第9話

 丈も、この三人組の正体に直ぐに気付いた。

 『武客』。

 武芸の腕自慢が他流派の武術に挑戦し、勝利するコトで世に名を知らしめんとする武道家たちを指す、武道界独特の言葉である。

 かつては自分の技量を高めるために秀でた武芸家たちが盛んに行っていたそれは、今ではそのほとんどは富や名声を得るための手段にまで成り下がっており、武客という言葉はあまり良い意味では使われていない。

 どうやらこの三人組は、八弥に勝負を挑んできた武芸家なのである。


「……怪我人相手に勝負を挑んでくるのは、少し考え物だが」

「色男さんは黙ってな」


 右腕に巨大な鉄の爪を装備している播本が、にぃ、と笑いながら言った。


「要は、『大地の八弥』に勝ったという事実さえあればいい。――それだけさ」

「…………」


 丈は無言で播本を睨み付けた。

 途端に、播本ばかりか残りの二人も、丈を見て、ぎょ、となった。

 凄まじいプレッシャーが、丈から発散されていた。それは直ぐ隣にいた八弥をも戸惑わせ――いや、戦慄させるほどのものであった。


(この人――――出来る?!)


 先に動いたのは、丈ではなく八弥だった。


「……おい」

「悪いけど、これ、あたしのお客」

「「「お――、おぅ」」」


 名声を欲する三人の武客は、ようやく声が出せた。


「だけど、ここでは拙いわね」

「病院内で闘うのが気になるか?」

「ううん」


 八弥が首を横に振った瞬間、突然播本の身体が飛び上がった。

 だが、八弥に飛びかかったのではなく、いつの間にか三人の足元に散らばるように置かれていた地聖環のひとつが火を噴き、播本を天井にめり込ませたのである。


「「播本っ?!」」


 叫びつつ、升村と亜手名は即座に背後へ飛び退いた。


「――おのれっ!影槍っ!」


 飛び上がった亜手名が床に残した影が、瞬時に形を変えて黒い槍となり、八弥目がけて襲いかかった。

 マッハを超える速度の影槍は瞬く間に八弥の身体を指し貫いた――かに見えたが、八弥の姿は既にその場から消えていた。

 そして次に姿が見えたのは、なんと飛び退いた亜手名の直ぐ真後ろであった。


「『地聖環』――〈憾天動地)〉」


 八弥は唖然となる亜手名に背後からそう囁くと、振り上げていた地聖環で亜手名の首筋を叩いた。当て身を受けた亜手名はそのまま床に倒れて昏倒すると、放った影は瞬時に霧散した。

 それが、八弥の足が着く地面を目標の地面と瞬間に入れ替えるコトで可能とする瞬間移動技がであるコトを、亜手名は完全に忘れていた。


「くぅっ!そんなっ!」

「悪いけど」


 慄然となる升村に、八弥はそう言って、くすり、と笑い、


「あんたらみたいな小物相手、疲れているぐらいで丁度いい――なワケないか。はっきりいってあたし相手には不足ね」

「だ、黙れっ!」


 八弥の挑発に乗せられた升村は、怒鳴り声とともに、両袖の中から引き出した手槍を掴んで大きく構えた。


「俺が他の二人と同じと思うな」

「どーみたって同じにしか見えないんだけど」

「煩ぇっ!『琉法双剣術』――〈平法〉」


 升村は、両手に持つ刃渡り三十センチもある手槍を正面に、それぞれの刃先を左右違えてニの形に構えた。

 八弥は升村が言った武術名よりも、その構え方から、升村という武客の流法が琉球唐手の流れを汲む一派であるコトを悟った。


「似たような流派の使い手知ってといるから判るけど、それ、普通はトンファーを使うんじゃない?」

「手槍は自己流だ」

「そりゃやりにくいわね」


 格闘術では、知られている流派の武法ならば、それなりに対策は打てるのだが、独自にアレンジが加わっている場合、その動きや間合いが、実際に攻撃を交わすまで掴みにくいのが普通である。

 この場合、升村が持つ手槍とトンファーの間合いはほぼ同じ。恐らくは、武器をミックスさせた攻撃方法を得意とする琉球唐手の使いなのだろうから、手にした得物で拳の延長的な、打撃や突きを中心に攻撃してくると思われる。

 だが、トンファーには刃が無く、持ち方もトンファーのように取っ手が付いているわけではない。むしろ、短刀のそれに近い。

 升村が一歩、前進した。

 すると八弥は一歩後ろに下がった。八弥は、いたずらに間合いを詰めようとはせず、しかし距離を置こうとはしなかった。


「――尋常にっ!」


 升村が飛び出した。しかし今度は八弥は下がろうとはしない。

 それを見て、升村は、にっ、と笑い、右手に持つ手槍を手の中で軸回転させた――いや、回転しているのは刃の部分だけであった。

 そして刃が柄から外れ、鎖を引いてその刃先を八弥目がけて撃ち放った。


「これか――――」


 空かさず八弥は地聖環でそれを弾き返す。ところが槍の刃が引いていた鎖が、八弥の地聖環をその手首に縛り付けてしまったのである。

 升村はとんぼを切ると、音もなく床に着地した。


「首を狙ったのだがな」

「さっきの飛苦無が気になってね。もしかすると飛び道具もアリかと思ったのよ」

「流石、百戦錬磨の戦士――そうでなくては」


 先ほどの怒りはどこか、升村は八弥に一本取ったような気で笑っていた。


「――ではこれはどうか?」

「な――」


 升村が右手を大きく振ると、なんと鎖が八弥の身体を縛り付けてしまったのである。


「チタン合金製の鎖は、そう易々と外せはしないぞ」

「……みたいね」


 八弥は、身体を縛り付けている鎖を身じろぎして、じゃら、っと鳴らした。


「これでお前の地聖環は封じさせてもらった。――次はその大きな胸の下にある心臓にこの槍を突き立ててやる」

「やーねぇ。そんなところばかり見ないでよ変態――ところであんた、何の単位が足りないの?」

「たん――――」


 思わず絶句する升村。その戸惑う貌はまさしく図星を突かれた時のそれであった。


「今は就職難の時代だからねぇ。学機所属の学生闘士ならいざ知らず、無所属の一般学生は単位ひとつ落とすと退学させられるからねぇ。

 この間かかってきた相撲使いなんか、全科目赤点だったそうよ。学歴がダメなら、せめてあたしらみたいな有名人でも斃して箔のひとつでもないと、就職なんて夢また夢だからねぇ」

「く……ぅっ」

「でも気持ちは判るわぁ。あたしもさぁ、いつもギリギリで――空悟がゆうのよ、あのサルづらで。

 学生闘士のご身分は甘えるんじゃねぇ、学生の本分は手前ぇできっちり責任とれ、ってまぁ偉そうに――――」

「だ、だまりやがれっ!」


 思わず上擦った声で怒鳴る升村は、いつの間にか半べそをかいていた。

 それを見て八弥はまた笑った。この間の相撲使いも図星を突かれた時、同じように半べそをかいていた。


「男は泣かない、泣かない――あら?」


 八弥が苦笑しながら八弥が鎖を引き剥がそうと暴れているそこへ、升村と八弥を繋ぐその鎖を掴んだ者が居た。


「張飛くん――」

「……そこまでだ」

「カッコつけの優男は黙って――――」


 升村が言いきろうとしたその時であった。

 突然、丈は右足を振り上げ、両脚をほぼ垂直にすると、一気に右足を振り下ろした。

 踵落としのそれは、なんと、チタン合金製の鎖を切断させてしまったのである。

 その威力は打撃と言うよりも、名刀匠に鍛え抜かれた刀による斬撃というほうが的確であろう。これには升村も八弥も、またも唖然とさせられた。


「き、きさ――」


 慌てて左手の手槍を構える升村だったが、丈の振り下ろされたその右足の蹴先が升村のほうに延びるように向けられた瞬間、その手に持つ手槍が刃ごと粉々に粉砕された。

 そして、八弥の〈憾天動地〉に匹敵する瞬間移動と信じがたいリーチで届いた丈のつま先が升村の喉元に深く沈んだ。

 一呼吸置いて升村の身体は仰け反り、宙を舞って床に大の字に伸びた。

 まるで、居合い抜きのような蹴り技――八弥はこんな切れと速度を持つ蹴術を見たコトがなかった。


(さっきの予感、的中――、いえ、こんな凄い蹴技、見たこと無いわ……?!)


 丈は、倒れている升村を憮然とした表情で黙って見下ろし、しかし直ぐに八弥のほうへ向いた。


「……お節介だったかな」

「さあ?」


 八弥が肩をすくめてみせると、その身体を縛り付けていた鎖が、するり、と外れた。

 そしていつの間にか左手に持っていた唐草模様のがま口を持ち上げると、じゃらじゃら、とまるで鎖の音のように鳴らし――いや、先ほどの鎖の音はまさしくこの音であった。


「鎖は受けた時点で地聖環で斬っていたんだけどね。折角これで油断を誘ったのに。

 まぁ、小銭と鎖の音の違いも気付かないようでは、既にあたしの敵ではないわね」

「……敵ではないが、今は怪我人だな」

「そうね。こいつら、ツイてたわね。ここが病院で」

「……救急馬車で運ぶ手間が省けていいさ」


 丈がそう言うと、八弥が突然吹き出した。堅物そうに見えた丈の砕けたセリフに受けてしまったらしい。


「……何か、おかしいか?」

「いや、冗談のひとつでも言える人でホッとした」


 そう答えて、八弥は嬉しそうにくすくす笑った。

 そんな八弥を見て、丈はほんの少し赤面した。

 直ぐに数人の看護婦がやってきて、通路で伸びている挑戦者たちを手際よく治療室へ運んでいった。

 その光景を見て、八弥は、やれやれ、と肩を竦めてみせた。

 するとその隣りにいた丈が、ところで、と話を切りだしてきた。


「何?」

「……先ほどの質問が途中になった。

 ……キミのような八卦霊皇士は、人の身でありながら、森羅万象の理をその意思で変化させる力を持つ。それはさながら、神の如く」


 そこまで聞いて、八弥は何か嫌なモノを感じた。


「……その力に恐怖した事は無いか?」


 そう問う丈の瞳と声が、何故か怯えている様な不安気なものであった事を気にしつつ、八弥は暫し沈黙する。

 やがて、うん、頷いて


「……無いと言えば嘘になるわね。でも、神になったつもりはないわよ」

「……しかし、古来より、人が不相応な権力(ちから)を手にした時、その力に溺れているものだ。……昔の学機の様にな」


 丈の一変した鋭い眼差しに見つめられ、八弥はまたも沈黙してしまう。

 その眼差し以上に鋭い指摘に納得する八弥は、返す言葉を無くしていた。


「……だが、俺の目には、今の学機も昔の学機と何ら変わり無いように見える」


 すると八弥はばっと顔を上げて丈を睨み、


「そんな事は無いわ。あたし達はあの九門の様な殺人集団じゃ無い!」

「……しかし、やっている事は前と変わり無い。

 ……得体の知れない敵との殺し合いの為に、八卦霊皇士という神の力を持った超人を中心に、武力の強化を図っているではないか」

「誰も好きで殺し合いをやってなんかいないわ!」


 つい感情的になって立ち上がりざま大声で叫ぶ八弥は、周りにいる患者達の注目の的となる。

 周囲の反応に気付いた八弥は、苛立ちながら目を瞑って大きく深呼吸し、気を鎮めてから瞼を開いて丈をじっと見つめた。


「……御免。確かに外部の人から見れば、そう見えるわよね」


 八弥は疲れた様な顔で言うと、再びソファに腰を下ろし、背凭れに背を深く沈めて嘆息した。


「……言い逃れは嫌いだけど、どうしても感情が許してくれないみたい。

 今の自分の仕事の汚さは、誇り以上に判っていたつもりなんだけど。

 でも、学生達(みんな)を守る為に、あたし達が命を賭けている事だけは、少しは理解して欲しいわ」

「……解らないな」

「何故?」


 睨む八弥の目線へ、丈はあの凛然たる聖泉水面が如き静かな眼差しを、迎え撃つ様に合わせた。


「……学生とは、正にその字の通り『生きる為に学ぶ』事が本分のハズ。

 命を捨ててまで正義の為に闘う事が、果たして正しい生き方なのか?

 そして今のように、力を求める輩に付け狙われる、そんな生き方が素晴らしいと思っているのか?」


 丈は八弥に目を真っ直ぐ合わせて問う。

 こんな心の底まで見透かす様な眼差しに見据えられては、どんな人間でも動揺は免れまい。

 八弥は返答に窮するか。


 否、である。


「どうやらキミも空悟と同じ考えを持っている人なのね」


 微笑む八弥の反応は予想外だったらしく、丈は思わずぽかんとする。


「殺し合いを、在り来りの理想や二元論で理論武装した綺麗事で言い訳しようとする事自体、ナンセンスなのは判っているわ。

 ではキミは、どうしたら現状を穏便に打破出来ると思う?」


 返答に窮するのは丈の方だった。丈は何も言い返せず、只沈黙するばかりであった。


「穏便な理想を求めるのは、返り血の重さを知ろうとしない卑怯者だけよ――」


 そこまで言って、何故か八弥は肩を竦めてみせる。


「――なんて、ね。偉そうな事言ってみたけど、全部あの空悟の受け売り。

 あたし自身、何が正しいのか、良く理解していないのにね。判っていれば、さっきみたいな連中に狙われなくなるんだけど――」


 ふと、八弥の笑顔に影が掛かった。


「……だけど、これ以上哀しみだけは増やしちゃいけない。それだけははっきりと解る。

 あたしにそれが出来る力があるのなら――八卦霊皇士としての力がそうならば、あたしは進んで代わりに返り血を浴びるわ。

 後悔なんか、全てが終わった後ですればいい。その為に、学生(あたし)達には未来(あした)があるんだからね」


 昏い笑顔で語る八弥の胸に去来する友の顔は、果たして八弥に笑ってくれただろうか。

 丈は何も反論しようとはしなかった。八弥の答えに如何なる結論を得たのか、その涼しげな顔からは伺い知る事は叶わなかった。


「……晶は、別に今の学機を嫌ってはいない」


 暫しの沈黙の後、破顔した丈はそう一言洩らした。

 八弥は無言で微笑み返した。嬉しそうな笑顔だった。


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