闊歩する亡者

 滞在三日目…亡者の数が減らない。

 ボイラー室の壁から侵入し、このホテルを我が物顔でのし歩いている。

 見つけ次第、羅刹に喰わせているが、数が減らないのが凄い。

 確かに餌場としては最高だ。

 だが、俺は依頼を請けた。

 闊歩する亡者共を塞き止め、このホテルを正常に戻すと言う依頼を。

 直ぐに羅刹が亡者を喰らい尽すのだと思っていたが、この亡者の数は異常だ。

 てっきり海難事故や自殺者の霊が彷徨っているのだと思っていたが、どうやらそれだけじゃねえ。

「海神か?」

 海中に鎮座している海神が鍵を握っているのだろうか?

 それとも、羅刹の方に問題があるのだろうか?

 羅刹は亡者を喰らう。亡者は羅刹の血となり、肉となり、力となる。

 では羅刹に喰われた亡者はと言うと、何の事は無い。

 ただ在るべき所へと還るだけだ。

 言わば羅刹は亡者の悪意や業を喰う。

 現世で地獄の役目をしているだけに過ぎないのだ。

「少し調べてみるか」

 一向に減らない亡者に疑念を感じた俺は、因果関係を調べる事にした。

 霊視じゃよく解らない。解るのは、怒りのみ。

「ウェットスーツとボンベを貸してくれねえか?」

 いきなり訪ねられ、呆然としているフロントの女。

「支配人から聞いてねえのか?俺の必要な物は全て揃えて貰える筈だが」

 女は頷いてはいたが、何か躊躇していた。

「あの…今ですか?」

 必要なんだから借りたいんだろ。素潜りで水深10メートルまで潜れと?そして息が続く限り調査しろと言うのか?

「今直ぐに決まっているだろうが?準備出来次第呼んでくれればいい」

 俺は苛立ち、踵を返す。

「もう少しで食事の時間になりますけど…」

 ああ、飯か。一応気を利かせてくれた訳か。

「構わねえ。一食抜いた所で、何も差し支えは無え」

「そうではなく…」

 何だ?何が言いたいんだ?

 苛立ちながらも、次に続く言葉を待つ。

「もう夜ですけど、夜の海に潜るのですか?」


 暗いならば見える物も見えないか…

 俺は次の日に潜る事にし、その旨を伝えた…


 食事を取り、部屋で寛ぎながら考えていると、備え付けの電話が鳴った。

「はい」

『かっ、葛西さん!厨房でおかしな事が!』

「今行く」

 電話を切り、厨房へ急ぐ。

 滞在三日目だが、俺は初日から従業員に呼ばれて亡者を喰っていた。

 依頼の中に、従業員からの助けには応じると約束してしまったのだ。

 軽い気持ちで請けたのだが、俺は初日から非常に後悔した。

 深夜だろうが早朝だろうが、風呂に入っていようが、トイレで用を足していようが、全くお構いなしに助けを求められたのだ。

 いや、確かに怖いのだから、俺を呼ぶのだろうが、先程も話したように、羅刹が亡者を喰らっても、亡者の数が一向に減らないのだ。

 つまり、従業員を襲う怪現象も、治まる事は無かった事になる訳だ。

「くそ、俺の身が保たねぇぜ…」

 やはり明日一番に海神を調査しないと…

 亡者の群が湧き出るのを喰い止めれば、後は羅刹が喰らい尽す。

 そんな事を考えながら走った。


 厨房に辿り着いた。

 厨房では、コックが包丁を振り回して暴れていた。

「かっ、葛西さん!」

「下がれ。危ねぇぞ」

 俺は他の従業員を下がらせた。

「憑かれたか。直ぐ助けてやる」

 包丁を持ったコックが俺を睨む。

 目が血走り、口から涎を垂れ流しながら、口元はいやらしく歪んでいた。

「ゴアァアァアアァァア!!」

 コックが俺に襲い掛かった。

 羅刹が踊り出る。

 羅刹はコックの横っ面を叩いた。

「引き摺り出せ!羅刹!」

 羅刹がコックの顔面を鷲掴みにすると、コックの身体から憑依していた亡者が浮き上がった。

 羅刹はそれを引き剥がす。

――ガアアアアアア!!!

 引き剥がされた亡者は、羅刹の口に運ばれた。

 ボリッ!!ボリッ!!ボリボリッ!!

 亡者は羅刹に喰われた。

 コックは受け身も取れず、そのまま床に崩れ落ちた。

 倒れたコックは衰弱し、気を失っている。

「かなり衰弱しているな。休憩室に運んで休ませてやれ」

 俺の指示に従い、従業員達は憑かれたコックを休憩室に運んだ。

「ち、一向に改善する気配が無ぇな」

 明日まで待つのも焦れったいような気がした俺は、そのまま外に出る。

 海神が祀られているであろう方向にジッと視線を投げつける。

「怒り…悪意…本当に海神か?」

 海神か祀られているであろう方向からは、負の感情しか流れて来なかった。

「やるしかねぇか」

 とは言え、羅刹を制御出来る距離ではない。

「やはり明日まで待つか」

 海神までの距離は羅刹を制御出来る距離ではないが、他に手はあるにはある。

 だが、それは極力使用したくない。

 切り札にして奥義のそれは、俺の身体にもかなりの負担が掛かるからだ。

「明日にケリをつける。それまで待ってやがれ」

 踵を返し、ホテルへ戻る途中、目に入った亡者を片っ端から羅刹に喰わせながら、俺は腹を決めた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 バカホテルにキャンセルされて既に四日目の朝がやってきた。

 神崎は、初日に溺れたガキを助けてから、しばらく海を監視していた。

 神崎曰わく「あの海域はかなりヤバい。また海に引きずり込まれる人がいるかもしれない」との理由から監視していたが、やはり溺れる奴が後を絶たない。

 その都度ライフセイバーの如く救出するもんだから、溺れた振りをするスケベオヤジや、ナンパ小僧が増えてしまった。

 つまり、俺のおっぱいを赤の他人に触られ捲られていると言う事だ。

 スケベオヤジやナンパ小僧は俺が洩れなく粛正したが、ガキや本気で溺れた奴は、流石に粛正する訳にはいかない。

 俺は神崎にプロのライフセイバーに任せるとか、遊泳禁止のバリケードを立てるとかしろと言ったのだが、「霊の所行は私達の仕事でしょ?大丈夫、お金はあのホテルからガッツリふんだくるから」と、俺の言いたい事とは無関係の事を言っていた。

 そういや、神崎は昨日の夜に何か言っていたな。

「何かおかしいのよね…成仏出来ない霊の悪さにしては悪質過ぎる…」

 神崎が言うには、長くその場に留まった霊は、確かに悪霊化するが、今海水浴客を溺死させようとしているのは、初めから悪霊のようだ、と。

「海神からホテルに向かっているのは、霊道じゃなくて地獄みたいな…」

 地獄の亡者が現世で悪さをしているようだ、と。

 海神からは、悪意しか感じない。

 もしかしたら、海神は海神じゃないのかもしれない、と。

「ちょっと海神の絵描いてくれ」

 神崎に促し、海神の姿を描いて貰った。

 ふんふん…怒り顔で凄みを利かせて睨む様は、神と言うよりも鬼のようだな。

 暑苦しい葛西の背中に在ると言う羅刹みたいな感じだ。

「海神じゃないなら、なんで海中に祀られているのかな…」

 神崎が思考を働かせている姿は、かなり良い。

 その神崎のおっぱいが、他の男に弄られていたのだ。

 海神だろうが、地獄の鬼だろうが、俺は俺のおっぱいを守らなければならない。

「明日バカホテルの海岸にちょっと行ってみるわ」

 俺は俺のおっぱいを守る為、海神だか鬼だか知らないが、一言言わないと気が済まないのだ。

「駄目よ!向こうが泣きついてくるまで、私達は動かないわ!」

 神崎の気持ちも解るが、俺のおっぱいを他人に弄られるのは、最早我慢ならない。俺なんか触れてすらいないと言うのにだ。

「神崎、俺は自分の財産を守りたいのだ!銭金の問題じゃないんだよ!!」

「財産って…私の胸でしょうよ…いつ北嶋さんの財産になったのよ…」

 神崎は髪を人差し指でクルクルと回し、多少キョドっている。

「とにかくだ、暑苦しい葛西が使えないだろうが何だろうが、俺は一発海中のバカ野郎に一言言わないと気が済まん」

 俺の鋼の決意は変わらない。

 神崎が生おっぱいを触らせてくれるなら考えてやってもいいがな。

 神崎は一つ溜め息を付く。

「解った。だけど私も同席するから。それと、霊を祓うのは駄目よ?」

 いや、生おっぱいを触らせてくれるなら、俺は我慢するが、とは言えないくらい、神崎の瞳に凄みを感じた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 既に眠りについていた深夜に、再び電話がけたたましく鳴った。

「…はい…」

『葛西さん、支配人室に来てくれないか?』

 今度は支配人室に出たのか…

 重い瞼を無理やり開き、俺はあてがわれた部屋を出る。

 支配人は二階。

 四階に比べ、亡者の数は少ないとは言え、このホテルは亡者が闊歩している。

 当然二階にも亡者が居る訳だ。

 二階の支配人室に向かう途中に、目に入る亡者は羅刹に喰わせた。

 このホテルに宿泊してから、羅刹を発動していない時間などない程、羅刹は常に亡者を喰らい続けている。

 こんなにも羅刹を発動させたのは、久し振りの事だった。

 以前、依頼で北欧に行った時くらい羅刹を働かせている。

「こんなチンケな依頼でなぁ…」

 そう思いながらも、実は根はかなり深い。

 敵はかなり巨大なのではないか?この所そう思いつつあった。


 支配人室に入室した俺を支配人の大村がジッと俺を見ている。

「どうしたんだ?今度は誰が憑かれたんだ?」

 俺の問い掛けに俯き、首を横に振る大村。

「葛西さん、葛西さんが来られてからも、幽霊騒ぎは治まる気配がありませんが?」

 成程、遠回りに俺を責めている訳か。

「霊視だけでは色々解らない部分もあるんだ。明日の朝に海底の海神像を調査する予定だ。それで何か解るかもしれない」

「本当にお願いしますよ!他には断られ…!!」

 大村は慌てて口を閉ざした。

 他の霊能者に断れたのは、特に気にする部分ではない。

 ならば何故口を閉ざす必要がある?

「アンタ…俺の後にも誰かに頼んだのか?」

 支配人は何も語ろうとせず、ただ俯いている。

 一向に減らない幽霊騒ぎに、支配人は他の霊能者に依頼しようとしたらしい。

「だがこれで解っただろう?半端な霊能者じゃ踏み込めるヤマじゃない事がな」

 依頼を断る霊能者はまだマシだ。

 中にはお札や御守りだけ預けて知らない振りをする霊能者もいる。

 これは俗に言う『匙を投げる』ってヤツだ。

 つまりはこのホテルの幽霊騒ぎは、霊能者でも手に負えないって事だ。

「明日、アンタも俺に付き合え。その目で何が起こるか見るのも一興だ」

 俯いていた支配人がガバッと顔を上げた。

 真っ青になり、目を見開き、口が半開きとなっていた。

「ビビる必要はねえさ。俺から聞くよりは、テメェの目で見た方が解り易いだろう?」

「わ、私の身の安全は?」

「向かって来た亡者は俺が倒してやる。それにだ、テメェが預かっているホテルだろう?他でウロチョロする前に、テメェでそれなりに納得しなよ」

 大村は再び俯いてしまった。

 唇が微かにブルブルと震えている。

「それとも俺も切るか?北嶋を躊躇無く切ったように?」

 大村は再び顔を上げた。

 今度は首を左右に振る。

「なら、明日俺に付き合え」

 俺は大村の顔を食い入るように見た。

 大村はゆっくりと首を下に落とした。

「………解りました………」

 肩をガクッと落とした大村。とうとう観念したようだ。


 翌朝、俺はウェットスーツとボンベを借り、浜辺で支配人を待った。

「おせぇな…」

 ビビる必要は無いとは言ったが、無理からぬ事だ。

 しかし、テメェの目で原因の一つであろう物を見るのも必要な事だ。

 無論、この辺の年寄りに話を聞く事も必要だ。

 年寄りは以前起こったであろう事件や、昔あったであろう伝承を知っている。

 俺は昨晩、従業員にこの土地の年寄りや漁師を集めるよう頼んだ。

 結果、年寄りと漁師は15人ほど集まってくれた。

 いきなり頼んだ事なのに、快く来てくれた年寄りや漁師には、感謝の言葉も無い。

 しかし、その当事者と言うか、依頼人が来ないと言うのは、ハッキリ言っていただけない。それでは幻滅もするさ。

 年寄りや漁師と共に待つ俺の目に、誰かが歩いて来るのが見えた。

「ようやく来たか」

 安堵しながら人影を見続ける俺だが、違和感が。

「支配人じゃないな…誰だ?」

 人影は段々此方に近付いて来る。

 それがハッキリと誰か解った時、俺は驚愕した。

「北嶋!?」

 砂浜を俺達の方にずっと歩いて来た奴は、あのホテルから依頼をキャンセルされた霊感が全く無い男、北嶋だったのだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「北嶋さん!歩くの速いっ!」

 スタスタとあのホテルの正面の浜辺へ向かって歩いている北嶋さんを、ヨタヨタしながら懸命に付いて行く。

 流石にヒールで砂浜は歩き難い。

 こんな事なら、高いヒールのサンダルなんか履いて来なきゃ良かった…!!

 私が激しく後悔をしていると、一目散に歩いている北嶋さんがいきなり止まった。

「待ってくれるの?案外優しいじゃない」

 素直に嬉しかった私は、機動力が低下しているにも関わらず、北嶋さんに走り寄った。

「お待たせ~!って…」

 北嶋さんが怖い顔をしながら前方を睨んでいる。

 釣られて、私も北嶋さんの視線の先を追った。

「葛西 亨と、何?あの集団は?」

 北嶋さんの視線の先には、私達から仕事を奪った葛西の姿。その回りを、お年寄りや漁師?の人達が囲んでいる。

「暑苦しい葛西じゃねーか。ウェットスーツなんか着て、海に入って涼を取ろうと言うのか?」

 北嶋さんは両拳を固く握り締め、葛西に向かってゆっくりと歩いて行った。

「詐欺師の北嶋か。いよいよ暇な奴だな。仕事を首になってバカンス中か?」

 葛西は薄く笑い、北嶋さんを睨んでいる。

「北嶋さん!ダメよ!」

 何か解らないが、空気が一触即発となっている。

「やらねーよ。いくら何でもさぁ。俺から仕事を奪ったのはここの支配人だしな。見る目が無いクライアントは本当に使えない」

「見る目はあるだろう?テメェを詐欺師と見切ったんだからな。で、何の用だ?後学の為に俺の仕事を見学したいってんなら、好きなだけ見るがいいさ。ただし邪魔はするなよ?」

 北嶋さんも葛西も、取り敢えずはやる気は無いみたいだが、お互いに何かが気に入らない様子。

 ちょっとした切っ掛けで喧嘩になりそうな雰囲気だ。

 集まっている人達も、この空気を感じてか、オロオロしだした。

「お前が暑苦しい上にちゃんと仕事をしねーから、俺にとばっちりが来ているんだよ。やるならちゃんとさっさとやりやがれ」

 北嶋さんは葛西に更に一歩踏み込んで、睨み付けた。

「暑苦しいのは余計なお世話だ。テメェにとばっちりだ?俺の知った事かよ?」

 葛西も北嶋さんに一歩踏み込む。

 北嶋さんと葛西のおでこがくっ付かんばかりに接近している。

「北嶋さん!少し離れて!」

 北嶋さんの腕を引っ張り、葛西から一歩遠ざけた。

「で?何をやるんだ?俺のおっぱいを守れるんだろうな?」

「きっ!!北嶋さんっ!!」

 私の声が若干高くなる。

 俺のおっぱいって…

 二人きりの時は構わないけど、他の人がいる時は、そんな発言は控えて貰いたい。

「テメェのおっぱい?何を言っている?」

 流石の葛西も困惑気味だ。

「あなた、こんなに人を集めて何をやろうとしているの?」

 私は力付くで話を変えた。これ以上おっぱいの話はさせたくは無い。

「いや何、海中の像を引き上げようと思ってな。地元の人達に見て貰って、伝承か何か思い出して貰いたいってのもある。まぁ、此方の人達は、ここいらの伝承を聞く為に呼んだんだがな」

 ふ~ん、力押しばかりじゃないみたいね。

 強引な力押しのみの男だと思っていた私は、多少だが葛西を見直した。

「取り敢えずチャッチャと引き上げて来いよ。話はそれからだ」

 偉そうな北嶋さんを葛西が睨み付けた。

「テメェは何なんだ?俺のクライアントか?違うだろう。テメェは首になった哀れな詐欺師だ。テメェと話す事は俺には必要ねぇんだよ」

 葛西が言っている事は凄く正しい。寧ろ北嶋さんの方が滅茶苦茶な感がある。

「お前……この野郎!生命保険に入って死ね!受取人を俺にして死ね!」

 葛西に全くグゥの音も出ない北嶋さんは小学生のような悪口を言い放った。

「北嶋さん!もうやめて!痛々しいよっ!!」

 私は北嶋さんを止めた。葛西は確かに気分が悪いが、私達を首にしたのは支配人の大村だ。

 葛西は自ら売り込んだ訳では無い。

 葛西の力を目の当たりにした従業員が、支配人に進言し、私達より葛西を取っただけに過ぎないのだ。

「しかし」

 北嶋さんは何か言いたげだったが、うまく言葉に出来ない様子だった。

 勿論、単純に悔しいのもあるだろう。

「支配人は?ここに呼んだんでしょ?」

 地元の人達を集めたのだから、当然依頼者の支配人もこの場に呼んだ筈だ。

「勿論呼んださ。しかし現れねぇ。多分ヘタレたな。テメェのホテルの事だってのによ」

 葛西も苛立っているのか、頭を掻き毟っている。

「じゃあ俺が引っ張って来てやるよ」

 北嶋さんが意気揚々とホテルに向かって歩き出す。

「待って北嶋さん。私達が連れてくるのは筋が違うわ」

 私達はキャンセルされたのだから、このホテルとは関係が無い。近くで待機しているのは、意地のみだ。

 北嶋さんはその場にしゃがみ込んで、砂に指でクルクルと『の』の字を描いた。

 暫くそんな暇な行動をしたかと思ったら、いきなり立ち上がった。

「葛西、100円くれ」

 北嶋さんは葛西に手のひらを伸ばした。

「はあ?いきなり何言いやがる?」

 困惑し、多少憤慨している葛西に再び手のひらを伸ばす。

「いいから100円!10円でもいいぞ」

 葛西は北嶋さんの訳の解らない申し出に驚き、『つい』100円を支払った。

「確かに請け負ったぜ」

 北嶋さんは再びホテルヘ向かって歩き出した。

「だから私達が行くのはお門違いだってば!」

 北嶋さんはクルンと私の方を振り向き、言った。

「たった今、葛西 亨からホテル支配人の大村を引っ張って来ると言う依頼を請けた。神崎、葛西に領収書発行しといてくれ」

 そして北嶋さんはスタスタとホテルに向かって歩き出した。

「領収書?100円の?」

 聞き直すが、北嶋さんは背中を向けながら右手を上に上げたのみで、振り返ろうとはしなかった。

「………領収書いる?」

「………一応貰っておくか…」

 多分要らないと思うが、葛西は領収書を受け取る。

 仕事として支配人を引っ張るとした北嶋さん。

 これならば出しゃばっている訳でも無いし、葛西も北嶋さんに借りを作った感が無い。

 だからあくまで仕事として、北嶋さんに依頼した形の領収書を受け取ったのだろう。

「あいつ…いつもあんな感じか?」

「そうね…ギリギリ筋通すみたいな所ある人だからね」

 私も葛西も、勿論地元の人達も、呆けながら小さくなっていく北嶋さんを見ていた


 程なくして、北嶋さんらしき影が何かを引っ張りながら、此方へ向かって歩いてくる様が見えた。

「あれ…引き摺ってねぇか?」

「ネクタイを引っ張っているみたいね…」

 だんだん近付いてくる北嶋さん…

 やはり支配人の大村のネクタイをグイグイと引っ張って歩いている。

 時折「歩くから引っ張らないで下さい!」とか「あんまりセカセカ歩かないで!危ないでしょう!」とか苦情…と言うか文句が聞こえてくる。

「無茶するな。あまり気に食わない奴だが、爽快でもある」

「請け負った仕事だからね。依頼内容に『丁重に』とは無かったでしょ?」

「ハッ!確かにな!」

 葛西は多少愉快そうだった。


 北嶋さんは遂に私達の傍に到着した。

 北嶋さんが葛西の前に、支配人の大村をグイッと押し付けるよう、前に出した。

「ほらよ。仕事はしたぜ」

「ご苦労だったな。助かった」

 葛西は普通に北嶋さんを労った。

 仕事を果たした北嶋さんへの配慮だろう。

 例え100円の依頼だったとしても、仕事は仕事だからだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「お、お待たせして申し訳ありません…」

 支配人の大村は北嶋に引っ張られたネクタイを緩め、絞め直した。

「テメェのホテルの悩みだろう!?なぜ指定通りにしない!?」

 俺は息を切らせて、額からうっすらと汗を流して俯いている大村を叱咤した。

「そ、そう申されても…私が真実を知った所で、どうしようも無いでしょう…」

 目を泳がせながら、俺を直視しないあたり、少しは申し訳無いとは思っているようだ。

「俺が必要と判断したら、全てそれに従う。確かそう約束した筈だが?」

 大村は黙って俯いたまま、固まってしまった。

「まぁいい。それじゃあ、海中の神像を引き上げてくる。申し訳無いが、みんな少し待ってくれ」

「俺は?」

 テメェからノコノコとやって来たのに、俺は?とは実に訳が解らない。

「居るも帰るも好きにするがいいさ」

 北嶋をこれ以上構っている暇など無いので、ボンベを背負い、海の中に入って行った。


 海に入って幾らもしないのだが、亡者が海中からどんどん溢れ出て来ているのを直ぐに確認出来た。

 亡者達はユラユラと向かって来ている。

「ち、面倒だな」

 俺は羅刹に命じ、向かって来る亡者を喰わせた。

──グァアアアアアアア…

──ギャアアァアァアァ…

 視える奴には、この状況を地獄と思うだろう。

 海から現れ、俺に群がって来た亡者が、鬼に首根っこをとっ掴まれて次々と喰われているのだから。

 喰われている亡者は、その全てが阿鼻叫喚している。

 しかし、亡者達の支配者たる鬼、羅刹に散々仲間を喰われているにも拘わらず、次々と俺に向かってくる様…

 恐れを知らないのかこいつ等は?

 それとも海中にいるこいつ等の『支配者』の方が、より『畏れ』を持っているのか?

 そんな事を考えている間に俺は遂に海中の海神像の真上に辿り着いた。

「この下約10メートル…」

 確かに海の中だが、水が冷たい。うっすらと鳥肌が立ってくる。

 下から亡者達が俺の足を引っ張ろうとし、腕を伸ばしてくる。

「喰わなくてもいい。引き裂け。面倒だ」

 羅刹は長く鋭い爪を奮う。

 亡者達の腕や頭、顔、腹、全て引き裂く。結果亡者共の身体が散り散りとなる。

「よし」

 俺はそのまま海の中へ潜って行った。

 海中の中は亡者で埋め尽くされている。あまりの数に魚や海藻が全く見えない状態だ。

 俺の進むべき道に有る亡者を羅刹が引き裂く。

 それでも全く視界が晴れない程、亡者が海中に漂っている。

 不意に北嶋を思い出した。

 あいつは見えない。

 あいつは普通に、魚や海藻が見える海の中を、普通に突き進んで泳いで行くのだろう。

 亡者に鬱陶しく思っていた俺は、あの失礼極まりない詐欺師を羨ましく思っていた。

 その時俺の視界に岩が見えた。

 あの中にちょっとした洞穴があり、海神が納められている。

 俺は一気に最深部まで潜った。

 岩を丹念に探るまでも無く、それは有った。

 よくもまぁこんな場所に納めたもんだ。

 海神像は大した大きさでは無い。

 せいぜい80センチか?

 しかし、それでも海の中に納めた事実を俺は感心し、海神像に手を伸ばす。


 ゾクッ


 凄まじいプレッシャーが襲った。

 海神は確かに怒りの表情をしている。

 だが、ただ怒っている訳では無い。


 祟り神


 長らく打ち捨てられてしまった海神は、神でありながら人に祟る存在になってしまったのだ。

 これは引き上げるとか、そう言う問題じゃない!

 俺は羅刹に命じた。ぶち壊せ!!と。

 その時海神の目が怪しく光った。

 羅刹のかいなが海神に触れる刹那!俺は羅刹もろとも吹っ飛ばされてしまった!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「あれ?水柱が上がったぞ?」

 北嶋さんが鯨でも居るのか?と、素っ頓狂な質問を漁師に向けた。

 漁師は青い顔をしながら水柱を眺めている。

 漁師だけでは無い。その場にいる全ての人達が、水柱の中にある悪意を感じ取って震えている。

「葛西が打ち上げられた!」

 水柱の頂上に葛西の姿が!

「気絶している!マズい!」

 私が海に入ろうとしたその時、肩を掴まれた。

「北嶋さん…」

 北嶋さんは首を左右に振る。

「流石にプライドが許さないだろ」

「あのまま見殺しにしろって言うの!?」

 こんな時にプライドだメンツだと、男の人って本当に面倒臭い!!

「死なねーよ。あの暑苦しい奴は場数を半端なく踏んでいるぞ」

 見えない、聞こえない、感じない北嶋さんに何が解ると言うのだろうか?

 苛立つ私は、手遅れにならないよう、北嶋さんを振り切った。

 直ぐ海に入ろうとした矢先、葛西の身体が海中へと引き摺り込まれた!

「きゃあ!」

 慌てる私に、今度は漁師さん達が止めに入る。

「馬鹿!アンタまで死にてぇのか!」

「見ただろ!無数の腕が彼を海中に引き摺り込んだのを!」

 確かに、相手のテリトリーみたいな場所で、気を失ってしまったのだ。

 最早葛西の命は…

 私の目の前で霊によって人が死んだ。

 力無くへたり込む私にそっと北嶋さんが私に近付く。

「暑苦しい葛西は大丈夫だってば。あれが気絶したように見えたのか?」

 驚き、顔を上げる。

「俺は確かに見えないし聞こえないし感じないが、水柱の上にいる人間のツラくらいは普通に見えるぞ」

 霊的な物はからっきし視えないが、生身ならば普通に見える?

「この距離で!?」

 葛西が吸い込まれたポイントは、ここから優に50メートル以上はある。

「両目とも2,0だからな俺は」

 目がいいって問題じゃないような…

 とにかく葛西は気を失っていない!

「海神を引き上げたってのは怪しいがな。気絶してないとは言え、疲れ切ってんのは変わらんようだし」

 北嶋さんは皆が心配そうに立って待っているにも関わらず、疲れねぇ?とか言って座ってしまった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ヤバかった!一瞬気を失いかけた!

 打ち上げられた俺は亡者により海中に引き摺り込まれたが、羅刹により亡者は散り散りに引き裂かれた。

 しかし、これだけ羅刹がぶち倒しているにも関わらず、一向に減らない亡者…向かって来る亡者に疲れ果てた俺は、海中の海神に指を差す。

「今日は諦めた。だが、後日改めてテメェを引き上げに来る。それなりの準備をしてな…少し待ってやがれ!!」

 これはハッキリ言って負け惜しみだ。祟り神となった海神に驚き、恐れた俺の隙で招いた撤退だ。

 祟り神…

 全く勝ち目が無い相手じゃない。だが疲弊し切った今では、確実に倒せると言う気はしない。

 俺は岸に向かって泳いだ。ボンベの酸素はまだ充分に足りている。岸には楽に辿り着くだろう。

 俺の後を追って来る亡者達を羅刹にぶち倒させ、やがて俺は岸に辿り着いた。

「ゲホ…ゲホッ…」

 無事だった俺に、地元の漁師や老人は驚き、大村は幻滅な瞳を俺に向け、北嶋は俺にペットボトルの水を投げ渡した。

「お前から貰った100円で買ったんだ」

「テメェにしちゃあ、いいチョイスだな」

 俺は北嶋から貰った水を、一気に飲み干した。

「いやはや、わざわざ呼び出されて来てみれば…醜態を見せに呼んだ訳ですか…」

 大村が苦虫を噛み潰したような表情を俺に向けながら言い放った。

「……確かに醜態を晒したな…だが、これで解っただろう?」

 このホテルに亡者を送り込んでいたのは、海神…今は祟り神だ。

 冥府の穴をホテルの壁にぶち開け、地獄の通路を導いたのだ。

 喰っても喰っても、亡者は地獄から湧き出で来る。

 だが、今はまだマシな方だ。

 祟り神自らがホテルへ入っていないからだ。

 もし入っていたら…

 俺は再びペットボトルの水を一口飲んだ。

 やたら喉が渇いている。

 大村が首を振り、俺に冷たい視線を浴びせる。

「いずれにしても、あなたはもういいですよ」

 俺は顔を上げ、大村に目を剥く。

「あれを見ても解らねえのか!?あれはそこいらの霊能者の手には負えねぇ!!現に多数の霊能者に断られただろう!!」

 あれを倒せるのは、俺や俺の師…ジジィくらいのもんだ。

 何よりやられっ放しじゃあ、俺の気が済まない。

「いえ、除霊を請けたのはあなただけじゃありませんよ」

 大村はシレッと抜かした。

 誰があれをぶっ倒せると言うんだ!!

 俺がそう詰め寄ろうとしたその時、大村はしゃがんでいる北嶋に深々と頭を下げたじゃねえか!!

「やはり最初から北嶋さんにお願いした方が正解でした。もう一度、お願い出来ないでしょうか?」

 詐欺師の北嶋に祟り神をぶっ倒させるだと!?

 頭が真っ白になった俺だが、それでも何とか口を開く。

「北嶋は霊感が全く無いんだぜ!?どうやって倒させるつもりだ!?」

 それだけじゃ無い。

 冥府の道を繋いでいるホテルに開けられた穴を塞がないと、いつまで経っても亡者は入って来る。

 あのホテルにいつまでも闊歩する事になるのだ。

 大村は俺を無視し、北嶋に話を続ける。

「元々、日本屈指の霊能者、水谷先生の推薦でお呼びしたのです。もう一度、何とか考えて頂けませんか?」

 水谷?あの水谷のババァの推薦だと!?

 俺は上手く言葉を発せないまま、北嶋を呆然と見ていた。

「では、金額はこれくらいで」

 北嶋の連れの女が大村に電卓を見せる。

「これはまた…幾分高額になりましたね…」

「一度破棄された依頼を素直に請ける訳にはいきませんので」

 連れの女もなかなかしたたかだ。足元を見るよう、ふっかけていた。

「…確かに…あの節は失礼しましたからね…」

 大村が渋々と了承しようとしたその時、徐に立ち上がった北嶋が、連れの女の電卓を取り上げた。

「え?北嶋さん?」

 驚いている女を余所に、北嶋は大村に電卓を突き付けた。

「こ、これは!?」

「俺を信頼していない野郎の為に、俺が戦う理由は無い。俺が戦う理由が必要だ。理由を捻出出来ないから、これくらいの金なら請けてやる」

 女が電卓を覗き込む。

「さっきの二倍じゃない!!」

「どうせ信頼されてないんだ。此方もそれなりの対応はするさ」

 全く躊躇う様子も無く、北嶋が言い放った。

「こ、これはあまりにも…」

 大村は流石に首を縦には振らなかった。

 いや、振れないのだろう。即決出来る金額じゃないのだろう。

「どうも優柔不断だな?明日の正午まで待ってやる。それまでに了承しないと、アンタの依頼は二度と請ける事は無い」

 北嶋はそう言い放つと、スタスタとその場を離れた。

「き、北嶋さん!」

 女が慌てて、北嶋の後を追った。

 呆けている大村に、俺はウェットスーツを放った。

「キャンセルか。まぁいいさ。頑張って北嶋を説得しな」

 俺も大村から離れた。

 キャンセルはかなり気に入らないが、あの水谷のババァが推薦したと言う北嶋…

 その北嶋の力が見たくなった。


 俺はホテルに戻り、荷物を纏め、チェックアウトをした。

 滞在中の金を全て支払って、借りを全く無しにして、単車に跨った。

「近くでテントでも張るか…」

 北嶋を観察する為に、ホテルの近くにテントを張る場所を探す為に走った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「なんであんなにふっかけたのよ?」

 宿泊しているホテルに戻ったと同時に、北嶋さんに詰め寄る。

「信頼していない野郎…あっちこっちに除霊依頼して、少しでも気に入らないならキャンセル…正直言ってやりたくないんだ」

 北嶋さんはベッドに仰向けになり、天井を見ながら険しい顔をしている。

 気持ちは確かに解る。

 しかし、働いている従業員の為に、地元の人達の為には、やはり祟り神を倒したい。

「安心しろよ。あの金額でも泣きついて来るさ」

 俯いている私の心情を見切った上で、確信しているように話した。

「何で言いきれるの?」

「心霊の事は解らんが、暑苦しい葛西は本物だ。祟り神って奴も、本気でヤバいんだろ。暑苦しい葛西がバカホテルに滞在していたから、多分あの程度の被害で済んでいたんだろ」

 成程…その葛西がお払い箱になった今、祟り神が本気でホテルに祟りに来ると踏んでる訳か…

 でもそうなるとどうなる?例えば…

「明日の正午まで祟り神が大人しくしていたらどうするの?」

「その時は黙って滅びればいいさ」

 全く慈悲も見せずに平然と言い放った。

「見捨てるの?」

「見捨てないさ。だから神崎もマッタリしている場合じゃないぜ」

 私が?マッタリしていると?あなたよりもマッタリ過ごしていると?

 軽く憤りを覚える私だが、いちいち突っ込むのもアレだ。

 北嶋さんの続く言葉を待った。

「ほら、暑苦しい葛西が集めた地元住民だ。話を聞きに行かなきゃな」

「え?北嶋さんは?」

「俺は俺でやる事があるからな。そっちは頼むぞ」

 一応仕事…と言うか段取りはするんだ。

 じゃあ、私は地元の人達に話を聞きに行かなきゃならない。仕事として。

 ならば確かにマッタリしている場合じゃないと直ぐに準備をし、ホテルから出た。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


『おお、小僧、泣き付きに来たかえ?』

 神崎を部屋から出した俺が電話をかけた相手は、神崎の師匠でもあり、俺の仕事の元請けでもある、日本屈指の霊能者、水谷の婆さんだった。

「泣き付いたってか、一つ頼みがあるんだが、婆さん、確かポリの偉いさんにツテがあると言っていたよな?」

 俺は婆さんに一つ、頼み事をした。

『よかろう。話は通してやる。しかし、無駄になった方に越した事はないんじゃがな』

 婆さんも甘い所がある。

 だから無駄になった方がいいと言ったのだろうが、大村は信用出来ない。

 大村が俺を信用していないように。

「まあ兎に角頼んだぜ」

 そう言って電話を終えた。この頼みは絶対に無駄にはならない事を確信して。





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