第17話

 レンは周囲に呼び寄せた光の精霊達を手前に集めさせ、直径一メートル足らずの巨大な光球を造り上げた。


「急所を避けたとはいえ、光の精霊に撃たれたのは事実、動く事もままならないだろ?

 身動きの出来ない内にこいつで押し潰してやる!」

「やべぇ…な。今度ばかりは…避けられねぇ」


 空悟は苦痛の為に全身が麻痺して動けなくなっていた。

 せめて風を起して何とか切り抜けようと試みるが、ダメージのせいで風の聖霊皇冠さえも消失している今、風の聖霊皇の力を揮う事も叶わず、まさに絶体絶命――


「――うっ!?」


 苦悶の声を上げたのは、空悟ではなかった。


「背後ががら空きだよ……!」


 レンが空悟に気をとられている内に立ち上がっていた、息荒気の本郷が放った天城の一閃が、レンの背中を袈裟懸けに斬っていたのだ。

 斜めに走る朱線から鮮血が迸しり、レンは溜まらずのけ反る。

 激痛の為に精神が集中出来ず、光の精霊達は支配を離れて消失していた。


「……き、貴様ぁっ!」


 レンは激痛に身悶えして震える身体を押さえる様に両肩を手で抱き締めながら、振り向いて本郷を睨み付ける。

 空悟も驚いてまだ感覚の残っていた首を動かして本郷の方を見る。

 本郷は今の一刀が渾身を振り絞ってのものであったらしく、息荒気に天城を地面に突き立てて杖にして立っているのが精一杯であった。


「……部下を…むざむざ殺されて……一人だけ急所を……外されて……のうのうとして…いる訳には……いかないのでな……!」

「この死に損ないがぁ――っ!」


 激高するレンの背後で、突如閃光が炸裂した。閃光の出所は、総裁官邸二階、観月の自室の窓からであった。

 室内から放たれた閃光は窓を囲む壁をも吹き飛ばし、先刻官邸に侵入したケインを外へ放り出していた。

 暗天に放物線を描くケインは、しかし宙でバランスをとって優雅に地面に着地した。


「ケイン! どうしたのさ!」

「厄介な事になった」


 ケインは首を振って、レンに自分が放り出された観月の部屋を見るよう促した。

 観月の部屋は、窓側の壁が全部吹き飛んでいたが、微かな粉塵が帳となって室内を薄らと隠していた。

 その粉塵を、室内から一筋の光が突き破り、『九頭文書』を胸に抱えている観月の姿を露にした。

 観月は何か精神的な強いショックを受けたのか、虚ろ気な顔で外を見ていたが、やがて両膝を落とし、その場にへたり込んた。


「何だ、あの光?――あの女が持っている本から発せられているぞ? まさか、あれが?」

「ああ。『九頭文書』だ。天童観月に襲い掛かった途端、あの様に発動した。

 このままでは、邪眼導士が予幻した通りになってしまう。言ったろう、あの女は唯一、邪眼導士が幻視出来た女なのだと!」


 レンは、はっ、とする。そして観月の腕の中で光輝く『九頭文書』を、畏怖する様な眼差しで凝視した。


「……ふうん」


 不意に、レンの顔に邪な色が走った。


「なら一石二鳥だ。――おい、死に損ないども」


 レンは、今にも力尽きようとしている空悟と本郷の顔を見遣り、


「このままお前達を殺してもいいが、こんな事されちゃ、気が済まなくなったぜ。先ず、後悔を与えてやる」

「「……何だと?……まさか?!」」


 愕然とする空悟と本郷は、はっ、と気付き、申し合わせたように同時に観月の方を見る。


「察した通りさ。学機総裁補佐、天童観月を殺してやる!」


 狂笑するレンは火打ち石で光の精霊を召喚し、呆けて意識の無い観月を指した。


「貴様らが殺したエミリーの恨みもあるからな!行け、光の精霊よ!女が抱えてるあの本ごと、あの女のどてっ腹をぶち抜いちゃえ!」

「「やめろっ!」」


 制止する空悟と本田に、しかし満身創痍の今ではレンの暴挙を止める力は無く、レンは観月目掛けて光の矢を放ってみせた。光の矢はレンの言葉通り、瞬く間に観月を『九頭文書』ごと撃ち抜くハズだった。

 それを止めたのは、全く予想外の力であった。

 崩れ落ちた観月の部屋の壁の丁度真下の庭から、突如噴き上がった光の間欠泉が、観月を射抜かんとしていた光の矢を寸前で粉砕したのである。


「この光の柱は、もしや――!」


 空悟は、瞠目する自らの瞳に逆さまに映えるこの光の柱を操る人物を知っていた。


「「これは――?」」


 予想外の事に呆けていたレンとケインの頬、へ、不意に空から水滴が一滴、落ちて来た。


「何だ?今夜は雲一つ無く晴れているのに、何処から――――?!」


 レンが夜空を身上げた途端、満月が綺麗に出ている雲一つ無い暗天の奥からぽつりぽつり降り始めた雨が、勢いを増して豪雨となる。

 だが、レンとケインを酷く驚かせたのは、雲一つ無い暗天が雨を降らせたのに非ず、降りしきる雨そのものにあった。


「か、身体が溶けるっ?!」


 何と、降りしきる雨が、レンの皮膚をどろどろに溶かし始めたのである。

 余りの事に、レンは豪雨の中でのたうち回るが、この奇怪な雨は容赦無くレンの皮膚を剥ぎ、剥き出した肉をも削ぎ落とていく。


「――レン?」


 ケインは傍らで、豪雨の中で見る見る内に無残な肉人形と化して崩れ落ちる同志の末路を、何も出来ずに愕然として、ただ見ているだけであった。

 レンの身体を溶かし尽くした雨は、何故かケインだけでなく、空悟と本郷にも全く影響を及していなかった。

 否、良く見れば空悟と本郷が負っている傷口から血が止まっただけでなく、傷口が塞がってほんのりとピンク色に盛り上がり、呼吸も整い始めている。滅び逝くレンとは全く逆、雨によって癒されるという結果をもたらすとは、一体?


「空悟、いつまでも寝てんじゃないわよ」


 聞き馴れた少女の声が、総裁官邸の屋根から降って来る。

 声を追う様に、声の主が庭へ飛び降りると、正門の方からも一人の男がゆっくりと近付き、少女の傍に歩み寄った。

 空悟はまだ思うように力が入らぬ身体に鞭打ち、何とか身を起こして二人を見た。

 少女の方は、つられて見た本郷も良く知っている人物であった。


「……葉月君! どうしてここへ? それに――誰だ?」


 薄汚れたパジャマ姿の八弥の傍らに立つ男を、空悟は知っていた。


「……お前は確か、朝、八弥の病室で会った――」


 空悟は、あれだけ気になっていたのに、実は名前を伺っていなかった事も忘れて、必死に彼の名を思い出そうと小首を傾げる。すると男は一歩前に出た。


「……俺の名は、漲飛丈」


 丈が名乗ると同時に、レンの身体を溶かした豪雨が降り止む。すると再び暗天から青白い月光が地上に真っ直ぐ届き、月光を受けた丈の額を閃かせた。


「――その額にあるのは、『水を司る八卦霊皇士』の『水の聖霊皇冠』!? まさか、お前?」

「……この力は、大分前に目覚めていた。

 ……学機が、八卦霊皇士の力を持った者を全国に捜し求めていたのは知っている。

 ……名乗り出なかったのは、今、敵を絶命させた『聖魔誅雨(せいまちゅうう)』の様な凄まじい力を――こんな酷い力を誇示したくなかったからだ」


 レンの身体は既に液化して地面に広がっていた。

 旧政府軍が一番恐れたという、先代の水の八卦霊皇士も揮ったこの奇怪な雨は、施行者の意思によって敵対する者を溶かしたり、傷付いた味方を癒す、聖魔の雨なのである。

 数分前、八弥を襲ったスレイも、雲一つ無い晴れ渡った暗天から降り注いだこの雨に敗れていた事実は、無傷の八弥を見れば一目瞭然であろう。


「……葉月君が、今の八卦霊皇士が闘う意義を語ってくれなかったら、帰宅途中で思い直して東京へ戻る事も、彼女を助けてこの場に来る事も無かっただろう。

 ――これも宿命か。水の八卦霊皇士・漲飛丈、『日死』との戦線に加わる事をここに表す」


 ついに現れた新たなる水の戦士は、自ら選んだ敵を見据えて見栄を切った。

 聖泉の水面の如き静かに澄んだ冷たい瞳は、明らかにケインにプレッシャーを与えて圧倒していた。


「水の八卦霊皇士までが覚醒するとは、予想外であった。――しかし、我らの目的が変わる事はない」

「……目的?」


 訝る丈に、ケインは、すうっと両拳を胸元に上げて身構えてみせる。


「お前達――八卦霊皇士の抹殺だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る