学園都市編
第12話 出立
学園への入学は秋。
護衛任務が言い渡された時期からしたら少し先になるので、ハロルドはお世話になっていた王都の住人にゆったりと別れを伝えていくのだった。
「……そうか。それは、案外困るな」
「え、何でだよ? 数少ない顧客が一人減るからか?」
「……いや。市場で買うよりも、お前に採取任務を依頼する方が安くついていたからな。……それ以外は、特に無いな」
「あっ、そうかい」
ハロルドが贔屓にしていた路地裏のバー〈アンブラ〉。そこの店主にもしばらく王都から離れることになったことを伝えると、そんな素っ気ない返事がくるのだった。
店主の態度に口を尖らせていじけるハロルドだが、そんな彼の様子をちらと横目で確認した店主は、ふっと微かに表情を緩ませる。それは、鉄仮面の店主にしては非常に珍しい、彼の微笑みであった。
「……冗談だ。王女の帰省のときには、一緒について帰ってくるんだろう? そのときにでも寄ってくれ。材料は用意しておくからな」
「……マスター。……ああ、そうさせてもらおうかな」
そうして、彼との別れは済まされた。
ちなみにだが、「ヌレハは水しか頼まないから、別に連れてこなくても良い」とのことだった。
◇ ◇ ◇
そうこうしているうちに、案外早く月日は流れ、あっという間に王都から離れるときがやって来る。
かなり長い間厄介になっていた宿屋からも退室手続きを行う。宿屋の主人は、また王都に戻ってきたらうちを使えと言う。そうするよと返すと、じゃあ部屋は空けておかないとな、と笑っていた。
彼のことだから、本当にそうするのだろうな、とハロルドは苦笑する。これは、他の宿屋に浮気できなさそうだ。
別れを済ませたといえば、夜猫に王都から離れることを告げた際に、変なことを言っていたのを思い出す。
いつも通りのギルドホール。
彼女は、そこに住んでいるのではないか、と思ってしまうほどに、毎日いつでもそこに居る。
例に違わずその日もそこに居た彼女に、受けた仕事とその都合で王都を離れることを伝えたときだ。
『ありゃりゃ。そりゃあ、ここもつまらなくなっちゃうなー』
『ははっ。俺はエンターテインメント発生装置かっての』
『え、そうだよ?』
『えっ』
『にゃはは! ま、お仕事頑張ってねえ。じゃ、また後でっ』
『え? 後で?』
何やらちぐはぐな会話と言葉の真意を問い質す前に、彼女はぴゅうと走り去ってしまった。
あれはどういう意味だったのだろうか。ハロルドは首を傾げるが、答えは出なかった。
そうこうしているうちに、王城に辿り着く。
先に合流していたヌレハと、門番に話しかける。すると、入ってすぐの庭でもう出発の準備はできているとのことで、今回は案内など無しに入城が許された。
城内に足を踏み入れれば、なるほどすぐに目に入る豪奢な三台の馬車。
基礎は木製だが、要所要所に鉄製の外装をつけ、ちょっとやそっとじゃ内部に損害を与えられないようにした、まさしく要人用の馬車。
一台あたり二頭の馬で引くのだろう。傍らで待機している六頭の馬は、これまた見たこともないような逞しく立派な馬であった。
「すんません。お待たせしちゃったようで」
「あっ、ハロルド様に、ヌレハ様! とんでもないですっ。本日から、どうぞよろしくお願いします!」
馬車の側でニコルと何やら話していたエリザベスに声をかけると、元気一杯な返事と共に深々と一礼。相変わらず、目下の者に頭を下げることに抵抗がないらしい。
「……ずいぶん、軽装ですね?」
そんな王女と冒険者の様子を見ていたニコルから、訝しげに細められた視線と共に投げ掛けられるそんな質問。
見れば、ハロルドはいつも通りの服装に、三本の大きさが違う剣。それと、斜め掛けの小さなバッグを持っているだけだ。
ヌレハに至っては手ぶら。着物という服装も加わり、旅をなめていると怒られても仕方がない姿である。
「え、そうかな? 武器に、小銭に、怪我したときのための、薬。……十分じゃね?」
「は、き、着替え等は?」
「ああ、ヌレハに持たせた」
「…………『持たせた』?」
「持っていただきました」
「よろしい」
ひょんな一言からヌレハに睨まれたハロルドは冷や汗を一筋。
そんな彼の様子はともかく、ヌレハは見た限り手ぶらである。ハロルドの着替えどころか、自分の荷物すら何一つ持っているようには見えない。
これはからかわれているのだろうか、とニコルが思ったとき、
「ふむむむぅ? 君がレオンをワンパンで沈めたと噂のハロルドくんかな? とてもそんな風には見えないけど、本当なのかなぁ?」
「……よう、兄弟」
「あれ、レオン。元気そうだな。後遺症とかは残らなかったか?」
決闘してから会っていなかったレオンが歩み寄ってくる。そんな彼を目にしたハロルドは、無神経にそんな声をかける。
ぴくり、とレオンのこめかみが一瞬痙攣したが、怒り散らすようなことはせず、それだけだった。
とは言え、間近で見ていたエリザベスとニコルにとっては、その一瞬だけでもかなり肝が冷えたが。
「……まあな、お陰さまでピンピンしてるぜ。あんなへなちょこパンチで後遺症なんて残るかよ」
「いや、お前あの一撃だけで死にかけだったじゃん」
「ふぅむ。確かに、見た目に反して意外と筋肉はついてる……かな? でも、それにしたって強そうには見えないなあ。ねえ、君本当にレオンに力だけで勝ったの?」
「はっ! まあいい、今回はそういう結果だったが、次回も同じだと思うなよ? 次は俺が一撃でお前を半殺しにしてやる」
「……そりゃ、物騒なこって。ま、楽しみにしてるわ」
「おう。首洗って待ってな」
生死をさ迷うような攻防を繰り広げた決闘ぶりだとは思えないような、和やかな会話を繰り広げるハロルド。
よく聞けば、言葉の応酬は物騒この上ないような内容だが、あくまで二人が纏う空気は穏やかである。
「…………ところで、」
そんな会話も一区切り。そうなってようやく、
「わおっ!? 君たち華麗にわたしのこと無視するねえ! 王国一の美少女のわたしにボディタッチされても反応しないなんて! ……はっ! さてはわたしのこと、見えてない……? た、たいへん! みんなのアイドルフローラちゃんが、いつの間にか死んじゃってたあっ!?」
「……コイツ、誰?」
「あれ、見えてたの? じゃあ、意図的に無視してたってことぉ!? ひっどーい!」
口だけは喧しいくせに、精巧な仮面を被っているのではと疑うほど無表情極まる女を指差し、レオンに紹介願う。
話題を振られたレオンはばつが悪そうにガリガリと頭を掻いて、「あー……」と言葉を探しあと、
「コイツはフローラ。みんなのアイドル……だな」
言わされた感が満載の紹介をする。
「フローラちゃんだよっ! きゃぴっ」
「……衛兵は何をやってるんだ? おーい、ここに不審者が居ますよー!」
「ふふ、不審者じゃないやいっ! 非道いヤツだなあ、君は! ぷんぷん」
「悪いが、『ぷんぷん』と口で言うヤツと関わるなって、その昔、ママに教わったんだ」
「ななっ! しょ、しょうがないじゃないか! 口に出さないと、みんなわたしの感情を理解してくれないんだからっ!」
「……なるほど。よしわかった! 俺はお前の感情を顔から判断できるように努力する。お前は表情筋を鍛えることを努力しろ。そうすれば無駄が無く、そしてみんな幸せだ!」
「……き、君は……天才なのかな……?」
そのままの流れで、いつの間にか意気投合し、和やかに中身の全く無い会話を続けるハロルドとフローラ。
レオンは頭が痛そうに押さえている。彼は彼で苦労人なのかもしれない。
「……むっ。初対面のはずなのに、私よりも親密度が高い気がします」
「……立場の差のせいもあるんじゃない?」
「なんてことでしょう。王族辞めたいです」
「陛下が泣くわよ」
フローラをジト目で見つめつつ、ずれた感想を口にするエリザベス。ヌレハは面倒くさそうにそれに反応していた。
「あいや済まない。また待たせたな」
「あ、やっぱりエリーはここに居たのね」
しばらく雑談に花を咲かせていると、護衛をつれた王と王妃、それにオリヴィアが城から現れる。
姉の言葉に少しばつが悪そうな表情をするエリザベスをみれば、彼女が家族に連絡無しに庭まで出てきていた事実がわかるというものである。
「ふむ。用意は?」
「はっ。全員分の積み荷はもう馬車に積み終わっております」
「なるほど。もういつでも出発は出来る……と」
「はいっ!」
兵士の報告に対する王の最終確認に、輝く笑顔で応えるエリザベス。
今日という日が楽しみで楽しみで仕方なかった、という表情である。
一方の王は――
「……寂しいなあ」
隣に佇む王妃にしか聞こえない音量で、そんな呟きを漏らしていた。
「エリザベス。長期休みにはいったら、帰ってくるのだぞ?」
「え、あ。はい」
「長期休みにはいらなくても、帰ってくるのだぞ?」
「はい?」
「……小まめに、帰ってくるのだぞ?」
「……」
「はいはぁい。エリー。パパのことは気にしないで、学園生活楽しんできなさいねぇ。たったの三年間しかないのだものぉ。あっという間よぉ? きっと」
王の言葉に段々と笑顔が消えていったエリザベスに、王妃が慌てて救いの手を差しのべる。
このまま王が駄々をこね続けたら、喧嘩別れになりかねない。
「は、はいっ! 精一杯楽しんできます!」
「……勉強もね」
「うっ……。はぃ、もちろん。勉強も、頑張ります……」
尻すぼみになる宣言。説得力は皆無であった。
「あー。ハロルド殿、ヌレハ殿。重ね重ね、エリザベスをどうか頼む」
「ははっ。任せてください」
「不埒な輩には、エリザベス様に指一本薄皮一枚触れさせませんわ」
「ははは、これは心強いな」
ここにきて、ハロルドたちが初めて目にする王の笑顔。
それは、本当に娘を心配している、父親の顔だった。
「エリーをよろしくねぇ。勉強とかでも、わかってなさそうだったらどうか助けてあげてねぇ」
「え、どうだろ。俺に教えられますかね」
「大丈夫よ。エリーはビックリするほどおバカだもの」
「お姉様っ!?」
ハロルドと家族たちの会話を聞いていたらしいエリザベスは、顔を真っ赤にしてオリヴィアに詰め寄ると、
「あはは。ごめんごめん」
「もうっ! もうっ!」
そのままポカポカと姉を叩く。本人は本気で恥ずかしそうだが、見ている側からすれば、実に微笑ましい光景であった。
「出発の準備、完了しました!」
「あっ! は、はいっ!」
出口に向かって先頭となる馬車から下りてきた兵士が、立派な敬礼とともに宣言する。
その声を受けたエリザベスは、急かされるように、慌てた様子で中央の馬車に駆け寄っていく。
「……俺らはどれに乗れば?」
「エリザベス王女、ニコル殿とともに、中央の馬車にお乗りください!」
「いいのかそれ?」
「いいんだよ。ここに居る全兵士のなかで、兄弟が一番の手練れだ。お前が裏切らねえ限りは、お前の側が一番安全だろうさ」
ハロルドの疑問に答えたのは、側で会話を見守っていたレオンだった。
ちなみに、ヌレハは中央の馬車と指定された瞬間に、もうそれに向かって歩き出している。はやく座りたいのだろう。
「レオンとフローラは護衛じゃないんだ?」
「わたしたちは『王国近衛師団』だからねえー! 易々と中央都市から離れられないのさっ! ……だからハロルドくん。王女様をお願いね」
「ああ、なるほど……。おう、任せな。命にかえても護ってみせるさ」
「あはは! 『命にかえてもー』、なんて言うと、逆に嘘っぽいねえ!」
「……お前がなんか真面目なトーンで言うから、真面目に返したのに……」
「ああ、ごめんてー、落ち込まないでよー」
そのとき、一人ショボくれるハロルドの耳に、馬車から「ハロルド様ー!」というエリザベスの声が届く。
どうやら、いよいよ出発の時間らしい。
ハロルドが男女比率のおかしい中央の馬車に乗り込み、扉を閉める。
その様子をやはり心配そうにじっと見つめていた王だが、馬車が走り出す前に、一度目を伏せふるふると頭を振るうと、顔をあげる。
「……エリザベス! 王国を代表する一族として、誇りを持ち、勉学に励み、一回り立派になって帰ってくるのだぞ!」
大きな声でそう別れを告げる彼の顔は、立派な王様そのものであった。
「エリー、しっかりねぇー」
「色々なことを経験してくるのよー!」
「はーい! 行って参ります!」
ハロルドたちは初めてくぐる、馬車用に作られた大きな城門。
大きな軋み音を立てて開かれたその門に向かって、三台の連なる馬車は真っ直ぐ向かう。
エリザベスと、彼女の家族たちは、いつまでもいつまでも手を振っていた。
大きな門をくぐり、その姿がお互いに見えなくなるまで、ずっと。
そういえば、自分の家族たちは元気なのだろうか。
そんな彼女たちを見て、ハロルドはふと、そんな感慨にふける。
もう会えなくなってしまった家族のこと。
さようならの一言もなく、離れ離れになってしまった人たちのこと。
みんなは、今の俺を見たら何て言うかな。
そんなことを少し考えてみたけど、答えは出なかった。
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