第12話
本来、この『九頭文書』は、古代より日本帝の祭祀を司ってきた名門、隈野別当宗家の宮鬼家が大事に保管していた古文書であった。
古文書の名の由来は保管者の名前から来ている。
鎌蔵幕府の滅亡間もなく生じた『剣武の中興』によって、半世紀に渉り日本は南北二つの朝廷に分かれた事があった。
その為、今まで朝廷の実権を握っていた後大子帝(ごだいごのみかど)が出雲宮から葦野に落ち延びる事になったのだが、その逃避行に同行し、出雲宮から持ち出した三種の神器を警護して幕府の追っ手と戦ったのが、宮鬼家の祖たる、隈野別当十代堂真(どうしん)の直裔である劉真(りゅうしん)であった。
劉真は、外見は女性と見間違う程の細身の美丈夫であったという。
しかしその戦い振りは、女性どころか、人とは思えぬ程の獅子奮迅のものであった。
たった一人で、塞がる百人近くの追っ手を素手の一凪で全てはね飛ばすに至るや、敵はおろか味方にまで「鬼の如し」とまで言われた程である。
しかも一人や二人の鬼どころではないくらいの実力故に、「帝宮の護鬼」とまで謳われ、感服した後大子帝にその二つ名から「宮」の「鬼」、即ち宮鬼の姓を賜ったとされている。この劉真を頭首とする宮鬼一族の力があったからこそ、芦利(あしかが)氏の天下になった後も、後大子帝が興した南朝が五十年も続いたのである。
後に、この宮鬼劉真の七世にあたる宮鬼嘉隆(よしたか)は、戦国時代において豊祿秀吉(とよとみ・ひでよし)の大陸出兵のさい、水軍総督として仕え、九つの隊からなる宮鬼無敵水軍の名を世に知らしめるのだが、その水軍の隊長達に伝えられた九つの巻物こそ、『九頭文書』であった。
始めは「宮鬼文書」と呼ばれていた一本の巻物は、嘉隆から任官の証しとして九人の水軍将軍へ、討った敵将の体皮を鞣し表紙に被せて分け与えられ、その子孫に代々受け継がれる事になった。
その為、九人の頭主が所有する事ところから、「九頭」文書と呼ばれる様になったのである。
九篇に分かれた『九頭文書』は、
第一篇『歴史秘録』、
第二篇『古代和字』、
第三篇『神道宝典』、
第四篇『太占(ふとまに)秘想』、
第五篇『兵法武教』、
第六篇『病理医薬』、
第七篇『渡来秘法』、
第八篇『筆録群像』、
そして第九篇を『宮鬼宝物』と呼んでおり、森羅万象の理を書き連ねたその内容の豊富さから、一部の学者には『古代の百科全書』と呼ばれていた。
しかし、今から八年前、九門典膳が学機総裁の座に付くや始めた大粛正によって多くの学者や知識人達が処刑され、それと共に多くの古文書が焚書の憂き目にあった。
当時、超古代文明学の第一人者であった阪井克軍は、学機の余りにも一方的なやり方に憤り、九門に意見した為に処刑されてしまった。
その際、阪井宅の蔵書も焚書されてしまったのだが、何とその中に宮鬼家から資料として預かっていた『九頭文書』の第二篇から第九篇まであったのである。
唯一残された第一篇は、実は栄戸(えど)時代中期に何者かによって盗まれ、長い間行方知れずであったが、つい最近になって、帝央高校の別館図書館の地下蔵書庫を十年振りの大整理を行った際に、何故か保管されていた事が判明したのだ。
それを発見した館員は、幾度か地下蔵書庫の奥を訪れていたハズなのに、その棚の存在に気付いていなかった。
他の館員も無論、学校の教師や生徒も同様で、前述の通り、十年前の本棚の相入れ替えの時にも誰一人として気付かず、帝央高校開校以来から五十年もの間在籍する館長をして、全く覚えが無いのである。
まるで、図書館の設立当初からその奥の棚にひっそりと住み着いた様な、只ならぬ雰囲気を漂わせていたと語っている。
果たして一体誰が、盗まれていた『九頭文書』をそこに置いたのかは、今だ不明である。
観月は以前、日本史の参考書を図書館で探していた時に、地下蔵書庫で奇跡的に残されていた阪井の著書を少し読んだ事があり、そこに『九頭文書』の事が触り程度に書かれていたのを思い出して、持ち出したのだ。
阪井は、著書の中に記載した『九頭文書』の内容を、作者不明の古代の百科全書として紹介していたのだが、記述が超古代文字を用いている事、そしてやはり全て意味不明の文が並び連ねている所から、奇書の一種であると評していた。
但し、判明した文の中には、『九頭文書』が編纂されたと推測される那良(なら)時代以前にはまだ確立されていなかったハズの数式や化学式の事が、正確に記述されている事に、大変驚かされたらしい。
その反面、中には突拍子も無い怪しい記述もあったらしく、例えば、
「この平坦なハズの大地が、実は真空の空間に浮かぶ球体である」
「鳥の様な巨大な翼があれば、たとえ鉄の塊であろうと大空を飛ぶ事が可能である」
等といった記述が書かれていた事に、阪井はあれ程正確な分析をしていた作者が、何故こんな有り得ない話を所々記載しているのか、さっぱり解らなかったと語っていた。
そして、阪井がこの『九頭文書』最大の謎と指摘していたのが、長い間行方知れずとなっていた、この第一篇『歴史秘録』であった。
阪井は先述の理由故に、その目で第一篇を読んだ事は無かったが、保管していた宮鬼家の頭首が、代々口伝で伝え残していた概要によれば、その内容は、この宇宙創成の始まりから、神代の昔から現代に至り、そして世界の終末の事まで克明に記述されていると言うのである。
無論、阪井は今や何処にあるのかも解らぬ物に対して、本気で取り合おうとは思わなかったようだが、果たして何がそこに書かれているのか、少なからず興味があったのは間違いなかった。
その失われた本が、今、観月達の手元にある。
だが、これを解読するにはあまりにもハードルが高すぎた。
冒頭の辺りは辛うじて観月にも解読出来た。もっとも、超古代文字に少し明るかった空悟の助力が無ければ、無理であったが。
『この宇宙は、始め、無秩序に支配されていた混沌たるものであった。
しかしそれを元始神・母止津和太良世乃大神(モトツワタラセノオオカミ)が無たる永遠の戯れ(『戯れ』は直訳通り。
その意味は空悟にも不明であった)を有の戯れへ誘う為に、宇宙開闢(かいびゃく)を行った。
開闢された宇宙の中心からは無限の戯れが展開し、永い時を経て息吹を上げた宇志採羅根真大神(ウシトラコンシンオオカミ。
どうやら諸神の総称らしい)が天と地を分けた』
次に解読出来た文章には、実に興味深い事が書かれていた。
『開かれた天と地には、宇志採羅根真大神が自らの容姿に似せた生命体を造り上げ、それを送り込んだ』
生命体とは恐らくこれは人間の事を指しているのだろう。
しかし、何故かその人間の事を、この古文書では、『鬼人(おにびと)』と呼んでいる。宇志採羅根真大神はその『鬼人』をこの世に送り込んだ事を酷く嘆いているというのである。
「この『九頭文書』によると、神々が鬼人と呼んでいる人間は、その欲望故に幾度となく世界を破滅に導いており、その度に神々が救済の手を差し伸べている。
その愚かな破滅の繰り返しに、神々は呆れ果て、創り出した事を後悔して嘆いている、との事だ」
「どこの親でも、きかん坊には泣かされているのねぇ」
観月はそう言って、横目で空悟を睨んだ。
観月が何を言わんとしているのか、空悟は気付くと、
「俺は年下の親なんか持った覚えはないぜ」
「あら。保証人には、保護者の権利は無いのかしら?」
締めは、ほほほ、とせせら笑い。観月は嫌味たっぷりに言ってみせた。
「大体、斉賀空悟、何であんた図書館に居るのよ?」
観月は漸く肝心な事を思い出した。警備はおろか授業さえもサボっていた空悟が、何故、ここに現れたのか。
すると空悟は、じっ、と観月を睨んだ。
「お前さん、まだ気付いていないのか?」
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