第16話―はじめての告白


 その後の手続きは驚くほどスピーディーだった。


 黒髪の青年は申し込み用紙に本名や住所を書かせた後、それとは別に「えりか」と書かれた用紙を持ってきたのだ。


「今日からこれがあんたのプロフィールな。頭に入れて置いてくれ。えっと、「麗しき女神亭」が近いんだな、じゃああっちで待機。今掲示板の内容を考えるからな……うん、これでいい」


 彼がさらさらと書いた紙には


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タイトル「今夜9時に一緒に飲みに行きましょう?」

ニックネーム「えりか」

20代前・3月・人間・女・74区

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 と書かれていた。続く本文も、私では思いもつかないような文面だった。


 他人に媚びるような、たかるような……。


 全てがデタラメだった。


 それを一切の淀みなく一瞬で書き上げてしまうこの青年が怖かった。


「ま、うちはウリを強要しないから、会ってみて合わない相手なら飯だけ奢ってもらって帰りゃ良いさ。そん時は襲われないように、人通りの多い所を歩くんだぜ?」


「え?」


「ははは、凄いだろ、闇ギルドの連中とは大違いだよ。あいつらが連れてくる男共は弩級の変態ばっかりだからね。それが、ここでは相手が気にくわなきゃやめていいってんだから凄い」


「ただし嘘はダメだぜ? やってないとか金を受け取れなかったとかな。別に売春は犯罪じゃねぇんだ。トラブルが起きたらすぐにギルドに出動してもらう。精々稼いでくると良い」


「……はい」


「んでこっちが届いたメールへの返信の文面だ。名前の所はちゃんと差し替えろよ。こっちがお断りの文面で、こっちが待ち合わせの文面だ」


 ささっと青年が2枚のサンプルを書き上げる。どれだけ手慣れているというのだろう。


「聖人像は知ってるか? ……OKだ。あのあたりだと、ここと、ここと、ここが連れ込み宿だ。他の宿には入るなよ。トラブルが報告されてる」


 彼は妙に詳細な74区画の地図を取り出すと、聖人像周辺の建物を指さす。指示された建物は、わざわざ赤の染料で色分けされていて、横に「綺麗、安い、店員口堅い」などとメモ書きされていた。


 この男性はどれだけメモが好きなのだろう。

「場所、わかる?」


「だ、大丈夫だと……思います」


「了解。じゃあせいぜい稼いできな」


 こうして、エリーゼはえりかとして、娼婦となった。


 ……そのはずだった。


 彼女は、最初の客が、あまりにも優しくて、二度と別の男に抱かれる自信が無くなってしまったのだ。


 エリーゼは娼婦になれなかったのだ。


「どうして……どうしてあんなに……優しくしてくれたんですか……」


 いっそ乱暴に、人生を諦めさせてくれたら……。


 彼女は泣いた。家に帰って涙が涸れ果てるまで泣き続けた。


 ■


 少し冷たい風が流れた。


 春とはいえ、日が落ちると気温は一気に下がる。空が茜に染まるのに合わせて冷気が身体に上ってきた。


 全てを聞いたマッシュは無言だった。


 意を決して、言葉を掛けようと、息をのんだタイミングで、先に彼女が言葉を吐いた。


「帰ってください。お願いですから……」


 彼女の頬に流れる涙に、夕日が赤く輝いていた。儚くも美しい光景だった。まさに名画の女神だった。


「俺は……」


「帰って……お願い! 帰って!」


 エリーゼは全てを否定するように高い声をマッシュに打ち付けた。


 それは心に届く打撃だった。マッシュは何も言えなくなった。


 マッシュは無言で彼女に背を向けようと、足に力を入れた。


「こんばんはー、郵便・・ですー」


 唐突に場の空気をぶち壊す声に全てを邪魔された。


「えっと、エリーゼさんですね、メール・・・をお届けにあがりました」


 郵便という聞き慣れない名前・・の少年がチラリとマッシュを見た。


「……構いません、ください」


「はい、こちらになります。えっと封筒はどうします? 後日窓口に来るなら……」


「持って帰ってください」


「わかりました」


 少年は封筒の中身を渡すと「それじゃ!」と言ってどこかへ走り去ってしまった。


「「……」」


 なんとなくハシゴを外された感じだった。


 マッシュは小さく「それじゃ」とだけ呟いて、ようやく彼女に背を向けた。


 だから彼には見えなかった。エリーゼが手紙を開いて、涙を溢れさせたのを。


 彼女が口を押さえて嗚咽を我慢しているのを。


 彼女の頬に赤身が差し、震える指。


 エリーゼは走り出していた。本人でも気づかないうちに。


 そして、エリーゼはマッシュの背中に抱きついた。力強く。


「……え?」


 マッシュは振り返ることが出来なかった。もし振り向いたら、この感触が消えてしまうような気がして。


「本当ですか……本当なんですか? ここに書いてあること……マッシュさんの……本心なんですか?」


「書いて……何が……あっ!」


 昨日書いたばかりのメール。信じられないことに翌日の今日にはもう届けられたのだ。信じられないスピードだった。


 だがマッシュが驚くのはそこでは無い。彼が書いたこと。手紙に込めた想い。それは全て真実だったから。


「もちろんです、嘘偽り無く……だから私はこう言えます」


 マッシュ無理矢理振り向いて、エリーゼの両肩を掴んだ。


 鼻がくっつきそうなほどの距離で。


「結婚してください。幸せにします」


 エリーゼはぼろぼろと涙をこぼしながら、力強く肯いた。




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 マッシュです。


 私は貴方にどうしても伝えたい思いがあって、

この手紙を出します。


 今から告白することは、きっと貴女に取っては

馬鹿らしく信じられない言葉だと思う。


 それでも……それでも伝えたい。


 この胸の奥から沸き上がる思いを!


 ……。


 好きです。


 たった一晩、お会いしただけですが、たった一

度だけ肌を重ねただけですが、私は千の言葉を、

万のふれあいをしたように感じています。


 今も貴女の温もりが消えません。忘れられませ

ん。


 きっとこのように書けば、身体だけが目当ての

卑しい男だと思うでしょう。


 それは否定しません。私は男です。


 ですが、それ以上に、貴女に会いたいのです。


 心が貴女を求めているのです!


 貴女の声を聞きたい、過去を、未来を、夢を語

り合いたい。


 触れたい、抱きしめ合いたい。


 私の心はたった一晩で貴女を失った虚無感に充

ち満ちています。


 この手紙が届くことを信じて、私は伝えます。


 何度でも。


 返事があるまで、この言葉を贈り続けます。


 好きです。


 愛しています。


              貴女の虜マッシュ

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