第19話(最終話)

 天城を振り上げるケインの一太刀を、しかし空悟は避ける気力も失われていた。

 最大の危機の中、ケインが振り下ろした一靭の閃きは、空悟の頸部に達する直前で弾き飛ばされた。

 まさかそれが、今まで茫然自失だった観月の飛び蹴りの仕業とは。庭に降り立った観月を見て、空悟は思わず瞠った。


「観月?!」


 観月の全身を包み込む、凄まじい黄金の光。源は、観月が胸に抱き抱える『九頭文書』であった。

 ケインは観月を睨みながら起き上がり、


「しまった、天童観月が覚醒しようとしているのか! やはりあの本は破滅を呼ぶ魔本、早く始末すべきであったか」

「もう遅いわよ」


 既に正体を取り戻していた観月は不敵な笑みをケインに見せた。


「さっき、この本があんたを吹き飛ばした時、あんた達の真の目的を、この本があたしに告げていたわ。

 その余りの内容に、かなりショックを受けて我を無くしたけど。――お陰で、あたしの本当の正体を識ったわ」


 突然、遥か上空の漆黒を穿つ満月が、玲瓏たる月光の光度を増す。

 まるで大爆発を起こしたかの様な月光の閃光は、下界で黄金色に包まれている観月の身体を一瞬にして月色に塗り替えた。


「……これは聖霊皇降臨…月の聖霊皇、『月読尊(つくよみのみこと)』が降り立ったか!」


 唖然とする空悟の目の前で、観月の眼鏡が勝手に外され、編んでいた髪が解かれて光の風に靡く。

 そして凛とした美貌の額に広がった月の聖霊皇冠が神々しく閃いた。


「天童観月、月の八卦霊皇士として此処に覚醒せり。――『日死』の男よ、我が月の力を以てお前を誅する!」

「はっ、覚醒(起き)たばかりで何を言うかっ!」


 ケインはあざ笑いながら、今度は観月に変身して観月に襲い掛かった。

 すると観月は、両手をケインに向けて突き出す。まるで何か大きな円形の物体を両手で抱えているかの様な仕草のそれは、左右の手を円を描いて九十度移動させ、上下に配した。

 その手の動きが、あろう事か観月の手に巨大な円形の光の鏡をもたらすとは。


「邪なる力を闇より払い賜え、『八咫鏡(やたのかがみ)』っ!」


 観月の掛け声と共に、両手に持つ『八咫鏡』が月光色の波動をケイン目掛けて放った。

 光の波動は一瞬にして、ケインを包んでいた観月の心霊物質を吹き飛ばし、ケインの姿を露にした。


「「……な、何、これは?!」」


 露になったケインの姿を見て、空悟と観月はこれ以上無いくらいに慄然となった。

 変身を解かれたケインの姿は、変身前のあの青年の姿ではなかった。

 一体の泥人形が、そこに居た。


「……『八咫鏡』は邪を払い、真実を顕わす神器のハズ。まさか操り人形? 何処かに本体が居るの?!」

「否。これが私の本体だ」


 泥人形は、すうっと泥色のケインに変化して答えた。


「言ったろう? 私の祖国は千年も昔に消滅していたと」

「……『日死』が本当に黄泉の国だったとはな。遥か昔の亡霊が現の世を憂えるとは、恐れ入ったぜ」


 皮肉る空悟に、ケインはじっと睨み付け、


「貴様らには我らの苦しみは解るまい。

 世界を侮辱した者への呪いは、一族郎党全て死すとも、『世界』に贖罪するまで安息を得る事は叶わぬのだ!」

「その罪滅ぼしが、あたしたち八卦霊皇士の殲滅な訳? 勝手な事言うんじゃない!」


 観月はケインを指し、


「あんた達が呪われたのは、あんた達の因業の所為でしょうが! その責任をあたし達に押し付けて救われようなんて、愚者の論理よ!」


 観月に怒鳴り返されたケインは、あざ笑いながら、


「はははっ! 賢しいだけの小娘が、先人(おとな)に意見するか? 足許も覚束ない様な子供風情が、利いた風な口を吐かすな!」

「恨み言ばかりほざく大人が、今を語るな!」


 向かい合って怒鳴りあう観月とケインは、全く同時に身構えた。


「あたし達は何の為に、誰が為にこの力を揮うべきか、良く解っているわ。

 あたし達はあたし達の力で未来を掴む。前も見えない死人がいつまでも立ちはだかっているんじゃない!」

「その呪われた手(ちから)で何を掴むつもりか? 残りの火・木・雷の八卦霊皇士と巡り会う事は叶えさせんぞっ!」


 ケインの一喝が合図であった。二人とも全く同時に突進する。

 だが、観月の顔面を狙ったケインの飛び蹴りの方が、体躯の大きさの差から長があった。

 しかしケインの蹴先は、観月が虚空に残した美貌を突き抜けた。


「何っ――――OOOOHHH!」


 愕然とするケインの鳩尾を、『八咫鏡』を消し、蹴りを交わして屈んでいた観月が突き上げた左肘鉄砲が抉った。

 ケインは今の一撃に宙でバランスを崩すが、観月の攻撃はまだ止まない。

 観月はケインの身体を地面に落とさないつもりなのか、残像まで生じる程の凄まじい勢いで乱打をケインに浴びせたのだ。

 閃光の様な観月の乱打振りを、空悟は唖然としてみていた。

 この乱打は、空悟が観月に逆らった時に観月から食らうお仕置き技『観月スペシャル』のそれと同じ攻撃の仕方であったが、しかし何処か違っていた。


「……破壊力が違い過ぎる。まるで何人もの人間が同時に拳を揮っている様な――これは?」


 空悟はその違いを漸く気付いた。拳や蹴りを打ち込まれた個所が、さも残像に質量が生じているかの様に、残像の動きに合わせて弾かれ続けているのだ。

 初めは実体である手足が超高速度で動いているかと思ったが、観月の動きに目が追い付くと、その動きはまるで、能を舞っているかの様な悠然としたものであったのだ。

 残像の正体は、観月が全身から放つ聖霊力であった。

 聖霊力が造り上げた手足が本体を追って繰り出され、破壊力を増大させているのである。


「まさか、月の八卦霊皇士だけが使えるとされる伝説の拳、『残月至高拳奥義・〈月迦乱舞(げっからんぶ)〉』を拝めるとは」


 空悟は呆然として観月の乱舞を見つめる。月光を受けて煌く聖霊力を散らすその姿は、さながら天の羽衣を纏う天女の様であった。


「……美しい」


 と、高揚した顔の空悟が、その姿に思わず感動を洩らしてしまったのも無理の無い事であった。

 乱打にボロボロになって不様に舞うケインの胸に、観月は止めとして背面蹴りを放つ。

 背面宙返りする観月の両足がもたらした残像は三日月となってケインの胸を抉り、のけ反ったケインを漸く地に伏させた。圧勝であった。

 しかし、観月も追う様に地面に倒れ込んだ。


「お、おい、観月?どうした?」

「………ふにぃ~~身体中が痛いよぉ~~」


 投げ遣りに言う観月の健在振りに、空悟は前のめりに転けて安心半分呆れた。


「……全く、心配させやがって。覚醒したばかりであんな大技使ったからだな。使い馴れていない筋肉を揮った反動だ。これだからデスクワークしかしねぇヤツは…………うっ!」


 危機は去っていなかった。観月が屠ったハズの泥人形ケインが立ち上がっていたのである。


「「な、何っ?!」」

「……まだ……決着は……着いて……居らぬ!」


 全身の泥を散らしながらケインは腕を振り上げ、力尽きて倒れている観月の胸元目掛けて貫手を放った。


「――させるかぁっ!」


 立ち上がる気力さえ失っていたハズの空悟の何処にそんな力が残されていたのか、空悟は咄嗟に疾風を起こして身体を浮かせ、観月の身体の上にのし掛かってケインの貫手からの盾となった。

 ケインの貫手は、メリメリと音を立てて、空悟の背中にめり込んだ。


「く、空悟ぉっ?!」


 思わず悲鳴を上げる観月だったが、しかし少し様子がおかしい事に気付いて冷静さを取り戻す。

 ケインが放った泥の貫手は、空悟の背中を貫く事も叶わず、脆く崩れていたのだ。


「……互いに、立ち上がるのが精一杯だったか」


 顔の無い泥人形はそう言って投げ遣りに笑ってみせた。空悟は顔をケインに向けて、ほっとため息をついた。


「……勝負はあった。手前ぇは土に還れ」

「……その様だな。しかし何れ、新たな同志が貴様らを討ちに現れるだろう。……辛い闘いになるだけだぞ」


 泥人形のケインは、身体を崩壊させながらうら哀しげに呟いた。

 ぽろぽろと身の欠片を落として行く様は、空悟と観月には泣いている様に見えてしまった。


「斉賀空悟よ、最後に。――エミリーの死に顔はとても綺麗だった。有り難う」


 屈んだ姿勢の泥人形から魂が失せる。やがて横倒しになって、地面の上で粉々に砕けた。

 再び逝く敵を、空悟は目を反らさず、じっと見つめたまま静かに見届けた。とても昏い眼差しであった。

 そんな空悟の横顔を間近で見ていた観月は、とても哀しそうな瞳をするその理由が、何となく判った。


「やれやれ、やっと片付いたか」


 ほっと溜め息をつく空悟は、ふと、自分の顔をじっと見つめている観月に気付く。

 先ほど見惚れた美貌を間近にし、思わず赤面して暫し惚けた。


「……ちょっと、いつまで上に乗ってるのよ?」

「あ、す、済まん!」


 少し顔を赤らめて恥ずかしそうに睨む観月に気付いた赤面の空悟は慌てて身を起こし、ごろっと転がって観月に並行する様に仰向けになる。

 空悟の意外な純情な面を見た観月は、少し得した様な気分になって顔を綻ばせた。


「……遠くからサイレンが聞こえる。やっと応援が来たか、遅いぜ畜生」

「ねぇ、他の皆は大丈夫?」

「大丈夫も糞も無ぇ。息があるのは本郷と八弥、新米の水の奴だけだ。強いて言うなら、最初に逝っちまいそうなのは本郷辺りか」

「……ぬかせ。まだ健在だぞ」


 本郷は俯せのまま応えた。


「……あたしも、何とか」


 一番遠くで倒れている八弥は、仰向けのまま手を振って応えた。


「…………」

「何だ、今の無言の返答は」


 無言で応えるという器用な真似をしたのは丈であった。息を吹き返したばかりの丈は、大きく深呼吸して胸を上下させ、健在振りをアピールした。


「……良ぉし」


 観月は大きく深呼吸してから、


「皆、取りあえず回復したら、出雲へ旅立つわよ。

 『日死』の奴らが『九頭文書』を狙った以上、この本にはもっととんでもない秘密があるに決まっている。

 この本を唯一読める日本帝にお会いして、全てを説き明かすのよ!」

「……勝手にしろ」


 やれやれと一人呆れる空悟は、ふぅ、と吐息を洩らし、これから待ち受けるであろう、波乱に満ちた出雲行の為に、暫しの休息を求めて目を瞑った。



                完

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八卦霊皇士 arm1475 @arm1475

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