事件

その日「前田利家」が死んだ。太閤秀吉の死から一年ほどのちであった。

利家と秀吉は仲が良く妻のまつとおね同士も味噌や醤油の貸し借りをしていた仲だった。よく「加賀百万石」というが、利家。利長。利政の3人合わせて百万石というわけになる。若いころは「槍の又佐」といわれて恐れさせた。


この前日、家康が利家の見舞いに前田屋敷を訪れた。

「ことを荒立てるな」と利政にきつくいった。利政は「反家康派」として知られていて今回の見舞いが「家康を討てる」絶好のチャンスと思ったからだ。

「しかし、父上、内府を討てる好機ほかにはありますまい」

「内府を殺してどうなる?再び戦乱の世が来るだけじゃ。それに見舞いとして来てくださる内府殿を殺したとあっては前田の家は立ち行かなくなるぞ」

「うぅ」利政は返す言葉が無かった。

「わかったか、利政。内府殿に傷一つ負わせてはいかんぞ。はやくこの兵を解け」

「はい」

利政は席をたった。

「それにしても、、、藤吉郎め、最後までわしを困らせてくれたな。」

これは利家の独り言のようであった。


やがて

「徳川内府様のお越しでございます」と声が聞こえる。

前田家の兵はすでに解散してあり、普段通りの静かな風景に戻っていた。

ふと、利家は周囲に人がいないことを確認すると、近くの刀を手に取り鞘を抜いた。そしてそれを布団の中に隠しておく。


足音が聞こえて家康がやってきて障子を開けた。

「果たしてこの年寄りに内府を討つことができるだろうか?」心の中で利家は思った。

「ごめん」といって家康が利家の前に現れた。

利家は起き上がろうとしたが、

「そのまま、そのまま。」と家康は言った

「では、このままで」

「大納言様、お加減はいかがでしょうか?」

「恥ずかしながら寄る年波には勝てませんな」

「いやいや。かつては槍の又左でならした大納言様じゃ。じきによくなりましょう。これは手前が自らつくりました薬でござる。よろしかったらお飲みくだされ」

「これは、誠にかたじけない」

「大納言様は今の豊臣家にとってなくてはならぬお方じゃ。殿下のあとを追うのはもう少しさきでよろしいとおもうがの。」

「殿下も寂しいのでありましょうよ。わしと殿下は若いころから信長さまにつかえ仲が良かった。又左も早く来い。とおっしゃっておるのでしょう。」

「とりあえず、大納言様のお顔をみれてよかった。それでは失礼いたします。」

そういうと家康は利家の部屋を出た。


利家の屋敷を出た家康は「利家は長くない」と考えていた。


家康が帰ったあと、利家は利長と利政を部屋に呼んだ。

「利長。わしは家康を斬れなかった。」そういって布団から刀を出した。

「父上」

「わしは信長公と藤吉郎につかえたが、天下人になるには器量がいる。今一番器量があるのが家康であろうよ。利長、お前は家康に従え」

「ハッ」

「利政、おぬしは治部殿に従え。この歌舞伎者前田利家の気概を内府にみせつけるのじゃ」

「ハッ」利政は嬉しそうだった。

「家康め、わしがもう長くないことを勘づきおったな。。。藤吉郎、すまぬ」

そういって利家は眠った。


そして、利家は死んだ。その日「事件」は起こった。

福島、黒田、加藤、細川のいわゆる武断派が三成を襲う計画を起こした。

いわゆる「石田三成襲撃事件」である。三成は佐竹の手助けで大阪から伏見城に逃れていた。それを知って伏見にも飛び火した。


清正は「正直」困っていた。三成は確かに食えぬところがあるが、決して私利私欲のために動いているわけではない。ただただ豊臣家のために働いているに過ぎない。「周囲の武将は佐吉は天下をわたくしにする」と叫んでいるが、そんなことを考えるような人物ではないことを知っていた。

ただ一つだけ言えるのは「秀吉」という人物に近づきすぎた。ということだ。

「おもえば。哀れな男よ」そう思っている。

しかし、福島はじめ武断派の大名から誘われればそれに従う事しかできないのも事実だった。それに今家康に「恩」を売っておけば、あとで交渉がやりやすいというものだった。清正が家康の養女を側室としたのはそういう外交技術からの事であった。

清正は立ち上がり「ちと厠(かわや)にいってまいる」といって中座した。

厠から出て手水で手を洗っているときに、声が聞こえた。

「九兵衛だな」

「殿、何か御用で。」九兵衛というのは清正の飼っている「忍び」の頭である。

「この文を、治部に届けてくれ」

「わかりました」

そういって文を受け取ると風のごとく消えていた。



三成のもとに清正の文が届けられたのは四半時たってからであった。

「馬鹿な。。」三成は絶句した

「殿、加藤様はなんと?」島左近である。

「家康を頼れとある。わしがあの憎い家康に頼るのならばここで討たれたほうがよい」

「それは妙案でござるな」と左近は唸った。

「内府とて殿が頼ってきているのを無下に断れないでしょう。」

「もし家康がわしを襲ってきたなら?」

「殿は今「ここでうたれたほうがよい」と申しました。ここで討たれようと家康の屋敷で討たれようと同じでござる」

「うぅ」

「こうしてはおれません。早くご出立を」

そして家康屋敷まで逃れた。


この事件は家康が仲裁となって解決した。

三成は奉行衆を辞し、隠居するかたちで決着がついた。

三成は家康の次男結城秀康の軍勢に守られて居城佐和山に着いた。


こうして「事件」は解決した。しかし、これが序章であることは誰も知らない。




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