第12話 たった一つの危険な橋(1)

(さて、忙しくなりましたね)


保安隊本部の建物から出たリサを、夏の強い日差しが出迎えた。

眩しげに目を細めつつ、これから自分がなすべきことに思案を巡らす。

やるべきことはいくつもあった。モーリーンの前では大見得を切ったものの、やはり自分一人ではやれることは限られてしまう。

目的を達成するためには、何よりも人手が必要だった。


この一年間で知り合った、同じ傭兵仲間の顔を思い浮かべてみた。

こういう状況で頼りになる者もいれば、正直あまり絡んで欲しくない者もいる。 だがあいにく、最も信頼できて腕も立つ三人は、先週からとある豪商の護衛で帝都を離れていた。

(困りましたね。ま、仕方がありません。まずは何をおいても情報収集ですね)


東南区内に限って言えば、この一年間でかなり顔が広くなった。

問題は、チャンが目撃されたのが全く馴染みのない東北区であるということだ。 著名な通りや建物は頭の中に入っているが、それだけでは捜索には心もとない。


(コネもありませんしねえ……)


東北区の裏社会を牛耳る元締は、リサの記憶が正しければ三人いるはずだ。

だが、残念ながら面識はない。これからのこのこ出向いていって、親の仇を探しているので協力して欲しいなどと言っても、一笑に伏されるだけだろう。


(そうすると、やっぱりグイード様に一言添えてもらうのがベストでしょうか)


各地区の元締同士は、対立関係にある場合もあれば同盟関係、時には兄弟杯を交わしていることもある。

グイードに近しい人物が東北区の三人の中にいれば、話は早いだろう。


(もっとも、その元締が誘拐師の後ろで糸を引いているってこともあるでしょうけれど)


グイードのように、誘拐を『外道の振舞い』と嫌う元締ばかりではない。

むしろ裏社会は金のためなら何でもやる、という者が大勢を占めている。

そのことは、この一年間の帝都での傭兵生活で嫌というほど思い知らされてきた。


(そうですね、元締の前にあの娘に話をしておくのが賢明でしょう!)


正門を抜け、表通りに出たところで大きく深呼吸した。

慣れてきたとはいえ、保安隊本部はやはり息が詰まる。モーリーンの思惑通り、ここで働くことになれば気にならなくなるのかもしれないが。


「あ、リサお姉さま!」


通りを歩き始めたところで、背後から声をかけられた。

振り向くまでもなく、自称『東南区一の情報屋』ロッテだと判った。


「間が良いわね。ちょうど貴女に話をしようと思っていたところよ」


「えへへ、それは良かったです。あたしも大事な話があったもので」


「それで保安隊本部の入口で待っていたってわけね。よく私の居所が分かったものだわ」


「えへ、ま、それはもう愛のなせる業ってことで」


(よく言うわ、全く)


彼女のことだ、保安隊内部にも有力な情報源を抱えているのだろう。

保安隊にとっても、彼女の持つ数々の情報は有益なものが多い。だからリサがモーリーンに呼び出された件も、その後、アンを伴って再訪した件も彼女には筒抜けなのかもしれない。

それにしても、朝から、いや昨日の夜からずっと慌ただしい身の上だが――チャンの件といい、今の自分には運が味方についているのかもしれない。

博打は打たない主義だが、いわゆる『流れが来ている』状態とでも言うべきだろうか。

だとすれば、きっかけは恐らくアンの手料理を食べた辺りからだ。

やはり、持つべきものは友である。


「じゃあまず、貴女の話から聞きましょうかね」


保安隊本部から徒歩十分ほどの居酒屋『偉大な鯨亭』。

その名の通り、だだっ広い造りの店を選んだのは、内密の話をするには最適の場所だからだ。夕方以降は酔客でごった返すこの店も、昼間は常連客がポツリポツリといるだけで、リサたちの話は耳に届かない。


「えへへ、毎度あり~」


前金を受け取り、ご機嫌顔のロッテ。今日だけで随分な稼ぎっぷりである。


「実は……例の男の、目撃情報が入りました」


彼女の満面の笑顔が一転、鋭い刃物のような目付きに変わった。

しかしリサの口元がふっと和らぐと、途端に拍子抜けしたような顔になる。


「あの……あれ、もしかしてご存知で?」


「ついさっき、ね」


それまでの経緯をかいつまんで話した。

ロッテは興味深げに身を乗り出し、何度も相槌を繰り返しながらそれを聴く。


「で、貴女のその目撃情報っていうのはどこが出処なの?」


「ええ、渡し舟の船頭からの情報でして。頭巾を目深に被っていたらしいんですが、たまたま風が吹いて、一瞬だけ顔と首元が見えたそうで」


「それで双頭蛇の刺青が見えたってわけね。場所はどの辺り?」


「東南区の舟着場ですよ、白鷺橋手前の。で、東北区まで乗せていったそうです。他にも同じような風体の男女が三人、いたそうですが」


「四人、ね。時間は?」


「明け方、一番の舟って言っていましたよ。昨日の夜はこの東南区にいたということですね」


(マオの件と一致するわね)


マオと姉が誘拐師どもに襲われたのが昨日の夕方。マオが川に逃げ込み、命からがら救われて保安隊に保護されたのが昨夜遅くのことだ。

姉妹を襲った誘拐師一味の男と、その船頭が今朝見かけた男は、同一人物と考えるのが自然だろう。

そもそも、不吉な刺青を同じ箇所に入れている男などそうはいない。


(もっとも、それがチャンであるとは断言できませんが)


しかしいずれにせよ、この帝都で悪事を働く卑劣漢であることに変わりはない。

アンの胸で泣きじゃくるマオの姿を思い浮かべた。

決して許すことのできない者どもだ。


「そう、貴重な情報ありがとうね」


昂る気持ちを抑えるため、グラスの冷えた茶をぐっと飲み干す。


「で、リサお姉さまはどうするつもりです?」


「決まっているでしょ? 行くわよ、東北区に」


「はあ。ま、そう言うと思ってましたけど。でも、大丈夫なんですか?」


昨日から一睡もしていないが、気が張っているためか眠気は一切なかった。

それに、この絶好の機会をみすみす逃すわけにはいかない。


「大丈夫。保安隊が動いているのよ? 悠長にしてはいられないわ」


これがただ単にリサの仇を追うだけであれば、慎重に情報収集を行い、準備万端整えてから戦いに臨む余裕もあっただろう。

だが、誘拐師の一味として保安隊が本気で追いかけている現状で、一介の傭兵である自分が呑気に構えているわけにはいかない。


「それならいいですけど……で、東北区に何かコネはあるんですか?」


「残念ながら一切無いわ。そこで貴女をあてにしていたってわけ」


「あー、なるほど。私に話があるってのはそういうことでしたか。なあんだ、てっきり愛の告白だと思って心と身体の準備をしてたのにぃ」


不服そうに唇を尖らせる仕草は愛らしいが、彼女の冗談に付き合っている暇はない。


「はいはい。で、コネはあるの?」


「いやそれがですね、正直な話、あたしも東北区はあんまり……」


「あらあら、自称東南区一の情報屋さんにしては随分と情けない話ね」


「ぶ~、いくら優秀で可愛い『犬鼻』ちゃんだって、そこまで手広く商売できませんよ~」


リサが茶化すと、駄々をこねる子どものようにドカドカと床を踏み鳴らした。


(やれやれ。それにしても、これはちょっと弱りましたね……)


ロッテ以外の情報屋とは、それほど親しくしていない。東南区内で仕事をする上では、彼女から得られる情報だけで事足りていたからだ。

また、あまりに多くの情報屋と関わると、情報量が増える分、ガセネタを掴まされる確率も上がってしまうということもある。

だが、頼みの綱の彼女にコネがないというのでは仕方がない。

ここはやはり、グイードの手を借りるしかないのか。


(続く)

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