第3話 宝剣奪還②

「あの、ヌレハ、様?」

「なに?」


 なるべく人目につかないよう、しかし危険な輩がうろつくような道は通らないよう、絶妙な道を選んで歩くエリザベスとヌレハ。

 先行するヌレハは飄々とした様子で歩いているが、意外とその歩みは速く、追従するエリザベスはやや早歩きですでに少々息が切れている。

 しかし声をかけられたからか、ヌレハは少しだけ速度を落とし、そのおかげでエリザベスの方も息を整える余裕が生まれた。


「ハロルド様は馬などをお持ちなのでしょうか?」

「持ってないわよ」

「ええっ! じゃあ、どうやって賊に追い付くおつもりなのですか?」


 エリザベスの驚愕も仕方のないものだ。賊が逃げ出したのは日が昇らないような今朝早くで、時間にしたらもう6時間以上は移動を続けていることになる。

 すでに開くところまで開いている距離を、馬なしでどうやって詰めるというのだろうか。


「そりゃ、走ってよ」

「は、走る……?」

「そ。まああいつなら、馬なんかより断然速いしね」


 対するヌレハはあっけらかんとそう返す。

 馬よりも速く走る人間、確かに、第三師団の暗殺部隊などは特殊な能力を用いて影から影へ移動したりもする。瞬間速度なら、確かに馬よりも速度は出るかもしれない。しかし持久力という面で見たら、そんな移動速度を何時間も維持できるはずもない。なので、長距離移動をするならば、断然馬に頼った方が速いのだ。

 本当に大丈夫なのだろうか……。

 エリザベスの頭にそんな心配が浮かんだときだ、


「…………」

「ヌレハ様?」


 ヌレハが足を止め、片耳を手で塞いだ。

 その仕草は、ごく一般的な生活魔術、【コール】を使用するときの仕草である。離れた相手との魔力通信で音声のやり取りを行う魔術で、この世界の住人に使用できないものはいないと言っても過言ではない。もちろん、通信可能距離や会話に混ざるノイズなどはその使用者の魔術適正に左右されるため、誰でも距離無制限に使用などはできない。


『おーい、ヌレハ? これちゃんと方向合ってる? 不安になってきたんだけど』

『合ってるわよ。そのまままっすぐ行けば、あと数分で追いつくわ』

『お、マジ。さんきゅ』


「あと数分で追いつきそうよ」

「ええっ!?」

「ちょ、声うるさい」


 【コール】によるハロルドとの通話が終了したあと、通話内容をかいつまんで説明されたエリザベスは、あまりの驚きに大きな声を出す。まだハロルドが出発してから一時間も経過していない。それなのにもう賊に追い付くというのだから、驚いてしまうのも無理からぬ話であろう。

 しかしこの王女様はお忍びだと本当に理解しているのだろうか、とヌレハはため息をこぼして頭を押さえると、


「さ、もうすぐ王城よ。あといくつか通りを抜けるまでは送るけど、そこからは一人でお願いね。道は教えるから、行けるわよね?」

「は、はい。大丈夫です」

「そ。じゃ、行くわよ」


 再び足を進めるのだった。


   ◇ ◇ ◇


「おい、ちょっと休憩しようぜ~」

「ばっかやろう! あの暗殺部隊が居る限り、国境を越えるまでは安心できねえってあんだけ話しただろうが!」

「だけどよ~……」


 鬱蒼とした森の中を突っ切る5人の男たち。

 道なき道を移動するため、馬や馬車を使用せずにその足で休憩なしに歩き続けているため、定期的に誰かしらがそんな愚痴をこぼしている。

 その度に一番ガタイの良い男がいさめているが、その本人も肩を上下させ、時々木の根に足を取られてよろめいている。それを見れば、確かな疲労がたまっていることがよくわかるというものだ。


「にしても、終わってみれば案外楽な依頼だったな」

「……まだ終わってねえっての……。だがまあ、確かにな。兄貴がこの任務を引き受けてきたときは正気を疑っちまったけどな」

「へへっ。俺は勝ち目のねえ戦いは挑まねえ主義よ。いけるって踏んだから引き受けて、事実ここまでは楽勝だったろう?」

「さすがだぜ~。これで報酬二十万リルは相当良い案件だな」


 気を抜くなと話しつつも、すでにここまで何の問題も無しにきているせいか、男たちは一人の手に握られた布袋を見てニマニマと幸せそうな笑みを浮かべている。

 すでに仕事を完遂させて、貰った報酬を何に使おうかと妄想しているのかもしれない。

 傍から見れば明らかに気が抜けきっている様子ではあるが、残念なことにそこまで厳しく彼らをいさめる者はここにいなかった。もしその存在が居て、最後まで気を抜かなければ、彼らの未来は少しでも変わっていたかもしれない。

 いや、おそらく、例え気を抜いていなくても、彼らの未来に何の変化も無かっただろうが。


「にしても、宝剣って結構重いんだな。そろそろ腕が疲れてきたぜ。誰か代わってぐべっ」

「ああん? どうした?」


 始まりは、宝剣を持っていた男が変な声を上げてどうと前のめりに倒れたことだった。

 最初は何かに躓いて転んだのだろうと思って笑った他の男たちも、その後頭部に短剣が突き刺さっているのを見て笑みを消し、顔面を蒼白させる。


「だっ、誰だオイ! 出てこいや!」


 しかし思ったよりも判断力はあったようで、すぐさま武器を構えると残った4人で背中合わせに陣形をとり、敵襲に対応する。


「あー。まあ良い判断なんだけどさ……」

「そっちか!」


 慌てて声がした方を向くと、倒れ、おそらくすでに事切れているだろう男にいつの間にか歩み寄っている男が居た。

 目元まで伸びきった不潔感あふれる茶髪に、手入れの行き届いていない無精髭。見習い冒険者でももう少しまともな防具を着けるぞと言いたくなるほどに普通な布の服に、黒くたなびく長マントを着けた男ハロルドが、死体の後頭部に刺さっていた短剣と、死体の傍らに落ちていた布袋を回収していた。


「盗賊なら盗賊らしく、依頼の品はちゃんとすぐに回収しなきゃ、な?」


 そう笑ってこれ見よがしに布袋をふりふりと見せつけるハロルドに、男たちから「兄貴」と呼ばれていた一番ガタイの良い大男が青筋を浮かべて吠える。


「おい、おっさんテメエ! 殺されたくなきゃ、そいつを返しなぁ。すんなり返せば、手足の一、二本で勘弁してやらあ」

「お、おっさん……!?」


 何やら賊の言葉に含まれていた一単語に過剰反応したハロルドは、目に見えてショックを受ける。

 なんとハロルド、まだ19歳である。


『髪と髭、どうにかしないと。確かに40くらいに見えるわね』

『帰ったら、切るし剃るわ……』

「呑気に【コール】なんかしてんじゃあねぇよ!!」


 ヌレハから届いた言葉に片耳を塞いで応答したハロルドの舐め腐った態度に、遂に『兄貴』がキレた。

 その怒号を皮切りに、4人の男たちが各々の武器を手にハロルドに襲い掛かる。


「あー……」


 そんな気の抜ける声を漏らし、左手に持っていた短剣と右手に持っていた宝剣入り布袋を取り換え、ようやくハロルドは構える。


「この人数に短剣一本で何が出来んだあ!? 舐めてねえで! その背中の大剣使わねえと! 死んじまうぜえ!」


 そう言いながら、両手で持った大斧を振り回す『兄貴』。それをひょいひょいと躱しつつ、助言とか優しいヤツだなあ、とハロルドが考えていると、


「まあ、どっちにしろ死ぬけどなあ!」


 向かって右側に回り込んでいたノッポ君(ハロルド命名)が手に持ったククリで首に向かって斬りつけるのが見えた。


「よっと」

「はえっ!?」


 軽く屈んでその一閃を避けつつ即座に脇をすり抜け、お返しとばかりにすれ違いざまに首を斬りつける。

 何が起きたのかわからなかったのか、ノッポ君は間抜けな声を漏らして、斬られた首から鮮血を吹き散らして倒れる。


「シネッ!」


 そんな短い叫びと共に射出され飛来する矢を軌道上から身体を反らすことで避け、次の瞬間には射手の首も掻き切る。


「はい、あと二人」

「……テ、テメエ。今、どうやってそこまで移動した……?」


 唖然と呆ける剣を持ったケンシ君(ハロルド命名)と兄貴。

 そんな中、目算10メートルは離れていた距離を一瞬で詰めて射手を殺したハロルドの動きを目で追えすらしなかった兄貴が、そんな場違いな質問をする。

 それは、すでに勝てないと頭のどこかで理解しているが故の質問だったのだろう。

 何故ならここまで、こちらの攻撃はそのバサバサと邪魔そうにたなびくマントにすら掠らないどころか、動き一つとっても目で追えないのだ。

 仲間の一人が斬りかかったと思ったら逆に斬られていた。矢を射ったと思ったら距離を詰められ斬られていた。結果として残るそれら事実しか理解が出来ないのだから。


「どうやってって……。普通に走ってだけど」


 ハロルドはむしろ何故そんな当たり前のことを訊くのかとばかりに、困ったようにそう返す。

 しかし、厳密に言うならばハロルドの答えは少しだけ間違っていた。

 走ったのではなく、一歩の踏み抜きで距離を詰めたのだ。それも、矢を躱した不安定な姿勢のまま。

 その証拠に、もともとハロルドが居た場所の地面だけ、隙間なく敷き詰められていた落ち葉が爆散してその下の土まで深く抉れていた。


「で、どうする? 降参すんなら別に逃げてもいいぜ? あ、宝剣は諦めてもらうしかないけど」

「ひぃいああああ!」

「バッ、よせっ!!」


 ハロルドがそう問うと、我を失ったような奇怪な叫びを上げながらケンシ君が上段大振りで斬りかかってきた。度を越えた恐怖に、自分が何をすべきなのかわからず、我武者羅に攻撃したことがその様子から窺い知れる。

 慌てて止めようとする兄貴だが、もう遅かった。逃げるならば追いかけるつもりはなかったハロルドだが、斬りかかられて許すつもりは毛頭無い。


「ありゃ残念……だ!」


 一瞬で懐まで潜り込むと、その勢いのまま踏み込み、裏拳を鳩尾に叩き込む。

 当然弱点である鳩尾を覆うよう鎧があるが、素手による一撃だとは思えぬほどに鎧は大きく凹み、ケンシ君は文字にならないような声と血飛沫を上げて吹き飛んでいく。

 バウンドしながら見えなくなるまで吹き飛んでいったケンシ君はもう助からないだろう。兄貴はため息をついて大斧を正面に構える。


「逃げねんだ?」

「仲間全員殺されて、俺だけノコノコ帰れるかよ……!」

「なーるほど。賊にしとくには勿体ない心がけだ」


 かくして、宝剣を盗んだ冒険者5人は文字通り『全滅』という結末を迎えた。


   ◇ ◇ ◇


「お疲れさま。ま、大して疲れてもなさそうだけど」

「クタクタだよ。もう少し労われ」

「はいはい」


 王都カラリスの門を抜けた先で落ち合ったヌレハとハロルドは慣れたような会話のあと、隣り合って歩き出す。


「で? これからどうするの? 髪切る?」

「いや、先に用事を済ませちまおうぜ」

「了解」


 賊に『おっさん』と言われたときのハロルドの様子を思い出したのか、にやにやと厭らしい笑みを浮かべたヌレハに堪える様子も無しに手に持つ布袋を示して返答するハロルド。この程度のからかいは日常茶飯事なのだろう。

 ハロルドの言葉通り、彼らの足は確かに王城の方へ向いていた。

 帰りは行きに比べてゆっくりと帰ってきたため、時刻はもう4時を回って、足元の影は昼に比べて遥かに長く伸びている。軽い口約束ではあったが、返しに行くとエリザベスに伝えた時間通りである。



「おいお前ら、何者だ! 止まれ!」


 まっすぐ城門に歩けば、そりゃこうなるわ、とヌレハがため息をこぼすほど迷いなく進んだハロルドのせいで、二人は門番から険しい表情でストップをかけられていた。

 そう言えば、ここからどうするのかしら。ヌレハは思案する。

 返しに行くとしか伝えていなかったため、具体的にどう返すのか決めていなかったことに思い至ったのだ。当然、「第二王女を出して」などと言ったところで無理な話なのは確実だ。

 仕方ない、私が【コール】で呼び出すかと、【千里眼】でエリザベスの位置を特定しようとする。

 本来【コール】を行うためには、離れていても相手の魔力を探索できるよう、お互いの魔力の性質を照らし合わせる『魔力合わせ』と呼ばれる作業が必要で、あらかじめの相互理解がなければ通話を飛ばすことはできない。だが、相手を任意で観察することが出来る【千里眼】を用いて無理矢理に観察対象と魔力の性質を合わせれば、魔力合わせ無しに通話を飛ばせるという裏技があるのだ。


 いざ波長を合わせようかとヌレハがしたときに、視界の隅で門番に向かってツカツカと歩み寄るハロルドの姿が映る。

 呆気に取られたヌレハが「は?」と一瞬固まった瞬間であった。


「おいお前、何のつもりだ! 止まれ!」

「ああ待って待って。何も危害を加えるつもりなんて無えよ」


 ついに槍の穂先を突き付けられてしまう。

 当のハロルドはへらへらと笑って両手を挙げることで「武器はありませんよ」とアピールしているが、相変わらず片手に布袋をぶら下げたままであるし、中に棒状のものが入っていることがよくわかる膨らみ方のせいで説得力はゼロである。見る者が見れば、入っているモノが剣であることまでわかりそうなものだ。

 全く警戒心をとく様子がない門番など意に介せず、ハロルドは槍が突き付けられた状態で、袋の中に手を突っ込んでごそごそといじり始める。

 すわ武器か!? と門番の警戒心がピークに達したとき、布袋から取り出した剣を、鞘にいれたまま、ずいと門番に差し出す。


「ば、馬鹿! あんたまさか!?」

「俺はこれを返しに来ただけだよ。ほれ」

「はあ? ……こ、ここ、これは宝剣っ!? 賊だー! ひっ捕らえろーっ!!」

「ええっ!? 何で何で!?」


 馬鹿正直に宝剣突き出せば、何でもクソもないでしょうが……。と涙すら出てきそうな表情で項垂れるヌレハと、未だに現状理解が出来ずにおろおろと狼狽えるハロルドは、続々と出て来る兵士に捕らわれてしまうのだった。

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