第46話 追う者と追われる者(2)

「リサもついに弟子持ちの身分か。あたしと同じ立場になったってわけだね」


「からかうのはやめてください、先生」


「照れるなよ、お前さんも今日から『先生』じゃねえか、あはははは!」


大口を開けて笑うグウェンに、リサは大げさにため息をついた。

弟子入りの一件は、すっかり周辺住民の笑いの種になっているらしい。

あれから三日も経つのだから無理もない。

バド自身、喜んでグウェンやココに話しただろう。


「それで先生、今日は一体何の御用でしょうか?」


昼間、特にすることもないので一人ふらふらと歩いていたところで、リサを探していたというココと出会った。

グウェンから伝えたい用件があるというので、診療所まで出向いてきたのだ。

まさか笑い話のために、わざわざ呼び出したというわけでもないだろう。

バドは診療所には居なかった。

言いつけを破ったのかと思わず気色ばんだが、グウェンによればもう出歩いても大丈夫だという。


「ホントに頑丈な身体だよ、あいつ。あんなどうしようもないバカなのに今まで生き延びられたのも、あの身体のおかげだな。両親に感謝しなきゃいけないよ」


やはり、生存が危ぶまれるぐらい愚かだということは皆の共通認識のようだ。

まずは師匠として、身を守る術を優先して教え込むべきだろう。


「一人で出歩かせて大丈夫でしょうか……」


「遠くには行くなって言いつけをあいつがちゃんと守ればね。ま、心配なのは分かるけどさ。あいつだって大人なんだ。少しは信じてやれよ」


心配なのは例の悪漢どものことも含まれているのだが、確かに昼日中から襲われる可能性は低いだろう。


「それでさ、話ってのは……ま、お前さんも分かってるとは思うが、あのバカ、案の定だけど金なんか全然持ってないって言うんだよ。しかも東南区に来たばっかりで稼ぐ当てもない、ってね」


予想通りで、驚きようもない話だ。

こればかりはリサが責任を取らざるを得ない。


「私が立て替えましょう」


落ち着いた口調で答えると、グウェンが眉をしかめた。

唸りながら数度首を横に振った後、言いにくそうに口を開く。


「あのさ……怒らないで聞いてくれよ? あいつ、お前さんの弟子になれたって大喜びしてやがったけどさ……もしかしたら、最初からあんたに自分の治療費を払わせるために弟子入りした……ってことはないのかい?」


「……先生には、彼がそういう人間に見えますか?」


彼女の詮索はリサの想定外だった。

確かにそういう見方をすることも可能だろう――これがバド以外の人間であれば。

あの単純明快を絵に描いてそのまま肉づけし、神が命を吹き込んだような男がそんな企みをしたのだとしたら、むしろ感心したいぐらいだ。


「そうは見えねえよ、うん。あたしも色んな奴を見てきたけど、あいつほど単純な奴はそうはいないさ。だけど、それにしたって知り合ったばかりの奴を信用しすぎじゃないかい?」


グウェンの憂慮はもっともだった。

確かに自分は、あまりにも彼を信用しすぎているのかもしれない。

リサはしばらく思案し、慎重に言葉を選んだ。


「賭けですよ、先生」


「賭け?」


その回答は、グウェンにとって意外なものだったようだ。

口をへの字に曲げ、言葉を吟味するように小首を傾げる。


「っていうと、あいつが真っ当に働いてお前さんにちゃんと金を返すかどうか、って賭けか?」


「そういうことですね。目論見が外れたら仕方ありません。私の直感に狂いがあったということですから」


苦笑を浮かべて返すと、グウェンは呆れたように溜め息をついた。

ココに声をかけ、赤葡萄酒の瓶とグラスを二つ、持ってこさせる。

彼女もモニカと並ぶ酒豪だ。患者がいなければ昼間から大酒を呷る。


「賭けねえ……ふーん、で、その賭けにもし勝ったらお前さんに何の得があるってんだい? 利子でもつけるのか?」


「いいえ、利子も期限もつけませんよ。もしこの賭けが上手くいけば、一人の粗暴な若者が立派に更生する――それだけで十分じゃないですか」


グウェンは一瞬目を丸くすると、豪快に口を開けて笑い転げた。

黙っていれば知的な美人女医だが、そのような評価に何らかの価値を認めるような人ではない。

だからこそ、この地域で外科医が務まるともいえよう。


「それがお前さんにとっては得になるってのか。はは、いかにもリサらしいね」


そう言ってグラスに酒を注ぎ、一気に呷った。

ぐいと身を乗り出し、リサの目を真っ直ぐに見つめてくる。

真剣そのものの表情だった。


「だけどな、利子はともかく期限だけは設けな。そうしないと、返す金も返さなくなる。これはね、何もあいつに限った話じゃないんだ。金ってのはね、とにかく扱いを間違えると厄介なことになるんだよ。だからね、締めるべきところはきっちりと締めなきゃな。そもそも、あいつを真っ当な奴に更生したいなら、そこのところはちゃんとするべきだ。師匠として、ね」


「ご忠告、痛み入ります」


真摯な顔で頷いたリサのグラスに、グウェンが笑顔で酒を注ぐ。

どうやらすぐには帰してくれないようだ。


「それにしても意外だったよ。お前さんがよりによってあいつを弟子に取るなんてね……ははっ、思い出しちまったよ。あいつが弟子入りを断られた日のことを」


「落ち込んでました?」


「そりゃもう、この世の終わりみたいな顔してさ。『何を勝手に抜け出してんだこのバカたれが!』って怒鳴りつけようと思ってたんだが、あんまりみじめすぎて心配になっちまったよ。しょうがねえからココとあたしで励ましてたんだぜ、大丈夫だ、きっとそのうち良いことある、とか言って」


「それはまた……ご迷惑をおかけしました」


「お前さん自身、正直どうなんだい? 弟子を取ることなんて、今まで考えたこともなかったろ?」


「ええ、そうですね……」


バドの志願がなければ、あるいはこの先も考えることはなかったかもしれない。

紫電流杖術の極意を伝えることは、言うまでもなく継承者としての使命だ。

だが、傭兵の身となった自分が弟子を取ることなど、一度も考えなかったのはまぎれもない事実だ。


「先生は……私が彼を弟子にしたことを、どのように思われますか?」


ココという優秀な弟子を持つ彼女ならば、もしかしたら他の者とは違う意見が聞けるのではないか――そんな期待を込めてリサは尋ねた。

その真剣な想いを瞬時に悟ったのだろう、グウェンの目つきが変わった。


「うーん……そうだね。あたしは、さっきも言ったけど最初は驚いたさ。でもすぐにいいんじゃないかなって思ったね。同時にこうも思ったよ。リサの中には、あたしの知らないリサがきっとまだ沢山いるのだろうって」


「意外な一面が見られた……ということですか?」


「ああ。お前さんは結構世話焼きだから、バドのことを放ってはおけないだろうとは思ったさ。だけど、まさか弟子入りを承諾するとまでは思ってなかったね。師弟関係ってのは親子のようなもんだからさ。へえ、リサの奴、そこまで他人を近づけるんだ、って」


流派によっては『師父』『師母』などと呼ばせることもある。

単に武術を教え、教わるというだけの間柄ではないのだ。

もちろん、その重みを分かった上でリサは承諾した。

それが、グウェンにとっては意外だったのだろう。


「私は、他人を遠ざけるような人間でしょうか? 自覚はないのですが……」


親友の尼僧アン、情報屋のロッテ、傭兵仲間のモニカとディノ、保安隊長のモーリーン――。

親しい人々の顔を思い浮かべてみる。


「そういうわけじゃないさ。ただ、お前さんは礼儀正しいし、言葉遣いも丁寧だし、相手の気持ちを慮ることもできる。他人との距離感も適切に保っていると思うよ。それが今回は、知り合ったばかりの暴れん坊に対して、やけに入れ込んでるに見えたんだよ。やけに『近い』なあって」


言われてみれば、確かにその通りだった。

髪を切ったバドの決意。

それに心を動かされた自分が、今にして思えば『意外』だった。

人生を変えるかもしれない大きな決断を、即答した自分が『意外』だった。


「……ん? その顔は今さらながら気づいたけれど『自分でも意外だった』ってところかい?」


「……はい」


聡明なグウェンにはお見通しだったようだ。

まだまだ修行が足りないと、苦笑する。


「気にする事じゃないよ。誰にだって『自分では知っているけれど、他人には知られていない自分』ってものがあるだろ? その逆が『自分では分かっていないが、他人は知っている自分』さ。それと、自他共に認める自分」


グウェンが軽くウィンクし、酒を呑み干した。


「そして最後は、『自分も他人も知らない自分』ってわけだ。ある日突然、自分か他人のどちらかが気づくのさ。どうだ、面白いだろ?」


満面の笑みにつられて、リサも口元を綻ばせてしまった。

自分の知らない自分――。

それはある意味怖くもあったが、同時に面白くもあった。


「確かに面白いですね。これから先、まだまだグウェン先生の知らない私をお見せできるかもしれませんよ?」


「それはお互い様だな。あたしも、自分のことなんてこれっぽっちも理解できていないかもしれねえからなあ」


お互いにグラスを掲げ、カチンと軽く合わせる。

胸の中にあったモヤモヤしたものが、少し薄らいだように感じた。


一息で呑み干すと、リサは静かに席を立った。

 

とりあえず、バドを野放しのままにしておくのは色々な意味で危険だ。

しばらくの間は、師匠である自分の目の届くところに常に置いておくべきだろう。


(モニカはきっと……いえ、間違いなく嫌がるでしょうけれど)


泥酔して愚痴る姿が目に浮かぶようだ。


「ん、行くのかい。じゃあ治療費は近いうちに払ってくれよ……銀貨十枚な」


「命の代償にしては、安すぎませんか?」


「いいじゃねえか。安くて文句言う奴なんて、お前さんぐらいだぜ?」


「何に対しても、それ相応の額は支払うべきだと思っていますので。それに、先生にはこの診療所を長く続けていただかないと困りますし」


「はは、そりゃありがたい話だね。だけどよ、一度請求した額を吊り上げるようなせこい真似はしたかねえんだよ。銀貨十枚、それで十分さ」


「了解いたしました。明日にでも、お届けに参ります」


思わぬ出費になってしまったが、蓄えは十分にある。


(ああ、それと……バドの修行用の杖も買わなくてはいけませんね)


リサの愛用の杖は、修行を始める際に亡き父が自ら作った物だ。

一応予備の杖もあるが、やはり父の遺品なので渡すのは躊躇われる。

傭兵仲間御用達の雑貨屋『鴉の巣』が真っ先に頭に浮かんだ。

盗品でも何でも安く買い取り安く売る、という店だ。

バドの巨体に合う手頃な杖も、きっと手に入ることだろう。


(それと後は……彼の就職先ですか……う~ん……)


これは、杖よりもよっぽどの難題となるかもしれなかった。

まさか殴り屋をやらせるわけにもいかない。


(かといって、手に職があるわけでもなさそうですし……やはり力仕事しか無いでしょうね。キリールさんに相談してみましょうか)


港の荷役士を束ねる『大将』ことキリール。

大鬼族で、剛力においては東南区一とも噂される男だ。

グイードやアーシュラにも一目置かれているので、彼の下にいればある程度までは無用のトラブルを避けることもできるだろう。

豪放磊落そのものの性格で、荒くれ者の扱いに慣れている彼なら、バドのことも受け入れてくれる可能性が高い。

それに、


(彼なら、たとえバドが暴れても楽々と収めてくれそうですしね)


力には力で対抗する――それがベストだとは言えないが、有効な手段の一つであることは否めない。


(よし、どうやら上手くいきそうですね!)


自分の思い描いたプランに満足し、リサは診療所を後にした。

厄介事を抱え込んだと周りにはさんざん言われたが、それを的確に捌くことは彼女の生き甲斐の一つでもある。

何より、グウェンの言葉が強く背中をおしてくれた。


だが――そうそう上手く事が運ばないのが、世の常であった。


(続く)

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