辿り着いても始めから

 児島由香は風呂上がりに冷蔵庫で冷える炭酸飲料水のペットボトルを部屋に持ち込む。キャップを捻ると飲み口から噴水のように噴き出す泡が水滴になって畳を濡らす。

 由香は頭に被せるバスタオルを掌で掴むと中腰になって濡れる畳を拭い、そして足の裏で踏みつける。


 数時間前の夕食。母親がパート勤めの後にスーパーマーケットで購入した出来合いの惣菜をおかずして自分が研いで炊いた白米。茶碗に盛りつけたのは誰かとも気にしないで箸をつける母親の態度。追い打ちをかけての言葉に怒りが膨らみ、感情が爆発した。


 やっとの思いで働く場所をみつけた。


 真っ先に喜んでくれるだろうの『相手』にはどうでもよいことだったのだろうと、由香は落胆した。


 とりあえず、明日がある。


 由香は目覚まし時計を起床時間に併せると乾きかけの髪で床に就くーー。


 ***


 児島由香は辿り着く。其処はマンホールから噴き出す白い煙が温泉街と錯覚する場所。


 自転車のペダルを踏むこと15分での通勤。ただそれだけで面接を希望した。その前に受けた企業は不採用通知の郵便物だけでも10件はあった。


 先ずは仕事と、由香は頭の中を切り替える。場内へと続くアルミ製の扉のノブを手にして中へと押して開くと従業員らしき中年女性が箒を持って通路を掃いている姿が目に写る。


「おはようございます。岡村さんはいますか」


「岡村さんですか? 場内の何処かにいらっしゃると思いますので」

 由香は女性の澄まし顔と声の質に苛立つが、訊き続ける。

「岡村さんは何処にいますか」

 眉は吊り上がり、声も思わず棘を含ませたかのように強く放つ。


「ああ、貴女よく見たら昨日面接に来た人なのね」

「此方は急いでいるの。雑談ならば、後でゆっくりとしましょう」

 由香は堪らず鼻から息を吹く。突いた言葉に対してなのかはわからないが、女性は「ぷっ」と、吹き出し笑いをする。


「貴女、強いわね」

 女性は箒を持ったまま由香を手招きすると、更に場内の奥へと案内をする。



「岡村さん、例の最強ちゃんよ」

 女性は橙色の作業着を身に纏う男の背中を指先で突く。

「ははは。大村さん、ちゃんと名前で呼ばないと駄目ですよ」

 岡村と呼ばれた男は由香を横目で見ながら言うと、由香の顔が僅かに歪んで「ごほっ」と咳払いをする。


「そう仰ってもお名前がわからないわ」

 大村と呼ばれた女性は首を左に傾けて両手を挙げる。

「それは失礼しました。では、改めて紹介致します」


「本当に失礼ですよ」

 岡村と目が合う由香が顎を突き出して言う。


「児島由香。大村さん、彼女を育ててください」

 岡村が一礼をすると、場内に就業を知らせるベルが響き渡るーー。


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