第8話

 八弥は午後一番の精密検査を終えると、病院本館の一階フロアにある売店で、今日発売された月刊のクロスワードパズル誌と缶ジュースを手にして、レジに向かった。

 会計を済ませてレジを出ようとする八弥に、店員が慌ててレジに残されたお釣りを存在を告げる。

 まだ催眠術の影響でも残っているのか、八弥は頭痛こそ無いが時折ボーとしていた。

 しかし今日の検査では、脳波には異常は見られていなかったらしい。不断の疲労がどっと出たのだろう。


(……棺桶みたいな検査機の中に暫くの間寝かされて、その中で明滅する光を何度も目で追わせたり、不規則に左右に動く台に立たされて揺らされたりと、こちらの検査を続けている方が頭に悪いんじゃないかしらね)


 八弥は苦笑いしながらそう思い、お釣りを取った。


「あ、八弥さん」


 聞き覚えの新しい少女の声が、掌に乗せた小銭のお釣りを唐草のガマグチ財布にジャラジャラと入れている八弥の耳に割り込んできた。


「あら、晶ちゃん」


 八弥は、売店が面する通路を丈と一緒に歩いている晶に手を振って応える。

 しかしその振る手は財布を持っていた方だったのでジャラジャラと鳴り、赤面する八弥は慌てて振る手を差し替えた。


「八弥さん、検査終わったの?」

「まぁね。晶ちゃんは?」

「まだ途中。尿検査の結果待ちの間にレントゲン写真をとりに行くの」


 晶は泌尿器系の疾患の手術の為に二週間前から入院していた。

 元々、晶は横浜市内にある実家の近くの総合病院に通院していた。

 症状事態はそう重くはなかったのだが、主治医が、出来るだけ開腹せずに尿道から内視鏡を通して手術を施した方が良いと勧めた為、主治医の紹介で、最新鋭の設備が整っているこの帝央病院に転院して来たのだった。

 一昨日行われた三時間足らずの手術は無事成功し、まだ尿道には排尿用のチューブが刺さったままで、排尿袋を掛けたハンガーを引いて歩かなければならないのだが、経過も良く、明日にでもチューブは外され、一週間以内に退院出来る見込みである。


「ねぇ、八弥さん。検査終わってんならヒマでしょ?一緒に検査付き合って、ね?」

「でも、お兄さんが一緒なんでしょ」


 すると晶は肩を竦める。


「だって退屈なんだモン。せっかく学校を休んで見舞いに来てくれたのに」


 どうやら丈は妹にも余り口をきかない性分らしい。八弥は破顔して付き合う事を了承した。

 病室に戻った所で、今買ったクロスワードパズルを解いて暇を潰すしか無い。今日は木曜、週明けには退院出来る見込みで、授業の遅れは空悟にまた助けてもらえばいいのだ。


(……たまには、空悟の言う事も聞いてみようか)


 放射線科に着くまでのあいだ、八弥と晶は無言で通す丈をよそに意気投合して、ペチャクチャと話していた。放射線科に到着すると暫くして、医師に呼ばれて晶はレントゲン室に入って行った。造影剤を点滴で血管に注入しての撮影の為、小一時間、八弥は丈とともに撮影室の前にあるソファに並んで座って待つ事になった。

 沈黙する事、七分と三十四秒。

 耐え兼ねて何か切り出そうとする八弥だったが、意外にも丈が、相変わらずの気怠そうな口調で先手を取った。


「……きみ……学機の学生闘士だろ?」


 その切り出し方は、八弥には余り良い印象を持っていなかった。八弥は少し困った顔をして、丈の顔を無言で見つめた。


「……そう、だけど。――やはり、キミも学機が嫌いなの」

「……昔のは」


 昔は、と言われて、八弥は嘆息する。



 今から一年前。

 当時の学機は先代の総裁・九門典膳(くもん・てんぜん)の恐怖統治の下にあり、日本は暗黒の時代を突き進んでいた。


『学機に逆らう者は、全て抹殺せよ』


 学機イコール九門典膳。

 学機総裁の権力のみならず、掴んだ相手を灰になるまで焼き尽くす魔技『煉手闘法』を揮り、私利私欲に走って一国の王を気取った九門の暴君振りは、九門が総裁として在籍していた七年の期間に一万人に及ぶ誅殺をもたらした。

 その犠牲者の中には、一般人も決して少なくなく、あろう事か、『国家の未来は若者達が作り出す』と言う『学機十戒・第一条』に基づき、学機首脳陣の良き後見人として、学校を卒業した学機の歴代指導者達によって結成されている『元老院』のメンバーさえも、九門はタブーを恐れずに次々と抹殺して行ったのである。

 大陸や欧州の諸国にまでその恐怖統治を知られていた九門は、しかし諸外国からの様々な圧力にも動じる事無く、確実に日本全国をその燃える黒き手中に治めつつあった。

 このまま独裁が進めば、いづれは大陸に侵攻するのでは、とまで囁かれていた程である。


 その野望を、たった一人の学生が粉砕した。


「……朝……見舞いに来ていた学生……斉賀空悟……だろう?」

「知っているの?」


 無表情な丈の顔に、初めて表情らしい表情が浮かぶ。うっすらでも、物静かな男が破顔する様は不思議と心地佳い。


「…一年前の英雄の顔ぐらい、誰だって知っている。

 ……あの九門一派を、たった一人で斃した『風の空悟』。……直に会ったのは今朝で二度目だ」

「へぇ、前にも会った事あるの?」

「……四か月前。中華街の俺の実家で催された食事会で、天童総裁と一緒に居た」


 四か月前と言えば、八弥は空悟と知り合う前であった。当然、八弥はその一席を知る由も無い。

 『天』を司る天童陽祇郎、『風』を司る空悟に続いて漸く三人目、『大地』を司る八弥が覚醒し参戦した事で、『八卦霊皇士』で構成する学生闘士特殊戦略部隊がようやく再結成されたのは三か月前である。丈の話ではどうやら二人は華僑の名士の招待で出席したらしい。


「中華街――もしかしてキミの実家、学機の出資者の一人でもある華僑の名士・天大人(てん・たいじん)?

 でも、晶ちゃんの名字は東方(ひがしかた)だったわね」

「……晶の父が天大人の娘と結婚したのだ」

「晶の父……?」

「……晶は俺の妹ではない。…正確に言えば俺自身が、天一家とは何ら血の繋がりはない。俺は天大人の養子だ」

「養子……」


 八弥は当惑して丈を見つめた。

 丈は相変わらずの無表情でいる。初対面の者に聞かせるには少し気拙い内容だが、しかし丈はまるで他人事の様に話を続けた。


「……中華街のほぼ中央に位置する所に、大陸の三国時代、燭の名将・漲飛(ちょうひ)を華僑が商売と戦の神として奉った『漲飛廓(ちょうひ・ろう)』がある。

 ……その門の前に、十八年前の冬の寒いある朝、若い女が一人の赤子を抱えて行き倒れになっていた」

「それが……キミ?」


 丈は頷いた。


「……俺の名字は漲飛。不憫と思って拾ってくれた大人が、これも何かの縁と、漲飛廊から付けてくれた。

 ……丈と言う名は、大人の長男の名前だ。……二十七年前、羽田の弁財天橋に於ける『死機隊』との攻防戦に『学共』の学生闘士として参戦し、亡くなられている」


 『死機隊』。

 正式名称、特別高等警察第四機動隊。

 特殊能力を持った警官で構成されたそれは「冷酷非情の死(四)機隊」と呼ばれ、欧州連合の傀儡に成り果てていた旧政府が成立せんとしていた、欧州連合による統治を目的とする『欧州千年安保条約』に反対して学生と知識人によって結成された学機の前身組織である『全国学生共闘会議(通称『学共』)』との紛争に必ず出動しては、多くの学生達をその恐るべき能力で次々と容赦なく血祭りに上げていた。

 だが、欧州連合より旧政府への支援物資として羽田空港に届いた新型機動戦車『ケルベロス』の都内への持ち込みを巡る、弁財天橋の攻防戦に於いて、学生達の先陣に立って戦闘の指揮をとっていた、水の八卦霊皇士との戦闘で、隊長である式神(しきがみ)使いの二瓶(にへい)警部補を含め総勢二十八名全員が殉職していた。

 但し、勝利した学共の被害も著しく、『ケルベロス』を奪取したものの、水の八卦霊皇士を含め八十七名の学生が戦死している。

 しかし、その勝敗は以降の学共・旧日本政府の闘争に決定的な流れをもたらし――皇暦三九六九年一月十九日、旧政府の最後の砦となった国会議事堂の陥落をもって闘争は終息、勝者たる学共に政権が引き継がれたのである。


「丈――確か、当時の水の八卦霊皇士の名前も丈だったわね」


 言われて、しかし丈は何も応えず、暫し沈黙していた。


「……晶の両親は中華街でレストランを経営していたが、五年前、食事に来た学機のメンバーが無銭飲食を働いたのを注意したばかりに、その場で斬り殺されている」

「そんな事が……」


 たとえ、今の学機が、九門一派を粛正して再出発しているものであっても、その様な因縁があれば流石に余り快く思えないのも無理はない。

 学機の出資者の一人でもある天大人が今の学機を容認しているのは、九門亡き後学機を建て直した天童陽祇郎の人望(カリスマ)があるからこそだろう。


「……じゃあ、晶ちゃんも学機が嫌いなんでしょうね」


 八弥は困ったふうな顔で肩を落とし、困憊混じりの吐息をもらした。

 丈は肩を落とす八弥を暫く無言で見つめ、


「……『天の陽祇郎』、『風の空悟』、そして『大地の八弥』――大地の八卦霊皇士か」


 訊かれて、八弥は頷きかけてその頭を途中で止めた。

 丈は、八弥の不審な動きの理由に直ぐに気付いた。

 いつの間にだろうか、八弥が手にしていた『地聖環』は、丈の背後から飛来してきた三本の苦無を受け止めていた。

 カラン、カラン、カランと苦無が音を立てて床に落ちる。

 その音に合わせて、三人の学生服姿の男たちがゆっくりと八弥たちのほうへやってきた。


「俺の飛苦無を受け止めるとは、流石、『大地の八弥』」

「誰よ、あんたら?」


 不機嫌そうな顔で訊く八弥に、三人の学生たちは一斉ににぃ、と笑った。

 それで八弥は、ふぅん、と呟いた。訊くまでもなく、既に八弥は相手の正体が判っていた。


「……俺は東開大付属高2年銃剣部所属、升村」

「同じく3年、機甲部所属、播本」

「俺は浦和第4妖業高2年、亜手名。――お手合わせ願おうか」

「ふーん、『武客』か」

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