第14話 たった一つの危険な橋(3)
「いや、別にあたしはアーシュラ様を嫌いじゃないですよ、っていうか大好きですって、アハハハハ……はは、はは……え、ええホントですって、でもでも、あの方に頼み事をするって、それはちょっと無謀というか何というか、あんまりあたしとしてはオススメしたくないなー、なんて。え、何でだって? いやその、ええっと、それ、あたしの口から言わせるつもりですかぁ!?」
落ち着きなく話し続けるロッテを引き連れ、アーシュラの屋敷を目指す。
陽はさらに高くなり、日差しは容赦なく石畳を照りつけてくる。時折海から吹く風が、唯一の救いだ。
ロッテはなおもブツブツと文句を言い続けているが、本気で引き止めようとは思っていないようだ。
しかも、頼んでもいないのに後ろからのこのことついてきている。
商店が立ち並ぶ大通りから小道――俗に、『親不孝通り』などと呼ばれる道だ――を一本入ると、そこはもう別世界の入口だった。
風に乗って、ほのかに安物の化粧の香りが漂ってくる。
夜ともなれば、これがむせ返るような匂いになるのだが、さすがに昼日中はそれほどでもない。
粗末な造りの小屋がひしめき合っている。娼館街の、ちょうど端の辺りだ。豪華絢爛な大店とは違い、蓮っ葉な娼婦たちが一人で客をとっている。
かつてのリサにとってはまるで縁がなかったが、この稼業を始めてからはむしろ飯のタネになるような話の転がっている地域である。
この時間、大半の娼婦たちは就寝中であるが、洗濯や炊事をしている者もいて、リサに挨拶をしてきた。
後は、用心棒兼世話係の若衆と上納金の回収と折衝をする女衒たち、それに客引きと管理をする遣り手婆たち。
誰もがどことなく気だるそうにしているのは、この暑さのせいだろう。
埃が舞う小道を抜けて大通りに出ると、景色がまた一変した。
東西を貫く蓮華大通りの両端にある大手門。そこから娼館がずらりと並んでいる。
整備の行き届いた石畳の通りの中央には水路が流れ、潅木と色とりどりの花々が植えられてあった。娼館の造りも煉瓦造りのものだけではなく、バリエーションに富んでいる。
初めてここを訪れた者は、まず間違いなくこの絢爛豪華な風景に息を呑み、足を止めることだろう。
帝都に数ある色街でも、東南区のそれは最も華やかであると言われている。
この一帯を牛耳る元締・アーシュラは、以前こんなことをリサに語っていた。
「ここはね、男たちに夢を売る場所なのよ。だから現実を忘れてしまうような、そんな演出をしなければいけないの。建物も、道も、流れる空気も、全てね」
ロッテの話によれば、これほどまでに魅惑的な場所になったのはアーシュラが取り仕切るようになったからだという。
彼女が来る以前は、
「そりゃもう、ひどいもんでしたよ。働いてるお姐さんたちも、病気でバタバタ倒れてましたし」
という有様だったそうだ。それもつい、二年ほど前の話らしい。
「その頃はグイードの元締が先代から後を継いだばかりで、東南区もメチャメチャだったんですよ。小さな勢力がひしめきあっていて、分裂したりくっついたり……で、年がら年中抗争してばっかりでして」
この色街の利権も、三つの勢力が奪い合っていたらしい。
刃傷沙汰も絶えず、当然ながら遊びに来るような客も今よりずっと少なかったそうだ。
そこに登場したのがアーシュラであった。
ある夜、数人の手下を引き連れてふらりとこの地区を訪れた彼女は、一軒の娼館を買収した。
そしてそれから、ケタ違いの財力であれよあれよという間に一帯を制圧してしまったという。
「そりゃもうみんなビックリですよ。一体どこからあんな金銀財宝を持ってきたのかって」
在るところには在る、ということだろうか。
だがもちろん、以前からこの地域を縄張りにしていた連中がこれを黙って見過ごすわけもなかった。
「まあそれも、全員残らず叩き潰しちゃったんですけどね、アーシュラ樣が」
当時のアーシュラは財力こそあるものの、従えている手下はごく少数だった。
しかし、彼女を暴力と恫喝で屈服させようと考えていた連中の末路は、悲惨を極めた。
ある夜明けに『誰が誰かの見分けもつけられないような死体の山』が大手門の外にうずたかく積まれて以来、誰一人この界隈で彼女に逆らう者はいなくなった。
財力のみならず、暴力においても彼女は圧倒的な力を有していたというわけだ。
美しくも残虐な暴力の化身、アーシュラ。
彼女の異名は『宵闇の女王』だ。
堅気の人間はもとより、リサのような傭兵であっても、できることなら関わり合いになりたくない存在である。
そんな彼女の元を訪れ、助勢を願い出る。
しかも、事前に約束を取りつけているわけでもない。
ロッテに正気を疑われるのも無理のない話だ。
(理屈では全くもってその通りですけれどね、無理を承知でいかなければならない時もあるってことですよ!)
それにリサには勝算もあった。
どのようにアーシュラと交渉を行うか――頭の中でそのプランを練りつつ、彼女の屋敷に歩を進める。
「リサちゃんから逢いに来てくれるなんてね、嬉しいわあ。うふふ……今日はいったいどういう風の吹き回し?」
「ご無沙汰しております、アーシュラ樣。ご尊顔を拝謁したいのは山々なのですが……」
「はいはい、お世辞や時候の挨拶、それと長ったらしい口上は結構よ。私がその手の言葉に飽き飽きしているのはよく知っているでしょ?」
まずい。のっけから先方のペースに呑まれそうになってしまっている。
それにしても、リサのことを『リサちゃん』なんて呼ぶのは、この帝都では宿屋の老婆とこのアーシュラくらいである。
むろん、老婆のように気軽に付き合える相手ではない。
「ウフ、そんな固くならなくてもいいのよ? お茶でも飲んでゆっくりしてちょうだいな」
アーシュラが艶然と笑い、手にした銀煙管から紫煙を吐く。
葉に特殊な香料が混ぜられているのであろう、甘ったるい香りが漂ってきた。
銀煙管は羅宇に象嵌細工の施された、いかにも高価そうな品だ。
マホガニー製の洒落た造りのソファに肢体を預けているアーシュラは、割と御機嫌な様子だった。
しかし、くつろげと言われても、素直にはいそうですかという気分には到底なれない。
「でもラッキーねぇ、リサちゃん。この時間に私が起きてるなんて、珍しいことなのに」
約束もなしに訪れたリサであったが、アーシュラはまるでそれを事前に予測していたかのようにあっさりと面会を許してくれた。
「いえ、きっとアーシュラ様はお目覚め中と思っておりましたから」
「ふうん? それはどうして?」
東南区のみならず、王都中の人間から『宵闇の女王』と恐れられる彼女は、その名の通り日が沈む頃に目覚め、夜明けと共に眠りにつくという噂であった。
雪のような白い肌を、漆黒の闇を連想させるドレスで包んでいる。
ドレスは様々な宝石類で飾り付けられ、夜空に浮かぶ星のように煌めいていた。
銀色に輝くストレートの長い髪。
紅玉の如き瞳には、強く妖しい光を秘めていた。見つめられるだけで、その光にこちらの魂を奪われてしまうような錯覚すら感じる。
完璧なまでに整った美貌に加え、生まれつき備わった威厳。
対峙するだけで、尋常ならざる緊張を強いられる相手だ。
(その上、その気になれば一撃で相手を葬れるほどの戦闘力、ね)
実際に彼女が戦っている姿は、リサも見たことがない。
情報通のロッテですら、彼女がどれだけの力を持つか、見当すらつかないと語る。
戦った者の大半が彼女に命を奪われるか、あるいは彼女に服従し、口を固く閉ざすからだ。
そんな相手が目の前にいる。
ソファのすぐ隣に座るロッテが、彼女らしくもなくガチガチに緊張しているのも無理からぬ話だ。
むしろ、この状況で平常心を保っていられるリサの方がおかしいのだろう。
「グイードの元締の件ですよ」
「ああ、そうね、ウフフ。亡霊どもが朝から地上を歩くなんて、世も末よねえ」
楽しそうに笑い、肩をすくめるアーシュラ。
ロッテが入手したばかりの最新の情報であるが、すでに彼女の耳にも届いていたようだ。
思わず、
(吸血鬼が昼間から傭兵とお茶を楽しんでいるってのも、相当おかしな話ですけれどね)
そんな軽口を叩きたくなったが、場が文字通り凍りつくジョークなので自重した。
(続く)
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