第10話 眠れない一日の始まり(8)

少女の話を訳した結果、やはりこの件に誘拐師どもが絡んでいることが判明した。

彼女の名前はマオ。一週間ほど前に、両親と姉と共に東南諸島からこの帝都に渡ってきたそうだ。

父親だけの出稼ぎということではなく、一家揃っての移住ということであろう。恐らくは知人がすでに帝都在住で、その伝手を頼ってのことだと思われた。

着いたばかりで右も左も分からない少女であったが、姉はすぐに帝都の雰囲気に馴染んだようだった。年はそれほど離れていないということであったが、姉はしっかり者なのかもしれない。

帝都到着から数日後には、マオは姉と二人で同世代の子どもたちと遊ぶようになっていた。姉もマオも共用語は話せないが、やはり同じように東南諸島から移ってきた子どもたちが近所には大勢いるらしい。


「……東北区に彼らの集まっている一角がある。そこの可能性が高いな」


「そうですね……ねえ、マオ。遊んでいる時、何か大きな建物とか見なかった?」


リサの問いをアンが訳すと、マオは表情をパッと明るくさせて両手をいっぱいに広げて大きな声で答えた。


「双子の、大きな鐘があったそうですよ」


「……東北区の聖クベール教会か!」


東北区の中心部にある聖クベール教会は、荘厳な造りで有名であった。中でも二つ並んだ高い塔の鐘は、『双天使の鐘』と呼ばれ、区の象徴ともされている。

すぐにモーリーンが、廊下に控えさせていた隊員に東北区への連絡を命じた。

よほどの事情がない限り、マオを探す両親が保安隊に捜索願を出しているはずだ。


マオは昨日、いつものように姉と二人で遊んでいたという。

日が暮れかけた頃、教会の鐘が鳴った。その鐘が鳴ったら必ず家に帰るのよ、と母親から繰り返し言われていた姉妹は、すぐに仲良く手をつないで家路に就いた。

東南諸島の童謡を歌いながら河原沿いの道を歩いていたところで、長身の男が二人の行く手を阻んだ。

その眼光の鋭い男は、頭からすっぽりとフードを被り鼻から下は布で覆っていたという。

危険を察した姉に腕を引っ張られ、踵を返したがすでに手遅れだった。背後にも数名の影がいつの間にか現れていて、周囲には他に人が全くいなかったそうだ。


「その連中の顔は……いや、さすがに隠していただろうな」


「……そのようですね。ですが……一人だけ、女の人がいたそうです」


「ほう?」


アンが少女の話を訳すと、モーリーンが身を乗り出した。


「顔ははっきりとは見ていないそうですが、声が女の人だったようですね。それと、目のすぐ下に傷があったそうです」


「目の下に、傷、か……」


モーリーンがちらりとリサに目を向ける。その視線に気づき、


「いえ、覚えはありませんね……」


自分と同様に、女だてらに荒事稼業に身を置いている者も何人か知っているが、その中に目の下に傷のある者はいなかった。

もちろん、知人に誘拐師などがいたら即刻縁を切るところである。


姉妹は悲鳴をあげ、転がるようにして河原に下りたが、すぐに取り囲まれてしまい、追い詰められたところで姉がマオを川に突き落としたらしい。

そのまま、姉は誘拐師に捕らえられてしまった。

川の流れは速かったが、東南諸島の人々は「読み書きよりも先に泳ぎを習う」と言われるほど水泳には長けている。マオも必死で泳ぎきり、東南区の川原にまで流れ着いたところで通りがかった渡し船の船頭に助けられたそうだ。


「なるほど。これは一刻も早く、誘拐師どものアジトを探り当てなければいけませんね」


「ああ、連中もこの子を取り逃した以上、アジトを変えて逃走する可能性があるからな」


リサの言葉に、モーリーンが険しい表情で頷く。

マオが鼻をすすりあげながら、アンに何事か訴えている。両親と離れ離れになって不安ということもあるが、それ以上に姉の身が心配なのだろう。


「もう一人、顔は見られなかったのですが、首に……絵が描いてある人がいたそうです」


「絵? ああ、入れ墨か。どんな模様だった?」


モーリーンが机の上に紙と羽ペンを用意すると、マオが小首を傾げながらぎこちない手つきで描き始めた。

三人はその様子をじっと見つめていたが、


(……まさか……そんなっ!)


リサの心臓が大きく鼓動を打った。

口中が急速に乾き、思わず唾を飲み込んでしまう。

普段から、何事があっても動揺しないように自制してきた。それは、父から教わった武人としての気構えでもあり、この一年間の傭兵生活で学んだ生きるための知恵でもあった。


だが、抑えられない。抑えられるはずもない。


固く握った拳がわなわなと震えていた。


「どうした、リサ?」


異変に気づいたモーリーンの問いにも、すぐに答えることができなかった。

アンもすでに察していたようだが、気を遣って声をかけなかったのだろう。


「すいません、その……」


額に浮いた汗を拭った時、マオが絵を描き上げた。

身体をくねらせた双頭の蛇。

これが、その誘拐師の一人の喉に描かれていたのだという。

蛇という生き物は、大陸各地でその扱われ方に大きな差異がある。例えば中央人は邪悪な存在として忌み嫌うが、南方では知恵に長けた生き物とされている。

リサの出身である東方では、蛇は生命力の象徴であった。

だが、『双頭の蛇』には裏切り・狡猾という意味が込められている。

それを好き好んで己の身体に――しかも、言葉を発する源である首や喉に入れ墨として彫る人間など、普通はいない。

少なくとも、リサが知る限りそのようなことをする人間は一人しかいなかった。


(見つけた……ついに、ついに見つけました、父上!)


追い続けた獲物の影を、ようやく掴んだという喜び。

同時に、かけがえのないものを奪った怨敵への怒りが胸中に沸々と湧き上がってくる。奥歯をぐぐっと噛み締めた。


「リサ、お前……これに見覚えがあるのだな?」


モーリーンに肩をがっと掴まれて、ようやく我に帰った。

マオが怯えきった様子でアンに抱きついている。どうやら相当怖い顔になっていたようだ。一つため息をつき、心を平静に戻す。


「……いえ、その……」


正直に答えるべきか否か、咄嗟には判断できなかった。

アンと目が合うと、事情を知る彼女は瞳に憂いを含ませつつも、力強く頷いた。

リサもすぐさま頷き返す。


(そうですね。どのみち、隠せるわけでもありません……)


シラを切ったところで、モーリーンはそのままリサを帰すことはないだろう。ここで彼女ともめて、無為に時間を費やすわけにはいかなかった。


「はい、私は確かにこの男を知っています……いえ、ずっと追い続けてきました」


「何者だ?」


「この男は……」


唇を噛んだ。口にするのも忌々しい。

その顔も声も、決して忘れない。忘れられない。


「私の、父の仇です」


モーリーンが一瞬息を呑み、肩から手を離した。

張り詰めた空気が室内を支配し、そこにいる誰もが声を失った。


(続く)

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