その2 スーパーマリオブラザーズ

小学1年生の1学期が終わったところで、私は唐突に引っ越しをすることになった。どうせなら入学のタイミングにしてほしかったと今も思うのだが、つまりはどうも父が始めた事業がすぐにポシャったらしい。バブル手前なのに。


引越し先は隣の区にある、祖父母が住む県営団地。といっても同居ではなく、かなり離れた別の棟の3階角部屋。あれよあれよと準備が進み、誕生日も近い7月の末頃、父の車に乗せられ生まれた街を離れた。別れの時に近所のクリーニング屋の娘が「おっとっと」をひとつ渡してくれたのが妙に印象深い。


私はてっきり父も住むのかと思っていたが、いつしか父の姿は消え、よく事情の説明がないままに母とだけの暮らしが始まった。テレビの下にあったはずのビデオデッキはなくなったが、ファミコンは残されていた。


基本的に人と仲良くなるのに時間がかかる私だが、ファミコンはそれをいくらか和らげてくれた。お金のない世帯が多い団地では、ゲーム機はまだ普及しきっていなかったし、それぞれの家で買えるゲームも限られていたのだ。2学期のうちに、貸し借りや放課後のゲームを通じて、周囲に住む男子(の大人しい系)とはそこそこ仲良くなれた。特に父親がパソコン関係の仕事で自宅にゲーム機はないがPC9801(だと思う)があるHと、元々そいつと仲良しのTとは3人でよく遊んだ。しかしTはすぐに引っ越していった。さまざまな事情があるのも団地の特色だ。


そんな中で、どういう経緯かは覚えていないが、私も大人気ソフト『スーパーマリオブラザーズ』(1985/9/13 任天堂)を入手した。すでに1986年の夏だから、手に入れるのは簡単だったはずだ。ゲームの発売本数が飛躍的に増える中、スーパーマリオは共通言語となり得る貴重なゲームであった。


時期が時期であるため、熱中してやったのはそんなに長い期間ではなかった。攻略情報も充実していた。アクション自体が苦手な私でも、鼻歌交じりに難なくクリアできる程度にこなせた。そして、マリオはこの時期に友人と遊ぶ時の「前菜」のようなゲームになっていった。とりあえずワープを使ってサクッと10分ほどプレイし(クリアに10分はかからなかったはず)、そのあと共通言語化していないものを「主菜」として楽しむ、という流れができていた。


これがスーパーマリオ3くらいになると、ルートもいろいろだし新しい発見も多いため交代でじっくりやることもできたが、初代はどちらかというとスピード感のあるゲームであったと思う。当時のファミコンでスピードが出せる造りに仕上げてあるのがまずすごいのだが。この点、2は仕掛けが多くスピードが削がれた気がして、そんなには遊ばなかった。


そんなようにスーパーマリオブラザーズが飛び抜けてよくできたゲームであるという認識はあったものの、自分たちの間では風化が早いゲームでもあり、いち早く「古いゲーム」「懐かしいゲーム」という認識になったのもマリオだった。


もうひとつマリオでハマったのがイラスト描きで、私はゲームプレイ以上にマリオのキャラクターデザインがかなり好きだった。子供の頃にトーマスもアンパンマンもしっくりこなかった私が、真面目にキャラクターの絵を描いたのはマリオが初めてではなかったかと思う。太い線で躍動的な描き方がされていた。描いて楽しい、勝手に動いてくれるようなキャラクターたちであった。ゲームのバランスも良いが、それぞれが強い個性を持ったキャラのあり方もまた秀逸だと思う。


以降、この前後の時期に手に入れたゲームについてしばらく書いていきたい。


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