第9話 護衛依頼②

「……本当か?」

「…………ええ。小さいころ、私だけに打ち明けられたの。兵士が報告していた土砂災害に、『それ、夢で見た』って」

「そうか……」


 小さな声で、そうやりとりを交わす王と第一王女。

 そんな彼らの会話に、情報を付け足すようにエリザベスが加わる。


「しかし、私が持っていた力は本当に弱いもので、ほんの数分から、遠くても一時間程度先の未来しかわからないことも、その後に判明したのです。なので、夢から目が醒めた頃にはもう手遅れで……。ならばと。面倒に巻き込まれないよう、その情報は秘密にした方がいいと、お姉様に言われたのです」


 こくりと頷き、肯定を表すオリヴィア。


「夢に見るんです。土砂に飲み込まれて消えていく人。火事に巻き込まれる人。魔物に殺される人。そのほかにも、たくさんの人の不幸を。でも、私には救えない……その度に私は、自分の身分が恨めしくて、自分の非力が恐ろしくなったんです……」


 それは呪いだった。

 まるで嘲嗤うかのように、どうしようもない国民の不幸を夢の中で上映する能力。

 自分には関係ないと知らんぷりが出来れば、一体どれほど楽だったろう。

 自分に救いに行けるほどの自由と力があれば、一体どれほど楽だったろうか。


 しかしそのどれもを、彼女は持ち合わせてはいなかった。

 だから、彼女はそのうちに諦めた。

 夢で見た人の最期の姿で、聞いた断末魔の叫びで、頭の中を一杯にしながら、膝を抱え、涙を流し、許しを請うことしかできなくなった。


「でも……でも、ハロルド様たちは、そんな私の話を信じて、何も言わずに、非力な私の力になってくださったんです! こんな私でも、救うことが出来るんだって、それで……」


 思い出すのは、悪夢に起こされたあの日の朝。

 それは、泣き寝入りをするにはいささか大事すぎる事件だった。

 盗まれた宝剣。逃げていく盗賊。バレてはいけない、騒ぎになってはいけないと、早鐘を打つ鼓動。

 気付けば、外套を羽織って警備の網を抜け、街に飛び出していた。

 『銀騎士』だ。国を人知れず護った彼ならば、きっと。そう考えたからこその行動であった。

 冒険者かも、という情報しか知らない彼女は冒険者ギルドで聞き込みをし、そうして辿り着いたのが、路地裏のバー〈アンブラ〉。そしてそこに居たのが、薄汚い男ハロルドと、謎の女ヌレハだった。


 正直、もう半分諦めていた。辿り着くには時間がかかりすぎたし、目の前の男はとてもじゃないが手練れには見えない。

 また駄目だった、ごめんなさいと、心の中はそんな想いでいっぱいであった。


 しかしダメ元で話を進めているうちに、死んだ魚のようだったハロルドの目に、確かな光が宿るのを見た。

 その瞳の奥には、微かだが、正義感とも言えるような、不安な気持ちを忘れさせる確かな力があった。


 「しょうがねえ」とばかりに立ち上がり、乱暴にフードをかぶせてきたハロルドの姿が、目に焼き付いて離れない。「しょうがない」とばかりに、ハロルドに協力するヌレハの安心感が心から離れない。

 そして彼らは、ろくに王女を安心させるような言葉を吐かず、ただ淡々と、事も無げに宝剣を取り返した。


それが、たまらなく嬉しくて。たまらなく頼もしくて。


「彼らが、『私が王女だから』依頼を受けたのではないことが、態度からわかりました。『国が大事だから』依頼を受けたのではないこともまた、わかりました。ただハロルド様たちが、『私を信じて』依頼を受けて下さったことが、私にはとてもとても嬉しかったんです……!」


 そして彼らは言うのだ。「あれは王女が頑張ったおかげだろ」と。

 それは、ただの謙遜なのかもしれない。

 しかし事実、その言葉はエリザベスの心をやさしく揺さぶった。恨みと恐れで凝り固まった彼女の心に、一滴ひとしずくのぬくもりを与えた。


「だからこそ、私は彼らが信用に値すると判断したんです……。私はっ、彼らに救われたんです……! 震えて泣くだけだった私でも、彼らのおかげで人を救えたんですっ! 私は……っ! 私は、ハロルド様たちを信じます! だから……だからぁ……」

「エリー。もういいから……。わかったよ。ちゃんと伝わったよ」

「うううぅぅ……」


 ついに決壊したエリザベスの瞳から、ボロボロと大粒の涙があふれる。

 そんななかでも、しゃくりあげた声でも、必死に自分の意見を、レオンの瞳をキッと睨んだまま言い切った彼女を、オリヴィアが優しく抱きしめる。


 未だ歯を食いしばるような泣き声が聞こえる彼女の様子を、困ったような表情で見詰めていたハロルド。

 そんな彼が、困ったような表情のまま、頭をポリポリと掻くと、


「あー……レオン?」

「ああ?」


 おもむろに、レオンに声をかける。

 そして、レオンから不機嫌そうな返事が耳に届くと、


「わりい。断れる空気じゃなくなっちまった」


 はにかみ笑いを浮かべ、一見無神経ともとれるような、そんなことを言ってのけた。


「……ああ。みたいだな」


 露骨に眉を寄せて、歯軋りしながらそう漏らすレオン。

 彼の目は、未だ泣きじゃくるエリザベスに向いたままだ。

 そうして、少しだけ考えるように黙り込んだ後、


「……一つだけ、条件がある」


 ようやくハロルドを視界に収め、そう言う。


「条件?」

「ああ。なあに、簡単だ。……これから、俺と一対一で決闘をしろ。それで俺が認められるほどの実力があると判断したら、もう俺は文句を言わねえよ」

「なっ――!?」


 その驚愕の声は、オリヴィアから漏れた。


「……はあ。さっきまでは少し見直したんだけど……。結局、脳筋ね」

「はっ! なんとでも言いな」


 ヌレハがポツリと溢したお小言も、レオンは柳に風と受け流す。


「……なぜ、そんなことをするのです?」


 鼻をズッと一啜りしたエリザベスが、真っ赤な目で睨みながら問う。オリヴィアもその傍らでうんうんと頷き、説明を求めていた。


「勘違いするなよ? さすがに俺に勝てとは言わねえさ。……ただな、最初から俺のネームバリューにビビるようなヤツなら、国なんて任せられねえ。戦ってる途中でビビッてへたり込むようなヤツなら、護衛なんて任せられねえ。そしてそもそも、強くもねえヤツを、俺は信用なんてしねえ。そんだけだ」

「よし乗った!」

「ハロルド様っ!?」


 一も二もなく承諾するハロルドに、驚きの声を上げるエリザベス。


「お父様!」

「……ふむ。仕方あるまいよ」

「そんなっ!?」


 王に助けを求めるが、ゆるゆると首を左右に振ってそう返される。


「はっ、決まりだな。おう兄弟。城の裏手に訓練用の広場がある。そこで模擬戦と洒落込もうじゃねえの」

「よし了解。武器は?」

「俺は訓練に使ってる木剣を使う。お前は好きにしな」

「へえ。……まあフェアじゃねえし、俺もなんか訓練用のヤツ借りようかな」

「…………好きにしろ。慣れない武器のせいで死んでも後悔すんじゃねえぞ?」


 そんな不吉なセリフを言い残して、レオンは応接間を出ていく。

 木剣で人殺せるのかよ、と呆れた様子で漏らすハロルドに、エリザベスが駆け寄る。


「は、ハロルド様! ごめんなさい、私のせいで……っ!」


 せっかく泣き止んだのに、またも腫れぼったい目に涙をためて、必死に謝罪を繰り返す。


「オイオイ。なんかもう俺のお通夜モードじゃねえの……?」

「無茶なんです! 一対一であの人と戦うなんて、正気の沙汰では無いんです!」


 頬をひくひくとさせながらそう言うハロルドに、「今からでも遅くないので、取りやめにしましょう」と懇願するエリザベス。


「いやいや、勝てるかもしれねえよ? 俺強えし」

「……第一師団。近接戦闘の達人が集まる師団の長、『山断ち』。一騎討ちにおいて、彼よりも強い人間は、少なくともこの国では知られていないわ。それだけの化物なの、あの人は」

「……へえ」


 オリヴィアから追加される情報に、興味深そうに目を細めるハロルド。


「強い人間……ね」


 誰にも聞こえないような声量で、そんな言葉を独り言ちてから、


「ま、足掻けるだけ足掻くよ。俺のこと信じてんだろ、王女様?」

「し、信じてるとはそういう意味ではなくっ!」

「ははっ。まあ、程よくハラハラしながら見てなって」


 カラカラと笑いながら、立ち上がるハロルド。その傍にそっと佇むように、ヌレハも立ち上がる。


「で、訓練場ってどこ? 案内お願いしていい?」


 そして、そんな気の抜ける言葉を吐くのだった。


   ◇ ◇ ◇


「ここにあるものなら、自由にお使いください!」

「おお、すげ。めちゃくちゃ武器あんな」


 訓練用の武器とやらの所在を兵士の一人に訊ねると、訓練場の傍らにある倉庫のような場所まで案内され、自由に選んでいいと言われる。

 その言葉を言い残して去っていく兵士の顔には、微かに同情の色が浮かんでいた。

 どんな武器や防具を選んでも、レオンにボコボコにされる未来は変わらないのに……とでも思っているのかもしれない。


「……珍しいのね。こんな面倒くさい決闘を受けるなんて」

「んー?」


 ガサゴソと何かを探すハロルドの背中に、ドアの側で立ち尽くすヌレハがそんな声をかける。


「……まあほら、アイツ……レオンのヤツの言い分、真っ当というか、何というか……。まあ、真面目な意見だったじゃん」

「……そうね」


 不本意だけど。そうヌレハは小さく付け加える。


「だからかなんか、気に入っちゃってさ。……これ、どうやって使うんだ……? まあ王女様からあんなまっすぐな気持ちぶつけられて、知らんぷりできるほど豪胆でもないしな。それに、強いヤツとの決闘なら、やり甲斐あるじゃん?」

「……はあ、そうだった。あんたも大概、脳筋だったわね」

「ははっ。お! あったあった」


 そう言って山のように積まれた装備からハロルドが取り出したものは、普段使っている短剣でも、長剣でも、大剣でもなく、一対の籠手であった。

 拳から肘までを覆って保護する防具として使われる、鉄製の籠手。

 それをはめて、「おお、ぴったりじゃん」と喜んでいるハロルドを見て、ヌレハは今度こそ驚きに目を見開く。


「……珍しいわね。本気じゃない」

「いや、本気ってか……まあ、レオンの気持ちに応えて、真面目にやろうかなと思ってな」

「手加減しなさいよ?」

「わあってるよ、本気じゃなくて、あくまで真面目だ。ま、殺さない程度に頑張るさ」


 いまここに、この二人の会話を聞いている者がもし居たら、その者は驚きに固まることだろう。もしくは、緊張で気でも触れたかと鼻で笑っただろうか。

 一騎打ちにおいては、王国一の実力者であるレオン。そんな相手をして、「手加減」などとのたまう彼らの言葉をまじめに受け取るものは、とてもじゃないが存在しないだろう。




「おう、来たか」

「わり、待たせたな」

「いいや、来たならいいさ。……お前、本当にそんな武器……てか、防具? でいいのか?」

「ん? ああ。拳で戦うのが、俺の本気だからな」

「マントは邪魔じゃねえのか?」

「ご冗談を。これは俺のトレードマークだ」

「ああ、そうかい」


 そう言ってヒュヒュとシャドーをするハロルドを見て、呆れたような、しかし楽し気にニタリと笑ったレオンは、地面に突き立っていた木で出来た大剣――いや、ハロルドの身長ほどに長く、胴ほどに広い刀身を持つそれは、『特大剣』と言うのが正しいだろう。それを、よっこいしょと肩に担ぐ。


「先に言っておくが、これは一見木で出来てるが、中に鉄の芯が埋め込まれてる。だから、普通に当たったら骨は砕けて肉は爆ぜる。まあ要は、死ねるってことだな。……もしそうなっても、後で文句言うなよ?」

「おお、丁寧にわざわざありがとな。ま、文句を言うかは死んでから考えるさ」

「はっ、抜かせ」


 不敵に笑いながら向き合う、二人の男。


「ハロルド様……」


 見てられないとばかりに姉の後ろに隠れ、ちらちらと肩から顔をのぞかせるエリザベス。隠れ蓑となっているオリヴィアは困り顔だ。


「ふむ。では、決闘を始めようかの。勝敗は?」

「降参するか、気絶するか、死ぬかだな」

「出来れば死ぬのは避けてほしいものだがな……。まあいい。それでは、構えろ」


 瞬間、しんと静まり返る、訓練場。

 観客と対戦者を仕切る柵の周りから観戦しているのは、さっきまでここで訓練していた兵士たち、二人の王女、王、そしてヌレハだ。

 そんな彼らが固唾をのんで見守るなか、王が片手を手刀の形で持ち上げ、


「始めっ!!」


 そう叫んで手刀を振り下ろすことで、決闘が始まった。

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