第3話

 そう言って、斉賀は首をしゃくって窓の外へ促す。

 えみりは視線を窓の外に移すと、窓の外、JR品川駅前の路上には、奇妙な文字が彫り込まれた段平を翳している、十数名の詰め襟を着た学生達が、店を包囲していた。


「欧州最強の魔導士サン・ジェルマン伯爵直伝の、『結界剣』の包囲陣、そう容易くは突破出来ンぜ。――『日死(にし)』から来た魔女よ、大人しく投降する事だな」


 してやったり、ほくそ笑む斉賀が見下ろす黒衣の美女は――えみりの笑い声は一層高まった。


「――甘いね!敵陣に乗り込み、秩序を散々掻き乱した女が、そう簡単に降伏するとお思いかい?」


 そう叫んで、えみりはいきなりテーブルをひっくり返す。

 斉賀がその下敷きになった隙に、席から飛び出して、店内に舞った。

 その着地地点に、新米ウエイトレスの八弥が立ちはだかっていたのには、流石にえみりも瞠らざるを得なかった。


「お前もか!」

「逃さないわよ!――空悟(くうご)、後ろをとって!」

「判ってらぁ!」


 怒鳴り声と共に、斉賀空悟を下敷きにしたテーブルは粉々になって吹き上がり、その下から、空悟が吹き上がる様に立ち上がった。


「食らえっ!」


 八弥は手にしていた円形のトレイを、フリスビーよろしく、えみり目掛けて投げ付けた。

 えみりは、空中でケープの裾を翻してそれを弾き返し、丁度、八弥と自分の背後を取っている空悟との中間地点にあるテーブルの上に、音もなく着地した。


「葉月さん。貴女、一目見た時に只者では無いと思っていたけど、成る程、日本学生機構の『学生闘士』だったのね」


 えみりは、にたり、と笑って見せた。

 八弥が投げ付けたトレイを弾き返したえみりのケープの先は、鋭利な刃物で瞬時に断たれたかの様に大きく裂けていた。

 八弥は、ちっちっちっ、と右人差し指を振って見せ、


「只の学生闘士じゃないわよ。――『八卦霊皇士(はっけれいおうし)』が一人、『大地の八弥』。そして、あんたの後ろに居るのが」

「『風の空悟』」


 腕組みして自信満面に言う空悟は、いつの間にか前ボタンを外し、袖を腕捲りして指先の無い真っ赤なグローブまで付けていた。

 自己紹介する二人に、えみりは、はっ、と閃く様に驚愕する。


「――ほう、『地の聖霊皇(せいれいおう)』、『大気の聖霊皇』と契約せし八卦の戦士だな!」

「ピンポォーン!その通ぉり!」

「それぐらいではしゃぐなよ、八弥」

「うっさいわねぇ、空悟!あんたこそ、他愛なくテーブルの下敷きになった癖に、デカイ態度しないの!

――ンな事より、『日死』の魔女!あんたこそ、このあたしを相手に逃げおうせられるとお思い?」

「あたし達、だろうが」

「空悟は黙ってらっしゃい!こんな奴、あたし一人で充分よ!」


 えみりの背後で呆れる空悟を無視して、八弥はえみりを指した。


「『日死』の魔女、音無えみり!占い師と偽り、あんたを頼って訪れた学生達に暗示を掛けて、次々と自殺に追い込んだ所業、絶対許せない!

『地の八卦霊皇士』の名に賭けて、あんたを叩きのめすっ!」


 八弥は自信たっぷりに宣言した。

 しかしえみりの貌からは、既に動揺の色は消えていた。


「ふふふ。凄い怒りよう。まるで親か親友の仇を取ろうとしているみたいね?」

「仇?――そうね、これはあたしの親友の敵討ちでもあるわ。森安由香(もりやす・ゆか)の名前、忘れたとは言わせないわよ!」

「森安……」


 えみりはその名に心当たりがあるらしく、眉をひそめた。


「……ああ、一か月ぐらい前だったかしら、奇妙な相談に来た娘がそんな名前だったわね。

 活発で気立ての優しい娘だったから憶えていたわ。確か、相談の内容は…」


 そこまで言うと、えみりは失笑し、


「いつも『仕事』で怪我だらけの親友が余りにも不憫だから、早くそんな仕事から解放されるようになるには、どうすればいいのか、だったわね」


 八弥は呆けた。

 呆然とする顔は、まるで自分が何年、何十年と徒労を繰り返し続けていた事に気付いてしまった時に伺える、筆舌しがたい困憊の色が漂っていた。

 しかし、それは数秒と掛からず消え失せる。

 八弥の肩はわななき、強く握り締められた両拳の指の隙間から血がにじみ出る。何かの声を押し殺して噛み締める唇も血を湛え、口元は鮮やかな朱のルージュで生々しく彩られた。それでも八弥は涙だけは、必死に堪えた。


「本当、いい娘よねぇ。でも、友達は良く選ばないと、後で酷い目に遭うから注意しないとねぇ、ねぇ八弥さん?」

「――て!手前ぇっ!」


 えみりの挑発にとうとう怒りが爆発した八弥の反対側で、二人のやり取りを終始、腕を組み、憮然として無言で見ていた空悟の顔が、一瞬顰めっ面になり、そして何かを悟ったかの様に突然閃いた。


「まて、八弥!今の挑発(こえ)は!?」


 だが、怒り心頭の八弥には、空悟の静止の声は届いていなかった。


「ぶっ殺すっ!!」

「ふふふっ、貴女に出来るかしら?」

「どうゆう意味よ?」

「こう言う事よ。――堕ちなさい」


 突然、八弥は全身に激しい脱力感を覚えた。


「?――――何っ?!」


 余りの事に、腰が抜けたかの様にへたり込んだ八弥は、その瞬間、いつの間にか紫色の光に包まれた広い空間に居る自分の回りに、無数の男達が包囲して居る事を知った。

 いつの間にか、八弥は全裸になっていた。


「ばっ、莫迦な――――?!」


 状況を全く理解出来ずにいる八弥目掛けて、男達が一斉に殺到した。


 少し乱れた店内で、ハンナ・ミラーズの制服を着たままの八弥は床にうずくまり、紅潮し切った貌で喘ぎ声を上げていた。


「貴女は今、無数の男達に蹂躙されているのよ。

 但し、幻、だけど。このままよがり狂って死を待つだけの貴女に、このあたしを倒せる術は無いわ、ほっほっほっ」

「やはり、な」


 えみりは、背後からする声にぎょっとして振り向いた。


「――?!何故お前には、あたしの術が通じていないの?!」


 腕を組む空悟は、やや俯き気味に鼻で笑い、


「俺に催眠術は利かねぇよ。――しかし驚いたぜ。普通に話している言葉の中に、相手の深層意識を刺激する超高速言語を使って、催眠暗示を仕掛けてくるとはな」

「……あたしの『魔声(セイレーン)』を看破するとは……!」


 歯噛みするえみりに、空悟は右親指で自分を指した。


「俺は『大気の聖霊皇』と契約せし者なンだぜ。

 八弥を挑発した言葉に、暗示を放つ大気の震えがあった事は、大気の聖霊皇が教えてくれた。

 もう少し早く気付いていれば、暗示を伝える大気の波動を、八弥の耳にも届かない様に出来たンだが」

「くぅ……流石は『八卦霊皇士』ね。

 今でこそ、日本学生機構の特殊戦略部隊として社会的地位を得ているが、たった一人で、日本学生機構の隊長級学生闘士千人分に匹敵する戦闘力を持った――日本にしか現れぬ伝説の聖戦士の力を侮ってしまったみたいね」

「そりゃお互い様だな。跳ねっ返りの八弥を破っただけでも、日輪の死せる地の果てより来た魔女の力、やっぱ侮れンわ」


 空悟は強敵を前に、どこか嬉しそうに笑うが、しかし直ぐに強張った。


「……〈聖魔帝国〉英国より西の先には、あンたみたいな奴がごろごろしているのか?

 大体どうやって、欧州連合が大西洋上に張った超弩級結界陣や、印度、中国の無敵の魔導包囲網を潜り抜け、この東の果ての国へ来れたンだ?」

「……ふっ」


 睨んで訊く空悟に、えみりは鼻で笑った。


「…まだお前ら、この世界の事を知らぬらしいな。――この大地の真の形を知らぬ貴様ら如きに、あたし達が敗れるハズが無い!

 出でよ、『音造人(ソニック・ゴーレム)』!」


 そう叫ぶとえみりは漆黒のケープの裾を翻し、その先端を空悟の横面に叩きつけようとする。

 空悟は咄嗟に身を沈める。えみりが叩き付けてきた漆黒の刃は、僅か一振りながら無数の真空の刃を生み出し、空悟の周りにあるテーブルや椅子を次々と分断した。

 空悟はその尽くを、まるでその不可視の刃が見えているかの様に、疾風の如き超スピードで躱し切った。

 一瞬、空悟はその先端から、何か小さな物が飛び出したのを目撃する。

 咄嗟に躱すと、それは窓の方へ飛んで行った。どこかで見た様なそれが何か、果たして思い出せなかった。

 的を外れた飛び道具の事はひとまず忘れ、空悟は次の攻撃に備えて、店内を舞うえみりの方へ意識を集中した。

 立ち上がって身構えた瞬間、空悟は窓の方で炸裂した衝撃波を躱せられず、吹き飛ばされて自動ドアをぶち抜いた。

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