第45話 追う者と追われる者(1)

「リサの考えがさっぱり分からん。なぜだ、なぜあんなバカを弟子にした?」


「モニカ、あんまり人のことをバカバカ言うものじゃないわよ」


「だが、間違いなくあいつはバカだろう? 違うか?」


真顔で問われてしまうと、自信をもって否定はできなかった。

少なくともバドは賢いとは言い難いし、普通か愚かかで線引きするならば確実に後者の部類に入ってしまうだろう。

まだ若いから仕方ない、と弁護することはできるかもしれない。

しかし、齢を重ねればあの性格――物事を深く考えず、感情のままに突っ走る性格が――変わるのかというと、どうも難しいようにも思えてしまう。


(いえ、そもそも長生きできるかどうかが心配ですね……)


溜め息をつき、どんよりと曇った空を眺める。

今日は朝から嫌な感じの空模様だった。

夕方辺りには一雨来るかもしれない。


バドの弟子入りの翌日――。

リサとモニカは、東南区の人気店『赤速亭』の前でロッテを待っていた。

例の仇討ちの一件で、彼女にこの店のパスタを奢る約束をしていたのだ。

モニカは関係ないが、どうやらロッテが余計な口を滑らせてしまったらしく、


「それなら私も行く」


というわけで同伴することになった。


「お待たせしました~。あれ、白雪ちゃんも来ちゃったの?」


到着早々、ロッテが不要な一言を口にした。

情報屋としては口が堅い彼女だが、親しい相手との雑談、ことにモニカ相手となると舌が回りやすくなる傾向があった。

日頃クールな彼女を揶揄うのが楽しくて仕方ないのだろう。


「うるさい。来ちゃったとは何だ。まるで私が来てはいけないみたいではないか」


「え、そんなこと言ってないよ~。ただ、二人に奢るなんてリサお姉さまはホントに太っ腹だな~って」


「リサに奢ってもらうつもりなどない。私はただ、この店のパスタが食べたかっただけだからな」


「なぁんだ、じゃあテーブルは別でもいい?」


「駄目だ! 何でそんな意地悪を言う!」


「はいはい、中に入るわよ。喧嘩するなら私一人でお昼にしますからね?」


子どものような言い争いを止めると、客でごった返す店内に入った。

ほぼ満席に近かったが、リサはあらかじめ隅の席を予約していた。

店を取り仕切るアルバおばさんに挨拶し、各々注文を済ませる。

まずは赤葡萄酒で乾杯。これだけでモニカの機嫌が良くなった。

生野菜のサラダとチーズをつまみにしばし雑談。

ほどなくして鴨肉の燻製がテーブルに置かれた。

少々値は張るが、今日はリサが「本懐を遂げた」記念の食事会でもある。

たまにはこれくらいの贅沢もいいだろう。


「美味しい! 美味しすぎます、リサお姉さまっ!」


「うむ。これは……たまらぬな。酒にも合う」


肉を噛むたびに脂がじわっと口の中に広がってくる。


(ああ……この何ともいえない甘み……罪な味ですね!)


思わず顔がほころんでしまう。

しばらくは味わえないであろう料理だが、あっという間に食べ終わってしまった。

そしていよいよ本番。

熱々のパスタと煮込み、厚切りの炙り焼き牛肉が運ばれてくると、三人とも一心不乱に目の前の皿と格闘を始めた。

「美味しい」という賛辞と感嘆の溜め息、それ以外はほぼ無言である。

せっかく女三人集まっての昼食なのだから、もう少し優雅に食べればいいのにと思われるかもしれない。

だが、この店はそもそも『お上品な店』ではない。

港湾労働者や市場の行商人がここに集まるのは、とにかく安くてボリュームがあって、なおかつ美味いからなのだ。

大皿に盛られた料理を、冷めないうちに、肉が硬くならないうちに夢中になって食べるのが、この店の暗黙のルールだった。

ガーリックをたっぷりと効かせたパスタを口に運び、新鮮な魚介類の煮込みに舌鼓を打ち、厚切りの牛肉を頬張る。

とてもお喋りに興じる余裕などない。


全ての皿を綺麗に平らげたところで、食後のお茶が運ばれてきた。

三人ともに満足しきった顔で溜め息をつく。

たっぷりの御馳走と格闘した後の、熱い茶が胃袋に優しかった。


「……で、南区の様子はどうだったの?」


落ち着いたところで話を切り出した。

ロッテが周囲にさりげなく目を配る。

昼食時が過ぎ、店内はだいぶ空席ができていた。


「そうですねぇ、まあ予想通りというか何というか……」


苦笑するロッテに、そっと銀貨を数枚渡す。

モニカが何か言いたげな表情を浮かべたが、


「是非聞かせて欲しいわね。過去をどうこう言うつもりはないけれど、弟子については色々と知っておきたいところですし」


真剣な表情のリサを見て、口を閉ざした。


「バドさんですが、南区ではそこそこ名の知れた『殴り屋』だったようですよ」


「殴り屋? 何だそれは。頭の悪そうな商売だな」


リサは以前、そういう稼業があると聞いたことがあった。

依頼主から金を受け取り、その要望に応じて標的を痛めつけるという仕事だ。

ただ一発殴り飛ばすだけということもあれば、値段次第で腕一本折ったり半殺しにしたりすることもあるらしい。

言ってみれば『殺さない殺し屋』のようなものだ。

傭兵稼業の自分たちが偉そうに言えたものではないが、真っ当な仕事ではない。

それに、殺し屋と違い、相手からの報復も想定しなくてはいけなくなる。

裏社会で生きていくには、あまりに報酬の割にリスクが高すぎる。

モニカの言う通り、確かに賢い商売とは言えないだろう。


「それも、どこの組織にも属さないで好き放題に依頼を請けて暴れ回っていたのだとか。で、稼いだお金はパーっと全部使っちゃうし、脳天気な性格なもので人気はあったみたいですよ」


酒場で見知らぬ客にまで大盤振る舞いするバド――容易に想像のつく光景だ。

人懐こいところがあるので、好かれていたというのは納得できる。

年上に可愛がられるやんちゃな青年、といったところだろう。


もっとも、粗暴な若者が傍若無人に暴れるのを苦々しげに思う者も多いはずだ。

さらには、直接被害にあった者たちから相当な恨みを買っているのも間違いない。


「それでまぁ、あれこれとやりすぎちゃったおかげで南区には居られなくなったらしいんですよ。まあ自業自得ってところですけれどね」


「具体的には?」


「ご存じの通り、南区は小さな勢力がひしめき合って、いつもなんやかんやと小競り合いをしている状態でして。で、あのバドさんは何も考えないで頼まれるまま仕事をしていたらしくて……結局、気が付いた時にはもう手遅れ。周り全部が敵だらけになっちゃたんだとか」


「アホだな。アホそのものだ」


モニカの評価は辛辣そのものだが、これはさすがにリサも擁護できなかった。

後ろ盾もなく暴れた末、八方塞がりになる――裏社会で立ち回るのに、一番やってはいけないパターンだ。

あのディノも『狂犬』などと呼ばれているが、基本的に筋は通すしそれなりの分別はわきまえている。


「それで東南区に逃げてきたってわけね。で、この間の連中は彼を追ってきたと」


「ええ、それと金銭絡みのトラブルもあるみたいですね」


いざという時のために貯えをするタイプには到底見えない。

ただでさえ、裏社会での揉め事の大半は金銭が原因なのだ。


「金にいい加減な奴は何をしてもダメだ。リサ、今からでも遅くはない。さっさと破門した方がいいぞ」


「そう簡単に破門はできないわ。ある程度のトラブルは覚悟の上よ。彼を正しい方向に導くのが師匠である私の務めですからね」


「……分かった。だがリサ、あたしは何度でも忠告するぞ」


モニカが自分の身を心配してくれているのはありがたいことだった。

それに、彼女の言い分は十分に理解できる。

仮に自分が逆の立場であったなら、やはり同じような忠告をしていただろう。


「あの連中もバドさんと同類というか……要するに、どこにも属さず金次第で荒事を請け負うって輩のようですね。今の南区には、そういう野犬の群れみたいなのがうじゃうじゃいるんですよ」


「互いに噛みつき合って、全滅してくれればいいのにな」


「なかなかそうはならないのよね、不思議なことに。でも、もしグイード様かアーシュラ様が乗り込んだらすぐに一掃してしまいそうね?」


軽い冗談のつもりだったが、にわかにロッテが眉をしかめた。

何か言いかけたモニカが口を閉ざし、少し身を乗り出す。


「リサお姉さま。そのお話、わりとシャレになっていませんよ」


「というと、何か動きがあるの?」


声を潜めたロッテに合わせ、リサも小声で尋ねた。

さりげなく周囲の様子を窺う。

どうやら、例の噂レベルの話が彼女にとっての『商品』に昇格したようだ。


「グイード様が、ここ最近兵隊を集めているんですよ」


「……兵隊、ね……」


むろん、裏社会における『兵隊』とは組織のために戦う人員のことだ。

たいていの場合、正式な構成員となる前段階として一時的に組織に雇われる。

その上で、何かしらの手柄を立てた者や、見込みありと目された者が組織に永遠の忠誠を誓う儀式を受けて正規の子分となるのだ。

兵隊を集めている、ということは近隣の不良少年や腕に自信のありそうな輩に声をかけているということだろう。


「アーシュラ様はどうなの?」


東南区の裏社会を分ける二つの勢力――『人斬り』グイードと『宵闇の女王』アーシュラ。共に地廻りとして、歓楽街を裏から支配している。

現在は表立って争っていないが、リサが帝都を訪れる以前に大規模な抗争があったと聞いている。

グイードが戦力の増強を図れば、アーシュラも当然動きを見せるはずだ。


「目立った動きはないですね。もちろん警戒はしてるようですけど」


「むしろ喜んでそうね、アーシュラ様の場合」


「いいじゃないか、リサ。仕事が増える」


モニカの言い分は傭兵としてはもっともなのだが、リサ個人としては抗争は避けてもらいたいところだった。

平穏な世の中でも、それなりに仕事はあるのだ。

無用な争いはリサのみならず周囲の人々にも危険を及ぼす。

リサ一人では、とうてい守り切れるものではない。


「いやあ、どうもグイード様は北区の大元締に備えているんじゃないか……というのが、私の読みなんですけれどね。大元締のことはご存知ですよね?」


帝都の裏社会に関わる者で、北区の大元締を知らない者はいないだろう。

数年前まで北区は三人の元締が分け合っていたという。

そこに数名の仲間を引き連れて旗揚げし、わずか一年半ほどで全てを傘下に収めてしまった大人物だ。

武力だけではなく、相当に頭も切れ、人を束ねる魅力のある男だとされている。

その大元締が北区統一後、他の区にまで手を伸ばし始めているらしい。


「実際、東北区も西北区も半分ぐらい大元締の息がかかっているようですね。とにかく強くて速いらしくって、他の元締とは器が違い過ぎるって話ですよ」


「北区だけでは器がとても収まりきらなくて、着々と勢力拡大に動いているというわけね……もっとも東南区はだいぶ後回しにするでしょうけど」


グイードの強さも尋常ではないが、何しろアーシュラは吸血鬼だ。

どれだけ力のある大元締とはいえ、迂闊に手を出すわけにはいかないだろう。

己の所有する全てを失うかもしれない、そんなバクチは打たないはずだ。


「それは甘いですよ、リサお姉さま。東北区を獲ったら港が使えるようになりますからね。いきなり東南区に攻めてくるって可能性もありますよ。例えば、アーシュラ様とは同盟を組んで……とか」


「なるほどね。グイード様からしたら、今のうちに準備を整えておかなければ間に合わなくなるかもしれないってことね」


「ええ。あるいは先手を打つ意味で、集めた兵隊を東北区で大元締に抵抗する勢力の支援として差し向ける、なんてこともあり得ますね」


東北区には、先だっての件で大変世話になった元締のザイツがいる。

豪放磊落を絵に描いたような人物で、大元締相手にも恐らく一歩も退いたりしないだろう。

彼がグイードの援護を得られれば、大元締の勢力を食い止めることができるかもしれない。

もっとも、それに絡んで東南区に火種が飛んでくることもあるだろうが。


(もしくはグイード様、南区に手を伸ばすつもりかも知れないわね……)


膠着状態のアーシュラを倒すよりも、小勢力が小競り合いをしている南区に進出して利権を得る方が賢明かもしれない。

そうして勢力を広げておくことで、北区の大元締の侵攻を牽制する。

グイードの懐刀、『人喰い』ヤンが考えそうな案だった。


「まあ実際のところ、抗争のためだけじゃないとも思いますけど。ほら、これから何かと忙しくて人手が必要になるじゃないですか」


「……秋の収穫祭か!」


モニカが珍しく弾んだ声を上げた。

心なしか、白い肌に朱が差しているようにもいるようにも見える。

こう見えて彼女、実はお祭りが好きなのだ。


(……それに、祭りだと酒が振舞われますしね……)


収穫祭は年に一度の大きな行事だ。

一週間、帝都全体で数多くの華やかな催事が行われる。

屋台や行商人たちを束ねる元締たちにとっては絶好の稼ぎ時であるし、彼らの権威を高める絶好の機会でもあった。

保安隊も当然警備にあたるが、何しろ大きな行事のため、彼らだけでは街の治安を守り切れない。

そこでこの期間に限り、元締たちにも警備への協力を要請するのが通例だ。

自分の縄張りを収めきれれば街の人間の信頼を得ることができるし、逆に騒動が起きてしまっては元締としての面目が立たなくなる。

グイードはそのための人員を集めている、という見方もできるだろう。

それだけならば、むしろ歓迎すべきことなのだが――。


「ともかく気を付けてください、リサお姉さま。バドさん、こう言っちゃ悪いですが、やっぱり相当な厄種ですからね」


ロッテにまで真顔で心配されてしまい、リサは大きく溜め息をついた。

いくら気を付けていても、彼は自分の想像もつかないような厄介事をひょっこり抱え込んできそうだったからだ。


(続く)

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