その5 エキサイトバイク

前に書いた通り、私は小学1年生の2学期から県営団地に越してきた。角部屋で、隣にはちょうど同級生Yが住んでいた。残念ながら男子だ。ああ残念だ残念だ。


ということは当時はまったくなかった。なぜなら、Yの家にはファミコンソフトが3列カセットテープケースにいっぱいに詰まっていたのである! 当時の県営団地民としてはこれはかなりの本数だ。彼の父はパチプロであった(と言われる)。ゆえに獲得した景品としてのソフトがたくさんあったのだと思う。


Yには2つ上の兄がおり、彼から初めてのアダ名を頂戴した。現在のハンドルネーム的に言えば「しかす子ちゃん」である。私は本名も4拍だが、その4拍目から先を「子ちゃん」にされただけである。どうも女子っぽかったようだ。運動は苦手だったものの、別にそこまでナヨっとしてはいなかったはずだが……。


私が過去にいちばん多く遊びに行ったのは彼らの家であり、他の子の家にはあまり遊びに行かなかった。私の家には他に母しかおらず、その母の仕事帰りが18時くらいであったため、友人たちがウチに来るほうが何かと便利だったのもある。誰にも邪魔されずインドアで遊べるわけだから……あ、コレますます女子だったら良かったパターンじゃないですかねぇ。こんな環境のおかげで、他人の家に行くのが苦手(あるいは面倒)にはなった。大人を介して遊ぶって意外と大事だね!


さて、彼らから借りたソフトは20本くらいはあるのだが、中でも比較的よく遊んだのが『エキサイトバイク』(1984/11/30 任天堂)だった。右へ右へとモトクロスバイクで障害物を飛び越えつつターボを駆使して進むというやや単純にも見えるゲームであったが、当時の私にはお気に入りと言える一本だった。簡単な操作の割にスピード・ジャンプ・着地それぞれに爽快感があり、モータースポーツ系としては『F1レース』よりは多少うまくプレイできたし、何より自分でステージを作れる「デザインモード」の存在が大きい。


私は昔から、何かをオリジナルに作ってみたがる性格だ。当然、スーパーマリオのオリジナル面を方眼紙に描いたりもしていたし、後にはゲームデザインの勉強も子供なりにはしていた。マリオのステージ作成なんて一般にはやっと近年可能になったのだからよほど需要がなかったのかと思うが、初期のファミコンにはPCからの流れなのかステージ作成(エディット)モードがあるものがけっこうあった。『ナッツ&ミルク』『レッキングクルー』『バトルシティ』などがそれである。エキサイトバイクはその中でも作りやすく、試しやすく、楽しかった。保存は外部機器が必要だったのでしたことはないが。


エキサイトバイク以降、他プレイヤーと同じフィールドで横に並んで競争するゲームはさほど出ていなかったように思うが、『ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』がノリ的には近いだろうか。こういうゲーム、COMプレイヤーの思考ルーチンを作るのがけっこうめんどくさそうではある。


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