第13話 たった一つの危険な橋(2)
リサが難しい顔で腕組みし、薄暗い天井を仰いでいると、
「あっ、もう一つ大事なことを言い忘れていました!」
「まだあるの? 今の話に関係あること?」
「ええっと、うーん、それはまだ何とも断定できませんが……」
ロッテがさりげなく首を巡らし、周囲を確認する。その様子から、只事ではないことは明らかだった。彼女が椅子を少し前に出し、口元を隠しながら、
「その、絶対に内密でお願いしますね? ヘタを打つと、あたしもリサお姉さまもコレですから」
指先でトントンと自分の首の横を叩いた。
言うまでもないが、殺されるという意味だ。
「もちろんよ。孫やひ孫に囲まれて温かいベッドで静かに大往生するのが、私の遠い未来の人生設計なんですからね」
「はあ。でもリサお姉さまはそれ以前に結婚できるかどうか……」
「大きなお世話よ。で、何の話?」
「……グイードの親分が『亡霊』を動かしました」
ロッテの張り詰めた声。リサも思わず息を呑んでしまった。
なるほど、これは白昼堂々と往来で話せるような内容ではない。
『亡霊』とは、グイードの抱える諜報部隊の通称だ。
グイード直属の部隊で、そのメンバーの素性は元締と一部の幹部しか知らないらしい。全員が変装・隠密行動に長けていて、単に情報を集めるというだけではなく、謀略や暗殺を働くと言われている。
いかなる理由があろうとも、絶対に関わり合いになりたくない連中だ。
「それはまた、随分と大事じゃないの。詳しく教えて欲しいわね」
「はい。今朝リサお姉さまがお屋敷を出てすぐ、元締が『亡霊』を招集したらしいんですよ」
そうすると、ちょうどリサがリオネルと立ち話をしていた頃だろうか。
「で、どんな密命を与えられたかまでは分かりませんが、『亡霊』はすぐに散っていったそうです。その目的地が、どうやら東北区らしいんですよ」
「東北区、ねえ。何か最近、元締と東北区の間で揉め事とかあったかしら?」
少なくともリサの記憶にはない。ロッテも真剣な顔のまま首を横に振った。
「元締が『亡霊』を動かすような懸案は一切ないですね。特別、親しくしている相手も敵対している者もいないはずですよ」
ならばなぜ、そこに子飼いの部隊を送り込んだのか。諜報部隊であるから、秘密裏にことを運びたい、ということだろう。もっとも、表立って部下を派遣したらそれこそ大抗争に発展しかねないわけだが。
(それにしてもこの娘、かなり中枢まで潜り込めているのね)
情報源は恐らく、幹部の誰かであろう。これは確かに、元締にバレたら命が危うい話だ。
リサは頭の中を整理した。
東北区といえば、先程の誘拐師ども――チャンとその一味の件だ。だが、元締が招集をかけた時間には、まだモーリーンたちは奴らの根城が東北区という結論には至っていない。
しかし――。
「ねえ、ロッテ。元締は、どれぐらい保安隊の内部と通じていると思う?」
「え? うーん、そうですねえ。まあ、元締ですから、かなり上の方々とお付き合いしてるでしょうね~。もちろん、あのモーリーン隊長は除外するとして」
清廉潔白な人格の彼女は、裏社会の人間と親しくしたりはしないだろう。少なくとも、一定の距離は置いているはずだ。ましてや、賄賂などは絶対に受け取るまい。
だが、全ての保安隊長が彼女と同じ高潔な人物とは限らない。
むしろ、裏社会の人間と接点を持つことで治安を維持しようと考える者もいるはずだ。
ただ単に賄賂に目が眩んで、という者もいるに違いないが、役人の腐敗について嘆くのはまた別の機会にするべきだろう。
(そうすると、マオが保護されたことは元締の耳に入っている可能性が高い、と)
しかし彼女が東北区から来た、ということが判明したのはつい先程のことだ。
それよりも早く、彼は『亡霊』に指令を下していた。
これは一体何を意味するのか――。
「ロッテ、意見を聞かせて。グイードの元締は、どうして『亡霊』を動かしたと思う?」
「ええっと、そうですね。まず、誘拐師たちとは関係なく、何かあたしたちが知らない件で動かした、という可能性はありますよね」
「でも滅多に動かさない『亡霊』を緊急で集めるような事態なら、何らかの気配があってしかるべきよね? それにタイミングが良すぎるわ」
ロッテは小さく頷き、
「では誘拐師絡みとすると……。まあ、元締はああいう類の連中を本当に嫌っていますから、東南区に被害が及ぶ前に叩き潰すつもりなんじゃないでしょうかね?」
無法がまかり通る裏社会にも、裏社会なりの『法』と『秩序』がある。
リサの知るグイードの性格から、連中の情報を掴んで即座に配下を動かした、というのは納得ができる。
「あと朝も言いましたけど、最近資金繰りで頭を痛めているらしいですからね。ここで一稼ぎしよう、という目論見もあるかもしれません」
「一稼ぎ?」
「誘拐師ども、ここのところ荒稼ぎしていましたからね。そいつらの蓄えた金を根こそぎ奪ってやろう、ってわけですよ。堅気の人間や他の元締たちと違って、あんな外道の連中を殺して金を奪ったって、誰も文句は言わないでしょ?」
それも一理ある。これが自分の縄張り内であれば堂々と兵を動かせるが、他地区なので隠密行動に長けた『亡霊』を動かした、ということだろう。
「それに、首尾良く一味を捕まえることができれば、他に使い道がありますからね」
「使い道?」
「売るんですよ、保安隊に」
なるほど。思わず笑みがこぼれてしまった。
近頃巷を騒がしている誘拐師一味を捕らえ、保安隊に引き渡す、というわけだ。 恐らくは、『売る』といっても現金での取引ではないだろう。帝都の治安を守る保安隊であるから、体裁というものもある。彼らのメンツに傷をつけないようにしつつ取引を行うはずだ。
あるいは条件などグイードは提示しないかもしれない。保安隊に一つ大きな貸しを作っておく、というだけでも有意義なことだ。
(もしそうなったら、モーリーン隊長はさぞや悔しがることでしょうね)
歯噛みするさまが目に浮かぶようである。
それに、表立っては保安隊の手柄ということになっても、街には真相が噂として流れるのは間違いない。街の平和を脅かす悪漢どもを一網打尽にしたグイードの評判は、確実に上がることだろう。
だが――。
「もしその線であれば、私も万々歳よ。すぐにでも元締の屋敷に出向いて事情を説明して、誘拐師退治のお手伝いをさせてもらうところだわ」
恐らくその申し出が断られることはないだろう。リサと元締の利害は一致している。これまでの付き合いもあるから、喜んで参画させてくれるはずだ。
「でもね、もう一つ……最悪のケースも考えられるのよね」
「と、言いますと?」
彼女も薄々勘づいてはいるのだろう、顔色が明らかに悪くなっている。
「元締が裏で誘拐師どもを使っていた、ということよ」
ロッテが目を見張った。
チラリと周囲に目を配るが、当然リサもその点には充分気を付けている。
こんな発言が誰かの耳に入れば、明日の朝にはリサの絞殺死体が市場通りの大橋で発見され、モーリーンの仕事を増やすことになるだろう。
「そんな……ありえませんよ、グイードの元締に限って」
「そうね、私もそう信じたいわ。でも、可能性はゼロではないでしょ? 違う?」
金銭面で苦慮していた元締が、外道を承知の上で誘拐と人身売買を行う。
自分の縄張り内では何かと都合が悪いので、他の地区を荒し回るというわけだ。東区と東北区であれば、川を利用すれば移動にもそれほど手間はかからない。
「それで今朝、マオの件を知って『亡霊』を動かした、というシナリオよ」
誘拐師どもがヘマをやらかしたので、隠密部隊を使って後始末をさせようということになるだろう。そう仮定すると、保安隊よりも早く動いている件も説明がつく。
「事が表に出ない内に、静かに消し去るってわけですか」
「そうね。誘拐師どもを殺すつもりなのか、それとも手引きして帝都の外に逃がす算段なのか、そこまでは分からないけれど」
いずれにせよ、リサにとっては都合の悪い話だ。のこのこ屋敷に出向いていって、仇討ちをしたいなどと言ってもにべなく断られるのがオチであろう。
むしろ、リサのその後の行動をマークすることは間違いないから、なおさら都合が悪くなる。
(ただでさえ、保安隊よりも先に事を進めないといけないというのにね……)
これはあくまでも仮定の話であり、これまでに知っているグイードの性分から考えれば薄い線であるとも思える。
しかし、この線を完全に消せない以上、危険な賭けに打って出る気にはなれなかった。
(だとすると……手は一つ、ですか……)
思わず溜め息が出てしまった。
保安隊も敵、ロッテも不案内な土地で、頼りになる仲間の傭兵たちは不在、さらにグイードにも頼れずとなれば、リサの取ることのできる手段はただ一つだった。
しかし、正直に言えばあまりこちらから積極的に近づきたくはない相手である。
(いやいや、贅沢を言っている場合ではありませんね)
何よりも時間が惜しい。
重苦しい沈黙を破るように大きく息を吐き、リサは席を立った。
「どうするんですか?」
恐る恐るといった様子で、ロッテが尋ねてくる。
察しの良い彼女のことだ、きっとリサが何を言い出すか、おおよその見当はついているのだろう。
「背に腹は代えられないわ、アーシュラ樣にお願いすることにするわ」
「リサお姉さま……。気は確かですか?」
ある程度予測はしていたが、それにしても酷い言われようである。
(続く)
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