第12話 20年後
ここは、お江戸日本橋の大黒屋。
数え40歳になった大黒屋4代目の主
娘のおりさの婿を探し始めて早二年……。
ところが近頃、おりさに恋仲の男が出来たらしい……と言う噂を、口の軽い後家の婦人方から聞いていた。そこにきてりさ本人が「結婚したい」といって連れてきたのが、この大男……
年の頃は、30には今少しというところ。18のりさとは、かなり年が離れて見える。顔の方は文句の付けようがないほどに見目麗しい、凜々しい色男。体は健康そのもので、比較的大柄な潮五郎がまだ見上げるほどに大きい。だがその表情は優柔不断そうでどことなく頼りなく、貧乏神が取り憑いたような、侘びた風情がある。
「お手前は、お武家さまでございますか?」
「左様、拙者、北町奉行所同心、お奉行様付きの御祐筆見習いを申しつかっております、岡部哲治郎と申します」
「もうすでに家督を継いでいるお武家様が、
「婿!?」
潮五郎が言う「婿」という言葉に、哲治郎が素っ頓狂な声を上げた。
「いやいやいやいや、
初めて聞いた話だと首を振って、「しからば御免」と大黒屋をあとにする。
むしゃくしゃする心を癒やそうと、立ち寄った先は北町のお奉行所。
奉行邸宅の庭に行き、庭から中に「兄上」と声をかけた。
「おう。テツジかい」
中から出てきたのは、愛しいりさと同じ顔がもう一つ。こちらは男物の紬の浴衣に身を包み、少しほろ酔い心地で哲治郎を迎え入れる。
「あら、哲治郎様。いらっしゃい」
美しい女性が、哲治郎に手をついた。
「お酒と将棋盤をご用意いたしますわね。今日は、一晩中、なお殿の面倒をみて差し上げてくださいませ」
女性に促されるままに、哲治郎はりさの顔をしたなお殿の部屋に上がり込み、なお殿に向かって両手をつく。
「りさの父親に、会って参りました」
「……ほう? で? 首尾の方は」
「いいたくありません」
哲治郎の眉間の皺をみて、なお殿が大げさに笑う。
「そりゃあ、残念だったな。まあ、何度か行ってみな。そのうち、潮五郎の気も変わるだろうよ。なんだったら、父上に頼んで、りさをお前の嫁にやるように、潮五郎に命じてやっても良いんだぞ」
「けっこうです。自分の嫁くらい、自分でなんとかします」
ぷんとそっぽを向く哲治郎を指さして、なお殿がまた、大げさに笑った。
夜通し、なお殿と飲み明かした哲治郎は、翌朝早くに酔い心地の千鳥足で我が家への帰路につく。
と。そこで、何かに転んでずっこけた。
「……なんでぃ、この大きな石は!」
転んだ石を指さして、哲治郎は大きな声で叫ぶ。
ちょうど、家を出ようと玄関の引き戸を開けた隣宅の齋藤
「あらあら、哲治郎ちゃん。そんなに飲んで……大丈夫?」
祖父がまだ存命中から知っている、隣の家の哲治郎に優しく声をかけようとするその初老の女性はふと……哲治郎の転んで土で汚れた着物に、ねっとりとした赤い何かがこびりついているのを見て、大きな悲鳴を上げた。
「……おばさん!?」
酔い心地だった哲治郎の良いが、齋藤の妻の悲鳴でいっぺんに消し飛ぶ。
「……どうした、おばさん!」
齋藤の妻を抱きかかえようとしたが、その手を、齋藤の妻は拒んだ。
「人、人、人……人殺し!!」
「え?」
「哲治郎ちゃん、あんたって子は……人、殺しちまったのかい!?」
女性の指さすその先に……。
男の遺体が、あった。
「な、なんだ! これは!!」
「なんだじゃないよ! あんたが斬り殺しちまったんだよ!」
そうして女性は、さらに哲治郎の手を……指さす。
哲治郎の手には、一振の太刀が、握りしめられていた。
「お、おばさん、違う! これ、転んだときに握ったヤツだ!」
哲治郎の話など聞くような、齋藤の妻ではない。齋藤の妻はそのまま我が家に駆け込んだ。
程なくして、夫である齋藤が出てくる。
「哲治郎! お前というヤツは!」
状況をつぶさに察知した齋藤が、哲治郎を怒鳴りつけた。
「ちがう、おじさん信じて、俺じゃない!」
「うるせえ! 引っ立ててやる、神妙にしやがれ哲治郎!」
こうして……哲治郎は、齋藤某によって、北町の奉行所に突き出された。
後日。
小石川の療養所の蘭学医、佐久間遊山が検分したところ……。
男の遺体は、相模屋の主……
完
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