第2話 千年ジュリエット2
と、いつも通りにはいかなかった。
すぐに憂いを帯びたような表情になり、目を伏せる。長く伸びたまつ毛が、先輩に哀愁を感じさせている。
「ねえ、後輩くん。10年経っても100年経っても1000年経っても変わらないものってあると思う?」
普遍的という意味ではないだろう。そうであるのなら太陽が東から昇り西へと沈んでいくことは、地球がなくならない限り変わることなどない。そういうことを聞いているわけではないのだ。
「あるかもしれません。でも、僕たちにそれを確かめる方法は、ありません。寿命があり、長生きした人でも100年。伝説上ですけど、生きた人でも800年ですから、1000年なんて無理ですね。だから、現状ないんじゃないでしょうか?」
「うん。君の言うことは正しい。問いの答えとして正解を言い渡そう!そうなんだ。私たちにはどうしても寿命がつきまとう。私たちの持つ時間は有限なんだ。その中で有意義に過ごさなければならない。けれど、それは自分に楽しいことだけをするという意味の有意義であってはいけない。嫌なことや苦しいことを乗り越えて、それを含めて有意義であると楽しかったと言える。そんな人生であるのが好ましい」
「でも、それを確実に実践できているような人はそうそういない。生きていく上ではどうしようもないくらいの壁にぶつかったりすると人は、進むことを諦めてしまう。そんなに人は強くはないんですから」
思い通りの、描いた通りの人生を歩んでいる人など稀だ。先輩の言う本当の意味での有意義な時間というのは、それこそ物語の中でしか見ることができない。だって、それが本当に大切なことだなんて自覚して生きている人間が少ないのだから。
「さて、何故こんな感じで本の説明を始めたかというと、それを確認させるような小説だからだよ。この本が」
話しながらいつもの席へと着席した僕の前に先輩が、一冊の本を差し出す。表紙にはサックスを首からぶら下げた短髪の青年が描かれている。そしてタイトルは、『千年ジュリエット』。
「この本は、初野晴先生が手がける静岡県立清水南高校吹奏楽部を舞台に広げられる青春ミステリ小説。今年の3月にはアニメ化もされ、来年の1月には実写映画の上映が決定している。これはそれの第4巻だ。現在、文芸書サイズだと5巻まで刊行されているが、私は文庫本派でね。まだ4巻までしか持っていないんだよね」
先輩も話しながらいつもの席、僕の向かい側の席に座る。
「主人公は、穂村千夏ちゃん。探偵役はチカちゃんの幼馴染の上条春太くん。千夏ちゃんは、中学の時はバレー部で高校から吹奏楽部に入部し、フルートを演奏している。春太くんは、ホルン奏者で、女子も顔負けの美しい顔をしているという設定だ。二人が、日々奔走しながら吹奏楽の甲子園普門館を目指すというのが、物語の大筋のコンセプトだ」
「まあ、フィクションならではの設定ですね。それで色々な謎を解いていくと」
「まあ、そんな感じだ。でも、謎と言っても殺人事件とか強盗事件だとかそんな大層なものじゃないよ。そんなにホイホイ事件に遭遇するのは、どこかの眼鏡をかけた小学生だけで十分だよ」
確かに普門館を目指すような高校生が、殺人事件にしょっちゅう遭遇してたら気が狂いそうだ。ミステリーと言われるとつい、そういう事件というのに囚われがちだ。
「彼らは、人の心の謎を解く。一番解いて欲しくない、心の奥にすっと沈めておきたいようなことを」
「…」
「どうしたんだい?そんな何か言いたげな顔をして」
「それって、ただの嫌なやつじゃないんですか?」
僕は、率直な感想を述べた。隠し事を暴くのが探偵の仕事で下世話なことは重々承知している。だから、高校生でそれをやってしまえばただの嫌なやつになってしまうのは目に見える話だ。
僕の正直な気持ちを伝えると先輩は優しく微笑んだ。
「確かに隠し事を暴かれると不愉快な気持ちになる人は多いだろう。かと言って主人公たちがフィクションだから許されるとかそんなご都合主義ではないよ。シリーズ内の基本的には相談事が舞い込んで解決するという流れなんだけど、その相談を解決するために隠していることを当ててしまう。その上で解決する。そこがわかって初めて真相が見えてくるから。だから、春太たちは恨まれずに感謝を受ける。その真相には、謎の原因となった人の優しさがあるから。悪意なんて微塵も存在しない人の真の姿を見つけるから」
爽やかさ。ミステリーには、なかなかないものだ。ミステリの基本と言ったら人の恨みや怨嗟が絡み絡まって事件が起こる。そのようなものだ。優しさゆえに発する謎も事件も描かれにくい。きっと、美しい話なのだろうな。これは。
「さてと、本題に入ろうか」
一度言葉を切り、『千年ジュリエット』について語り始めた。
「この本は、『イントロダクション』に始まり、『エデンの谷』、『失踪ヘビーロッカー』、『決闘戯曲』そして、『千年ジュリエット』の4つの短編から成っている。時季的には、千夏たちの高校2年の秋。どれも文化祭にまつわる話だ。どれもいい話なんだけれど、今回はこの『千年ジュリエット』について話そうか」
僕は黙って先輩の言葉に耳を傾ける。先輩の勧める物語はどれも面白いのだが、今回はとびきり面白そうだからだ。
「始まりは、5人の女性入院患者がひとつの部屋に集まって話している場面から始まる。その5人の誰もがもう既に末期の患者である。そんな5人が、『ジュリエットの秘書』を名乗り、インターネットで恋愛相談に乗るというのが最初の流れだ。その5人のうちのひとり、トモちゃんと呼ばれる女の子がこの話の語り手だ。恋愛相談に乗る5人と並行して、いや、時間的にはその恋愛相談より後なのだが千夏たちの学校の文化祭に訪れるトモちゃんが描かれる。トモちゃんの初恋の人を探すために」
タイトルの華やかさとは裏腹に重い話だった。5人のジュリエットの秘書たちは、下は小学生から上は還暦越えまで様々な年代の人がいたという。5人で仲良く相談に乗っているのだが、一人、また一人とか欠けていってしまう。そして、衝撃のトモちゃんの正体。鳥肌が立たないはずがなかった。涙がこぼれないはずがなかった。考えさせられないはずがなかった。
「なんだい?後輩くん泣いているのかい?」
ニヤニヤしながら先輩がこちらを覗き込んでいる。
僕としても他人の人生でこんなにも涙が流せるものなのかと自分を疑った。心が痛かった。ただただ生を過ごしているだけの自分の心を呪った。
この世には、長生きしたくても生きられない人がいる。それは頭では理解している。しているのだが皆どこかで忘れている。当たり前を享受している。誰かのために生きるということをしない。一番は自分なのだから。そんなことを思い知らされた。
「それで、先輩のこの本のオススメの部分は、どこなんですか?」
僕は、鼻をすすりながら聞いた。
「いや、私が説明する必要はないじゃないのかな?その様子だと後輩くんは、自分で答えに行き着いたようだ」
そういうと、心から嬉しそうに先輩は笑った。
ああ、くそ。まだまだだなぁ僕も。人の力になろうと心がけてもなれないものだ。ただ、目の前のことから一つずつ相手に寄り添おうと、そう思った。これはそんな物語だった。
そして、これにまつわる話はまだ続く。
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