キャンセルされた依頼

 俺達は素早く服を着て売店に向かった。

「コーヒー牛乳の偉大さも解らん馬鹿が!吠え面掻くなよ!」

「ハッ!時代は進化しているんだ!フルーツ牛乳のバリエーションを知らない訳じゃあるまい!!」

 売店の自販機の前に立つ俺達。この自販機は透明で中身が見えるタイプだ。

 つまりどちらが多く売れているか一目で解る優れものなのだ。

「こ、これは!!」

 先に自販機を覗いていた葛西が驚愕している。俺も自販機を覗いてみる。

「そ、そうか!このホテルは閑古鳥が鳴いていたんだった!!」

 幽霊ホテルと言われて客足がほぼ無くなったホテルだ。

 それの意味する所は、つまり!!

「全然売れてねぇ!!」

 そう、コーヒー牛乳も、フルーツ牛乳も、はたまた普通の牛乳すらも一本も売れていないのだ!!

「ど、どうする?」

「どうするもこうするも…取り敢えず買うか?」

「大丈夫かよ………」

 葛西の懸念は理解ができる。

 ここで言う大丈夫とは、賞味期間が切れて無いか、と言う事だ。

 流石にそれは無いとは思うが、しかし、何か気持ち悪いので購入は控えた。

 俺達は仕方ないので、マッサージチェアに腰かけ、ヴィンヴィンとやっていた。

 やはり風呂上がりにはマッサージチェアに限る。この微妙にツボを外れた感じがたまらん。まさに至福の時だ。

 極楽を堪能している俺の元に、神崎がツカツカと近付いてくる。

 手には自分の荷物と俺の荷物を持ち、表情が何処か憤慨しているように見えた。

「神崎、どうしたんだ?」

 特に殴られるような事をしていないが、何かビクビクする俺。

 神崎はかなりムカついた顔をしながら俺の前に立ち、荷物をドン!と俺の前に乱暴に置いた。

「北嶋さん!帰るわよ!」

 成程、帰るのか。だから荷物を持って来た訳だ。

 って!!

「はぁ?帰る?まだ仕事していないだろう?」

 俺はまだ化け物をぶん殴っていない。

 依頼を請けたからには、キッチリと仕事をこなすのが信条の北嶋心霊探偵事務所なのだ。

「キャンセルだって!他に頼んだらしいわ!全く馬鹿にしてくれるわ!」

 かなりお怒りモードの神崎は、少し離れた所で、同じようにマッサージチェアでヴィンヴィン言わせている葛西を睨んだ。

「あなたが葛西 亨ね。どんな売り込みをしたか解らないけど、せいぜい頑張ってね!!」

 俺も葛西を見る。

 葛西は口元を緩ませてヴィンヴィン言わせながら返事をした。

「ここの従業員が見る目があっただけだ」

 神崎はジーッと葛西を見ている。眉根を寄せて、葛西、いや、葛西の後ろを見ていた。

「あなたの背中の者を見せた訳か…成程、それで北嶋さんには信用を置けなくなった訳ね」

 俺は神崎の言葉に従い、葛西の後ろを凝視した。

 見えない。俺にはサッパリ見えない。

 あの暑苦しいドレッドの後ろに何があると言うのだ?

「ほぉ、発動もさせていないのに、よく見切ったな?テメェは本物か。じゃあ、そこの詐欺師はダミーか?」

 また俺を愚弄しやがった。

 俺の怒りの鉄拳を、その暑苦しい顔面にぶち込もうと思い、立ち上がった俺。

 それを神崎が手を伸ばし、俺を行かせないように制止した。

「詐欺師か。じゃあ言っておくわ。あなたはその詐欺師に負ける事になる。近い内にね」

 何か今回は神崎がやけにエキサイトしている。俺が呆然とするくらいに。

「ハッ!俺が詐欺師に遅れを取るとでも?テメェは見えるんだろう?俺の背中の相棒が!!」

 どうやら葛西は相棒とやらに絶対の自信を持っているようだ。俺には全く見えないが。

「あなたにこのホテルは救えない。救えるのは、北嶋さんだけよ」

 神崎は俺の腕を取り、足早にその場を後にしようと歩き出す。

「お、おい、荷物」

 俺の言葉でピタリと止まる神崎。

 俺は荷物を取りに2、3歩程戻った。

 葛西が俺を見てニヤニヤしている。

 勝ち誇った顔だ。ハッキリ言ってムカつくが、神崎が『近い内に』と言ったので我慢してやろう。

「おい葛西、俺の名と顔は覚えておけ」

 近い内に絶対ぶちのめす!!

「詐欺師は腐る程見て来たんでな。自信は無いが、頭の片隅に置いてやるぜ」

 余裕綽々の葛西に更にムカつきながらも、俺は神崎の元へと踵を返した。


 神崎はかなり頭に来た様子でアルファスパイダーに乗り込んだ。

 俺もトランクに荷物を押し込み、助手席に乗り込む。

 神崎のキーを捻る手がいつも以上に力を入れているのが気になるが、運転は安全運転でお願いしたい。

「あー!本気で頭来たわ!!」

 アクセルを踏む力がいつも通りなのが、少し不気味だ。

 怒りに任せて思いっ切り踏み込むと思っていた俺は、些か拍子抜けしたが、かなり有り難い。

「まぁ、キャンセルも今まで無かった訳じゃないだろう?」

 そうなのだ。

 俺はキャンセルを受けた事が多々あるのだ。尤も、殆ど再びその仕事を請ける事になるのだが。その時は倍の見積もりを提示するのだが、それでも大抵は頷いてお願いされる。

「あのホテルも少ししたら、また泣きついてくるでしょ!ガッポリふんだくってやるんだから!!」

 またここまで戻る事になるのか。

 そう思っていた俺だが、何故か帰り道に神崎はキャンセルした馬鹿ホテルの近くのホテルに車を走らせていた。

「帰らないのかよ?」

「どうせ直ぐに泣きついてくるでしょうから、近くで待機よ。いや、直ぐじゃなくてもいいわ。滞在中のお金もふんだくってやる!!」

 何か解らんが、神崎は凄いキレている。

 だが、近くで待機は非常にありがたいので、俺は直ぐ様同意した。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「あの、本当に大丈夫ですか?」

 支配人のオヤジは、亡者がよく出没する地下のボイラー室に俺を案内するなり、心配そうに呟くように言った。

「詐欺師には祓えないと言っただろう?俺の相棒の力は先程見せた筈だぜ」

 大浴場でションベンを漏らしていた従業員に一瞥をくれた。

 従業員はパンツを履き替え、支配人と俺に付いて来たのだ。

 支配人に推薦した手前、見届けるのが筋ってモンだからな。

「は、はい、北嶋探偵は幽霊に身体中纏わり付かれても全く気が付かなかったようですが、葛西さんは、あの、背中から…」

 従業員がテメェを抱き込むよう、肩に手を添えてガタガタと震え出した。

「ハッ、そんなに相棒が恐ろしかったか?まぁ、安心しろよ。俺の敵しか襲わないよう、躾ているからよ」

 俺は笑いながらボイラー室の扉を開いた。

「ちょっと、そんなに無防備に…」

 支配人と従業員は御守りを硬く握り締め、俺の背中の後を恐る恐る付いて来た。

 ボイラー室は薄暗いのは良しとして、ひんやりとした空気が充満している。まるでボイラーを使用していないが如くに。

「こっちか」

 俺は迷わず真っ直ぐに突き進んだ。

「あ、明かりを…」

「要らねぇよ」

 明かりを点けなくとも解る。亡者が、俺が向かっている壁の中からワラワラと出て来ているのが見えるからだ。

 俺はその壁の前にピタリと止まった。

「この壁の向こうは海か?」

「は、はい、そうです」

 真夏だと言うのにガタガタと震えている支配人と俺を推薦した従業員。

 視えずとも感じているようだ。

「この壁の向こう…海からか…大量の亡者が、この壁に穴を開けてホテル内に侵入して来ているな…」

 そのまま壁を凝視する俺。

 海………の中か………

 意識を海の中に潜り込ませる。

 岩…かなりデカいな…その岩に穴…洞穴か?

 その洞穴に入って行く。

 当然のようだが、海の中にある空洞だ。勿論空気がある訳が無い。

 だが…

「像があるぞ…海神の像か?あの洞穴に運んだ奴がいるのか」

 海の中、水深10メートルくらいの位置にある小さな洞穴。そこに誰かが海神を祀っていたのだ。

「人一人がギリギリ入れる程度の空間だ。ご苦労なこったな。海中に神を祀るなんてな」

 苦笑したが、その行為には驚嘆する。

 海神は新しいもんじゃない。100年は経過しているか?

 その昔に、酸素ボンベなど当然ない時代に、海中10メートルの洞穴…天然の祠と言った所か。そこに石造りの海神を納めたのだ。

「昔は津波か事故かは解らないが、ここいらは海難事故がかなり多発していたようだな」

 俺はクルリと後ろを振り返った。

「このホテルに以前祠みたいなモンがあったようだな。そうだな…ちょうど、この壁から180度の位置だ」

 詳しい場所までは解らないが、ホテル建設の際に取り壊しちまったんだろう。地鎮祭も碌に行っていないようだ。

「つ、つまりどう言う事ですか?」

 支配人は困惑な表情を浮かべて俺に質問してきた。

「つまりだな、海中の祠から、この辺りにあった祠まで、霊が通る道…霊道ってのがある。そこを通って海難事故で死んだ奴等が無事に冥界に辿り着けていたんだが、このホテルが建っちまったおかげで、死んだ奴等が成仏出来ない状況になっちまった、と言う訳さ」

 俺はヤレヤレと肩を竦める。

 このホテルの自業自得。せめて地鎮祭をちゃんとやって祠を供養していれば違っただろうに。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 この俺をキャンセルしやがったバカホテルの近くのホテルへチェックインした俺達は、取り敢えず案内された部屋に荷物を置き、ロビーの喫茶店に冷たいお飲み物などを戴きに入店した。

「やはり部屋は別々か?」

「至極当然でしょ。何も問題は無いよ」

 俺の落胆を余所に、神崎は紅茶を啜り、リラックスしている。

「して、あのバカホテルの件だが…」

 先程、神崎からチラッと聞いたのだが、イマイチ良く解らん。

 バカホテルに祠があったらしい事。

 その真正面の海の中にこれまた天然の祠があるらしい事。

 海中祠の中に海神が祀られている事。

 バカホテルにあった祠に向かって海中祠から亡者が成仏する為に歩いていたらしい事。

 原因は大体解ったが、バカホテルの自業自得でザマァミロってのが本音だ。

「あのホテルの裏側にちょっとした山があったじゃない?」

 う~ん…言われてみればそうだったかな?

 俺は適当に相槌を打つ。良く覚えていないなどとは格好悪くて言えないだろ?ハードボイルドとしてさぁ?

「その山にちょっとした神社があるわ。海神はそこから海中に派遣されたみたいね」

 派遣?神の世界も人材不足で派遣を使うのか。

 俺は知っているような顔を作り、平然と聞いていた。

「派遣って、北嶋さんに解り易く言っているだけだからね」

 知っている素振りをしている俺の苦労を一蹴した神崎。

 俺は聞いていない振りをしてアイスコーヒーをゴブゴブと飲み干した。

「…まぁいいわ。海中の海神と山上の神社を一直線に結んだ平地の所に祠があったの。神社に向かわせる為の道標って所ね」

 その祠をバカホテルが潰した、と。

 亡者は祠の気配を頼りにバカホテルに入って行くが、祠は無い。

 行き場が解らん亡者はバカホテルに滞在してしまう、と。

「ようは道標を設ければいいって訳だな」

「ぶっちゃければね。地鎮祭をちゃんと行って、新たな道標の祠を建ててれば、あんな陰気なホテルにはならなかった。しかも、既に壁に穴を開けられて霊道が出来ちゃったの。全て手遅れ、鎮めるのはかなり難しい。海神も怒っちゃっているしね」

「なぜ怒る?」

「自分の仕事の邪魔をされて、快く思う訳ないでしょ?」

 成程。つまりあのバカホテルは、海神と俺の仕事を邪魔した訳か。

 俺にとっては解り易い解説だ。

「して、暑苦しい葛西がバカホテルを救えないと言うのは?」

 神崎は一瞬険しい顔をする。

「彼はただ喰らうだけ。霊道の修復は出来ないし、海神に許しを乞う真似も出来ない。下手すれば、海神も喰らおうとするでしょう」

 喰らう?暑苦しい葛西が『羅刹』とか言っていた奴か?背中に居るとか居ないとか。

「あの暑苦しい背中に何がある?」

「彼は背中に鬼を飼っているのよ。鬼は死人の魂を食べる。鬼にとっては、それは肉となり、血となる。つまり、生きる為の糧であり、力を付けるサプリメントでもある」

 神崎はスケッチブックを取り出し、サラサラと絵を描いた。

「彼の背中に棲んでいる鬼はコレよ」

 スケッチブックを俺の前に滑らせる神崎。

「ふ~ん。本当に鬼そのものだなぁ~」

 スケッチブックに描かれている鬼は、赤銅色の肌をしていて筋骨隆々。

 髪は鬣のように逆立ち、目はつり上がり血走り、口は耳まで裂けて牙がある。頭部には二本の角がある、と。

 もう、まさに典型的な鬼の姿だ。

「彼が絶対の自信を持てるのが良く解るわ。確かに相当の強さの鬼よ。だけど…」

 神崎はすっかり冷めた紅茶に口を付け、一度呼吸を整えると、話を付け加えた。

「鬼だけじゃない気がするのよね…あともう一つ…いや、三つか。切り札を何か隠してるような…」

「暑苦しい奴が他に力を隠していようが関係ないな。向かって来たらばぶちのめすだけだ」

 そう言って席を立つ俺。

「どこに行くのよ?」

 咎めるような視線の神崎。

「いずれにせよ、バカホテルから連絡待ちなんだろ?それまで普通に楽しむさ。取り敢えず水着のネー…海でも眺めに行こうかな、と」

 水着のネーチャンを眺めに行くのは決して罪では無い。

 罪では無いが、素直に眺めに行くと言う程、俺は愚かでは無い。

「ああ、女の子の水着を見に行くのね」

「お前はエスパーか!!何故悉く俺の心が読める!?」

 凄く驚いた。

 ハードボイルドのポーカーフェイスが神崎の前では全く通用しないのは何故だ?

「北嶋さんは何時も平和で羨ましいわ…」

 溜息を付きながら神崎も席を立つ。

「ど、どこ行くんだよ?」

「海に来たのに泳がない手は無いでしょう?」

 神崎は俺の方をチラッとも見ずに喫茶店から出て行った。

「…神崎…伝票を俺に押し付けて…」

 神崎は喫茶店から出て行く際に、紅茶とアイスコーヒーの伝票を俺にスッと押し付けたのだ。

 仕方無いから俺が支払った。

 後で経費として請求する為に、領収書はちゃんと戴いた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 俺の相棒が手当たり次第に亡者を鷲掴みにし、口に運ぶ。

――アアァアア…

 亡者が苦悶の表情を浮かべながらも羅刹に喰われていった。

 ボリッボリッボリッボリッ!!ゴリ!!

――ギャャアァア―――!!

「ひいっ!ひっ!ひっ!」

 支配人と従業員は股間を湿らせてへたり込んでいた。

「ビビる事はねぇ。羅刹が喰うのは、俺が命令した者だけだ」

 とは言え、常人ならば見ただけで気が狂わんばかりに恐怖に慄く事だろう。

 亡者を喰う鬼の姿なんか地獄でしか見られないのだからな。

「現世でこんな光景が見られるなんて、アンタ等ツイてるぜ」

 皮肉や悪ふざけで言っている訳じゃない。本気でそう思う。

 くたばってから見る、もしくは、くたばってから身に起こるであろう光景を、生前に見られるなんて、普通に生きていちゃ叶わない事だからな。

 ボイラー室の壁から出て来た亡者の殆どを羅刹が喰い尽くした。

「霊道を埋める事は俺には出来ないが、まぁ、喰い続けていたら、海神が報復に来るだろう」

 その時海神も喰えばいいだけだと、俺は羅刹と不敵に笑った。

 次はボイラー室と同じくらいに亡者が横行している四階だ。

 地下や四階に限らず、このホテルには亡者が横行しているが、ボイラー室と四階が特に酷い。その分、餌には困らないのだが。

 支配人と従業員はギャーギャーうるせぇから、引っ込んで貰った。

 ボイラー室の羅刹を見た後だ。俺の力はもう承知しただろう。

 羅刹は四階の亡者共を片っ端から捕らえ、喰っている。

「何故四階なんだろうな?やはりアレか?」

 四階廊下の階段から見える小さい山…あそこに神社が見える。

 亡者共はあそこに辿り着きたいのか?

 しかし、道標が無くなった今、このホテルに留まっている。留まるしかなくなっている。

 本来成仏していた筈の亡者は、このホテルから出られないが故に悪霊と化してしまったようだな。

 現に北嶋を湯船に引っ張り込もうとしていやがったしな。

「北嶋…やはり聞いた事があるような…」

 あの羅刹にも気が付かない鈍さ…亡者に集られながらも全く解っていないような愚鈍な奴だが、北嶋 勇の名はどこかで聞いた事がある。それもここ最近…

 軽く頭を振り、考えを消した。

 北嶋が何であれ、俺には関係無い。

 向かって来たのなら迎え討つだけだ。俺と羅刹は、今までもそうして来たのだから。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 日差しが眩しい。

 波に光が反射し、それが幻想的な時を作っているようだ。

 後はこんなに海水浴客がなければもっといいのに。

 私は水着に着替え、借りて来たパラソルと椅子を持ち、浜辺を歩いている。

 なるべくゆっくりしたいので、人が居なさそうな場所を探す為に歩いた。

 その時私の視界に飛び込んで来た一人の男の人…

「北嶋さん?」

 北嶋さんも水着に着替え、腕を組み、仁王立ちになりながら海を眺めている。

「へぇ~…てっきり女の子を追っかけ回しているかと…って!!」

 北嶋さんの視線の先には、超際どい…もう水着とすら言えない、紐みたいなビキニを来た女の子達が、膝まで海に浸かりながらキャッキャはしゃいでいた。

「別に構わないんだけど、何かムカつくわ…」

 北嶋さんの背後に立ち、北嶋さんを呼んだ。

「北嶋さん、何ボケーッとしてんの?」

 私の声にビクッと反応し、ジャンプして私の方を見た北嶋さん。

 鼻の下をかなり伸ばしながらも、目だけは瞳孔が開いたようになっていた。

「か、神崎か」

 際どい紐ビキニに反応しているのか、多少前屈みとなっている。ある意味健全だ。後は場所さえ選んでくれたらなぁ。

「暇ならこれ持ってくれない?」

 そう言って北嶋さんに椅子を預けた。

「え?ちょ、ちょっとだけ待て!!」

「ん?」

「あそこのネーチャンのビキニがさっき外れたんだ!!また外れるかもしれん!!その決定的瞬間を見逃したくは無いんだ!!」

 ああ、成程ね。要は露わになった胸が見たいのか。

「そんな真似は許しません!!早く椅子持つ!!」

 そんな暇な行為を、仮にも私の上司に許す事は出来ない。

「ちょっと待てと言っているだ…ぎゃあ!!」

 グダグダ言っている北嶋さんにビーチパラソルをグサッと脇腹に突き刺した。

「恥ずかしいって言ってんのよ!早く椅子持って付いて来る!」

 北嶋さんは脇腹を押さえながら、フラフラと椅子を持った。

「神崎、俺はお前の奴隷じゃないんだぞ」

「一応私の上司でしょ?上がそんなのじゃ、恥ずかしいって言ってんの!!」

 北嶋さんはブツブツ文句を言いながらも私の後を付いて来た。椅子を引き摺りながら。

 砂浜を程なく歩いていく。

 大分人影が無くなったと思ったその時だった。

 ゾクッ

 背筋が寒くなり、全身に鳥肌が立つ。

 思わず辺りを見回す。

「あのホテル…」

 視界にあのホテルが微かに見える。

「あんなに離れてるのに…」

 あのホテルからかなり離れているこの浜辺で強い霊気…邪気を感じる。

 海神の加護も全く感じない。

 悪意、憎悪、怒り、悲しみ…負の感情が蔓延しているようだ。

「あれ?こんな所でも泳いでいる奴がいるのか。案外人は来ているみたいだな」

 慌てて海の方向を見た。

 小学生くらいの子どもが沖に向かって泳いでいた。

「親御さんは?不味いわ!」

 子どもの周りに悪意が集まって来ている!!

「親はあの肉焼いている奴等じゃねぇか?って、おい神崎!?」

 気が付いたら海へ向かって駆け出していた。

 そのまま海に飛び込む。

「おい!?いきなり何を!?」

 北嶋さんが説明を求めるよう、叫んでいたが、最早それどころではない。

 子どもの真正面に無数の腕が海から出て手招きしているのが視えたのだから。

「ま、待って」

 子どもは男の子。男の子は私の気配に気が付いたのか、泳ぐのをやめて私の方を振り向く。

 男の子と私は目が合った。男の子と5メートルまで接近していた。男の子はキョトンとして、まだ私を見ている。

「あ!!」

 男の子の背後から腕が出て来て、その頭を掴む!!

「来なさい!!早く!!」

 男の子は不審者を見るような目で私をジッと見ていた。

 ズッ

 男の子の姿が消えた!!頭を海中に押し付けられた。引っ張られたのか!!

「この!!」

 私は海中に潜った。

 亡霊が男の子に抱き付いていた。

 ゴボゴボゴボゴボ

 男の子は口から空気を吐き出し、もがき、暴れていた。

 私は男の子の腕を取る。すると抱き付いている亡霊が私を恐ろしい顔で睨んで来た。

 構わずに引き上げようとしだが、男の子の身体はピクリとも動かない。

 抱き付いている亡霊の他に男の子の足を引っ張っている亡霊が目に入る。

 こいつか!!

 構わず男の子を引き上げようとする。

 ガクッ

 背中が一気に重くなり脚の自由が奪われる感覚。

 男の子に纏わり付いている亡霊の他に、私を海中に引き摺り込もうとしている亡霊がいる!!

 もがいたが、身体がどんどん硬直し、重くなってくる。

 足元を見ると、かなりの数の亡霊が私と男の子に纏わり付いていた。

 ヤバい!息が切れて来た!

 苦しい…

 ガボッ…

 思わず息を吐いてしまった。

 薄目を開けたら、亡霊達が笑いながら私と男の子を見ていた。

 既に男の子の動きは止まっていた。

 今ならまだ間に合う…けど…

 私もとうとう限界になる…

 意識が遠退く刹那。

 私と男の子が無理やり亡霊達から引き剥がされた。

 誰かが私達を海中から抱き上げて救出してくれたのだ。

 亡霊達は怒気を孕んだ目で私と男の子を見ていたが、私と男の子はそのまま海面に顔を出し、呼吸をする事に成功した。

「ゲホッ!!ゲホッ!!」

「大丈夫か神崎?」

 私達を海の底から助けてくれたのは、やはり北嶋さんだった。

 いつもならエッチに感じる北嶋さんの腕が、こんなに逞しく、頼もしく思う。

「き、北嶋さん…ありがと…」

 安心して北嶋さんに身を寄せる。

「ケホッ!ケホッ!」

 男の子も何とか無事のようだ。

「もう大丈夫よ。岸まで戻ろうね」

 北嶋さんは私達を抱きながら岸目掛けて泳いだ。

「うわあ~!お姉ちゃん怖かったよ~!」

 助かった安堵感からか、男の子は私にしがみつき、泣き出す。

「もう大丈夫だから、ね?」

 ぎゅうぎゅうに抱き付かれながらも、私はそっと男の子を抱いた。

「おいガキ!そのおっぱいは俺のだ!あんまり顔を埋めるな!!」

 私の腰を抱き、泳ぎながら北嶋さんが男の子に凄んだ。

「まだ子どもでしょ!ってか、俺のって何よ?」

 窘めている最中、男の子は本気で泣き出し、私に身体を密着させた。

「だあああ!!俺のだって言っているだろガキ!!くっ付くな!おっぱいに顔を埋めるな!放り出すぞガキ!!」

 小学生相手に大人気ない事を平気で言う。

「放り出すって…どんだけ子供よ!?」

「子供だろうが何だろうが、他人の物に執拗になるのはだな!!」

「うわあああ~お姉ちゃんんん~!!」

 私は男の子と北嶋さんを岸に付くまで懸命に宥めた。

 大きい子共と小さい子共を一緒にあやしているような気分になって、グッタリしてしまった。

 やがて岸に辿り着いた私達。

「おかぁさあんんん~!」

 男の子は母親の元に駆け出した。母親は涙を流して男の子を抱き止める。

「おいガキ、かぁちゃんに甘えるのも結構だが、俺に礼の一つも無いのか?」

「きっ!北嶋さん!」

 私は慌てて北嶋さんの手を引っ張り、その場から離れようとする。

「ガキが礼の一つも言えないなら親が言うべきだろ!!かぁちゃんもとぉちゃんも全くなってないな!!」

「北嶋さん!!いいからっ!!」

 北嶋さんにそれ以上言わせないよう、速やかにその場から撤収した。

 パラソルと椅子を持ち、先程の男の子の姿が見えなくなるまで離れる。

「北嶋さん!なんて小さい事言うのっ!北嶋さんはもっと大きい人だと思っていたわっ!!」

 まさかお礼を言わないだけで、たった今我が子の命が失われようとした親御さんに食って罹るとは思わなかった。

 北嶋さんはキッと私を睨み付けながら言う。

「あのガキは俺のおっぱいに顔を埋めたんだぞ!!」

 その発言に、私はある疑念が浮かんだ。

 だが、まさか、流石にそれは無いだろう。

 と、思いながらも、恐る恐る聞いてみた。

「まさか…あんな子共に妬いちゃったの?」

「ガキだろうと何だろうと、俺のおっぱいだっっっ!!」

 この人本気で怒っている。

 私の疑念は当たってしまった。

 北嶋さんは小学生の男の子に本気でヤキモチを妬いたのだ。

「き、北嶋さん…あのね…まぁ、いいわ…」

 宥めるのも馬鹿らしくなった。

 何かドッと疲れが来た。

「と、取り敢えずホテルで少し休みましょう…」

 私はパラソルを引き摺って、ホテルへ戻る。

 北嶋さんは何かイライラしながら、椅子を振り回して後に付いて来た…



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