第3話 花の雨

「久しぶりに昼飯行こうよ」

 そう言った俺の声は、いつもどおりだっただろうか。

「そうね」

 そう答えたあいつの声は、いつもどおりだっただろうか。

「今度の日曜、11時な。いつもの所で」

 そう言って、あいつの顔も見ずに俺は逃げた。

 返事も聞かずに、逃げた。



 もうすぐ昼。日曜の商店街は、人通りがだんだんと多くなってきている。太陽もほぼ昇りきり、色づき始めた街路樹の隙間から、暖かな日差しがふりそそがれる。

 そんな道の端で、その女性は店内から外へ、そして中へと忙しそうに動いていた。花がたくさん入ったバケツを持って出ては、人通りの邪魔にならないようにと並べている。色とりどりの花々は、日差しをあびていっそうあざやかで、道を歩く人の目を細めさせていた。


 ――陽がかげった。


 空気がひんやりとして、人々の足が、少しだけ早くなった。

 俺も少し肩をすぼめて、ジャケットの前をかきあわせようと手をあげかけ……止めた。


 ……あぁ、じろじろと見つめすぎたな。


 ふとこちらを見た彼女と、目があってしまった。

 彼女はにっこりと微笑んで、ただ、静かにおじぎをした。細い通りをはさんだ向かい側で、俺も軽く頭を下げる。

 そのまま、再び作業を始めた彼女を眺める。

 花束の一つでも、買って帰るのもいいかも知れない。約束の時間は、どうせとっくに過ぎてるのだ。今日はきっと、こない。

 そう思って、何気なく辺りを見回した。

 少し離れた電柱に、あいつが寄りかかっていた。


「――あ。あいつ、あんなところに……」


 俺が気付いたのがわかったらしく、あいつはゆっくりと、こっちに向かって歩いてくる。だが、花が満載のワゴンに視線をむけると、そのまま花屋の前で足を止めてしまった。

「おい、どうしたんだよ!」

 少し大きな声で呼びかけてみるが、あいつは花屋のワゴンを見つめたまま、動かない。

 仕方ない。俺は道を横切って走り寄った。

「お前、なにしてんだ。とっくに時間はすぎてるぞ」

「ずっと、あそこにいたわよ」

 どこか冷めた言いかた。かちんとくる。

「だったら、さっさとくればいいだろ」

 つい、口調が荒くなる。

「だって、こないと思ってたんでしょ。……そんな雰囲気だった」

 そういいながら、頑なに俺の顔を見ないあいつ。ただワゴンの中の花を見つめる横顔が冷たい。

「そりゃないだろ。こんなに遅くなったら、こないと思うだろうが」

 視界の中に、さっきの女性の姿が入る。他人の前でみっともないとは思いつつ、あいつを責める言葉が止まらなかった。

「――うそつき。だったらなぜ、今日、ここで待合わせしようって言ったのよ」

 いつもと違う、どことなく揺れた口調に、とっさに反論しようと開きかけていた口を閉じた。


 ……ひょっとして、泣いているのか?


 だが振り向いた時、あいつは笑顔だった。その両手には、ワゴンに入っていた花が抱えられていた。

 そして笑顔のまま手をのばし、俺の頭の上からその花をばさばさと、ふらせた。

 白、赤、ピンク、黄……。

 俺が名前を知らない花。甘い、スパイスのような香りが一緒にふってきた。


 あまりのことに呆然となっている間に、あいつはいなくなっていた。

「あの……、大丈夫ですか?」

 遠慮しながらの問いかけに、はたと正気にかえる。

「え、あ……はい」

 足元に散らばった花を拾いながら、花屋の女性が下から見上げていた。

 俺にあつまった視線は、もちろん彼女だけじゃない。当然ながら、まわりの注目のまとだ。

「すみません。お代、払います」

 謝りながらしゃがみ込み、花を一緒に拾い集める。

「それはいいんですけど……」

「いえ、俺の責任ですから。払います」

 彼女はありがとうございます、と軽く頭をさげてから、何か言いたげに俺をみた。

「――なにか?」

「この花。ストックって言うんですけど。これ、手近な場所においてなかったんです

よね」

 彼女はそう言いながら、ワゴンの中を指差した。確かに、からっぽになったバケツはワゴンの奥側にあった。

「どうして、その花を選んだんでしょうね?」

 言われて、手の中の花を眺めた。

 長いくきに、菜の花をひとまわり大きくしたような花が咲いている。

「ストックの花言葉。『信じてください』って言うんです」

 彼女の静かな言葉と一緒に、数日前の出来事が頭の中にフラッシュバックする。


 聞いてしまったのは、俺のせいじゃない。

 今日、この時間に待合わせたのは、別にためすつもりだったわけでもない。

 たまたま、あいつが他の男に誘われた日時と同じだっただけ。


「この花、せっかく買っていただいたんだから、花束にしますね。あの方、花が痛ま

ないように注意されてたみたいだし」

 彼女がそう言って、手早く花を束ねはじめた。それを俺は、ただぼうっと見る。胸の奥に集まる重苦しい固まりが、何の言葉も出せないように喉をせき止める。

「それと、これはおまけです」

 最後に彼女は、青い小さな花を花束にさしこんだ。


 渡された花束を抱えて、俺の足はあいつの家にむかっている。

 バケツ一つ分の花束だ。かなりのボリュームになってしまった。正直言って、財布的にも痛かった。道行く人の視線だって痛い。こんなのを抱えて、女の家に行くとか、考えたこともなかった。

 だけどこればかりは、仕方ない。

 彼女の最後のささやきが耳に残っていた。

「これはブルースター。花言葉は『信じ合う心』です」



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☆ストック(STOCK)


種 類 - アブラナ科

原産地 - 地中海沿岸地方

花 色 - 白・桃・赤・紫など

花 期 - 春

花言葉 - 信じてください


☆ブルースター(BLUESTAR)


種 類 - イソマツ科

原産地 - ブラジル

花 色 - 青

花 期 - 通年

花言葉 - 信じ合う心

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