第7話

 観月は学機の馬車に乗って、登校の途中であった。

 政府の最高機関かつ中枢たる、日本学生機構の総裁補佐であるとの同時に、丸の内にある帝立帝央高校一学年に在籍する学生でもある。

 永田町にある総裁官邸の自宅から学校は徒歩でも二十分程度、ほぼ目と鼻の先と言ってもくらい僅かな距離である。

 だが、学機に於いては副総裁に次ぎ、内閣でも屈指の地位に値する官位を任官する観月には、万が一の可能性しかない些細な危険さえも許されなかった。特に、今は。

 観月は、今日の馬車は少し煩わしかった。

 昨夜の『日死』の魔女の一件で、通学の馬車を護衛する重装騎兵団『牙斗(きばと)』の護衛騎兵の数は、通常の三倍の二十四名に増えて道路を席捲していたが、別に気に障る様な事は無い。

 何より、各自二十キロ近くもある鎧を装備しながらも、アスファルトを進む騎馬の爪音一つさせない『牙斗』の〈護衛歩〉は相変わらずの冴えを見せ、カラカラと馬車の車輪が独特のリズムをもって回る音のみ辺りに流れ、街路樹に留る小鳥の心地佳い囀りが馬車の中まで届いていた程、静かであった。

 いつもなら車内には、向かい合って座る、親愛なる兄が居るハズだった。

 しかし陽祇郎は一週間前から、副総裁や内閣の代表数名とともに大阪へ出張していた。

 今日の予定は、大阪城に居を構える日本学生機構初代総裁、天野陽子と会談し、『日死』の侵攻に対する今後の対策を検討する予定になっていた。

 つまり現在、帝都には副総裁も不在しており、総裁補佐が代表して執務に当たっているのだ。

 この一週間、観月にはとても息苦しい毎日であった。

 残るはあと三週間。総裁一行が初代総裁との会談の後、西日本の学校全てを視察する、一か月に及ぶ長期研修である。

 ストレスの溜る一日がまた、始まろうとしている。

 こんな日だからこそ、ストレスのはけ口、つまり「いびり相手」は必要であった。

 なのに今朝は、適役も不在であった。

 もっとも昨晩、あれだけ散々殴るわ蹴るわ、とどめに超必殺技「天に代わっておしおきよ・観月スペシャル(入力コマンドはレバー下↓左斜め下↓左↓右↓左+ACボタン同時押し)」の一撃で緊急治療室の窓の外に吹き飛ばしてしまえば、いつもの様に護衛として車内で向かい合わせになるのは無理であった。


「総裁補佐、どうかされましたか?」

「え?」


 俯き加減に憮然としていた観月は、正面に座っている本郷の心配そうな声に我に返った。

 流石に、朱鞘に収まった愛刀『天城(あまぎ)』を抱いて空悟の代わりに車内の護衛を務めている本郷に、ストレスのはけ口まで求める訳には行かない。


「な、何でもありません。ちょっと、考え事をしていただけです」

「そうですか。しかし総裁補佐、『日死』の事で余り根をお詰めなさらないで下さい。

 我々学生闘士が命を賭けてお守りいたしますので、安心して執務に励んで下さい」


 良家のお坊ちゃんみたいに、実直で生真面目な雰囲気を持つ本郷が、忠義心剥き出しに言う。

 帯刀姿はまるで戦国時代の侍か、若武者を思わせる。

 実際、本郷は、「攻撃こそ最大の防御法」として、『二ノ太刀不要(にのたちいらず)』と恐れられている実戦剣法、薩摩自顕流の印可を得た一流の剣士であり、剣の師である父親に、幼い頃から侍の心構えを叩き込まれている。

 こう慕われて観月自身、悪い気はしないのだが。

 しかし、あの斉賀空悟がこの場に居たら、きっと眉を顰めてこう言うだろう。


『そこまで忠誠心を振りかざす必要は無ェよ。そんな奴の為に命を賭ける事は無い』


 勝手に想像しておいて、観月は心の中で空悟に悪態を突いた。

 そもそも、何であんな男の事ばかり思い付くのか。

 観月はどうしても、いつも自分を小莫迦にしているあの憎たらしい顔がずうっと頭から離れられなかった。

 一体いつから――昨夜、毎日欠かさず観ている十時のニュース番組が終わり、提供企業のテロップが画面に出たのと同時に鳴った電話で、『日死』の魔女との一戦で八弥と空悟が病院に担ぎ込まれたとの連絡を受け、慌てて病院に駆け込んだ頃だったか。

 否。――今も続く苛立ちは、比較的軽傷で緊急治療室で治療を受けている空悟に、何の気紛れか、珍しく労いの言葉を掛けてやろうと思い立って、治療室の扉を開けた時からだった。

 八弥を苦しめた程の実力を持つ『日死』の魔女を、生かしたまま逮捕出来なかったのは、半ば已むを得ないと思っていた。

 なのに、あの男は、美人の女医にデレデレしまくって浮ついていた。

 いつもの粗暴さは一体何処に?と首を傾げたくなるくらいのその姿に、観月は無性に腹立たしさを覚えた。


「――でも、何で?」


 観月は我に返って小首を傾げる。どうしても苛立つ謂われが無い。空悟が他の女にデレデレするのは勝手であろう。


「は?」

「――えっ?」


 きょとんとする観月は、自分の顔を伺っている本郷に気付く。先程の呟き、無意識に口にしていたらしい。


「何で、とは?」

「あ……」


 まさか、デレデレする空悟に苛立っていたとは言えまい。――でも、何故?

 理解出来ない苛立つ心境に、観月は返答に戸惑っていた。


「――な、何でって、そ、そう――そうよ、何で『日死』の連中が日本を侵略するのかしらって」


 実に都合の良い答えが見つかったものである。

 馬車の車輪が路上の小石を噛み、馬車ががくんと揺れる。

 天を突いた観月の苦笑が、険しさを湛えて下りた。仮初めの答えがしかし実に意味深いものである事に、はたと気付いたのだ。


「……そうよ。本当、何故かしらね」

「学生闘士の間で流れる噂に過ぎないのですが、この日本には途方も無い価値のある財宝が眠っているのでは、と言う説がありますが」


 しかし観月は頭を嫌々振る。


「『日死』の戦略が、学生潰しを前提にしている事は明白。

 大体、そんな途方も無い価値を持つ財宝が存在する事を語る古文書は聞いた事も無いわ」

「出雲宮(いずも・きゅう)に居られる日本帝(ひのもとのみかど)は、何か心当たりがないのでしょうか」

「さあ? 帝はここ五、六年、天の岩戸に籠られたままですから。

 時折、総裁が遣いの方を通して学機の意向を伝えられているだけで、特にご意見は賜っていません」

「……よもや、日本帝が狙われていると言った様な事は?」

「『日死』の攻撃目標が東京や名古屋・大阪といった都市部に集中して、出雲宮周辺には全くと言っていい程動きが見られない所を見ると、『日死』の狙いに日本帝は含まれていないと見ていいでしょう。

 無論、日本の代表たる帝の御身は従来通りお護りしなければなりませんから、護衛の数は倍にしてあります」

「では、やはり単純に植民地狙いでしょうか?」


 観月は漸く頷いた。


「学機幹部陣ではそれが一番近いと思っています。お兄様――否、総裁とわたしは、そうは思っていませんが」

「何故?」

「『カミカゼ』」

「カミカゼ?」


 問われて、観月は腕を組んで嘆息する。


「……さあ。意味は判りません。以前、総裁のお命を狙った『日死』の侵入者を捕らえた時、『語り部』を使って訊き出した言葉です」

「『語り部』――」


 尋問の際、聞き出す相手の精神に、自己催眠によって肉体と分離した自らの精神体即ち魂を入り込ませて、その思考を読み取る能力者の事である。

 学機には現在九名の能力者がいるが、その職務は『本営に於いて闘う局地戦の戦士』と言われる程、激務かつ命に拘る危険を伴う。

 二か月前、実力ナンバーワンと言われた『語り部』の女子学生が、ある相手の精神から戻れずに殉職した程である。


「……待ってください。では、二か月前のあの殉職は!」

「その一言を引き出すのが精一杯でした」


 件のナンバーワンが、『日死』の捕虜にその一言を語らせた途端、捕虜と『語り部』本人の頭部が同時に破裂した。

 『語り部』本人の頭部も破裂したのは、催眠術で火傷の暗示を受けた時に本当に火膨れが生じてしまう、肉体が魂に殉じてしまう超心理現象を利用して仕掛けておいた、捕虜の自白を恐れた『日死』の一派が、自害用に魂が粉砕する暗示を発現させた為であろう。


「或いは、それは只の自害用暗示のキーワードに過ぎないのかも知れません。――何故か総裁はその言葉が妙に気になされてました」

「カミカゼ…『神の風』と書くのでしょうか?」

「語路は多分、そんな所でしょう。でも何故、『神風』なのかしら?

 多くの文献をあたりましたが該当する物は無く、英国王室の後見人たる大賢者マーリンや仏蘭西(フランス)の大魔導師カリオストロ伯爵にも問い合わせてみましたが、果たして判りませんでした」

「神がもたらす風、と解釈出来ますね」

「私もそう考えました。神頼み、とでも言うのでしょうか」

「『日死』の連中、奇跡でも信じているのですかね。――『語り部』の一件もそうですが少数精鋭、自らの命と引き換えにしてまで我々の命を奪い続ける、悪魔の様な癖に」


 観月は応えず、腕を組んだまま俯き、暫し沈黙する。

 ごとっ。馬車の車輪が再び路上の小石を噛んだ。

 馬車の揺れに合わせて観月が頷いた様に見えたが、しかし違った。


「『日死』は冥府の使者。全てを滅亡へ誘う真意は、私にも、……恐らく総裁も判らないでしょう」

「そうですか……」


 本郷は落胆し、疲れ切った様に座席の背凭れに背を沈める。

 しかしその時、憂う観月の瞳に、突如閃きが宿った事には気付いていなかった。


「全てを滅亡させる。――そう言えば以前、その様な事を記した古文書があると聞いた事があります」

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