第5章 気持ち
ぶつかる気持ち
「部活動終了。着替え終わったよ」
「俺、今から着替える。カンナに連絡した?」
「まだよ。バスに乗車したら連絡するの」
「分かった。急いで着替える。バス停で会おう」
「うん」
久美は携帯を鞄のポケットに仕舞うと荷物を持ってバス停へ向かった。日差しはじりじりと肌へ当たったが、何気に心は踊った。久美はカンナと新しい店へ行くより淡い期待感を異性へ抱いた方が楽しかった。
「それにしても暑い……」
久美はバス停のベンチへ腰掛け鞄から携帯を出した。すると、「今バス停に向かってる」と、多智花からメッセージが届いた。
久美はもわっとする暑さで温風と廃棄ガスを巻き上げるトラックに目もくれず、単なるメッセージにひたすら惹きつけられ時間が止まったように携帯を眺めていた。
「誰のメッセージ待ってんだ? カンナか?」
知らぬ間に多智花がいた。
「バス来たぞ!」
我に返った久美はカンナへ、「今バスに乗るから」と、メッセージを送った。
バスのドアが開き久美の後に多智花が乗車して久美は無意識に一人掛けへ座った。多智花も反対側の座席へ座り久美の存在を忘れて、ポケットから携帯を出すと没頭した。久美は今の時間が酷く特別に思え窓から景色を眺めながら、どうしたら本当の気持ちを彼へ届け、あわよくば振り向いてくれるか……。それは殆ど希望ないと判っても想像上は楽しく一人問答がぐるぐる頭を巡った。八分後、二人はバスを降りた。それから徒歩一分で目的地だった。多智花は歩きつつふっと久美に尋ねた。
「あのさ。カンナの連絡先を教えて欲しいな」
現実は分かっていたものの僅かな可能性にかけた久美のそれは、ガラガラと音を立て崩れた。久美は深いため息をついた。
「直接本人に聞いたらいいんじゃない? 最も易々と男子に教えるカンナじゃないけどね」
「そこだよな。俺さ。クラスの男子に聞きまくったんだけど誰も知らなかった。しかも女子も知らないと言う。そこで久美なら教えてくれるかな、と、思ったわけだ」
「そんなの。知らない。知らないったら、知らない」
「はっ? それは絶対ないだろう」
「そうよ。知ってても教えない」
「お前、ガキみたいだ」
「ガキでけっこうよ。本人に直接尋ねて下さい」
少しばかり久美は意固地になったのだけれど、二人だけの会話がこんなにワクワクするなんて……。久美は頬を抓った。「嘘じゃない。現実だわ」久美はもっと楽しくなった。
「久美さ~ん!」手を振るのはカンナである。途端に多智花は久美を追い越した。彼女は現実に引き戻されつつも何気に満足したのである。
「久美さん。すっごく楽しそうよ」
「カンナに会うまでうきうきしちゃって」
「毎日会ってるのに?」
「そうよ。だって、ほらね」久美は多智花をチラ見した。
「なるほどね」カンナは、「クスッ」と、笑った。
「さすが、ショッピングモールね……。広いわ。さてどの店から行こうかな」
久美はその中へ入るやいなや片足を軸にくるっと回転した。オープンして間もないうえに土曜日の昼ときたら、想像できるだろう。どこを見ても人が仰山。ある意味ではテーマパークだ。
「俺さ。腹減った。まずご飯を食べようぜ!」
三人はエスカレーターで二階へ上がり、あれこれ飲食店を覗いてみたがどこも満杯だった。
「じゃあ、先に雑貨屋へ行こう!」
弾み出る久美の声に多智花は唖然としたものの、思い立ったが吉日か、久美はカンナの手を引きエスカレーターへ向かった。
「あいつはそういうキャラだったのか……」
多智花は、「ふっ」て笑い、頭を掻いた。しかしながら三秒後にハッとして辺りを見回し二人を探した。
「おい、待てよっ!」
久美の足の速いこと。「タタタタタッ」と、エスカレーターを降りてカンナの腕を掴んで歩きながら囁いた。
「ねえ。カンナ。私ね。ちゃんと多智花君に告白しようかなって、思ったの」
「素敵だわ。心から応援する。久美さん頑張れ!」
「カンナも頑張れ!」
「へえ。何を頑張るんだ?」
カンナの横から多智花がひょいと顔を出した。
「ああ。それはね……」カンナは冷静に言いながらくるっと向きを変え、つっと久美の左横へ移動し、「私。トイレに行ってくる。先に行ってね」と呟き、そそくさとその場を離れた。
「カンナはトイレで何を頑張るんだ? そういうキャラだったのか?」
多智花は微妙に首を傾げボソリ呟けば、「そういうキャラでありません」と、間髪を入れず久美に脇腹を突かれた。
「イテッ……。だ、だよな」
多智花は無意識にもっと首を曲げた。そして久美の脇腹突きに驚き反射的に客を避けながらこう言った。
「久美はそういうキャラだったのか?」
「もう、どういうキャラだっていいじゃない!」
二人は雑貨店に入ったのだけれど、あっちもこっちも混雑だ。
「俺さ。このキラキラ感が苦手なんだよな。どっちかと言えば隣の本屋で雑誌を見たい。と言うことで本屋に行くから」
「ちょっと待って。カンナが戻るまでは……。ここにいてよ」
久美の視線が一点を見つめ語尾が小声になった。実は久美の瞳に見覚えある背の高い錦木高校生が映っていた。多智花は頓着なく返事した。
「しょうがないな……」
「ここにいた方が。いや、あっちの店に行こうかな。なんちゃってね」
「はっ? 意味が分かんない」
二人は香水の瓶が並んだ棚の前にいた。
「ええっと。そうね。もう少し奥へ入ろうよ。ここさ、ほら。香りが強いから」
「そうでもないだろう。それにここはカンナが気付きやすい」
それでも久美は多智花の腕を強引に引っ張った。しかしながらびくともしなかった。
「やばい。カンナが来た! お願いだから錦木高校生に気付かないでね」
久美は心で叫んだ。
「久美。急に両手を合わせて何を願ってんだよ。変な奴だな」
そう言いつつ多智花は通路側へ身を寄せると、今話題の本コーナーで読書する錦木高校生が目に映った。
「神田じゃないか?」多智花は思うままに足を動かし彼の横へ立って、「神田!」と、声を掛けた。神田は手に持ってた本を置きビックリした顔で多智花を眺めた。
その頃カンナは久美を見つけ急ぎ足で歩いていたが、すれ違う客の間からどこかへ向かう多智花の姿に気付いた。久美が店から出てさり気なく本屋へ指を差し、
「ねえ、カンナ。多智花の横にいる人は錦木高校テニス部の神田君でしょ?」
「あっ……。神田君だわ」
「とにかく二人の会話が気になるから行きましょ」
「何驚いてんだよ」
「ここで多智花に会うと思って……なかった」
「悪かったな」
神田の視線が不意に横を向き多智花も釣られた。カンナと久美が彼らの傍へ近寄って来た。二人は平然を装って、「こんにちは」と、神田に挨拶をしたのだけれど、ここぞとばかり多智花は彼女を紹介しよう思い立った。
「同じクラスの女子だ。一緒に、買い物に来た」
神田は礼儀正しく、しかしながら物悲しい顔をして、「初めまして」と、呟いた。
「初めまして……?」久美はきょとんとした。
「丁度いいや。一緒にご飯を食べないか?」
多智花は妙なライバル心を燃やし彼を誘ったが、神田は多智花だけを眺めこう言った。
「僕は本を買ってすぐに帰るから」
「あっ、そう。残念だ。せっかく女子を紹介しようと思ったのに」
神田は相変わらず多智花だけを眺めた。
「有難う。今度頼むよ」
何てことだろう。久美は神田が何か勘違いしてると気付き小さな声で囁いた。
「カンナ。何か言ったらどうよ」
「えっ? 何を言えばいいの?」
「ああ、じれったい。何でもいいから会話を続けて」
カンナは咄嗟の思い付きで尋ねた。
「あの。一緒に食べませんか?」すると神田は顔に喜色を浮かべ、
「有難う。とても嬉しい。今度二人だけで食事しよう」
さすがの多智花も意味深長な言葉に腰を抜かされた。神田は軽く会釈して店の奥へ入ったのだけれど、多智花は単にどうしようもない気持ちだけが残った。
どうすればいい?
「神田のやつ。挑戦的だった……」
神田らしからぬ態度が多智花の脳裏をぐるぐる廻り始めたのは、あの日からである。多智花は神田の隠れた強さに圧倒された。少なからずその力に影響され何しても無意識に手が止まった。そう、好きなテニスさえ集中できない有り様だった。
「くそっ! あいつ、カンナを気に入ったのか? それとも人気者の俺への当てつけか? いや。神田も十分人気者だ。じゃあ、あいつの見せたあの笑みは何だよ……」
ぶつぶつ自問自答の繰り返しだった。
「おい、多智花。さっきから何呟いてんだよ」
猪一は彼の正面でおどけた顔した。
「なんだ。猪一か……」
「なんだ、で悪かったな。最近の多智花は上の空で聞くからさ。心配してんだよ」
猪一は更に顔を接近させたのだけれど、多智花はどう見ても心を何かに奪われていた。
「分かってる。心配してくれてありがとう」
「はっ? 多智花。お前らしくない。何かあったのか?」
「もう……。全然分かんねぇ!」
多智花は項垂れ両手で頭をガリガリ掻いた。
「はぁーっ? 俺の方が全然分かんねぇ、よ」
猪一はやれやれといった顔で席へ戻ったが、「待てよ」と、カンナの席へつっと寄った。
カンナは久美の携帯を覗きハムスターの画像を眺めながら二人で、「クスクスッ」と、笑い、指で画像を送ってた。
「ほら、これさ。膨らんだほっぺがかわいいし、ヒマワリの種を持つ小さな指が愛くるしいでしょ?」
久美が呟くと頭上ににゅーっと人影を感じた。二人は顔を上げた。
「久美ちゃん、カンナちゃん!」
妙に弾んだ声で猪一が馴れ馴れしく呼んだ。
「元気そうだね。っていうかお楽しみ中に悪いな」不自然に笑う彼だった。
「い、いきなり、何よ。酷く気持ち悪いわ。せっかく楽しんでたのに何の用なの?」
久美は怪訝な顔で追い払うように尋ねた。
「ああ。久美ちゃん。ほんと、可愛いなぁ」
「ねえ。わざとらしいんだけど。何が言いたいのよ」すると廊下側から、
「おーい。猪一! 顧問が昼休みに体育館だって!」
体格の良い男子から部活動の伝言を聞くと、「分かった!」と、振り向きながら片手を上げ返事した。
「部活動の練習なの?」
「練習じゃない。弁当食おうぜ会」
「はっ?」久美もカンナも顔を見合わせた。
「何なら久美ちゃんも行く?」
「なんで私が猪一君と行かなきゃならないのよ。柔道部じゃないもの。行くわけないでしょ!」
「ああ。久美ちゃん。きついなぁ……」猪一は苦笑いした。
「カンナ。わたしトイレに行く」
久美は少し微笑むと席を立った。
「あぁぁぁぁぁぁぁ……。俺。冗談で誘ったわけじゃないんだけどな……」
猪一は頭をポリポリ掻きボソッと呟いたが、カンナははっきり聞き取れた。
「それ。複雑だわ」カンナは海を眺めながら呟いた。
「そうなんだよ。男心は複雑……。っていうか、俺の言ったこと聞こえてた?」
「聞いてたわけじゃないわよ。でも。困ったわ」カンナは下から彼を見つめた。
「俺。まずいこと口走ったかも……」
「お待たせ!? ちょっと猪一君まだいたの?」
「えーっ! もしかして久美に酷く嫌われてる?」
久美は椅子を引きカンナの方を向いて座った。
「そうじゃないけど。もしかしてさ。カンナに気があるの?」
久美はにやけて質問した。
「はっ? なぜそう展開する……。ところでさっきの話の続きなんだけど、さ」
猪一は両腕を組んで久美とカンナを眺め尋ねた。
「あのさ。多智花の様子が変なんだ。それで何か心当たりないかと思い来たわけだ」
久美は多智花の席へ視線を向けたのだけれど、普段通り女子に囲まれた彼がいた。ただあの日あの時から彼の表情が曇ったのは確かだった。
「あーあっ。大分計算が狂ったわ」久美はカンナを眺めため息をついた。
「なにそれ。なんか計算してたのか?」猪一は少ししゃがみ交互に二人を眺めた。
「思った通りだ。ここに何かあるな……」
猪一は勝手に憶測し立ち上がって胸の前で腕を組むと一人頷いた。
「多智花君に言いたいことがあったのに、言いそびれちゃった……」
困惑した久美の顔から今にも言いたげな呟きをカンナは察したが、久美の気持ちなど猪一に分かるはずがなかった。だから平然と笑顔で尋ねた。
「その原因とやらを教えて欲しいんだけど、さ……」
「簡単に言えません。とーっても複雑なの」久美は両肩をちょっと上げた。
「複雑? 俺がさっきそれをカンナに言われたばっかじゃん」
「猪一君のどこが複雑なのよ?」久美は胡散臭そうに呟いた。
「だめよ。言ってはだめよ」カンナは心で叫び気が気でない表情で両手を左右に振った。しかしながら口から出たのは、「あの。あのあの……」と、しどろもどろな言葉だけで、ただカンナは必死で会話を止めたかったのだけれど無駄だった。なぜなら猪一は、「ゴホンッ」と、一つ咳払いするとこう言ったから。
「ああ。俺は……。要するに『久美へ好意を寄せてるっ』て、カンナへ言ったんだ」
猪一が照れ臭そうに久美を見つめた。それから机に載せた彼女の指に視線を移した。ところが急にガラガラと店のシャッターが下ろされたように、「キーンコーンカーンコーン」と、チャイムが鳴った。
「はぁ~っ!? この先はどうなるんだよ」
「猪一君……。真面目に言ってんの?」久美はあんぐりと口を開けて彼を漠然と眺めた。
「猪一君。チャイムが鳴ったことだし、この続きはまた後でね。あはははっ……」 カンナは苦笑いしながら小首を傾げさり気なく手を振った。
「カンナ。どうしよう。多智花君は相変わらず女子に人気者だし、でもカンナを気に入ってる。錦木高校の神田君もそれっぽい。私は多智花君がいいのだけれど、猪一君に告白めいたこと言われたら……」
「言われたら?」
「正直な気持ち。なんか嬉しい。猪一君の気持ちは心にそっとしまっておく」久美は、「クスッ」と、笑った。
「そうだよね。それに返事が欲しいって言ってなかったわ……」
カンナは猪一の席へチラッと視線を向けた。
「ただチャイムが鳴って、会話が途中で終わった、って感じだから」
久美も猪一を眺めた。
「そうよね……」カンナが呟くと同時に数学の先生が教壇へ上がり、「起立!」と、学級委員長の声が響いた。
さて、放課後。
久美は荷物を纏め鞄を肩に掛けると、下から覗き込みながらカンナへ尋ねた。
「ところで。カンナは誰かに告白したことあるの?」
「告白……。ないわ」
カンナも荷物を持ち、二人で廊下へ向かった。
「カンナは好きな人はいるの。ほら、神田君のことをどう思ってるの?」
「大切な思い出の人」
「えっ、それだけ?」予想外の返答に久美の呼吸は一瞬止まった。
「じゃぁ、多智花君はどうなの?」
「イケメンのクラスメイトよ」久美は思わず、「プッ」と、噴き出した。それから二人は階段をスタスタ降りたのだけれど、カンナが不意に立ち止まりこう呟いた。
神田君は、『大切な思い出の人』って、答えたけれど……。再会したらまるで心に羽が生えたようで、ことばで上手く表現できないけれど不思議な感じがするの」
「それは素敵だわ。また明日続きを聞かせて!」
久美は下駄箱の靴に手を掛けた。すると何か思い出し、手が止まった。
「カンナ、忘れ物したから教室へ戻るわ。またね!」「うん。またね」
久美は慌てて階段を駆けあがった。ところがカンナが靴を掴んだ矢先に、「きゃーっっ!」と、女子の叫び声が酷く耳を刺激した。「久美さん?」カンナは胸騒ぎして早歩きで階段を上ると、「大丈夫か!?」男子の声がした。カンナは急いだ。すると二階の廊下で数人の生徒に囲まれた久美がいた。久美は倒れていた。
「だ、大丈夫です」そう言いつつ立ち上がろうとしたが、どうにも体に力が入らず起き上がれなかった。
「大変だわ。先生を呼ばなくっちゃ!」
カンナは咄嗟に保健室へ向かった。
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