今回の数倍から数百倍の距離が離れていようとも、ヌレハさえ居れば何とでも手の施しようはあるというものである。


 なのであくまで、注意は軽いものなのである。

 ハロルドの受け持った依頼は『護衛』であって、『教育』ではない。その辺は、冒険者である自分よりも適任がいくらでもいるだろう、と考えている。


「は、ハロルド様……。すいません……」


 草花のマットの上にへたりこみながら、項垂れるエリザベス。

 そこまで凹まんでもいいだろうに、と何だかばつが悪い気持ちになったハロルドは、ガリガリと頭を掻いて、


「……ま、何にせよ無事でよかった。誰もそこまで気にしちゃいないさ。馬車旅は退屈だもんな。俺だって、たまに走り回りたくなるし」


 あまり慣れていない様子ではあるが、エリザベスに慰めの言葉をかける。


「……ハロルド様……ありがとうございます」


 その言葉のお陰か、彼女の気丈さ故か。エリザベスは顔を上げ、にっこりと微笑んで、お礼を告げる。


「……んじゃ、飯でも食おう。花畑の中心ってのもオツなもんだとは思うけど、こういうのはあんまし踏み荒らしちゃいけないと思う。もうちょい向こうで、大人しく兵士に囲まれて下さいや」


 ほんの少しのユーモアも交えつつ、エリザベスを兵士たちのもとへと誘導しようとするハロルド。


「は、はいっ! ……あ、あの、ハロルド様……?」

「ん? どした?」


 明るい返事はしつつも、一向に腰をあげないエリザベス。何かを言いにくそうに、徐々に赤くなってゆく顔をまたもや伏せさせる。

 なんか問題があったのだろうか。もしかして、恐怖でチビっちゃったのかなあ。だとしたら俺はこの場にいない方がいいよな……。なんて考えつつも、取り敢えずどうしたのか訊ねる。

 すると、恥ずかしそうに俯きながら、ボソボソと、


「こ、腰が抜けてしまったので……運んでください……」


 と、可愛らしいお願いをするのだった。


「……ハロルド殿。私からも頼もう」


 どうすべきか悩んで、傍らのニコルをちらと見遣れば、困ったように眉尻を下げながらも、まさかの承認。

 じゃあ俺が運ぶしかないじゃん、とげんなりするハロルド。

 リアルお姫様をお姫様抱っこする日が来るとは思わなんだ、と困惑しつつも、「大人しくしててくれよ」と平静を保った振りをして、エリザベスを兵士たちのもとへと輸送するのだった。


 運ばれるエリザベスは、始終顔を伏せ、耳まで真っ赤であった。

 それは恥ずかしさからか、それとも別の感情からか。

 その辺りの機微は、本人の口から語られぬ以上は、周りが知り得ることはないだろう。




「よいしょっ、と」


 おっさん臭い掛け声を発しながら、馬車の扉寄りの座席にエリザベスを下ろす。

 まだ足腰に力が入らなそうな王女を地べたに下ろすよりはいいだろう、という配慮だ。扉を開けておけば花畑も一望できるので、それで我慢してもらおう。


「あ、あの。剣、すいません。私のせいで、一本なくなってしまいました……」


 そのまま近場に落としたままだった、中身の消えた鞘を拾っていると、申し訳なさそうにトーンを落とした声がエリザベスからかけられる。


「ああ、いいっていいって。安物だし。……よっ、と」


 ばき、ばき、と木製の鞘を4つに割り分け、花畑の中に捨てる。ハロルドは楽々とこなしているが、とてもじゃないが常識人の腕力じゃできない行動であった。

 ポイ捨てはどうかと思うが、どうせ主な材料は木だし、分解されるだろうと考えて、放置を選んだ。


「ヌレハ」

「はい」

「さんきゅ」


 そして馬車の傍らに佇んでいたヌレハの声をかけると、阿吽の呼吸で新しい長剣が差し出される。

 ハロルドが投げ飛ばした時点で、こうなることはわかったいたのだろう。ハロルドが頼む前からすでに、その手には渡すべき長剣がスタンバイしていた。


「……?」

「あ、あれ? ヌレハ殿、そんなもの持ってましたっけ?」


 その行動を見ていたエリザベスとニコルは、頭の上に疑問符を浮かべて眉を顰める。

 彼らが持っていた長剣は、ハロルドが最初から携帯していた一本のみ。だが、それはさきほど駄目にしてしまった。

 そして、ヌレハは最初から手ぶらであった。

 ならば、新しく差し出された剣はいったい今までどこにあったのだろうか。と考えてしまうのも、無理からぬ話である。

 だが、当のヌレハは、


「持ってたわよ」


 あっけらかんとそう答えるのみであった。

 威圧感はないものの、有無を言わさぬ断定の口調に、質問を投げ掛けた彼女らも、なんとなく二の句が継げずに口をつぐむのだった。




 その後は結局、馬車のなかで四人仲良く昼食のサンドイッチをいただくことになった。

 今朝に出立する前の村で購入したものなので、挟まれている具材は実に新鮮で、うまい。

 先の見えない冒険のような旅ではなく、無理せず毎日村を経由していくことがわかっているからこその食事であった。

 これが先の見えない、どこに村があるのか、いつたどり着けるのかすらわからない旅であれば、もっと日持ちするが、その代わりに美味しくはない堅パンなんぞを食う羽目になる。


「そういや、ニコルも戦うんだな。検証士って普通に戦えるもんなの?」


 無言でサンドイッチを食み食みする一同。いち早く食べ終わったらしいハロルドが、そんな疑問を口にする。


「……。戦える検証士を目指しておりますので」

「はあ、なるほどね。だから普通の騎士みたいな格好してるのか。ブラフか何かだと思ってた」

「ふふっ。一芸だけじゃ、王宮務めとしては相応しくないと思うのです」


 口のなかに残るものを飲み込んでから、微笑み混じりに丁寧な返事をするニコル。

 その横では、エリザベスが「そんなこと気にしなくても良いと思うんですけどね」と言っている。どうやら、『戦える検証士』というのは個人的な目標であって、そうでなくても王宮のお抱えとしては十分な基準点は満たしているらしい。


 やがて、外で思い思いの行動をしていた他の兵士たちも各自の馬車に戻り、「出発します」という報告とともに、今晩泊まる村へと向かうのだった。

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