第16話
総裁官邸周辺の徹夜の警護に務めている本郷は、自分の腕時計を見遣り、あと一時間程で日付が変わろうとしているのを知ると、部下に交替を命じた。
本郷自身は今夜一杯頑張るつもりでいる。夕方、図書館で襲って来た赤毛の小僧がまた襲って来るのではないかと気になって仕方なかったのだ。
「しかし隊長、余り根をお詰めにならない方が宜しいのでは……?」
『剣龍』副長の塚早(つかさ)は心配そうに訊いた。
今夜は、塚早が剣龍隊第三班の陣頭指揮を執って警備する当番日であった。
「大丈夫だ。久し振りに本気で闘える相手に巡り会えたんでな、血が騒いで仕方ないのさ」
かなり物騒な事を口にするが、にっ、と微笑む顔は相変わらず良家のお坊ちゃんである。
しかし塚早は、その本郷の笑顔の底に隠されている凄絶な実力を知るが故に、心の中で戦慄していた。
不意に、本郷の顔に険が疾った。
「……来た様だな」
本郷は総裁官邸の正門の方を見つめていた。つられて塚早も見遣ると、正門の中の漆黒を、大小二つの人影が穿った。
「正面から堂々とは、大したタマだ。連れは初対面だな」
「もう一人は気にしなくて良いよ」
レンは、くすっ、と笑い、
「こんな所、僕一人の力で事足りるから」
「これは見くびられた様だな」
破顔一笑する本郷の顔は、まるで一本とられてしてやられたかの様な、清々しさがあった。
この二人の笑顔から、これから起こるであろう凄絶な闘いの始まりを予期するなど、誰一人として出来まい。
「夕方の決着をここで着けよう。手出し無用!」
敵の出現に一斉に集結した隊員達を制すると、あれ程穏やかであった本郷の顔に、刃の鋭さが憑依した。それも、妖刀の。
腰の鞘からゆっくり抜かれた天城も、月光を受けて青白く閃く。刀はこの白さを、朱殷(しゅあん)の死で曇らせるべく打たれたものであった。
「……凄ぇ殺気」
レンの額を、冷や汗が伝い落ちる。レンが右手の甲でそれを拭った時、正面に一人の男が立った。
「ケイン、こいつは僕が斃すんだからね。邪魔するなよ」
「お前では無理だ」
ケインと呼ばれる青年は、本郷をじっと見据えたまま振り返らず言う。
レンは直ぐに不機嫌な顔で反論しようとしたが、結局何も言えなかった。
ダークグレーのスリーピースを着こなす、長身の金髪の青年の背から発せられる凄まじい気迫に、レンがすっかり圧倒されて怯えている事は、対峙する本郷にも理解出来た。
「どうやら、お前が『日死』の刺客部隊のリーダーの様だな?」
「私の名は『生霊(せいれい)使い』のケイン。君の相手は私がする」
ケインは本郷に一礼すると、腰を少し落とし、素手で悠然と構えた。
徒手空拳、しかし一分の隙も無い。まるで絶対の武器をその手に握っている様な自信と気迫に満ちていた。
「ほう、拳法か。しかしその構え、琉球唐手や八掌拳、テコンドーとも見えぬが……?」
「マーシャルアーツ、と言う。素手だからと言って躊躇う事は無用。来賜え」
変に仰々しく挑発するものだから、本郷の顔は刹那に綻ぶ。しかし直ぐに殺意の相を取り戻し、天城を構えてケインに突進する。
(……急所は外しておかないとな。俺達はまだ、『日死』の事を知らなすぎる――)
本郷は隙のあるケインの右脇腹に着目し、そこへ最も打ち込み易い次元の継ぎ目を見極めて天城を疾らせた。
月光に閃く天城はケインの右脇腹を走り、朱糸で織りし帯を闇に散らす。
しかし、崩れ落ちたのは本郷の方であった。
「俺の太刀を……回避した……だと……? ま……まさか、こいつも……?!」
本郷は右脇腹から鮮血を撒き散らし、信じられないと言いたげに愕然とした表情のまま、前のめりに倒れ込んだ。
本郷の天城と交叉したケインは、あろう事か全く無傷のまま、その場に平然と佇んでいるではないか。
「た、隊長ぉ?!」
副長の塚早以下、三人を囲んでいた剣龍隊第三班隊員達が、予想外の結果に色めき立つ。
徒手空拳で本郷を斃した奇怪かつ未知数の実力を持つケインに恐怖心を覚えつつ、全員一斉に段平を鞘から引き抜いて構えた。
しかし、全員が鞘から抜いた段平の先が静止する前に、隊員達は全員その場で卒倒する。
いづれの額にも直径三センチ程の黒洞が穿っており、地に朱色の海を広げて行った。
「次元刀使い以外なら、僕でも殺れる。邪魔者は僕が始末するから、ケインは例の本を」
一瞬にして剣龍隊第三班隊員達の額を貫いて壊滅させた光の精霊を周囲に浮かべながら、レンはケインを促す。
ケインは無言で頷き、総裁官邸の玄関を堂々と潜って行った。
「……う……うう……」
ケインが玄関の扉を閉めるのと同時に、レンの足許で弱々しく呻いたのは本郷であった。
「ほう、まだ生きてたな。なら、止めを――」
本郷の後頭部を狙い、レンが一体の光の精霊を呼び寄せて留らせた右人差し指を向けた時、上空から凄まじい轟音が降って来た。
轟々と唸りを上げて地面に突き立った竜巻のベールを散らせ、空悟が現れた。
空悟は、額を撃ち抜かれて庭に点在する学生闘士の死屍を、哀しみに満ちた昏い面持ちで見回した。
やがてその視線の消失点が、冷笑を浮かべているレンの顔で止まると、空悟の顔は阿修羅の如き怒相に変わっていた。
「このガキゃあ~っ!よくも皆んなを~っ!!」
「ちょっと遅い援軍だったな。でも、お前じゃ僕には勝てないよ」
「生意気言うんじゃねぇっ!」
怒りの咆哮を上げる空悟は、右手に風を集めて造った竜巻棍を握り、疾風の如くレンの顔面目掛けて突く。
だが、レンの周りに浮いていた光の精霊がレンの眉間を貫かんとしていた棍の先に殺到し、先から竜巻棍を粉砕した。
空悟は咄嗟に竜巻棍を放して飛び退き、光の精霊の凄まじい破壊力を免れた。
「くそっ、何て速さだ!」
「光の精霊の力を見くびっていたな!」
レンは、闇を飛び交っていた光の精霊の群れを、自分の周囲に集結させる。
「光の精霊達よ、その男を射殺せっ!」
レンが空悟を指すと、光の精霊達は一斉に空悟目掛けて殺到する。
一瞬とも言うべき、秒速三十万キロメートルの光速度で襲い掛かる『ウィルオーウィプス・キャノン』は、空悟の全身を瞬く間に蜂の巣にするであろう。
それを、空悟は〈疾風怒涛〉をもって全て弾き返した。
とても躱せるハズの無い光線の群れを、空悟は全てその軌道を見抜き、弾丸たる光の精霊を蹴散らしたのである。
「人狙う時は、もちょっと考えてやった方がいいぜ。急所狙いがバレバレだ」
空悟の不敵な笑みに、レンは地団太を踏んだ。
「流石は八卦霊皇士。一筋縄ではいかんな。――こいつはどうかなっ?」
言うなり、レンは手にする火打ち石をズボンのポケットに仕舞い込むと、両掌を懐の前でパン、と鳴らして合わせ、何かをこね回す様に押し合い続ける。
暫く押し続けた後、密着仕切っていた為にポン、と音が鳴ると、その掌の中から『ウィルオーウィプス・キャノン』で放つ光の精霊のそれより一回り大きい白色の光球が生じた。
「今度は、量より質か?」
空悟は嘲るが、レンは挑発に乗らずにニタリとほくそ笑んでみせた。
「ああ、そうさ。『閃光のレン』の真の恐ろしさ、思い知らせてやる!」
「へっ! 効きゃあ――――っ?!」
空悟が身構えたその時、レンが放った白色の光球が一気に膨れ上がり、空悟の頭上に飛んだ。
空かさず〈疾風怒濤〉を撃ち放とうとしたその時、光球が炸裂し、中から無数の閃光の矢がまるで豪雨のごとく降り始めたのである。
慌てて〈疾風怒濤〉を仕掛けるが、拳打のそれよりも多い数の閃光の矢の前には全く無駄であった。
無数の閃光の矢に身体を撃ち抜かれた空悟の身体は無残に宙を舞い、顔面から地面に叩き付けられた。
「あ~あ、あっけないんでやんの。八卦霊皇士ぐらいだったら、もう少し手応えがあると思ったのにな」
「……期待させて……済まなかったな」
そう言って、俯せになっていた空悟が起き上がり、仰向けに横臥し直してみせると、レンは信じられないものを見たかの様に、思いっきり瞠って驚愕した。
「ばっ、ばっ、莫迦な?!間違いなく急所を全てぶち抜いたのにっ!」
「……狙いは……正確だったぜ……だがな……急所を狙うなら……もちょっとと意表を突いて……相手に予測させない方が……いいぜ」
喘ぎ喘ぎ言う空悟は、弱々しげに、しかししてやったりと笑ってみせた。
空悟は先程、『剣龍』の隊員達が皆、額の急所である眉間の『鳥兎(うと)』を正確に射抜いていた事に気付いていた。今度も急所を狙って来ると踏んで咄嗟に躱し、急所だけは撃ち抜かれる事を免れたのだ。
しかし瞬きさえ許さぬ光速度で襲い掛かる光の矢を、果たして理屈通りに身体が動いてくれるものか。八卦霊皇士の超絶した戦闘力のみなし得る神業であった。
「……やっぱり、ケインの言う通りだ」
険しい顔で空悟を睨むレンは、再び光の精霊達を集め、
「半端な考えじゃ八卦霊皇士は斃せない。――お前らの力は危険過ぎる!今度は本気で確実に仕留める!」
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