第11話 承諾

「……あ? ここは何処だ?」


 レオンが目を覚ましたのは、翌日のことだった。


「あ、目が覚めたー? いやー、驚異的な体力だねえ。内蔵ぐちゃぐちゃ骨ぼきぼき状態から、治癒魔術を施して治ったとはいえ一日で目覚めるなんて。もう、わたしビックリ!」


 思わず目が覚めると共に溢した言葉に、寝ているベッドの脇からそんな明るい言葉が返ってくる。


「……フローラか」

「せいかーい! みんなのアイドル、フローラちゃんだよお!」


 頭痛の種が現れた、とばかりに眉を寄せながら上半身を起き上がらせたレオンが、声の主を言い当てる。

 それに正解と返した女は、王宮魔術師のローブで豊満な肉体を隠せていないが包み隠し、ウェーブがかった金髪を結ばずに垂らした見目麗しい女性であった。


「無表情以外の顔を見たことない女をアイドルとは言わねえよ」

「えー、厳しーいっ!」


 その顔が、完全なる無表情であることを除けば。

 しかしそんな顔についた口からは、ちぐはぐな明るい声色で言葉が飛び出す。そのせいで、顔を見ながら話をしていると非常に不安な気持ちがふつふつと湧き出すので、レオンはこの女と話すのがあまり得意ではなかった。

 なので、そんな毒が混ざった返事をする。本当のことを言えば、一部の男たちには彼女の熱狂的なファンも居るには居るのだが、そのことは脇に置いておいた。


「で、みんなのアイドルフローラちゃんとやらは、何で此処に? 第二師団の仕事はねえのかよ?」

「みんなのフローラちゃんは当然あなたのフローラちゃんでもあるからね! 大きいお友達のお見舞いに来てあげたんだよっ。感謝してよね!」

「……ああ、はいはい」


 やっぱりコイツは苦手だ、とその謎テンションの返事を聞いて心底思うレオン。思わずため息が漏れた。

 しかしふと、彼女の言葉にあった「お見舞い」という単語に、今現在彼が居る部屋をキョロキョロ、と言っても、閉めきられたカーテンと、無表情のフローラしか目に入らないわけだが。


「そうか、俺は決闘で負けて、ここは王城の医務室か」

「ピンポンピンポーン! レオンが決闘で負けた、おまけに大怪我って聞いて、わたし腰抜かしそうなほど驚いたんだから! まあ、どうせ無表情だったんだろうけどっ」


 此処に運ばれるのはいつぶりだ、とレオンは感慨深く思う。いつの間にか身体は頑丈になり、簡単には負けないほど強くなり、此処に運ばれるような怪我をしなくなっていた。


 そうだ、俺は負けたんだ。と思い出したレオンは、思わず掴んでいたベッドの縁をぎゅっと握る。鉄製のフレームが握力で歪み、軋んだ音を奏でる。


「……何をやられたのさ? レオンがそこまでぼろぼろになるなんて」

「殴られた」

「はあ!?」

「一発だけ、腹を殴られた」


 意識を無くす前の最後の記憶。全身全霊の一撃を難なく受け止められ、仕返しと言って繰り出された、一発のパンチ。

 手がぶれたとしか視認できないほどの速度で打ち出された拳が、自分のはらわたをぐちゃぐちゃに粉砕した苦痛。


「うっ……」

「わあーっ! だだだ大丈夫? 治癒師……は今までの治癒で魔力使い果たして隣のベッドで寝てるんだった!」

「だ、大丈夫だ。すまない」


 思わず口を押さえ、えずく。

 レオンをしても、今まで経験したことがないほどの重さの一撃。

 無表情のままわたわたと仕草だけは慌ただしいフローラをぐいと押し返し、ふうと息を吐いてベッドに倒れる。


「…………」


 沈黙。

 レオンはただ、呆然と天井を見上げる。

 フローラは、そんな彼にどんな声をかけたらいいのかわからない。

 

「俺のレベルは、いくつだったっけか?」


 その沈黙のなかだからこそ、決して大きくはないレオンのそんな呟きも、いやに部屋に大きく響く。


「……何、忘れちゃったの? 本当に大丈夫? 100でしょ、常識だよ?」

「お前のレベルはいくつだ?」

「それも、100。……ねえ、やっぱりどっかに問題があるんじゃないの? 記憶障害ってやつ!? やばっ、それって治癒術で治るのっ!?」

「……そうだよ。俺も、フローラも、レベルは100だ。人間が到達できる限界点。それがレベル100なはずだろ……?」


 弱々しく。ぽつぽつと言葉を漏らし続けるレオン。いちいちてんやわんやと心配するフローラのことは無視する。

 レオンは考える。自分の攻撃をかすらせもせずに躱し続けたハロルド。自分の全力の攻撃を、あろうことか片手で防いでみせた、彼の姿。

 ギリィ、とレオンの口から歯軋りの音が漏れる。


「……じゃあ、あいつは一体なにものなんだよ……! 俺は自分が最高峰の人間だって自負してたんだぜ。なのに、あいつには手も足も出なかった。速度も、筋力もだ」

「レオン……」

「くそっ! 嫌になるぜ……。本当に……」


 悔しそうに噛み締めた歯の間から、苦しそうにそんな言葉を吐き出していたレオンが、ニヤッと笑みを浮かべ、


「まだまだぶっ潰し甲斐があるヤツが居たなんてな!」


 そう大声で言ってから、マンネリ化していた自分の力に新たな目標を得て、わははと大口開けて笑う。


「……いや、これはさすがに……引くわ……」


 ベッドの側でそんな脳筋理論をぶちまけるレオンに、見守っていたフローラはドン引きだった。

 浮かぶ表情は相変わらず皆無であったが。


   ◇ ◇ ◇


「あやつはなにものなのだ……」


 たまたまレオンの目が覚めて、同じような問いかけを虚空に溶かしていた頃、同じ城内で頭を抱えた王もそんな問いを漏らしていた。


「もう、それ何度目の言葉よぉ。いいじゃない、エリーの護衛が第一師団長より強い人になるってことでしょぉ? あぁ、私も決闘見たかったわぁ」


 妙に間延びした色っぽい声で王の言葉に返答をするのは、彼の妻、王妃であった。


「ふぅむ。だがあやつは冒険者だ。むしろ、あの力を使ってエリザベスを襲われたら、我々は手の施しようがないぞ……」


 決闘の後、新たに明らかとなったハロルドの力。それに心強さより先に恐れを抱いた王は、「護衛の件は後程追って連絡する」と伝え、レオンの治療を名目に、半ば追い出すように彼らを帰らせた。

 せめてもの救いは、彼らが何の文句も言わずに大人しく帰ってくれたことだろう。


 ハロルドは強い。それはそれは異常なほどに。

 その力の持ち主が王国に忠誠を誓う立場のものであれば、これほど頼もしいことはなかっただろう。

 しかし、彼の立場は冒険者。言うなれば流浪の民だ。

 だからこそ、心配が付きまとう。本当にハロルドを信用して、エリザベスを任せてもいいのだろうか、と。


「ハロルド様も、ヌレハ様も、絶対に私に危害を加えるようなことはしませんっ! お父様、お願いします!」

「……まあ確かに、危害を加えようと思うほど、エリーに興味を持ってるようには見えなかったわね」

「うぐっ……」

「なにぃっ!?」

「……そこは怒るのねぇ」


 疑わしきは近づけさせず。そんな心配が付きまとう時点で論外であると、王が即決できない理由。

 それが、決闘が終わってからも必死に懇願を続けるエリザベスの姿だった。


 そんなエリザベスの意見を後押しするように、妹の隣で見守るオリヴィアは、ハロルドたちを見たときの素直な感想を伝える。

 その一言に胸を押さえて呻くエリザベスと、その言葉を「エリザベスに魅力がない」と捉えて目をつり上げる王。

 そんな夫の姿に、妻は呆れ顔である


「……真面目な話、ヌレハさんの【千里眼】……あれは、護衛という面で見たら、是非欲しい人材だと思うわよ、私は」


 世界の視覚情報にアクセスし、対象を検索、監視することができる能力、【千里眼】。おまけにヌレハのそれは、有効範囲が世界。すなわち範囲と銘打っても、無いに等しいのだ。

 いつでもどこでもエリザベスを見て、居場所を知ることが出来る能力。

 護衛という任務において、これほどおあつらえ向けの能力は他に無かった。


「……それは、そうなのだがなあ……」

「でもあの感じからすると、ヌレハさんだけ護衛として雇うってのは出来そうになかったわね。あくまで、ハロルドさんについていくって姿勢に見えたわ」

「あらあらぁ、献身的な女性ねぇ。そういうの、男心にグッと来るんじゃなぁい?」


 あのお二人はお付き合いしてるのかしらぁ、と俗な想像を膨らます王妃は放っておいて、王はむむむと眉を寄せて考え込む。


「お父様……いいえ、パパ! お願い! 彼らを私の護衛にしてっ!」

「なっ――!? ぐ、ぐぅうおおおお! 卑怯だぞエリザベスッ!!」


 普段は何と頼んでも「パパ」と呼んでくれないくせに……いや、だからこそ、大事な場面でここぞとばかりに威力を発揮する、エリザベスの必殺技が炸裂する。

 胸を押さえて苦しそうに雄たけびをあげ、葛藤を露わにする王。とても国民の前には晒すことのできない醜態である。扉を護っている兵士も、その顔には隠し切れない苦笑が滲んでいる。


「で、出たわ、エリーの必殺技よ! かつてこのお願いのせいでおじゃんになった公務の数は知れず、大臣たちの頭を禿げ上がらせるほどに悩ませた禁忌の技……! 最近は鳴りを潜めていたけど……いいえ、だからこそ、威力が今までと段違いだわ!」

「……本当昔から、『パパお願い』って言われたら、どんな大切な公務も放ってエリーを構っちゃうんだものねぇ。今回はどうかしら……」

「……ええいっ! ならん! ならんぞっ! 第一、この判断次第で危険になるのはエリザベスの身なのだ! この程度のことに負けていられるかぁ!」

「あ、耐えた」


 脂汗をじっとりと滲ませ、しかし表情には不敵な笑みを浮かべて、「今回ばかりは負けぬ」と宣言する王。

 そんな彼の姿にオリヴィアは驚嘆し、王妃は「あらあら」と笑っている。

 王のただならぬ気迫により、エリザベスの無敗を誇る必殺技が、よもや初めての敗北を喫するかに思われた。

 しかし――


「それが駄目なら、もうパパとは口をきかないもんっ」


 エリザベスに無慈悲な追撃。一同に戦慄がはしる!


「エリー、な、なんて恐ろしい子なの……!」

「エリーも成長してるのねぇ」


 どこか楽しそうにそんなリアクションをこなしたオリヴィアと王妃は、それからチラと王に視線を向ける。


「ぐっ――!」


 そこには拳を握り、歯を食いしばり、ぷるぷると震える王の姿。

 絶体絶命である。このままでは、愛しの末娘に嫌われてしまう。しかし軽々しく判断すれば、危険になるのはエリザベスの身なのである。

 どうする。どうする。どうすればいい。


「ぐ……ぐっ……ぐうぅおおおおおぉぉ!!」


 その日、王城に謎の咆哮が轟いたという。


   ◇ ◇ ◇


「……ということで、そなたら二人には、我が国の第二王女、エリザベス・フルード・フォン・カラリスの護衛を頼みたい」

「負けちゃったんだ……」


 後日、王城に召喚されたハロルドとヌレハにかけられた言葉は、護衛を依頼するという決定事項であった。


「ただ、そなたらは国に仕える騎士や兵士ではない。そのため、一種の監視という意味で、同行させるニコルに一日一回、【過去視】にて大まかな挙動を確認させてほしい」

「……もし、王女をあだなす可能性を示唆するような疑わしい行動をしていたら、即通報……というところでしょうか?」

「……ふむ。まあ、そんなところだ」


 全てを見透かすような瞳の光を向けながら問いかけるヌレハに、ほんの少し気圧される王だが、表向きは余裕を浮かべ、威厳たっぷりに仰々しく返事をする。


「……まあ、落としどころとしては妥当なところですわね。で、ハルはどうする? 結局、頼みを受けるか受けないかは、私たちにかかってるんだけど」

「え、ああ、そっか。うーん……」


 悩むような唸り声を上げながら、ちらと王の横に控える肝心のエリザベスに、ハロルドは視線を向ける。

 そこには、満面の笑みを浮かべ、もうすでにハロルドたちと過ごす生活を想像しているような表情ですらある、幸せそうな少女の姿がある。

 いやこれ、断れねえだろ……。とハロルドは苦笑を浮かべる。残念なことに、無垢な少女の表情を絶望の色に染めるような嗜虐趣味を、彼は持ち合わせていなかった。


「……やるよ。あ、違っ、や、ります」


 思わず王に向かってタメ語で言葉を発するハロルド。しどろもどろである。


「……ということなので、私とハロルド、共に、慎んでお受け致しますわ」

「ふむ、そうか。いちいち監視されるようで、不快な想いをさせるやもしれぬ。給金と報酬には色をつけるので、どうか容赦して欲しい」

「え、別にいらなっ!?」

「とんでもごさいませんわ。ですが、それが陛下のお気持ちと仰るのでしたら、受け取らないことこそ失礼というもの。ありがたく、頂戴させて頂きます」


 思わず、「別にそこまでお金はいらない」と口にしそうにしたハロルドを素早いビンタで止めたヌレハが、うやうやしいお辞儀と共に感謝を口にする。

 突然の暴力を振るわれたハロルドだが、その顔は「なるほど」という感心が浮かぶだけで、怒りは見えない。この程度のコミュニケーションは日常茶飯事なのだろう。




「……いっそのこと、王宮騎士団にでも入ってくださればいいのにぃ。そうすれば、監視なんてつけなくても護衛任務を任せられるものぉ」


 王と二人の間での交渉が終わり、生まれた会話の隙間。

 そこに、ふと思ったのだけど、と言わんばかりに挟み込まれた、王妃からのそんな言葉。

 その言葉に、にわかに場がざわつく。

 王妃の言葉には格式張った堅苦しさはなかったが、その中身は、紛うことなくスカウトであった。

 本来であれば、数多の試験をこなしてようやく入団することが許される、エリート中のエリートのみが在籍する王宮騎士団。そこに、王族直々にスカウトされたのだ。

 戦闘職を生業とする者ならば、これは大出世といえる。一度騎士へと就任されれば、殉職や罹患などをしない限りは、これからの生活が保証されるに等しい。

 しかし、


「いやぁ、騎士なんて称号は、小っ恥ずかしい異名だけで十分っすよ」


 ハロルドは、はにかみ笑いでその誘いを断る。


「あらぁ、そう? 残念だわぁ」


 ハロルドの返答にそう言いつつも、微笑みは絶やさず、全く残念そうに見えない王妃。

 初めから断られることがわかっていたようなその様子に、一番関わりが浅いのに、ハロルドのことがよく理解できていることが窺える。

 案外、最も食えない人かも。と、ヌレハは微かに彼女に対する意識と警戒を高めるのだった。

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