第3話 エデンの谷 1
どんなに綺麗な楽園にも影は差す。光があれば当然光を浴びない部分がある。それは何処にいても変わることのない普遍的な事実だ。学校のような場所ではそれが顕著に表れるだろう。注目を浴びるような容姿や能力の者がいて、逆に誰の目にも留まらないような能力しか持たずに生まれ、周りから空気とみられる者もいる。誰もが将来輝けるように育成されるはずの機関でそれがみられるとは悲劇以外の何者でもない。
そんな谷に落ちた人はどう生きて行けばいいのだろうか。どんなアドバイスをしたところでそれは谷に落ちたことのない無責任な者の吐く言葉だ。谷に落ちた者の孤独は同じく谷に落ちた者にしかわからない。それ以外の者は確かにあるその谷を見て見ぬふりをしているだけなのだから。
体育館は、妙な熱気に包まれている。誰もが文化祭の準備を終え、疲れも溜まっているはずだ。どうしてこんなにも元気でいられるのだろうか。
つい先ほどまでクラスPRを完成させるために色々と手を尽くしていた僕はすでに疲労困憊だ。本当ならもう家に帰って寝たいというのが正直なところである。でも、アドレナリンというのが出ているのだろうか。疲れている体とは裏腹に頭は元気だ。結局僕も文化祭という熱に浮かされた患者の一人のようだ。
フッと体育館内の明かりが落ちる。照らされるのはステージ中央に置かれたスタンドマイク。そこへ一人の生徒が登壇してくる。先ほどまでのざわめきは消え、誰もが固唾を飲んでその様子を見守っている。
「これより、第21回文化祭前夜祭を始めます!」
高らかにその男子生徒は宣言した。体育館は一気に歓声に包まれた。すぐに司会の手によって鎮められたが。
そこからはトントン拍子のように実行委員長の言葉、生徒会長の言葉、校長先生の言葉が、右耳から入って左耳から抜けていった。そして、あっという間にクラスPRの時間となった。
クラスPRは、一年生から順番に一クラス5分の持ち時間で行われる。どのクラスもが、それぞれの部門で一位を目指すと同時にPR大賞を目指し、様々な紹介の仕方をする。舞台をやるクラスだったら冒頭部分を演じて見たり、特に関係もなく寸劇を演じたり、ダンスを始めて見たりとなかなか面白みがある。一年生のカレー屋をやるクラスではなぜか流行りのアイドルアニメのモノマネをしたりとクラスPRになっているのか半ばよくわからないものまである。
そして、とうとう僕ら2年3組の順番が回って来た。
我ながらよくできた内容のものだと思う。とは絶対に言わない。はっきり言って三文芝居だ。
街で人気の椚料理店の息子監修と謳い、誰にでも優しい料理を提供しますというシンプルなメッセージをミュージカル調に歌とダンスを織り交ぜお送りするというものだ。
時間のない中で考えるのだから変に凝ったものよりも簡単でわかりやすいものの方がいい。出演するみんなも自分たちの作業の傍よく練習してくれたと思う。だが、考えるのに2日練習に2日合わせたのはこの2日の昼休みと本番直前のみ。まさにギリギリである。
僕は、ハラハラとしながらステージを見つめる。いや、僕が悪いのであるが、彼らはよく練習してくれた。せめて報われるようにアクシデントなしで終わってもらいたい。
「続いては2年3組です!タイトルは『小喫茶ニノさん』」
司会者が、高らかに告げた。それと同時に幕が上がっていった。
僕の心配は、杞憂に終わった。みんなそつがなく丁寧にしっかりと演じてくれた。目立つような失敗もなく、僕としては満足だ。
ステージ裏へと向かい、みんなと喜びを分かち合う。みんなやりきった様子でもう文化祭は終わったと抜かす奴までいた。
そのまま何事もなく終われば、それでよかったのに僕の波乱はここからだった。
2年生のクラスのPRも終り3年生に移った最初のクラスで事件というほどでもないが、衝撃的なことが起こった。
「続いて、3年生に移ります。まずは1組。タイトルは『恐怖のなんたるぞや』」
タイトルからああ、先輩がつけたんだなとすぐにわかった。
そう呆れられてもいなかった。ステージの明かりは落ち、幕も一人分のスペースを残して閉じた。その一人分のスペースに日本ながらなお化け装束の女性が立つ。髪は長く、白い死装束に身を包んだ女生徒が。そして、口を開いた。
「恐怖とは?人によって怖がるものは違う。でも、一つだけ断言できる。人間は得体の知れない者に恐怖の感情を感じる。自分の頭で認識できないことに、恐怖を感じる。たかが文化祭のお化け屋敷なんて怖くない?本当にそう思っているのかい?もし、そう思っているのならこの言葉を送ろうじゃないか。『お化け屋敷には本物が集まりやすいんだよ』とね」
青白いLED電球の懐中電灯で顔を下から照らすという子供騙しのような格好でその生徒は語った。低い声でスラスラと。それだけで、僕の全身の鳥肌を立たせるには充分だった。顔から血の気がなくなっていくのがわかった。
恐怖に怯える僕をよそにPRは続いていく。
「本当の恐怖。その一部を今ここでお見せしましょう。もし気に入ったのなら続きを私のクラスまで見に来てください、ね?」
そういい終わり、ケラケラ笑い始めた。それと同時に幕が開いて行く。何が始まるのだと誰もが注目していた。
そして、始まったのは五人の女性お化けによるダンスショーだった。お化けたちが、流行りのアイドルソングの踊りを踊っているのだ。誰もが呆気にとられていた。僕もさっきまでの恐怖は何処かに行き、ポカンと口を開けて見てしまった。
衝撃的なクラスPRのあと、衝撃のあまり誰もがそれ以降のクラスPRを聞いていなかっただろう。頭が追いついてこなかったのだ。
そんな半ば放心の状態で僕は、舞台袖へと向かった。
「遅いじゃないか後輩くん」
お化けの装束に身を包んだ先輩が顔を膨らませ、立っていた。
「あ、すみません」
まだ心が何処かに行って帰ってこない僕は、空返事で答えた。
「君まで私のクラスPRに魅せられてしまったのかい?しっかりしたまえ〜」
そう言いながら目の前で手をパチンと叩かれ目が覚めた。
何事もなかったかのように僕は切りだした。
「それで、先輩。僕は何をすればいいんですか?」
クラスPRが終われば次は部活動のPRだ。先輩が何をどうしたのだかわからないのだが、僕ら文芸部はまさかのトップバッターだった。
「なに、カンペを用意して来たその通りに呼んでくれればそれでいいんだよ。きちんと指定通りの給仕係、もとい執事服で来てくれてよかったよ」
クラス発表で使う衣装で来てくれというのが先輩の指定だった。トップバッターで目立つということもあり、クラスの収益繋がると考えた僕には、断る理由なんてどこにもなかった。
そうこうしている間に順番が回って来た。司会者のアナウンスに続いてステージに上がった。
ステージから見る生徒たちの席は暗く、人がいるのがわかるといった感じだ。
ステージ中央に置かれたスタンドからマイクを取り、先輩が話し始める。
「はーい皆さーんこんにちわー。いや、こんばんわ?まあいいや。どうも文芸部です。活動しているのかどうかわからないと言われる我らが文芸部も出し物を出しちゃいます」
そういうと、先輩はマイクとカンペを渡して来た。始まる前にどういう順序が聞いておけばよかったと後悔してもなにも始まらない。カンペをたどたどしくだが読み上げた。
「えーっと、ありとあらゆる本であなたの悩みは解決できるでしょう。悩みは他人に話して仕舞えば楽になると何処かで聞いたこともあります。というわけでお悩み相談室やっちゃいます。特別棟3階図書室までおいでませ」
なんとか読み終え、先輩へマイクとカンペを返す。
「とまあ、なんでも悩みがあれば相談に来てくだせぇ。とりあえず相談には乗りましょう。ちなみに開始時刻は午後の3時からね。ふたりともシフト入ってて忙しいの。良ければ私たちのクラスにも来てね。じゃ、いくよ後輩くん。せーの!」
知らない。せーのって元気よく言われたってなにをいうのか知らない。ええい。もう適当にいってしまえ。
「是非来てください!」
「ご相談お待ちしていまーす!」
結果はご覧の通りだ。見事にすれ違った。グダグダだった。勢いよく頭を下げてしまったのが馬鹿のようだ。
僕はそのまま頭を下げたまま退場した。
何はともあれ文化祭が始まった。みんなにカンパしてもらった分を取り返すため忙しい二日間となるだろう。しかし、未来は不確定。なにが起こるかわからない。あれこれと不安を感じ、思い悩んでも仕方ない。その状況下を楽しめるだけの胆力が、僕にはある。
そう心に掲げ、前夜祭は幕を閉じたのだった。
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