その3 ハイパーオリンピック

1984年、ロサンゼルスオリンピックの開催日。テレビのどのチャンネルもほぼおなじ映像が流れていて、まだ幼かった私は大変に驚いたものである。競技がどうのこうのというよりも、「異常事態だぞ、これは」という印象を受けた。


前回紹介したスーパーマリオブラザーズよりもおそらく前に入手していたのが、『ハイパーオリンピック殿様版』(通常版発売日1985/6/21 コナミ)と専用パッドのハイパーショット。私は「連打」(連射)というのをこれで覚えた。シューティングゲームはあまりやらなかったので……。


ハイパーショットの連打方法は人それぞれで、爪でこする、定規ではじく、乾電池などでこする、2本の指を交互に下ろす……などがあるが、私はそれら(最後以外)は乱暴な感じがしてあまり好きではなかった。ということは、残された手段は「痙攣連打」となる。床に置いたハイパーショットの上に、親指と人差し指をキツネ状にして準備完了。上腕から先に力を込め、震えを微調整しつつ打つべし、打つべし。


ちなみにコントローラーで連打する場合は、ゆるく持って親指を痙攣させる方式を取った。どちらにせよ疲れるのでシューティングには向かない。


ファミコン版のハイパーオリンピックは100m走・走り幅跳び・110mハードル・槍投げの4種目だが、私は槍投げが好きだった。というか、小学校低学年の私は槍投げという競技をこれで知った。幅跳びは苦手だった。操作はあまり変わらない気がするのだが……。単に苦手な体育で嫌な思い出があったからかもしれない。


限定版であるところの「殿様版」を買ったのはたまたまで、そもそもそれしかおもちゃ屋になかったのだと思う。別にドリフが好きだからではない(ひょうきん族は嫌いだった)。当時はゲームショップがようやく台頭するか、あるいは家電店の一角にゲーム販売コーナーがあったりという頃で、依然としておもちゃ屋の勢力が我が家の周辺では強かった。クリスマスともなれば各店の大きな折り込み広告が楽しみだったものである。ということで新品のゲームはだいたい近所のおもちゃ屋で買っていた。名前で言えば「おもっちゃマン」「おもちゃのバンバン」「メルヘン」「カンコーバ」などである。「メルヘン」は現存している。


ちなみに残念ながらソフトもハイパーショットも、中学に上がるより前にフリーマーケットで5000円くらいで売ってしまった。私はいつまでもファミコンやスーパーファミコンで遊んでいる人間ではあったのだが、ゲームが多様化する1990年前後にもなれば、ハイパーオリンピックは遊ぶ物というよりコレクターグッズに等しかった。後年、私も若干レトロゲームコレクター化するが、それは上京したあとの2000年頃の話。現役当時、ゲームは時に売り、時に交換するものでしかなかった。


ところで、殿様版の一般発売日っていったいいつだったんだろう。いまだによくわからない……。

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