蛙が鳴くから帰ろう

蛙が鳴くから帰ろう

「だんご、だんごやで」

 甘味処の女将が、大きな声を張り上げる。

「もう今日は店じまいするよって、お安うしときまっさ。お武家はん、奥方様へお土産にどないだす?」

 女将が、大通りを行き交う武士や手代達に声をかける。

「今日はええわぁ。うちのヨメは団子より味醂みりんやで」

 若い武士が足を止めて、味醂をあおる真似をして、女将に笑いかける。女将も「おやまあ」と呆れながらもクスクスと笑った。


 そんな店先で……なにやら小さな手がコソコソと動く。

「右や、龍ちゃん、もっと右やで」

 よっつ、いつつくらいの小さな男の子に指図され、十か十一ほどだろうか、同い年くらいの子ども達よりははるかに大きい、赤い髪の毛をした男の子が、女将に見つからぬよう、懸命にその小さな手を右へ、右へ動かす。

 小さい方の男の子が時折、台からひょっこり顔をのぞかせては、団子や饅頭の位置を確認し、女将が振り返りそうなときには、「あかん!」と、大きい男の子の手を下げさせる。


そんなことを幾度繰り返したことだろうか。

 大きい男の子の手が、大福をしっかりと掴んだ。

「やった!」

 思わず大きな声で叫びそうになった小さい男の子に向かって、大きい方の男の子が「しっ」と、人差し指を立てる。そして、台の下で小さくうずくまると、二人で顔を合わせてにぃっと笑った。

「はんぶんずっこな」

 赤い髪の男の子が、そう言って手に持った大福を半分に割る。

「……うまそうやなあ」

 差し出された大福を嬉しそうに見つめると、黒い髪の毛の小さな男の子が、それを本当に美味しそうに口の中にほおばった。

 小さな男の子が、嬉しそうに大福をほおばる姿を見つめ……赤い髪の男の子も、口の中に半分だけになった大福をほおばる。

「うまいなあ」

「うまいなあ」

 赤い髪の男の子の口調を、小さな黒髪の男の子がまねる。


「……またあんたらか?」

 低く、鋭い声がしたかと思うと、大きい方の男の子の、夕暮れで更に赤く染まった髪の毛を掴み……甘味処の女将が、台の下に隠れていた男の子達を引きずり出した。

「あんた、おつゆさんとこの龍之介りゅうのすけやな」

 女将の問いかけに、赤い髪の毛の少年は応えない。女将は、そんな赤い髪の毛の少年の瞳を、じいっと見つめた。

「お母ちゃん、どないしたんや。最近見かけへんけど」

「……年明けからもう半年、布団から起きてこん」

 龍之介の答えを聞いた女将は、しばらく龍之介と、小さな男の子の顔を見つめた後、おもむろに店先の団子や饅頭をひっつかんで竹の皮でくるみ、龍之介の胸に押しつけた。

「それ、もうカチカチで商品うりもんにならん。持って帰り」

 女将の意外な言葉に、龍之介は驚いて自分より小柄な彼女を見下ろす。

「お母ちゃんと、この子に食べさしたり」

 女将はそう言って、なおも台の上の大福に手を伸ばす、小さな黒髪の男の子の手をバチンとはたいた。そして、茶目っ気を含めて「お父ちゃんにはわしたらあかんよ」と舌を出す。

「……おばちゃん、ありがとう」

 龍之介は嬉しそうに微笑み、小さな弟の手を取って店から立ち去る。



 龍之介が女将からもらった竹の皮の包みを開くと、そこにはカチカチなどとんでもない、出来たばかりのうまそうな饅頭が三つと、大福がふたつ。それに、母の大好きなあんだんごも添えられていた。

 龍之介は大福に手を伸ばすと、大きな方を弟に渡し、自分は心持ち小さめの方を手に取る。

「せーの!」

 龍之介の合図で、龍之介と弟が、一斉にそれぞれの大福にかじりついた。

「うまいなあ」

「うまいなあ」

 二人、顔を合わせて微笑みあうと、龍之介はまた、菓子を丁寧に竹の皮でくるむ。そして、小さな弟の手を取って、空を眺めた。

「帰ろうか、竜胆りんどう

 龍之介は弟に声をかけると、弟がこくりと頷き、龍之介が握った手を強く握りかえしてきた。

「かーえろかえるーげーこげーこー」

 大坂おおざかの町の雑踏の中、小さな弟の歌声が響く。

「かえるがなくからかーえろ」

 弟の歌に合わせて、龍之介も、小さく、小さく、そう呟いた。



 蒼かった空は、橙色に染まっている。

 夏の真昼の陽射しは龍之介の透き通るような白い肌に覿面てきめんこたえたが、陽も陰った今はその赤い髪を撫でる風が涼やかで心地よい。

「龍ちゃん、お母ちゃん待っとるから、はよ帰ろ」

 小さな弟が、龍之介の手を引っ張るように駆け出した。

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