古代神との戦い

 三年前程の事だ。

 俺は羅刹と共に亡者を喰いまくっていた。

 半世紀前から亡者を喰らっているジジィとも肩を並べる程、戦っていた。

 俺の師であるジジィは、この世界では有名人らしく、海外まで名が売れていて、海外からの依頼も多々あった。

「ワシゃ楽したいからお主を飼ってんじゃい。そこそこの力を付けたんなら、お主が全て叩け」

 ジジイはそう言って殆どの依頼を俺に押し付けていた。

「そんな怠け者だからテメェは女房に逃げられんだよジジィ!!」

 ジジィの女房はかなり昔にジジィに愛想を尽かして出て行ったらしい。

「ありゃ浮気がバレたんじゃガキ!!」

 真っ赤なツラを拵えて俺の頭を小突いた。

 浮気がバレたってのがジジィらしいが、いつまでもガキ呼ばわりされるのが気に入らなかった俺は、依頼とは別に手当たり次第に亡者を喰らっていた。

 喰えば喰うほど羅刹の力は上がる。

 今はジジィの『金剛』と互角の力を付ける程に強くなった羅刹。

 つまり俺がジジィに肉迫した証でもある。

 ジジィの名は松尾まつお 哲治てつじといい、日本屈指の霊能者、水谷 君代とも共闘した事がある。

 ジジィは事ある毎に水谷のババァと悪魔退治した事を自慢していた。

「お主も悪魔くらい喰らわねばワシの足元にも及ばんぞガキ。おい、酒よこせ」

 ジジィは酒を呑むといつもこの話をして俺にウザがられた。

「テメェの自慢話は聞き飽きたぜジジィ。それより他に案件ねぇのかよ?雑魚ばっかりで飽き飽きしてきたぜ。それこそ悪魔祓いとかねぇか?」

 孤児だった俺を拾って今まで鍛えてくれたジジィには感謝している。

 ジジィは歳で先が長くはない。

 ジジィが安心できるだけの力を付けた俺を見せて恩返ししたいってのが当時の俺にあった。

「悪魔祓い?ん~…」

 海外から来た案件のリストを見るジジィ。

 実際キリスト教圏内じゃあ悪魔祓いの案件は多々あるのだが、実際は悪霊やら死霊やらの類だ。

 キリスト教は幽霊と言う概念がなく、幽霊騒ぎは全て悪魔が悪戯をしていると考えている。

「あ~…悪魔は無いが、こりゃちょっとなぁ」

 ジジィはパソコンを開いて首を捻って、シブいツラをしていた。

「何だよそれ?」

 興味が湧いた俺はパソコンをひったくる。

「おいおい…仕方ない奴じゃな」

 ジジィは焼酎をコップに注ぎ、旨そうに飲み干してから真顔で俺を直視する。

「請けてもいいが、その内容が本当なら、直ぐ手を退け。約束するなら行っていい」

 いつもは無茶な要求するジジィが退けと言った。

 本当なら、か。

 俺は笑った。本当であって欲しいと。

「ああ、約束するぜ。どうせテメェは面倒臭がって行かなかっただけだろ?俺が真実を見て来てやるよ」

「確かに面倒臭いのは本当だが、行かなかったのはそれだけじゃないわい。お主のオシメがなかなか取れんから連れて行けなかったのじゃい」

「ハッ!オシメかよジジィ!俺はもうガキじゃねぇぜ!ってかその案件半年前のじゃねぇかよ!!」

 俺は旅立つ為に荷物を纏めた。

 行き先は北欧。

 神々の墓があると言うスウェーデンのウプサラだ。

「土産は地酒がええのう」

「ワインくらいしかねぇんじゃねえか?ってか遊びじゃねぇのはジジィも知ってんだろうがよ」

 俺はジジィと問答しながら家を出た。

 ワインくらいは買ってきてやるか、と思いながら。


 飛行機を乗り継ぎ、ウプサラに到着した俺は、依頼人の家を捜す。

「寒いな…」

 革ジャンの下はタンクトップな俺は激しく後悔した。

 こんな事ならキャビンアテンダントの忠告通りに、もっと厚着すりゃ良かった。

 ガタガタと震えながらも依頼人の家を探す。早く発見して家に入れて貰わなきゃ凍え死んでしまうからだ。

「羅刹、悪いが餌より暖だ」

 背中の羅刹に語り掛けるも、羅刹は何も言わない。

「当たり前か。羅刹は身体を持ってねえからな」

 鬼神憑きで寒さを体感させてやろうか、とも思ったが、あれは俺に羅刹を憑依させる技だ。羅刹が寒さを感じる訳じゃない。

「ぬおおお!鼻水も凍るぜっ!」

 テメェでテメェを抱き締めながら、チラチラと空から見える白い雪から逃れるよう、俺は駆け出した。

 ようやく依頼人の家を発見した。

「デカい…と言うか広いな」

 依頼人の家は田舎の農家といった感じで、門から家までの距離が長い。ジジィの家とはえらい違いだ。

 呼び鈴を激しく鳴らす俺。

「つか音鳴ってんのかよコレ?さっきから何度も何度も鳴らしているぜ!」

 発見してから暖が早く欲しい俺は何度も何度も呼び鈴を鳴らしたが、全く出てくる気配がない。

「ぬおおお!風が冷たい!取り敢えず風から身を守らなければ!」

 辺りを見渡すも、風を凌げる大きな木もない。そういや、周りに家もない。

「ヤベエな…目の前が暗くなってきた…」

 睡魔が俺を襲ってくる。

 俺はクリスマスを迎えた翌朝、アントワープ聖母大聖堂に飾られた憧れのルーベンスの絵の前で、愛犬パトラッシュと固く抱擁したまま冷たくなっていたネロを思い出した。

 ネロもこんな寒さの中、凍えて飢えて死んだんだ。

 あれは泣いた。

 俺はジジィに死ぬ程笑われたのだが、あれで泣かなきゃ血も涙もない鬼畜外道だ。

 ちなみに原作はイギリス人で、イギリスでは全く評価を受けなかったらしい。

 幼い子供が死ぬのと、負け犬物語的な話の内容のせいで。

 俺がネロとダブって意識を失いそうになったその時、ようやく家の中から一人の女が出て来てくれた。

「どなた?東洋の方みたいだけど…」

 女は警戒してか、なかなか門を開けようとはしない。

「俺は日本から来た葛西 亨。ジジィに悪魔祓いの依頼をしていただろう?ジジィの代わりにやって来た!!」

 女はキョトンとしながも、俺を見る。

「おい、ソフィア・リンドマンだろ?日本の松尾 哲治宛てにメール出しただろうよ?」

 門の鉄柱を掴み、ガチャガチャ揺らす。

「確かに依頼したけど、半年前よ?返事もくれないから、相手にされなかったか怖じ気づいたかと」

 ソフィアは寒さからか、やはりテメェでテメェを抱き締めながら、俺と話をしている。

「解ってくれれば話は早い!入れてくれ!凍え死にそうだ!」

 チラチラと降っていた雪が、風を伴い吹雪と化して俺を痛めつけていた。

「その前に、この家は私一人なの!アナタが紳士かどうかよく見極めてから…」

 女は俺が大ピンチなのにも関わらず、俺の品定めをするようだ。

「紳士だよ間違いない!寒い!呼ばれて来たのに、この仕打ちは無いだろうよ!」

 ガチャガチャとやっていた門だが、最早それは震えのおかげに変わっていた。

「ダメよ!御爺様もパパもママも他界した今、私の家の財産を狙っている輩が多いのよ!それに私は美しいから、ストーカーか強姦狙いかもしれないじゃない!」

「日本くんだりからわざわざテメェの財産狙いに来るか馬鹿野郎!早く入れるんだ!」

「ほら!ストーカーや強姦の事には触れないじゃない!性犯罪目的なのね!」

「あー面倒臭せぇ女だなぁ!テメェのツラを初めて見た俺がどうやったらストーカーになるんだ!わざわざ性犯罪目的で日本から来るか!」

 門を挟んで押し問答している俺達。

 そしていつしか本格的な吹雪となっていた。

「解った!もういいぜ。キャンセルって事にするからな!」

 俺は寒さに震えながら、リンドマン家から離れる。

「え?キャンセルですって?」

 キャンセルに驚いているのか、女が俺を大声で呼び戻してくる。

 背中越しに「逃げるの卑怯者!!」とか「根性無しの日本人!!」とか聞こえてくるが、寒さに参っている俺は無視して歩く。

 視界が制限されてきている今、こんな所で野宿する訳にはいかない。取り敢えず宿を捜さないと。

 背中を丸めながら歩いているその時、後頭部に石みたいな物がガツンと当たった。

「ぐわっ!?」

 頭を押さえて蹲る俺。

「待てと言っているのよ日本人!!」

 振り向くとソフィアが仁王立ちになりながら俺を睨んでいる。

「無茶すんな馬鹿野郎!痛ぇじゃねぇかよ!この吹雪にあそこにつっ立っていたら死ぬだろうが!だから宿を捜すんだ馬鹿野郎!」

 頭を押さえながら睨み付ける俺。

 ソフィアが俺の腕を引っ張り、俺を起こした。

「仕方ないから信用する事にするわ!だけど私に欲情したら斬り殺すわよ!」

「だから俺はもうキャンセルにするって言っているだろうがよ!」

 今度は家に入れ、いや宿を探すで吹雪の中、問答し合う事になった。

 とは言え北欧の冬はやはり寒い。

 俺は渋々だがソフィアの申し出に応じ、家の中に入る。


「暖炉あったけえ~……」

 暖炉の前で体育座りしながら火に当たる俺に、ソフィアはコーヒーを淹れてくれた。

「すまねえな」

 有り難く頂戴する。

 革ジャンの中のタンクトップが雪で湿っているのを乾かすつもりで革ジャンを脱ぐ。

「…日本人は寒さに強いのねぇ」

 コーヒーを啜りながら、俺に冷ややかな視線を浴びせるソフィア。

 これは嫌味で言われてんのは、流石に理解した。

「…取り敢えず話を聞こうか」

 悪魔をぶち倒して、こんな所とはさっさとおさらばしたい俺は、直ぐに悪魔退治に取り掛かろとする。

「はぁ?悪魔?まぁ、悪魔と言えなくもないけど……」

 ソフィアは俺に一本の銀の糸を渡した。

「それ切れる?」

 俺は銀の糸を引っ張ったり、歯で噛んだりしたが、これが切れない!!

「それは小人族が造った銀の糸。魔狼フェンリルもそれに縛られていたの。私は小人族の末裔なのよ」

 俺は改めてソフィアを見る。

 確かに欧米人にしては小柄な身体。細いし小さい。胸は巨大だが。全体的に日本人みたいな体型だ。

「まぁ、小人族の末裔は普通の人間より少し小柄なサイズになったけどね」

 クスッと笑い、コーヒーを口に運ぶソフィア。

 さっきまでムッとしていた顔が笑顔になると、何と美人さんな事だろうか。

 金色の髪を結い上げているので、うなじが見えて俺のツボだったりする。

「で、その銀の糸に繋がれている化け物…ううん、それを凌駕する存在と言った方がいいかしら?それがこの家の地下に封印されているんだけど…」

 ソフィアは銀の糸をクルクルと指で回しながら話を進めようとしていた。

「ちょっと待て。その糸で繋がれているって、その糸は誰にでも作れるもんじゃねえだろう?それこそ小人族しか…」

 俺は糸をつまみ上げた。

 銀の糸を見たのは初めてだが、それは大昔に作られたもんじゃない。つい最近、作られたような輝きを発している。

「あ、それ?だって私がこの前造ったんだもん」

 俺は仰天してソフィアを見た。

「目玉零れ落ちるよ?」

 そっと目の近くに手を翳すソフィア。相当目ん玉が飛び出ていたようだ。

「お前が?本当に?」

「そうよ。もう御爺様もパパも他界したから、私しか小人族の技は扱えなくなったけどね」

 テーブルに腕を添え、手を組み、それに顎を乗せて溜め息を付くソフィア。

「マジかよ!お前凄ぇな!いや、大したもんだ!」

 俺はソフィアに心から讃辞した。拍手もした。

「バ、バカねっ!小人族ならそれくらい…」

 プイッとそっぽを向くソフィアだが、その頬は赤く染まる。

 スゥエーデン人のソフィアの白い肌に、隠しようのない紅が映える。

「で、でね、ターゲットはね、一年前程に目覚めて、地下で酷く暴れているのね。それこそ、銀の糸を引き千切る程の力でね」

 先程より声がデカくなったソフィアは早口で説明し出した。

「でね!でね!銀の糸もいっぱい切られちゃったから、私が作って再び繋いでいくしかないの!もうイヤ!いつかアイツは全ての糸を引き千切り、私を撲殺して再びラグナロクを起こすわ!!だけど敵がいない現代!アイツは敵を求めて彷徨う!!全ての神々と、全ての魔物を相手にアイツはミョルニルを奮うの!!」

 顔を覆って嗚咽し始めるソフィア。黙って聞いていた俺。

 化け物以上の化け物を封じていた精神が、折れ始めているのだ。

 その華奢な身体にありったけの勇気を奮い起こし、先祖から続く『監視』の役目を全うしてきたのだ。

「ハッ!じゃあよ、やっぱりお前はツイてるぜ。俺が来たんだからな」

 化け物以上の化け物…地下に封印されていると言う、標的の古の神…

 その最強神、トールをぶち倒せるのは俺だけしかいない。

 つまり、ソフィアを助ける事が出来るのは、俺と羅刹しかいない。

「安心しな。今日でお役御免となるさ」

 俺はソフィアを見て力強く笑った。

 一瞬戸惑いを見せたソフィアだが、強く頷いて言った。

「頼んだわよ。日本の魔物使い。あなただけが頼りなんだから」

 魔物使いじゃねえ、鬼神使いだ。そう訂正したかったが、この場面では無粋だ。

 だから俺は力強く頷くだけに留めた。


 螺旋階段を降りて行く俺とソフィア。カンテラの明かりだけが頼りの暗い空間だ。

「足元に気を付けて」

 とか言いながらすっ転びそうになるソフィア。

 俺はその都度腕を引き、助けた。

「本当に家主かよ?もう九回も転びそうになっただろう?」

「私は鳥目なのよっ!!」

 ソフィアは腕を払い退けて何故かキレた。

「やれやれ。それにしても深いな」

 地下室に封印していると言っていたから、階段で直ぐそこだと思っていたが、かれこれ15分は下っている。

「万が一、断ち切ったら地上に出る前に封印し直さなきゃやらないからね」

 ふん、逃げ出したら、地下通路に封印出来るように、か。相当ヤバい相手だな。

 ブルッと身体が震える。

 ソフィアがその気配に気が付き、後ろを振り返る。

「怖じ気づいたの?」

「ハッ!馬鹿言えよ!こりゃあ武者震いさ!言わば歓喜しているのさ!!」

 俺は確かに、早く北欧最強神、トールに会いたくて仕方なかった。


 もう30分は下ったか…

 その間ソフィアは十五回はすっ転びそうになった。

 最下層、と言うか、螺旋階段が終わった場所は、かなり広い空間。石を均した平地となっている。

 仕切りを付ければ、ちょっとしたアパートにはなりそうだ。

「ここにトールが?」

 ソフィアは地下広場のカンテラ全てに明かりを灯す。

 広場ばボゥッと明るくなる。

 手に持っているカンテラを、一つだけ有る扉に向けた。

「扉の向こうは亜空間…そこにトールが繋がれている…」

 緊張と恐怖で生唾を飲み込むソフィア。

「じゃあ扉を開けてくれ」

 俺は既に扉に有るノブをガチャガチャと回していた。

「その前に一つだけ…今まで色んな霊能者と呼ばれる人にお願いしたわ。一笑し、相手にしなかった人。恐れて匙を投げた人。そしてアナタのように挑んだ人…挑んだ人は全てこの世には居ない。古の神の力は巨大よ」

 ソフィアは早口で言い、ここで一呼吸する。

「アナタが勝ったら…小人族の技を以てアナタの欲しい物を全てあげる。だから絶対勝って!!」

 気丈に振る舞っていても、やはり女…唇が震えていた。

「ハッ!じゃあよ。ぶっ倒したらお前を貰うぜ?」

 俺はソフィアの頭をポンと叩き、扉を開けるよう、親指を向ける。

「私が日本人の物になるなんて、ゾッとするわ」

 クスッと笑い、鍵を取る。

「この扉も小人族が作ったものよ。護り人の私達一族が今まで管理してたの…」

「今日から必要無くなるぜ」

 ゆっくり鍵を回すソフィア。

 ガチャリ、と、鈍い音と共に、扉が開く。

「アナタが向こうに入ったら直ぐに鍵を掛けるわ。終わったらそこの鈴を鳴らして」

 ソフィアの指差した方向に、握り拳大の鈴が吊してあった。

「ああ。解ったぜ」

 俺は鍵を掛けるよう、指示した。

「ご武運を」

 扉が閉まっていく。

 カンテラの明かりが徐々に無くなっていき、終いには真っ暗闇となる。


 ガチャリ


 鍵を掛ける音。

 今、この空間には俺と羅刹、そして古の最強神だけの筈。

 俺は暗闇を取り敢えず歩いた。

 暫く歩いた俺の耳に、不意に呻き声が聞こえた。

「トールか!!」

 耳を澄まし、音の方向を探る。

「こっちだ!!」

 足早に音に向かっている俺。背中から羅刹が先走って出て来た。

「羅刹、テメェも興奮してんのかよ!!」

 羅刹はデカい口をグニャリと歪ませ、牙を剥き出し笑っている。

 髪が逆立ち、身体に力が漲っている。

 いつでも行ける状態だ。

「もう直ぐだ羅刹!神を超えるぞ!」

 地獄の番人の鬼が、古代神を倒し、喰う!!羅刹に負けず、俺も高揚している!!


――アアアアアアアアアアアアアア!!


 だんだんと呻き声が大きくなってくる!!


――アアアアアアア!!!


 遂に声の出どころに辿り着いた!!

「こいつがトールか!!」

 そいつは壁から生えている銀の糸を何重にも束ねて作った鎖に繋がれ、俺に憎悪の目を向けていた。

「待っていろよ!今解き放ってや!」

 俺はソフィアから預かった鍵を繋がれている鎖に差し込んだ。


 ガチャ


――アアアアアアア!!オアアアア!!


 雄叫びと共に剛腕を奮い!縛られていた鎖から四股の自由を奪い返した!

 トールは禍々しい息を吐き出し、俺を睨む。

――俺を解放したのはお前か!?

 一瞬足が竦み上がる。だが俺は笑いながら、一歩踏み込んだ。

「ああそうだ!テメェをぶっ殺すよう、頼まれてなぁ!」

 羅刹が背中から出て来た。

 古代神トールの顔面スレスレに羅刹が顔を近付け、睨み付ける。

――貴様みたいな輩が沢山来たが…皆、俺を繋いだまま殺そうと躍起になっていたな…だか皆俺の神気に当てられて何もできずにくたばったわ!!貴様だけよ…俺を解き放ち、戦って殺そうと考えた馬鹿者は!!

 トールが羅刹に掴みかかった!!

 羅刹もトールを掴んだ!!

 掴み合い!まずは力のみの勝負だ!!


「ハッ!羅刹を力付くでねじ伏せるつもりかよ!」

 互いの手のひらを重ね、力を込め屈させようとしている神と鬼!!

――むう、なかなかの剛力…!!

 トールの目が光る。


 ブチッ


 羅刹の両肩から鮮血が飛び散った!!

「ぐあ!!」

 たまらず蹲る。

――ほう?こやつが傷付くと貴様まで影響が及ぶのか?

「当たり前だ!俺と羅刹は一心同体!言うなれば二対一だぜ!」

 羅刹が鮮血しながらも、トールを押し返した。

――ふん!!

 押し返されたと思いきや、トールは羅刹をそのまま投げた!!

「くあ!!」

――貴様ならヴァルハラに呼んでやっても良いな

 トールはすっ転んでいる羅刹の腹に全体重をかけて踵を落とした。

「ぐはぁ!!」

 腹が破裂したが如く、焼けるように痛む。

「ヴァルハラだぁ?テメェの主神の下に付けって言うのかよ?テメェ等は既に終わった存在なんだよ!!」

 羅刹がトールの脚を取り、捻り上げる。

――ふおっ?

 ひっくり返りこそしなかったが、テメェの力を過信していたトールが純粋な力で退けられるとは思ってもみなかったようだ。

 その証拠にワナワナと震えている。

「ラグナロクは起きねぇよ。ユグドラシルはもう無えんだ。有るのはミズカルズだけさ!!」

 羅刹はトールの首根っこに手をかけた。

 ガキン!と骨と骨が接触したような音がした。トールは羅刹の爪を額でいなしたのだ。

――ユグドラシルが無い?

 北欧神話の全体像は、天上、地上、地下の3つの平面から成り立っている。その3つの平面を巨大なトネリコの樹が貫いている。

 そのトネリコの樹が世界樹ユグドラシルだ。

 3つの平面は更に9つの世界に分かれる。

 アース神の世界、アースガルズ、ヴァン神の世界、ヴァナヘイム、光の精の世界、アールヴヘイム、火の巨人の世界、ムスペルヘイム、霧の世界、ニヴルヘイム

小人の世界、スヴァルトアールヴヘイム、死者の世界、ヘル、そして人間の世界、ミズカルズだ。

 そしてラグナロク。これは神々と敵の巨人との最終戦争の事だ。

 神々と神々に対立する神、ロキと霜の巨人族、冥府から来た死者や獣達の間に激しい戦争が起こり、共に滅ぶ。

 ヴァルハラとは、地上の戦場でくたばった人間の戦士達の中から、主神オーディンが自らの兵にするべく、選んだ者だけが住む事を許された館だ。

 そいつ等はラグナロクの兵士になる。

 そしてユグドラシルだけは、全てが滅ぶラグナロクの際にも滅びる事がないのだ。

 そのユグドラシルが無い訳だ。

 トールは動揺しているのか、信じていないのか、とにかく一瞬の隙が生まれた。

「だからテメェも滅びるしかねぇんだよ!!」

 羅刹の爪がトールの胸を抉ると、激しく血が胸から吹き出る。

「喰え羅刹!」

 羅刹は抉った胸の肉を喰い、目を光らせた!

 今度は肉じゃなく命を喰らう!

 呆然とつっ立っているトールの心臓に羅刹の爪が刺さった!!

「貰ったあ!!!」

 そのまま腕を突っ込み、心臓を引き千切って終わる。

 そう思っていた。

 しかし、羅刹の爪は心臓に届かずに分厚い胸に僅かに爪が刺さったのみ!!

「隙は本当に一瞬だけだったかよ!!」

 羅刹を下げようと指示するも爪が胸の筋肉に食い込み、ビクともしない!!

――ユグドラシルが無いのなら…ラグナロクが起きないのならば…俺が再びラグナロクを起こすだけよ!!

 トールは爪が食い込み動かせない羅刹の右腕を掴み、そのまま捻り切った!!

「がああああ!!」

 俺の右腕に凄まじい痛みが走る。

 トールは捻り切った右腕で、羅刹を殴打し始めた。

「ぐああ!がっ!がはっ!」

 もぎ取った羅刹の右腕で羅刹を殴打するトール。

――グハァッハッ!!自分の腕で殴られている気分はどうだ!?

 高揚しながら涎を垂らして羅刹をぶん殴る。

 右腕を失った羅刹は左腕一本で攻撃に転じるも、全く当たらない。

「片腕じゃあ無理だ羅刹…!!」

 しかし、元々持っている鬼の闘争本能が、トールへの追撃をやめはしない、

――憐れな!!

 トールは持っていた羅刹の右腕をぶん投げる。

 羅刹の顔面にぶち当たり、顔が跳ね上がった。

 トールは両手を組み、高々と上に掲げた。

――死ね!弱き者よ!

 上を向いていた羅刹の顔面に、組み合わせた両手を振り降ろした。

「がああああああ!!!!」

 俺の顔面に今まで感じた事の無い衝撃と痛みが走ると同時に、羅刹は膝を付き、そのまま前のめりに倒れた。

 今まで感じた事の無いダメージを喰らった羅刹はピクリともしない。

 このままじゃ羅刹は終わる。

 俺は静かに目を閉じた。呪文を唱え、集中する。

――覚悟を決めたか?

 トールが愉快そうに俺のツラを覗き込んだ。

「ハッ!覚悟だ?覚悟なんざ、テメェと対峙する遥か前からできているぜ!!」

 そうだ!!俺はジジイの元で修行した時から!!羅刹と初めて出会った時から!!死ぬ覚悟はできている!!

 俺は瀕死の羅刹を『取り込んだ』。

 羅刹の力と羅刹の身体を俺に現せた。

――なかなか面白い余興を見せおる!!

 顎に指を当ててニヤリと笑うトール。

「俺の…俺達の奥義!鬼神憑きだ!最後の最後まで付き合って貰うぜ古の最強神!!」

 俺はトールに向かって走る。

 感覚が全く無いにも拘らず、普通に右腕でぶん殴りに掛かった!!

 トールは俺の右拳を易々と掴む。

――先程の力を全く感じないな?右腕が復元された訳では無いのか?

 そのまま腕を取り、高々と俺を吊り上げる。

「やっぱり駄目か!」

――勇気だけは認めよう!貴様は弱き者では無かった!

 トールが手刀で俺の首目掛け、貫こうとしたその時、ピタリと手刀が喉元手前で止まる。

――貴様!いつの間に!

「気が付かなかったか間抜けが!テメェが俺を吊り上げた時だよ!!」

 トールが吊り上げた俺から手を離した。いや、握力が無くなり、掴んでいられなくなったのだ。

 地面にケツを付く俺はそのままトールを見上げる。

 トールの顔面から、鋭利な爪が浮き出ている。

 いや違う。後頭部から羅刹がトールを左腕で貫いていたのだ。

 後ろ頭と顔面から、かなりの血を吹き出しながら、ギロリと睨むトール。

――俺にペテンをかけたか!!

 トールはそのまま崩れ落ちた。

 トールの背後には羅刹が返り血を浴びて仁王立ちをしている。

 俺はトールに吊り上げられた刹那、鬼神憑きを解いた。

 羅刹はトールの背後に周り、残った左腕で渾身の力を込めて一発でくたばるよう、後頭部を貫いたのだ。

 さしもの最強神も脳みそをぶち砕かれたら一溜まりも無い。

 そして油断と慢心。

 鬼神憑きで一体となっていると思ったトールは、目の前の俺にしか注意が向いていなく、更に俺が殴りかかった右腕で羅刹は限界と睨んだんだろう。

「羅刹!喰え!」

 俺は号令を出した。羅刹が再び頭蓋に腕を突っ込み、脳みそを握り締め、引きずり出し、古の最強神を思うがまま喰らい尽くす。

「ハッ!終わったか…」

 羅刹が食事をしている間、羅刹の失った右腕を見ていると、トールを取り込んだ羅刹の右腕が復元し出した。

「古代神一人喰らって右腕復元だけか…かなりのダメージを負ったな…」

 トールを喰った羅刹は大幅にパワーアップする筈だったが、思いの他ダメージがデカかったので、肉体の復元と申し訳程度のパワーアップくらいしか出来ていなかった。

「ハッ!まぁいいか!勝ったんだしな!!」

 そうだ。俺達は最強神を倒した。それだけでも俺達は大した奴等なんだと納得をした。



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