第10話 決闘

「……なんだ、これは……?」


 静寂と砂煙に支配された空間でようやく響いたその声は、心底理解不能だと表情で訴える王の口から漏れた。

 現状が全く理解できていなさそうなのは、王だけではなかった。

 それどころか、この場にいるほぼ全員が、代表である王と同様か、それ以上に驚愕に染まった顔を中央の戦闘場に向けている。


 そこには、血溜まりに倒れ伏すレオンと、左腕からぽたりぽたりと血を流すが、しかしそれだけのハロルド。

 誰もが想像しなかった光景が、そこにはあった。いや、正確にはそれは、誰もがその役割は逆だと思っていた光景だった。


 そんな、目を見開き、無様に口を開けて呆ける周囲の姿をちらと見たハロルドが、


「おーい。誰か、治癒術師呼んできてくれよ。あと、担架」


 と、困ったように口にすることで、ようやく凍結していた時間が再び動き出すのだった。


   ◇ ◇ ◇


 王の試合開始を告げる合図のあと、先に動いたのはハロルドだった。

 先手必勝とばかりに正面のレオンを見つめながら、低い姿勢で駆ける。

 まず、この瞬間にハロルドを見失った者すら居た。それほどまでの速度で肉薄するハロルドに、重鈍な剣を担ぐレオンは、しかし微かな焦りもなく、これを迎撃してのける。


 狙い違わずこめかみの高さに、ぶおんと鈍い風切音を響かせながら振るわれる特大剣。

 そのままそれを甘んじて受けてしまえば、いくら模擬剣とはいえ、人の頭など熟れた西瓜のように弾けてしまうことが、その暴力的な音から窺い知れる。

 ハロルドはこの一撃を、ただでさえ低い姿勢を更に低くすることで躱す。

 そのまま開いた腹に、勢いを乗せた渾身のボディブロー、これで終わりだろう。ハロルドはそう思っていた。しかし、


「――っ!?」


 地面すれすれまで低くなり、レオンの全身を収めることが出来なくなった視界に、突如現れる極太の脚。

 厚い筋肉で覆われたその脚は、まず間違いなくレオンのものであった。その脚が、ハロルドの頭を打ち返そうとばかりに、一瞬で迫ってくる。


「うおっ!」


 思わずそんな声を漏らしながら、無理矢理に身体を捻って躱す。しかしそんな無理な姿勢から反撃に移れるわけもなく、ハロルドは突撃の勢いのまま、まるで転がるようにレオンの脇を抜け、少し距離を取る。


「……何だ? 今どうなったんだ?」


 剣を避けたら、次いで蹴りが来た。

 文字に起こせばそれだけなのだが、少なくとも、あれほどの大きさと重さを持つ剣でそれを易々と行う者を、ハロルドは見たことがなかった。




 「でかい剣を使うヤツは良いカモだ」と口にする者たちがいる。

 高速戦闘に重きを置き、その速度にて撹乱した相手の『隙』をついて、急所に致命の一撃を見舞う戦法を好む者たちだ。

 彼らは口を揃えて言う。「あいつらの攻撃を一撃避けれれば、こっちの勝ちだ」、と。

 それは言うなれば自然の摂理。じゃんけんで言うところのグーとパー。そんな彼らが堅実な戦闘を行う者を苦手とするように、この相性は覆しようがないものだ。


 そこで大剣を捨て、もしくは自らのスタイルを捨てて、何とか苦手を克服しようとする。それが普通の者だ。

 グーはパーに勝てない。ならば勝てるよう、こちらが出せる手を増やすしかない。

 そう言って彼らは、剣を軽くし、盾を握り、自然とかつての『防御を捨てた砲弾』のようなスタイルから離れていく。

 これは恥ずべきことではない。

 「勝てないならば、勝てるよう、あらゆる手を尽くす」。たとえそれが、自らのスタイルを崩すことであっても。

 なればこそ、それは、誰もが行き着くであろう、極当然な帰結である。


 しかしどこにも、例外というものは居た。

 武器はおのが背丈ほどもある巨大な剣のみ。動きを阻害する盾など持たない。両の腕で剣を握り、一合で敵の小細工ごと粉砕せしめる暴撃を放つ。


 そんな彼らは嬉々として蕀の道を笑い歩む。

 そうして辿り着いた果てで、言うのだ。


 「グーはグーのまま、パーを粉砕するしかないだろう」、と。




 ハロルドの目の前に居る男、レオンも、そんな狂人のうちの一人だった。

 一人歩きする彼の二つ名、『山断ち』。そのせいで、彼を一撃必勝のパワーファイターだと勘違いする者が居る。

 しかし、そうではない。それだけではない。一騎討ち最強を誇る彼の本当の強さは、そこではない。

 彼の本当の強さは、大剣の攻撃のあとに生まれるべき『隙』を埋めるよう繰り出される、体術にある。


 その戦闘を見たある者が、「まるで舞踏だ」と漏らした。

 重鈍な大剣を愛しのパートナーであるかのように、ときには力強く振り回し、ときにはされるがままに振り回され、そうして余り生まれた勢いで、己が身体を用いた一撃を剣戟に挟む。

 そうして逆に作り出した相手の隙に、山をも断ち切る、文字通り『必殺』の一撃を見舞うのだ。


 それが彼の行き着いた道の果て。

 彼を『第一師団長』という座まで伸し上げた、限界まで磨いた一つの両手剣術スタイルであった。




 事実、ハロルドは未だ一撃もレオンに反撃を出来ていなかった。

 その顔に苦しみの色は見えない。しかし確かに、戦闘は防戦一方となっている。

 躱す。躱す。躱す。躱す。

 剣による一撃を受けるなど、論外だ。そんなことをすれば、こんな一般的な鉄の籠手など簡単にひしゃげ、その下の腕もただでは済まない。

 合間に挟まれる、素手や素足による攻撃も、とてもじゃないが受けてなどいられない。

 数を繰り出す体術ではない。世間一般で言う『大剣』よりも更に巨大な剣を振るう彼の膂力から繰り出されるその一撃は、確実に敵の構えを崩し、隙を作り出す威力を秘めている。

 そうなれば、流れるように剣による一撃が来るだろう。そうなれば、終わりである。


 なので、ハロルドは躱す。武器を持っていないからこその身軽さで、ステップを踏み、揺さぶり、距離を測り、避け続ける。

 視線はレオン一点に向けられ、じっとその動きを観察し続ける。いつか必ず生まれる隙に、己が攻撃を挟み込めるよう。その一撃を、確実に急所に叩き込めるよう。


 どの程度そんなやり取りが繰り返されたのか、一旦ハロルドがレオンから距離を取る。

 お互い、無茶苦茶な動きをし続けたくせに、息切れ一つ起こしていない。

 その事実に、ハロルドは心底面倒くさそうに眉を顰める。


「……おう兄弟。体力消耗狙いなのか知らんが、ぴょんぴょこ避け続けるだけなら、兎でも出来るぞ?」

「いや、普通だったら、もう剣を握るのも無理なくらい消耗してるはずなんだが……」

「かっかっかっ! んなやわな鍛え方してねえよ。こんな調子なら、数時間は休憩なしで動けるぜ」

「……筋肉とか顔立ちだけでも化け物なのに、体力まで化け物のそれかよ。んなるわ」

「ここまで避け続けたお前も大概だけどなッ!」


 呑気な会話は終了。レオンが獰猛な笑みを浮かべて迫る。


「オラッ! 避けてるだけで力を認めて貰えると思うなよッ!」

「ああ、やっぱ駄目?」

「っったりめえだ!!」


 普通であれば、レオンの攻撃を回避に専念とはいえ、ここまで凌げるものは少ない。

 それは、戦闘場の周囲を取り囲む兵士たちの驚愕の表情からもわかることだ。

 しかし、当のレオンは、それでは認めないと豪語する。当然だ。彼が見極めたいのは「護衛の資格」。すなわち、他を護る力である。回避のみでは、自らを護ることは出来ても、イコール他人を護ることには繋がらない。


「そっか、じゃあ……」


 と呟き、ここにきて、ハロルドもその顔に笑みを浮かべる。レオンの獣のような獰猛なそれではない。

 言うなれば、『振り回しても壊れない玩具』を見つけたような、そんな無邪気な笑みであった。


 しかし、ハロルドが纏う雰囲気が変わった、その程度のことは関係ないとばかりに、レオンの凶刃は次々と繰り出される。

 その刃をやはり躱し、ハロルドは一度大きめに距離を取る。そうしてから、肩幅少し広めに脚を開き、少し腰を落として、しっかりと地を踏みしめる。

 そうして出来た構えは、今までの適当なものとは違う、しかしレオン相手には悪手であろう、待ちの構えであった。


「予定変更! プラン『P』だっ!」

「んだぁ、Pってよっ!?」


 大声でそう宣言するハロルドに、問いかけをしつつもやはりしっかりと剣は振るうレオン。


「そりゃ単純に……」


 その問いに答えるべく、横凪ぎに振るわれたレオンの剣を、


「『パワーこそ力』作戦だ!」


 意味のわからないことを言いながら、拳で刀身を打ち上げるように、下から殴る。


「んなぁ!?」


 ダゴン、という鈍い音と、ここにきて初めて上がる、レオンの驚愕の声。

 完全に打ち上がりなどはしなかったものの、刃の軌道はハロルドの一撃により、確かに上方に逸れる。

 ビリビリと剣を通して伝わる、ハロルドの一撃の重さ。スピードファイターだと思っていた男から繰り出される、まさに予想外の一撃。

 しかし、呆けてなどいられない。構えが崩されてしまった。予想外の出来事に、一瞬だけ面食らってしまった。

 一瞬だけ。されど、それは確かにこじ開けられてしまった『隙』であった。


「うぐッ……おォッ!」


 噛み締めた歯の間から、意図せずそんな声を漏らしながら、レオンは無理矢理にバックステップにてハロルドから距離を取る。

 その瞬間、眼前をびゅんと過ぎるハロルドの拳。

 あと少しでも遅れていたら、あの巨大な剣による一撃すら軌道をずらしたあの拳が、狙い違わず彼の頭を捉えていたことだろう。


「はーっはあ!」

「うぐっ!」


 しかしすぐに、楽しそうな笑い声を上げるハロルドが、飛び蹴りにて追撃。レオンはこれを剣を盾代わりにすることで防ぐが、いったいどれ程の威力がその蹴りに込められていたのか。受けた瞬間、苦悶の表情と共に、踵で地面をえぐりながら後方に吹き飛びそうになる身体を支える。


「ぶっ飛べぇッ!」

「――ッ!?」


 そこに、防御など関係ないとばかりに、盾代わりの剣の腹に掌底による追撃を打つハロルド。

 今までは後方に吹き飛びそうになる身体を支えていたレオンだが、この追加の一撃には耐えられないと瞬間的に判断。今度は自ら後ろに跳ぶことで、余計な隙をつくることを回避する。


 いつの間にやら転じていた攻守の立場。その光景にもっとも驚いたのは、やはりと言うべきか、周囲からその戦闘を見ていたものたちだった。

 最初は同情の色を浮かべるか、見てられないとばかりに俯いている者しかいなかった。

 しかしレオンの攻撃を飄々と躱す彼の姿に、いつの間にやらその顔からネガティブな感情を消して彼らの戦闘にかじりつき、ハロルドが攻撃に転じたことでその顔は口と目を開ききった間抜け面と化す。


 そんな彼らのなかで違う表情を浮かべる者は二人だけ。

 ワクワクとした笑みを浮かべて頬を染めている、オリヴィアの背中からいつの間にか出た来ていたエリザベスと、ただ淡々と戦闘を見守っているヌレハだけだった。


「――ッ! ってくれんじゃあねェか!? なあ兄弟!!」

「ぶっ倒さなきゃ認めてくれそうにねえからな!」

「はっはっ! やれるもんならやってみなあッ!!」


 ムキになったレオンが額に青筋を浮かべ、しかし顔は獰猛な笑みの形をとりながら、反撃を繰り出す。

 それをこれまた嬉しそうに、そして簡単そうに、向かってくる剣を弾くように隙間をつくって躱すハロルド。

 力任せの攻防。いや、それは攻防と呼べるほどに高尚なものではないのかもしれない。

 お互いに一撃必殺の威力の一撃を、我先にとぶち込むべく、最小限の防御で次々に攻撃を繰り出す。


 体力が続く限り、終わることはないのではと思われるほどにとれていた均衡。それほどまでに、彼らの力量は吊り合っているかのように見えた。

 しかし意外にも、その均衡の崩壊は早く訪れた。


 きっかけは、焦れた、もしくは熱くなりすぎたレオンが、振りかぶりすぎたこと。

 ついつい、ハロルドを叩き潰すべく、剣を上段から、実に分かりやすく振り下ろしてしまったのだ。

 それは隙とも言えないほど、極々小さな変化。だがハロルドは、この小さな変化をずっと待っていた。


 ハロルドはその瞬間、剣が振り下ろされるよりも素早く背中からレオンの懐に滑り込むと、剣を握る腕と肩を掴み、足を払い、自然と剣の重さで前のめりになるレオンの体重移動を利用して、


「っっらあ!!」

「がっは!」


 そのまま肩を支点に背負うように巻き上げ、背中から地面に叩きつける。

 見よう見まねで真似した、一本背負い投げであった。

 予想外の一撃に、柔術などない世界という原因も加わり、そのまま地面に背中を叩きつけたレオンは、苦しげに肺の空気を全て吐き出しきる。

 そうして酸素が足りない頭のまま、思わず閉じていた目を開くと、


「ぐ――ッ!?」


 目の前に迫っていた、ハロルドの拳。


 爆発音ともとれるような音を轟かせ、拳の打点から蜘蛛の巣状に広がる亀裂。

 転がるようにその一撃を避けたレオンは、すぐに慌てて立ち上がる。

 地面に広がる亀裂から、その一撃が秘めていた威力が窺い知れる。まず間違いなく、あれのクリーンヒットを受けていたら、再起不能になっていただろう。

 それどころか、死んでたかもしんねえな。レオンはそう思いながら、ついに砕けた右手の籠手を外すハロルドを見遣る。


「はっ、はっ……」

「ついに息がきれたな」

「そりゃ、無理矢理に肺の空気を、押し出されりゃな……」


 留め具が弾け、ところどころひしゃげてもう使えないであろう籠手を放り捨てて、余裕そうな表情を浮かべてそんな声をかけるハロルドに、皮肉を以て返すレオン。

 ハロルドからの追撃は来ない。

 今ならば余裕で追い込めそうなものだが……。舐めてんじゃねえぞ、とレオンの胸にふつふつとした怒りが湧いてきたときだった。


「……で、レオン的にはどうだ? 俺は合格か?」


 もう試験は終わりでいいだろ? と、ハロルドは合否を訊ねる。

 なんてことはない。もう十分戦闘力という面は見せつけることができた。「実力を見極める」という点においては、もう十分なパフォーマンスは行ったと判断したために、追撃をしなかったのだ。

 それは確かにそうだ。第一師団長相手に、肉弾戦のみでここまでの善戦をした。いや、このまま続ければもしかしたら勝ってしまうかもしれないほどに、今はハロルドが押していた。

 つまりここは、所謂いわゆる止め時である。お互い肉体の損傷も少ない今のうちに終わらせれば、このまま続ければどちらかが必ず負うであろう大怪我をせずに済む。

 これは所詮試験。レオンがハロルドを認めたと一言口にすれば、それで終わるのだから。

 しかし彼は――


「はっ! ……まだだね。俺はまだ死んでねえ。本気で認めさせてえなら、殺す気で来いよ」


 ハロルドの提案を、一笑に伏す。


「いや、俺はともかく、お前は死んじゃまずいだろ。立場的に」

「知らねえな。俺が死んだら、しょせんはその程度の男だったってだけの話だ」

「あ、そう」


 そんな脳筋理論をぶちかますレオンに、ハロルドは呆れ顔を向ける。


「でもまあ、」


 しかしすぐに、ニッと口角を上げると、


「そんなこったろうと思ったけどな」


 もう一度構えをとり、戦闘態勢に入る。

 ハロルドが構えるのを見て、レオンも獰猛な笑みを浮かべて剣を構える。


「じゃあ、レオン。ひとつ提案だ」

「……ああ?」

「このままじゃ埒が明かないからさ、全力の一撃で来いよ」


 ぴりぴりとした空気が纏わりつくなかで、ハロルドからなされた提案。

 レオンはこれを受けて、訝しげに眉を寄せる。


「埒が明かねえってのには同意だ。全力の一撃ってのも、まあ燃える話だ。……で、同じタイミングで打ち合うのか?」

「いや? お前の全力を俺が受け止めて、俺がやり返すのをお前が受ける。順番だな」


 そんなハロルドの言葉を聞いたレオンは、訝しげだった表情を見るからにわかる困惑の表情へと変化させる。


「……なんで俺からなんだよ? 俺の全力を真正面から受けられるワケねえだろ。兄弟が死んで、それで終わりだ。フェアじゃあねえだろ」


 それは当然の疑問だった。全力の一撃を順番に繰り出す。これほど馬鹿な話はないだろう。なぜなら順番制にすることで、先攻の圧倒的有利が決定するからだ。それが『山断ち』として恐れられる、レオン相手ならばなおさら。


「オイオイ……」


 しかし。ハロルドはこの言葉に不敵な笑みを濃くすると、


「レオンがさっき言ったんじゃねえの。『それで死んだら、しょせんその程度の男だってことだよ』。……だから来いよ。真正面からぶっ潰してやる」


 先ほどのレオンの言葉を引用して、挑発ともとれる言葉を返す。


「…………いいねえ。思ってた以上に、最高に最高の男だぜ、お前えッ!!」


 少しの沈黙の後、レオンは吠える。その瞬間、その身体から炎のように溢れだす朱色の魔力。

 レオンは特大剣を正中線に構え、獰猛な光を目に宿したまま、呼吸を整える。

 すると、それまでは噴き出し、溢るるままに周りを威嚇していただけの魔力が、剣に纏わりついていく。


 これは、『戦技』と呼ばれる業だ。

 魔術とはまた違った、身体を流れる『魔力』の使い方。人によっては、魔術に使うものを『魔力』、戦技に使うものを『闘気』と呼び分ける場合もあるが、意志により超常的な攻撃に転ずるエネルギーという点では同じなため、これらは同じものとして考えるのが現在の一般的な意見である。

 その効果は単純明快。魔力によって武器による攻撃の補佐を行い、普通では起こし得ない攻撃を行うこと。


「いつもは、もうちょい相手の隙を作ってから使うんだがなあ……。避けんじゃねえぞ? 全力でぶち斬ってやるからよ」

「上等。言ったろ? 真っ正面からぶっ潰す」

「はっ。まあ、精々死ぬなや、兄弟ッ!」


 今、レオンが使おうとしている戦技は、元はと言えば剣術を嗜む者なら誰でも使える、【剛断】という戦技である。剣に魔力を纏わせ、一撃の威力を飛躍的に上昇させる、隙は大きいがまさしくトドメの一撃と呼ぶべき業。

 しかし、彼の使うそれは、ただの【剛断】ではなかった。

 誰でも使えるからこそ、誰よりも繰り出し、鍛え、そして誰よりも使いこなせるようになったその業は、いつの間にか、彼独自の戦技というべき存在へと昇華していた。

 故にその業は、彼を表す名を冠し、彼をただ一人の使い手として、その名を轟かす。


「おおおおぉぉッ! 【山断やまたち】ィッ!!」


 山をも断ち切り、万物を粉砕する一撃が、ただハロルド一人に向けて放たれる。

 朱色の魔力を纏い、残光を尾のように翻し迫るそれは、さながら隕石の如き威圧感を持つ。


 耳をつんざく轟音に、次いで吹き荒れる余波の嵐。

 観戦者たちは誰もが砂煙から目を守ろうと、腕を目の前に掲げ、一度戦闘場から視線をそらした。

 そしてそのうちのほぼ誰もが思い描いた。馬車に轢かれたカエルのように、赤黒い全てを地にぶちまけ事切れるハロルドの姿を。


 しかし彼らは健闘者を讃え、目を逸らすようなことはしなかった。

 余波で生まれた暴風が収まると、誰とも無しに、未だもうもうと立ち込める砂煙へと視線を向ける。

 例えそこに広がる光景が悲惨なものだとわかっていようとも、ここで目を逸らす行為は、ハロルドとレオンに対する侮辱に他ならない。


 徐々に晴れていく砂煙。


「な……」


 微かに聞こえた、言葉を無くしたようなレオンのそんな声と、やがて映し出される、並び立つ二つの人影。

 そして二人の姿が見えるほどに砂煙が晴れると、誰もがレオンと同様な声を漏らし、その顔を驚愕に、もしくは畏怖に染める。


「なにもんなんだよ……お前……っ!」

「いつつ……。聞いてないか? 俺は『銀騎士』様だよ。……これ自称するの、かなり恥ずいな」


 冗談から振り下ろされた【山断】。最高の業に最高の威力が乗ったその一撃を、で受け止めたハロルドが、そこに立っていた。

 左手に装着していた籠手は衝撃で弾け飛んだのか、一部以外は無くなっている。そしてその欠片で皮膚を切ったのか、それとも血管が破裂したのか、腕のところどころから流れる血により、左袖は赤く染まっていく。

 しかし、それだけだった。

 第一師団長。『山断ち』。一騎討ち最強。そんなレオンが全力で繰り出した最高の業を受け止め、出た被害は、左腕の流血のみ。


 それを見て、誰もが思った。

 あそこに立つのは、『人間』ではないのだと。


「じゃあ、レオン。約束通り、仕返しだ」

「――――」

「……死ぬなよ?」


 左手は振り下ろされた剣を受け止めたまま、空いた右手を拳に握り、無造作に胸の高さまでその拳を上げると、ニヤリと笑ってそう言うハロルド。

 その瞬間、ハロルドの拳が、ほんの一瞬だけぶれ、同時に、ドゴン! という鈍い音が轟く。


 目を溢さんばかりに見開き、レオンは両手で握っていた剣を手放し、空いた両手で腹を押さえて、たたらを踏むように数歩だけ後ずさる。

 支えを失った特大剣が大きな音をたてて地面に落ちるが、レオンはそれに見向きもしない。いや、その尋常ならない様子から、それどころではないことがわかる。


 数歩後ずさったのち、レオンは力が抜けたように膝を地面につけると、


「ごぶっ」


 口から、おびただしい量の血を吐き出す。

 ごぽっ、という不快な音とともに溢れだすそれを目にした観客側から、小さな悲鳴が上がる。

 そしてそのままぐるんと目を回したレオンは、己が作り出した血溜まりの中に沈む。


 こうして出来事は冒頭に繋がり、決闘は終了した。

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