ナイフ・エッジカレス

@bekobeko1212

第1話闇を撫でる爪

 季節は夏の中旬を迎えた頃である。

 快晴と呼ぶに相応しい空に入道雲が湧き上がり、気温はどんどん上昇していた。暫くはこのような日々が続くだろう。

 その快晴の下では一台の輸送車が轟音を鳴らしながら荒れたアスファルトの道を走っていた。ギラギラと輝く太陽が車内を照らす。

 周辺には枯れた木や廃屋が所々にあり、退廃的な風景が続いている。

 助手席からチトセはそれらを眺めていた。戦時中に生まれた彼女にとってこれらの風景は何てことのない当たり前の日常のひとつである。そんな見飽きた光景に彼女は退屈していた。

 運転手であるクロウは無表情のまま、ただひたすらに前を向いている。

「まだ、着かないんですか?」

 車内のクーラー音にのせてチトセは落ち着かぬ素振りで尋ねる。

「一時間ってところだな」

 クロウはチトセを一瞥することなく前を向いたまま小さく応えた。

 何とも素っ気ない。チトセのため息が漏れる。

 だが、これはいつものことであり、彼自身に悪気があるわけでは無い。

 生まれながら愛想がまったくと言っていいほど無いだけなのだ。

 もちろん、千歳もその事は重々承知しているためか、特に気にする様子はない。

「つい一時間前にもおんなじこと言ってましたよね」

 一つ文句があるとすれば、彼が全くもって話に関心がないという事だけであろう。

 車の振動が、二人をを揺らしている。

 チトセは気だるそうに上着のポケットから古びた革張りのメモ帳とペンを取り出す。

「クロウさんは相変わらず人の話を聞かないっと……」

 今の現状を事細かく白紙のページに書き込み始める。

 これは彼女の日課のようなものである。日々のあれこれを手記として記録している。

 分厚い紙の束にいくつもの付箋が添えられている。かれこれ五年。彼女が過ごしてきた今までの全てがそこには詰まっている。それは今回の仕事も例外ではなかった。

 仕事内容は簡単に言ってしまえば単独輸送である。

 本来ならばこのような仕事は彼女ら、より具体的に言えば、ハンドルを握っている彼の仕事ではない。今回は本当に特例のようなものであった。

 内容はいたってシンプル。世界最大級の民間軍事企業「風見重工」からある品を、この先にある大軍事国家サーマシバルの四大都ウォータービレイに運ぶ。もちろん、それは本来であればたった一台の輸送車で運ぶようなものではない。それは複数の護衛がつくのが当たり前の内容のものだ。それを必要としない理由は語るまでもなく、秘密裏に行わなければならないものであるからに他ならない。それ故の単独運搬なのであり、搭乗する二人もまたそれを自覚していた。

『ウォータービレイ』は通称、水の都と呼ばれており、街全体に人工河川が張り巡らされている。その街並みはとても美しい。ガラス細工などの美術工芸品が有名で世界五大観光名所に名を連ねている。それと同時にサーマシバル軍の重要拠点の一つでもある。

 チトセは生まれて一度も『ウォータービレイ』に行った事がなかった。

 彼女が今回の退屈な旅路に付き合うのも、全ては先に待ち受ける美しい町並みを目に焼き付けたいがためのものであった。

 チトセは年頃の女の子らしい無邪気な表情を浮かべる。

「早く着かないかなあ……」

「一時間ってとこだろうな」

 チトセの言葉に被せるようにクロウは静かに言う。

 先から、これの繰り返しである。

 両者とも不快とは感じていない。子犬との戯れのようなものだ。

 柔らかい空気。強い陽射し。退屈でゆったりと時間が流れていくのを肌で感じる。

 心だけが置いてけぼり。チトセの気分は外とは真逆の冬の長夜であった。

「予定時間を超えそうだな」

 それはさも自然に、滑るように出てきた言葉だった。

 チトセがその言葉を理解する間もなく、突如としてクロウはブレーキを踏み、車体を止める。長夜のカーテンは強制的に開かれていく。

 甲高い音を立てながら車体に衝撃が走る。

 急にブレーキをかけたせいかチトセの体が一瞬、前のめりに崩れた。

「どうしたんですか!?」

 チトセは何が起こったのか理解出来ていなかった。

 慌ててクロウの顔を見ながら尋ねる、

 だがクロウはその問いに何も答えず、無言のままシートベルトを外す。

「中で待っていろ」と冷たく一言告げると車外に出ていってしまう。

 照りつける真夏日が容赦なく彼を襲う。

 後方から何かが、かなりのスピード迫ってきていた。

 黒塗りのバイクだ。四台。小さな嵐のように砂塵を巻き上げている。

 遠目からでもバイクの運転手達は皆、鳥の仮面を着けているのが分かる。

 クロウにはこの集団が一体、何なのか理解していた。

 ヤタガラス。

 彼らの特徴は、組織メンバー全員が鳥の仮面を着用していることにある。

 彼らに定まった思想などは存在しない。

 形だけは組織を成しているが、特に制約があるわけでもなく、自身がヤタガラスを名乗り、鳥の仮面を着ければそれだけでヤタガラスのメンバーとなれてしまう。あまりにもお粗末な組織と言える。

 ただし、既存する仮面は限られているため組織に入りたければ、既存のメンバーから仮面を奪い取るしかない。

 ヤタガラスの名を聞けば誰しもが恐れを抱き、蹂躙を受け入れてしまう。

 だからこそ腕の立つ悪漢はヤタガラスの名を欲し、仮面を奪い合う。

 そうなれば自然と強者のみが残る。

 実に理にかなったシステムである。

 彼らの目的はただ一つ。

 カラスのように盗み、街を食い荒らす。

 ただそれだけだ。

 五年前に集結した十年戦争。それにより疲弊し切った世界において、ヤタガラスは徐々にその勢力を伸ばし、今や世界二大勢力であるサーマシバルと赤色教団ですら手を焼く存在となりつつあった。

 クロウは迫り来るヤタガラスを漆黒の瞳で捉えながら、腰のホルスターから二丁の銃を取り出した。目の前の敵を消す。それに集中しようも、彼の中で不定形であやふやとしたものが心に引っかかっていた。それは解せないという感情。しかし、彼はすぐに思考を止めた。

 ここで考えても仕方のない話だ。その瞬間、彼の機能の全てが敵を排除するためだけに使われた。左手に神経を研ぎ澄ます。握られた銃は、黒光りしたシンプルな形をしており、明らかに対人用としては大きすぎる銃だった。

 一方、右手の銃は対照的で全体が白く、銃の砲身は刃になっており恐ろしい輝きを放っている。まずは一人。クロウは躊躇なく左の黒い銃をヤタガラスの一人に目掛けて放った。

 グリップを握っていた手が反動で微動する。

 放たれた銃弾は火花を散らし轟音を響かせていく。それは有無を言わさない暴力だった。

 高速で接近していたヤタガラスの一人は、その銃弾を避けることが出来ずに頭を吹き飛ばされる。刹那、火薬の甘い匂いがクロウを包み込む。次の標的。思考する。引き金を引く。

 散開しようとする前方のバイクに直撃し、爆ぜる。死体は残らない。

 クロウはただ「ヤタガラスである」という理由だけで刹那のうちに二人殺した。

 それに何の疑問も抱くことはなかった。

 続けて『黒』を放つ。

 銃弾はまた一人のヤタガラスを捉え、今度はバイクごと吹き飛んでいく。

 吹き飛ぶと言うより肉片になるの方が正しい。

 爆風に巻き込まれ、残りの一人はバイクから振り落とされ、怪我を負う。

 足があらぬ方向折れ、悲痛な叫びが退廃した世界にこだましていく。

 クロウは黒をホルスターにしまい、もがくカラスに近づく。

 左の『白』の刃が太陽の光に反射する。

 それから数秒もしないうちに、悲痛な叫びはピタリと止む。

 クロウの握っている『白』の刃は鮮血に染まり、地面に滴り落ちていく。

 黒い髪と頬には血がこびりついている。酷い臭いが染み付く。恐怖と腐敗した汚物の臭いだ。彼はそれを何でもないかのように拭う。その間、彼の顔は全くの無表情であった。

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