第13話
突然、空悟は観月の顔面目掛けて拳を繰り出す。観月は突然の事に瞠り、避ける事も出来ずに硬直していた。
その拳目掛けて、傍らに居た本郷は咄嗟に天城を居合いで打ち放った。
しかし本郷の天城は、空悟の拳を斬ろうとした訳ではなかった。
そして空悟自身も、観月の顔面を狙って殴ろうとしていたのではない。
空悟の拳が抉り込まれ、本郷の天城の刃が食い込む物は、奇怪な光球であった。
「な、何、この光る玉?――否、これは精霊?」
瞬く観月の瞳には、上下二つになって床に墜ちて行く、十センチぐらいの全身から光を放つ小人が映っていた。
「机の中に忘れた本を取りに来た時、教室からこいつがこの図書館に入って行くのを目撃してな」
拳を引き戻した空悟は、墜ちながら光の塵に分解して行く精霊を見つめながら言う。
「昨夜、『日死』の魔女を斃した時にも夜空を飛び回っていましたね。光の速度で飛び回っていたから、常人の目には映らなかったでしょう」
本郷の言葉に、空悟は黙って頷いた。既にこの二人は、飛び交っていたこの光の精霊の存在に気付いていたのである。
「これは、光の中に棲み付いている低級の精霊だな。
だが、こんな小物、ここみたいな光量の多いところでうろちょろする訳がねぇ。
精々、星の瞬きか、火花がもたらす閃きの中くらいだ。――大体、人を監視する真似を何処で覚えた?」
「誰に教わった?――かではないのかな」
本郷の疑問に、何処からとも無く聞こえた、子供の様に甲高い笑い声が応えた。
空悟と本郷はその笑い声に即座に反応して、観月を挟んで守り立って身構えた。
「流石、学機の切り札」
「何者だ?」
空悟と本郷は、鋭さを帯びた両目で姿無き敵を必死に追っていた。
空悟ならば、声が発せられた位置など、音の波動を追う事で直ぐに割り出せるハズなのだが、信じ難い事に今の声は、一音毎に全く異なる場所から発せられていたのである。
「訊くまでも無いでしょ?あんたらの言うところの、『日死』から来た者さ」
「その口調、そう言われるのがどうも好まぬ様だな。ならば、堂々と姿を見せたらどうだ?」
「そぉだね」
挑発する空悟に応えて、声の主は意外な所からゆっくりと姿を現した。
夕日が差し込む大窓から、影が伸びる。だが、影の源には何も無く、紅く染まった外の景色を望めるのである。果たしてこれは?
「それで姿を見せたってゆうか?」
まるでその目には映っているかの様に、窓をじっと睨む空悟は、右手をゆっくり翳す。
すると、その掌の中に小さなつむじが生じるや、瞬時に長さ2メートル程の、一本の棒を思わせる小規模な竜巻に変わった。
空悟はその竜巻を、正に棒を掴む様に素手で握った。竜巻は質量を備えたか、あろう事か一本の棍となって、空悟の手の中で振り回されたのである。
十回転程した後、空悟は竜巻の棒の一方の柄を右手で握って廻す事を止め、大窓目掛けてもう一方の先端で突いた。
ピシッ、と亀裂が入る音がするや、大窓に亀裂が走る――否、大窓の手前の虚空が裂けたのである。
茜色の破片が飛び散り、その奥では、赤毛で碧眼、悪ガキという形容詞が良く似合うジャンパーに半ズボンを履いた、そばかす顔の少年が、屈託の無い笑顔を浮かべていた。
「凄ぇ、竜巻を棒の様に操れるのか」
感心したふうに言う赤毛の少年に、空悟はほくそ笑んでみせた。
「宮鬼神流棒術奥義『竜巻棍』。風の八卦霊皇士、宮鬼劉真が後大子帝を葦野まで警護する逃避行中、編み出した棒術だ」
道理で、『九頭文書』に詳しい訳ね、と観月は合点した。
空悟が『竜巻棍』を揮った姿は何回か目撃した事はあったが、それが琉球皇国に伝わる武術という事と、空悟が小学生の時にそれを印可されたという事ぐらいしか認識していなかったのだ。
次に観月は、床に落ちた破片から、その棒術が粉砕したものは鏡であった事を知る。
光の屈折を利用して、あたかもそこには何も無いかの様に見せて隠れていた様だが、正面に鏡を置いただけで背後の景色まで透かしたというのは、何とも不可解な現象である。
「流石は、西の果てにある失われた大陸から来ただけの事はある。鏡を盾にしただけで透明になるなんて、一体どんなトリックなんだ?」
「今の口調じゃ、僕らは皆、手品師みたいに思われている様だな」
「無理もあんめぇ。何せ『日死』(おまえら)は、一晩で大陸一つ沈めたぐらいだからな」
挑発する様に言う空悟に、赤毛の少年はやにわに不機嫌になる。
「……あれは愚かな男が、己の主張を通す為に禁呪を用いた為の不幸な事故だよ。
そんな事より、お前ら、その本を僕にくれない?」
「これか?」
そう言って空悟が差し出したのは、極彩色の毒々しい顔を持つ割に、子供の人気者になっている『ザンパンマン』の絵本だった。
「違う」
赤毛の少年は憮然となって頭を振る。
「じゃあ、これか?」
次に出したのは、刷数小量限定で発売当日に完売した、生チチもろ出しのナイスバディな金髪美女が、スピッツを腹の前で抱えて局部を隠している姿が表紙になっているヘアヌード本『ラブリーワンワン』だった。
「あ! いいな、それ!」
「いかん。これは机に忘れて取りに来た本だ」
「あんた、そんな本を教室の机に入れてたの!?」
観月は、怒りと恥ずかしさに赤みを一層増して怒鳴る。
「本郷に貸してやる約束なんでな、ほれ」
そう言って空悟は、本郷へヌード本を放り投げる。宙を舞うヌード本は、呆気に取られていた本郷の手の中にすっぽり収まる。
思わずヌード本を受け取ってしまった本郷は一瞬顔が緩むが、赤面の観月に睨まれている事に気付き、ヌード本を持て余してあたふたした。
「あーあ、いいなぁ、その次に貸してよぉ――じゃなくって。お前の持っている『九頭文書』の方だ! 大人しく渡せ!」
「嫌なこった」
あかんべえまでする空悟に、赤毛の少年は顔を顰める。
「そっちがその気なら、こっちも遠慮無くやらせてもらうよ」
そう言って赤毛の少年が、半ズボンの左右のポケットから、両手で同時に取り出したのは、ゴルフボール大の石であった。
「コロラドで『閃光のレン』と呼ばれた僕の実力を思い知れ。ほらっ!」
レンと名乗る赤毛の少年は、両手に持った石を手前でぶつける。
その石は火打ち石であった。石と石がぶつかり合った個所から、無数の火花が飛び散った。
まさか、その火花から、先刻空悟と本郷が斃した光の精霊が出現するとは。その数、ざっと二十五体。
面白ぇ、とにっと笑う空悟だが、しかしその前に割って入ったのは本郷であった。
「斉賀、ここは俺に任せろ」
赤面の本郷は、レンと向かい合ったまま、持て余していたヌード本を空悟に突き返した。
「ころらど、とは貴様らの組織の正式名称か?」
「いいや、土地の名前さ。それにしても、たった一人、しかも刀一本で、こんなに大勢、光速で飛ぶ光の精霊に叶うと思って?」
レンは鼻で笑って小莫迦にした。
だが本郷には、臆した様子も、挑発に乗った様子も無い。
やや身を屈めて、腰に掛けた天城の鯉口を少し切って、蛍光灯の明かりを受けた刃靭を閃かせる。
鯉口から洩れた閃きに、レンは眩んでしまう。
「俺は学機特別機動隊『剣龍』隊長、本郷在仁。斬られる相手の名を知らずにあの世へ戻されるのは嫌だろう?」
「『ブシドー』、って奴かい?甘いね。――行けっ、光の精霊達よ!」
レンの命令が堰を切り、二十五本の光が閲覧室内一杯に飛び交う。
本郷は、鞘から抜いて右手に持つ天城を右肩の上に引いて垂直に構え、左手を柄頭に添える。『二ノ太刀不要』と恐れられる薩摩自顕流の基本の構え、『蜻蛉(とんぼ)の構え』をもって迎え撃たんとする。
大きく一回深呼吸して気を溜めた後、レンに向かって突進する。躊躇う事は許されない。
――『二ノ太刀不要』、即ち『一撃必殺』こそが薩摩自顕流の神髄。幕末、この剣法を印可した維新志士達が多くの幕臣を斬り伏せ、神選組隊長である剣豪、権藤勇をして、
「自顕流の使い手を前にして、死にたくなくば、必ず初太刀を外せ」
と、隊員達に言わしめた、恐るべき殺人剣法であった。
果たして、その剣をして、光速で襲い掛かる敵に勝てるのか。
「皆んな、こいつの身体をぶち抜いちゃえ!『ウィルオーウィプス・キャノン』!」
レンは本郷を指す。室内を飛び交う光の精霊達は、一斉に本郷目掛けて殺到した。
「いえぇぇぃぃいっっ!」
迫り来る光速の矢の群れを前にして、本郷は凄まじい気合いと共に突進を止めて両足を踏み締める。
そして天城の白刃を、右上段から斜め左下へ、閃光の如き疾さで袈裟懸けに割った。
虚空をただ断ったかの様なその太刀筋から、奇怪な光の亀裂が八方に走るとは、一体誰が予測出来ようか。
本郷の周囲に走った光の亀裂は、殺到する光の精霊の身体を容赦無く切り裂き、一瞬にして全滅させたのである。
「これは――」
「薩摩自顕流奥義・『虚空太刀(こくうたち)』
唖然とするレンに、本郷はほくそ笑んで応えた。
「そうか、次元刀――空間を斬ったんだな!」
「然様」
凄まじい事を成し遂げた己が所業を果たして理解しているのか、本郷は飄々として頷く。
空間を構成する素粒子にも継ぎ目があり、その目を寸分狂わず断つと、この様に空間を一瞬にして裂く事が可能になるのである。薩摩自顕流奥義の神髄は、剣技に否ず、空間の素粒子の継ぎ目を見抜く事にある。故に、初期は『次元流』と呼ばれていた。
奥義を極めし者は、光の動きさえスローモーションの様に見え、瞬間だが、光の速度で行動する事が出来ると言われている。
「次はお前だ」
「――くそっ!」
レンは再び火打ち石を打つ。今度は大きな閃光が炸裂する。本郷達はその光の大きさに眩んでしまう。
「逃がすかっ!」
本郷は眩んだまま、前方を袈裟懸けに斬る。
三秒程して、閃光はレンの姿と共に消えた。
「……手応えあったが、致命傷は免れたか」
ぽつり洩らしてほくそ笑む本郷であったが、先刻までレンが立っていた地点には、血痕の後は全く無かった。果たして何の手応えか。
代わりに、その場には奇妙な物が見受けられた。
本郷は恐る恐る屈んでそれをじっと見つめ、左手ですくい上げた。
「……何でこんな所に砂が積まれているのだ?」
本郷は、左掌の指の隙間からさらさらと零れ落ちる砂を見つめながら小首を傾げつつ、先刻の天城で斬った手応えを思い出した。
「してみれば、今の手応え、まるで粘土を斬った様な重く鈍いものであったが、はて?」
「逃がしたか。あのガキ、また来るぜ」
酷く低い声で呻く様に言う空悟に気付いて視線を移した本郷は、左手の甲から大量に出血する親友の姿を目の当たりにした。
空悟は観月を庇う様に立っており、観月は『九頭文書』を抱えたまま、床にへたり込んで呆然としていた。
「空悟、どうした?」
「あのガキ、今のどさくさで『九頭文書』に手を出そうとしていやがった。
総裁補佐殿がぼんやりして、古文書をのんびり抱えたままだったから、俺があのガキが放った光の精霊を叩き落とさなけりゃ、今ごろ古文書と一緒に風穴が開いていただろうよ」
空悟は、傍らでへたり込んで呆けている観月を睨み付けながら言った。
「総裁補佐殿よぉ、奴がこの古文書を狙ていると判っておきながら、何でさっさと放り投げて逃げなかった?」
怒鳴って言う空悟に、呆然としていた観月は込み上げる怒りに我に返り、空悟を睨み返した。
「『日死』がこの古文書の事を知っていたというとは、奴らの侵攻の目的の一つは間違いなくこの古文書にあるとみたのよ!
そんな大事な物、むざむざと敵に渡せるもんですか」
「……お前ぇ、そんな古本と心中する気か?!」
空悟の今までに無い怒鳴り声に、観月は、はっ、として呆然となる。空悟が本心から怒っている事は、本郷もはっきり分かっていた。
「まったくやってらんねぇぜ、こんな大ボケ女の護衛なんかよぉっ!」
怒鳴りざま、空悟はそのまま二人を置いてさっさと閲覧室から出て行こうとする。
呆然としていた観月は、再び込み上げる怒りの勢いそのままに、噴き上がる様に立ち上がり、立ち去る空悟の背へ浴びせた。
「勝手言うな! あたしは犯罪者のあんたに、あたしの警護を命じた覚えは無いわよ!」
「それは言い過ぎですよ、総裁補佐!」
「……あ」
本郷にしては珍しく、きつい口調で観月を諭した。流石に観月も、空悟に浴びせた罵倒が余りにも酷かった事に気付き、言葉を無くした。
空悟は二人に振り返らず、既に閲覧室から去った後であった。
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